門司港に住むアーティストの創作活動そのものを、唯一無二の“観光資源”に

城水悦子さん、2018年5月3日に「門司港美術工芸研究所」で開催された「アートフェスタ」にて城水悦子さん、2018年5月3日に「門司港美術工芸研究所」で開催された「アートフェスタ」にて

北九州市屈指の観光地「門司港レトロ」は、1995年に開業した。これを機にまちを盛り上げようと、地元のひとびとが行政と一緒に立ち上げたまちづくり団体が「門司港レトロ倶楽部」だ。門司港を訪ねてくれる観光客に、いかに楽しんでもらうか。「門司港レトロ倶楽部」の観光資源開発部長に任命された城水悦子さんは、自分たちのまちの魅力について、改めて真剣に考えることになった。

北九州市によって「レトロ地区」に整備された建物群は、門司港がたどった歴史を物語る貴重な観光資源だ。明治から昭和初期にかけて国際港として栄華を極めたまちが、戦後凋落を余儀なくされたからこそ、レトロな建物が建て替えられることなく残った。レトロ地区の外にも、趣のある古い建物は数々ある。木造3階建ての料亭建築「三宜楼」が城水さんら地元の人々の努力で解体の危機から救われたことは、以前の記事にも書いた。

門司港第一の観光資源が「レトロな建築群」なら、もう一つは関門海峡の絶景だ。平家滅亡の悲劇を招いた急流渦巻く海峡は、最も狭い部分で岸線間わずか約650m。初めて訪れる人は、九州と本州の意外な近さに驚く。海と山に挟まれたまちに平地は少なく、地形は起伏に富んでいる。

地形と建物はまちの景観をつくるが、まちに命を吹き込んでいるのはひとびとだ。城水さんは、“ひと”も“観光資源”になるのではないか、と考えた。「門司港に住むひとの活動に触れてもらうことは、ほかのどこにもない、このまちならではの魅力につながるはず」と語る。

では、門司港ではどんなひとが、どんな活動をしているのか。城水さんたちは改めて聞き取りを重ねたという。そこから浮かび上がってきたキーワードが、“アート”だった。門司港には、絵画や陶芸、染色などのアトリエを構えるアーティストがたくさんいることが分かったのだ。

海峡を見晴らす丘の上の廃校を借り受けて誕生した「門司港アート村」

最初に取り組んだのは、門司港に住むアーティストの作品を広く紹介するための展覧会「みなと回廊展」の開催だ。記念すべき第1回は1998年。門司港レトロの建物群を回廊に見立て、複数の会場を巡りながら地元作家たちの多彩な作品を楽しんでもらおうという趣向だ。

とはいえ、会期が限られた展覧会だけでは、まちの魅力づくりとしては物足りない。城水さんたち「門司港レトロ倶楽部」は、いつしか「常時、アーティストの活動を発信できる場所が欲しい」と思うようになった。アーティストが自発的に活動しているだけでなく、まちがアーティストを積極的に支援する。アートが身近にあるまち、未来の文化を育てるまち。その核となる場所をつくろうと「門司港アート村構想」を立ち上げた。

ちょうど、といってはなんだが、関門海峡を見下ろす高台に、廃校になった小学校があった。1997年に学校としての役割を終えてから、その校舎は文化財の出土品収蔵庫や文庫本図書館などに使われてきたが、空いたままのスペースもある。そこを市から無償で借りて、「門司港アート村」が誕生した。芸術家・工芸家を目指すひとたちに、創作活動と作品発表の場を提供する。同時に、一般の人にも開放して、アーティストたちと交流し、作品がつくられていく過程に触れられるようにした。

村長には、北九州市出身で、京都市立芸術大学で教鞭を執った造形美術家の川端孝則さんを迎えた。そのほかの村民は公募し、初年度は11組13人の応募者から3組4人が選ばれた。廃校になった校舎から、ステンドグラスや木工家具が生まれるようになった。

翌年度には新たに7人が加わり、村民は総勢12人に。市民参加のワークショップや講師を招いてのトークセッションなど、活動の幅も広がった。門司港で定期展を開く以外に、東京や京都への出張展示も行っている。アート村から巣立つ人、新しく入村する人が入れ替わりながら、活動は9年続いた。その経過とともに、アート村のクリエイションも進化していった。

「はじめのうちは、趣味が高じて工房を求めるといった人が多かったけれど、アート村が知られていくうちに、専門的な美術教育を受けた人の応募が増えてきました。村民も、芸術を志向する人と、ジュエリーや器など実用品づくりを志向する人とに、自然に分かれていったんです」(城水さん)

(左上・右上)廃校になった小学校に設置された当時の「門司港アート村」。2003年6月に文部科学省の全国「廃校リニューアル50選」に選定された。(左下)アート村で開催された市民講座のようす(右下)アート村内の作品展示(写真提供:城水悦子)(左上・右上)廃校になった小学校に設置された当時の「門司港アート村」。2003年6月に文部科学省の全国「廃校リニューアル50選」に選定された。(左下)アート村で開催された市民講座のようす(右下)アート村内の作品展示(写真提供:城水悦子)

