歴史を物語る長崎の近代建築が消えつつある

長崎は歴史の中で、日本の商業や文化の変化を見てきた重要な地域である。

古くは室町~戦国時代にポルトガル船の来航にともなう長崎港の開港、キリスト教の布教があった。豊臣秀吉による長崎港での南蛮貿易支配を経て、長崎はバテレン追放令、キリスト教弾圧の舞台ともなった。その後、長崎は徳川幕府の天領としてオランダや中国との数少ない貿易窓口となり、出島や唐人屋敷が造られた。明治期にも長崎は重要な貿易拠点となっただけでなく、造船・石炭採鉱のまちとして繁栄した要地である。

1860年ごろから、船に乗ってやって来る外国人向けに日本最初の洋式ホテル『コマーシャル・ハウス』が建てられた。これを皮切りに、続々とビリヤード場や理容サロン、ボウリング場なども付設した外国人向けのホテルが開業。1898年海岸沿いの一等地には、3階建ての威風堂々とした『ナガサキ・ホテル』が立ち、本格的な煉瓦と石造り建築の長崎を象徴する外国人居留地となった。同時期に建てられた建物には、今も当時の姿をとどめているマリア園がある。

とはいえ、これら歴史を物語りかつての長崎を思わせる建物は役割を終え、耐震と老朽化の問題を抱え、大きさゆえに保存が難しく、無くなりつつあるのが現状だ。明治末期には旧居留地や旧市街地に計800棟近くの洋館があったともいうが、1987年ごろには50棟余りとなったという。そういった中で市民活動が功を奏し、解体の危機を免れた歴史的建造物がある。旧香港上海銀行長崎支店である。

今回現地を訪れて、保存の取り組みと建物についてお話をうかがってきた。

旧香港上海銀行長崎支店。1904(明治37)年に完成している。長崎に現存する建物としては最大級旧香港上海銀行長崎支店。1904(明治37)年に完成している。長崎に現存する建物としては最大級

「建築界の黒羊」と自嘲した異才・下田菊太郎の建築

長く続いた鎖国がとかれてから、長崎には次々とやって来る外国人のために外国人居留地が造成された。南山手地区にはグラバー邸やリンガー邸など、現在のグラバー園に残る数々の建物がある。その南山手地区から程近い海沿いに旧香港上海銀行長崎支店がある。建物の前には、外国の大型クルーズ船も寄港する長崎港松が枝国際ターミナルがあり、まさに日本の貿易の要だったころの長崎を思わせる。

旧香港上海銀行長崎支店が建てられたのは1904(明治37)年。当時活躍し、建築界の異才と呼ばれた下田菊太郎の設計だ。
下田菊太郎は、秋田県角館の出身。現在の東京大学工学部の前身のひとつである工部大学校予科に入学したが、辰野金吾に反逆し、その後、紆余曲折を経てアメリカに渡り帰国。日本の建築様式がどうあるべきかを問い続け、洋風建築の上に日本式の瓦屋根を載せる帝冠併合式を提唱したが、多くに理解されなかった。異端の建築家は自らを「建築界の黒羊」と自嘲したという。神戸のトアホテルなどを手がけたが、現存する建築は、国内では旧香港上海銀行長崎支店のみだという。

さて、その旧香港上海銀行長崎支店だが、構造はレンガ造(一部石造)3階建・小屋組および床組木造建築である。銀行建築らしく、ネオクラシシズム様式で一部に五島石が使われている。1階部分はアーチが連続するアーケード。2・3階部分はコリント様式の円柱が施されており、その上に三角破風の屋根を載せており、下田が提唱した帝冠併合式が垣間見れる。

一方内部は、1階は高い天井に重厚なカウンター、奥には支店長室もあり、かつての外貨の売買を主要業務とした特殊為替銀行だった時代を彷彿とさせる。2・3階は執務室や社員の寮だったようで、シンプルな部屋が多く存在する。しかし、港に向けてベランダがあり、そこからの港を望む眺めが美しい。今は多目的ホールや展示室となっているが、訪れると十分にその時代を感じさせてくれる建物である。

重厚感のある木のカウンターは、銀行窓口だったころを思わせる。現在この1階ホールは市民の多目的ホールとして利用できる重厚感のある木のカウンターは、銀行窓口だったころを思わせる。現在この1階ホールは市民の多目的ホールとして利用できる

市民10万人の署名で解体危機を乗り越えた建物

ご案内いただいた長崎市役所の山口さんご案内いただいた長崎市役所の山口さん

港に面し存在感を示している建物ではあるが、何度かの変遷の中、解体の危機にあっている。
1931年に銀行が閉鎖された後、警察庁舎となり、その後しばらく長崎市の歴史民俗資料館として使われた。築80年ほどたった1987年に老朽化を理由に建物を解体し、跡地に施設を建てる構想があった。

1987年といえば、バブル景気のさなかであるが、歴史のある長崎市のスクラップアンドビルドの姿勢を問い直そうと保存活動が始まった。1988年には「旧香港上海銀行を守る会」が発足、解体方針の撤回と保存を求めた署名活動が始まった。守る会の会員は1,450人に達し、有効署名数は約10万人にものぼった。その年の8月、市も解体方針を撤回し、保存へと動きだす。そして1990年、旧香港上海銀行長崎支店は国の重要文化財に指定された。
現在4年余りの改修工事を経て、記念館として再出発している。

長崎にしかない“本物”で、まちの価値を高める

上)香港上海銀行の絵葉書。奥にかつてあったナガサキ・ホテルがみえる</br>下)2階のベランダからは松が枝国際ターミナルが見える。この日は、クイーン・エリザベス号が寄港上)香港上海銀行の絵葉書。奥にかつてあったナガサキ・ホテルがみえる
下)2階のベランダからは松が枝国際ターミナルが見える。この日は、クイーン・エリザベス号が寄港

長崎市では、出島の復元プロジェクトなど、歴史を物語る史跡なども含めて市内に残る「長崎にしかない“本物”で、まちの価値を高める」ということに取り組みつつある。

長崎市役所の山口さんは、
「現在、旧香港上海銀行長崎支店は、長崎出身の実業家・梅屋庄吉と国境をこえた友情で結ばれ、のちに辛亥革命により中国建国の父となる孫文との交流を物語る『長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム』を併設しています。また、1階のホールは市民に開放する多目的ホールとして活用いただいております。

この建物に限らず、長崎に残る文化と歴史を物語るものを市民とともに大切にしていきたいと思っています。長崎市民にとっての誇りとなるように、また国内外に限らず長崎を訪れる人が本物に触れられ、歴史をつむいできた街であることを感じていただけるように努力したいと思います」と話してくださった。

昔のセピアの写真を見せてもらうと、海岸沿いに旧香港上海銀行長崎支店の並びに当時東洋一とも謳われた今はないナガサキ・ホテルが見える。
歴史ある建物の保存と活用は、老朽化や保存の費用など数々の課題を抱えるが、「“本物”で、まちの価値を高める」という取り組みとして、貴重な歴史ある建物が少しでも救われることを期待したい。

■取材協力
旧香港上海銀行長崎支店記念館~長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム
http://www.nmhc.jp/museum_hsb/

2019年 07月31日 11時05分