今年で築80年。今も現役で使い続けられている9つの県庁舎のひとつ

戦前に建設され、今も現役で使われている県庁舎が、全国に9例ある。そのひとつが、昭和13年(1938年)に竣工した和歌山県庁舎本館だ。今年でちょうど築80年になる。

同じ年に完成した庁舎に、重要文化財の愛知県庁舎(渡辺仁設計)がある。洋風の建物に天守閣のような屋根を載せた、「帝冠様式」と呼ばれる厳めしい外観だ。

これに対し、和歌山県庁舎は「ネオ・ルネッサンス様式」とされ、全体としてはシンプルで、質実剛健な印象を受ける。しかし、要所要所にテラコッタのレリーフによる装飾が施され、典雅な趣きを加えている。

第二次世界大戦の折には和歌山市も大空襲に見舞われ、国宝・和歌山城をはじめ市内約6割が焦土と化した。しかし、この県庁舎は職員や防護団員の必死の消火活動によって焼失を免れた。その後も、増築や改修を繰り返しながら大切に使われ続け、2013年には国の登録有形文化財になっている。

ここでは、和歌山県建築士会が2年がかりでまとめた書籍「和歌山県庁本館 歴史と文化のラビリンス〜迷宮〜」に基づいて、この建物をめぐる物語を紐解いてみたい。

和歌山県庁舎正面玄関。左右にスロープ状の車寄せ、正面に階段があり、中2階が入り口になっている(以下、特記以外の写真提供:和歌山県建築士会)和歌山県庁舎正面玄関。左右にスロープ状の車寄せ、正面に階段があり、中2階が入り口になっている(以下、特記以外の写真提供:和歌山県建築士会)

明治以来3代目の県庁舎として、日中戦争の最中に竣工

現在の和歌山県庁舎は、明治以来3代目に当たる。廃藩置県当初は、和歌山城内にあった旧和歌山藩の庁舎が、そのまま県庁に使われていた。初代県庁舎が建設されたのは、明治9年(1876年)のこと。神戸の外国人居留地で働いていた職人を呼び寄せて建てた、純洋風の木造建築だったそうだ。しかし、築後12年目に失火で全焼し、同じ場所に2代目が再建された。

2代目の庁舎は明治22年(1889年)竣工。英国風ルネッサンス様式の木造2階建てだったが、大正末期には大規模なシロアリ被害が発覚していたようだ。しかし、庁舎の改築が県議会で可決されたのは、ようやく昭和7年(1932年)になってから。その前年には満州事変が勃発しており、不穏な世情のなか、頑丈な庁舎への建て替えが急がれたのだろうか。

建て替えに必要な費用は、当時のお金で約120万円。県の年間予算の約3分の1に相当する金額だったという。厳しい財政の中、県有林を売却するなどして資金を調達したようだ。

新しい庁舎は、元の庁舎より800mほど南にある、和歌山刑務所の跡地に建てることになった。理由のひとつは、敷地が広く、それまで離れていた庁舎と県会議事堂を併せて建設できること。同時に、旧庁舎の移転によって、跡地に2本の幹線道路が整備できた。さらに、元刑務所という事情から、土地の払い下げ価格が安いという利点もあったらしい。

新庁舎の規模や工法、建築予算などの基本計画をまとめたのは、地元出身の和歌山県営繕技師・松田茂樹だ。東京工業高等学校建築科(現東京工業大学)に学び、大阪に拠点を置く建築家・渡辺節の事務所に勤務した経歴を持つ。渡辺節は県庁舎に先立って完成した和歌山市庁舎(昭和11年、1936年)を設計しているが、こちらは現存していない。

県庁舎の中心部に置かれている県会議場。現庁舎ができる前は県庁と県会議事堂が離れており、議会運営に難があったという県庁舎の中心部に置かれている県会議場。現庁舎ができる前は県庁と県会議事堂が離れており、議会運営に難があったという