「アート村」から「美術工芸研究所」へ。芸術家を養成し、文化を育む機関に

2011年、「門司港アート村」はプロのアーティストの養成機関を目指して「門司港美術工芸研究所(以下、美工研)」に改編した。アート村で村長を務めてきた川端さん(現所長)の指導を仰いで芸術家支援の枠組みを整え、北九州市の「文化振興計画」にも明確に位置付けられることになった。いっぽうで、実用分野では「門司港クラフトデザイン協会」を設立。レトロ地区にある国の登録有形文化財「旧大阪商船ビル」内にアンテナショップ「門司港デザインハウス」を出店して、工芸家やデザイナーが作品を展示販売できるようにした。


門司港に美工研があることで、東京や京都、海外で学んだ北九州市や周辺地域出身のアーティストたちに帰ってくる場所ができた。また、他県から門司港にやってきて、新たな創作に取り組むアーティストも出てきた。東京出身の彫刻家・稲葉彬子さんもその1人だ。

稲葉さんは、主に石を素材に立体作品をつくる。多摩美術大学在学中は設備の整った環境で自由に制作できたが、卒業後のアトリエ探しが難関だった。「石を削るときは騒音も出るし粉じんも発生します。素材の搬入や作品の搬出のために車が出入りできる必要もある。そもそも普通の住宅では、石材を置く場所もありません」と稲葉さん。多くのアーティストは、町工場のような場所を借りることが多いそうだ。

「東京周辺でも探せばあるかもしれないけれど、地方のほうが見付けやすいのではないかと思ったんです。それに、大学を卒業して、ひとりでこれからどんな作品をつくっていけばいいのか、行き詰まりも感じていました。情報過多の東京から離れて、じっくり自分を見つめ直したかった」

美工研の情報はネットで知った。それまで門司港のまちは、旅の途中に通過したことがある程度だったそうだ。審査に合格し「どうしても肌に合わなかったら東京に帰ればいい、というぐらいの気持ちで引っ越してきました」と語る。2013年春のことだった。

山の上にある廃校のアトリエは静かな環境で、稲葉さんが自らの創作に向き合うのに格好の場所だった。「それに、門司港は田舎過ぎず都会過ぎず、思っていたよりずっと住みやすいまちでした」

美工研がただ創作の場であるだけでなく、市の施設として一般のひとに開放されていることもよかったという。「こういう施設があるおかげか、門司港のひとはアーティストという職業に理解があるように思います。私の創作活動が周りに受け入れられている実感があって、彫刻家としてやっていくことに自信が持てるようになりました」

イベント「アートフェスタ」で、来場者の愛犬をモデルに彫刻を制作中の稲葉彬子さんイベント「アートフェスタ」で、来場者の愛犬をモデルに彫刻を制作中の稲葉彬子さん

丘の上から門司港レトロ地区に移転。まちとのかかわりを深めていく

それにしてもなぜ、稲葉さんは石という、重くて硬い素材に挑むのだろう? 

「相性なんでしょうね。木は体質にも合いませんでした。木を削っていると咳が止まらなくなって…。石を削るのは時間がかかりますが、私にとってはそこが魅力です。石のなかから少しずつかたちが現れてくる過程が楽しいんです」

稲葉さんの作品は、なにかの動物に似ているけれど、どんな動物でもない、具体と抽象の中間のようなかたちが多い。「硬いもので柔らかいかたちをつくるのが好きですね」


2016年、美工研は山を下り、門司港レトロ地区にある「港ハウス」に拠点を移した。国内外からの観光客で賑わう中心地だ。建物内に多目的ホールがあり、作品展や講演会が開催しやすく、観覧者にとっても足を運びやすい。

研究所内はオープンスペースを囲んで、アーティスト各人のアトリエブースが並ぶ構成だ。開館時間内であれば、だれでも無料で見学できる。今年5月3日の「アートフェスタ」では、各アーティストがそれぞれ趣向を凝らしたワークショップを開催。研究所内に作品を展示し、自ら解説も行った。1日限りのイベントだったにもかかわらず、来場者は120人に及んだという。


現在稲葉さんは、レトロ地区に設置する野外彫刻の制作に取り組んでいる。レトロ地区近くのビル1階の、道路に面した空きスペースが制作の場所だ。粉じんの飛散防止のため、半透明のシートで養生されているが、誰でもその制作の過程を見に行けるようになっている。

「完成した作品は、私自身の命を超えて、永く門司港のまちに存在し続けることになります。まちをどっしりと見守ってくれて、まちのひとびとからも愛される、そんな作品をつくりたいですね」(稲葉さん)

作品は赤レンガの「旧門司税関」付近に設置される予定。今年の秋頃には、今の制作場所から現地に移して仕上げを行うそうだ。さらに多くの人の目に触れることになるだろう。11月頃の完成が楽しみだ。


門司港美術工芸研究所HP
https://www.mojiko-biken.com/

(左上・右上)稲葉さんのアトリエに展示されていた作品(左下)野外彫刻制作中の稲葉さん。粉じん対策にマスクとゴーグル、騒音対策にはヘッドフォンが欠かせない(右下)門司港「港ハウス」。階段を上がって左手が「門司港美術工芸研究所」。(左上・右上)稲葉さんのアトリエに展示されていた作品(左下)野外彫刻制作中の稲葉さん。粉じん対策にマスクとゴーグル、騒音対策にはヘッドフォンが欠かせない(右下)門司港「港ハウス」。階段を上がって左手が「門司港美術工芸研究所」。

2018年 07月04日 11時05分