国会議事堂の流れを汲む、兄弟のような富山県庁舎と和歌山県庁舎

(上)大熊喜邦が中心となって設計した、昭和11年(1936年)竣工の国会議事堂(下)大熊の監修のもと、増田が担当した富山県庁舎。昭和10年(1935年)に完成した。和歌山県庁舎とよく似ているが、装飾レリーフのモチーフは全く違う。最上階の窓のアーチもない(画像提供:ピクスタ)(上)大熊喜邦が中心となって設計した、昭和11年(1936年)竣工の国会議事堂(下)大熊の監修のもと、増田が担当した富山県庁舎。昭和10年(1935年)に完成した。和歌山県庁舎とよく似ているが、装飾レリーフのモチーフは全く違う。最上階の窓のアーチもない(画像提供:ピクスタ)

松田技師は大正10年(1921年)から和歌山県に勤務し、歴代9人の知事に仕えた。特に、基本計画から実施設計の体制固めまで、庁舎建設実現に尽力した藤岡長和知事とは膝詰めで話し合い、事にあたったようだ。

しかし、松田技師が県庁改築に直接かかわったのは基本計画までで、実際に建物の設計を手掛けたのは、富山から転任してきた増田八郎技師だった。

増田技師は東京帝国大学を卒業して内務省に入り、富山県庁舎(昭和10年、1935年)建設のために富山に赴任した人物だ。富山県庁舎の設計は「国会議事堂の設計者」として知られる大熊喜邦が手掛けている。

大熊のもとで富山県庁舎を完成させた増田技師は、大熊の口利きでスタッフともども和歌山に移った。同じ人物が設計・工事監理に携わった富山県庁舎と和歌山県庁舎は兄弟のようによく似ている。さしずめ、2つの県庁舎の父親にあたるのが、国会議事堂ということになろうか。

和歌山県庁舎の設計にはもう1人、建築界の重鎮がかかわった。鉄筋コンクリート構造の権威、内田祥三だ。当時の東京帝国大学教授にして日本建築学会会長。戦後は東京大学学長に就任している。和歌山県は内田を監修に迎え、構造設計を依頼した。実務に携わったのは内田の教え子の坪井善勝で、こちらものちに日本建築学会会長を務める、構造デザイナーの先駆けだ。

内田・坪井による構造設計の周到さは、後年の改修時に実証された。平成に入って行われた耐震診断の結果、戦後に増築された別館や県警本部棟よりも、本館の原型部分のほうが耐震性が高かったのだ。耐震改修は、屋内に耐震壁を少し増設する程度で済んだという。

話を戻して、和歌山県庁舎本館の設計着手は昭和10年(1935年)11月19日。それから1年も経たない昭和11年(1936年)9月14日に起工式が行われている。翌年には日中戦争が始まり、建築資材の入手が困難になっただけでなく、徴兵による人手不足にも苦しんだようだ。しかし、予定通り同年度末に本体工事を完了し、昭和13年(1938年)4月15日に竣工式が開かれた。この年、ドイツはオーストリアを併合。翌年、ヨーロッパで第2次世界大戦が始まる。のちの空襲を乗り越えるためにも、ぎりぎりの時期の建設だったといえそうだ。

黄褐色のタイル張りの外壁に、テラコッタのレリーフで装飾を施した外観

ここで改めて、現在の和歌山県庁舎の姿を見てみよう。

大きな庇を架けた正面玄関を中心に、東西に長く翼を伸ばした左右対称のファサード(正面外観)。遠目には3階建てのように見えるが、階段の上にある玄関は中2階に位置しており、地上4階・地下1階の建物だ。

外壁は、1階窓台下まで花崗岩張り、それより上は黄褐色のタイル張り。4階の窓の高さに細いコーニスを回し、その上にアーチ状の欄間を並べている。古典的な三層形式と見ることもできそうだ。

正面中央の外壁に並ぶ6本の付け柱(ピラスター)は、頂部が三角形になっており、さながら上昇を示す矢印のよう。柱と柱の間には、花の文様のレリーフが飾られている。玄関庇の周りと外壁の頂部もテラコッタのレリーフで縁取られ、城館のような趣がある。

玄関ホール天井の回り縁にも石膏彫刻が施され、吹き抜けの大階段の手すりには大理石が貼ってある。2階と3階の踊り場には、それぞれ地元出身の彫刻家・保田龍門によるレリーフが設置されている。

(左上)正面外観。黄褐色の平滑なタイル外壁に立体感あるテラコッタのレリーフが華やかさを加える(左下)玄関を入って正面にある階段。踊り場のレリーフは和歌山に総本社を置く「丹生都比賣命(にゅうつひめのみこと)」を描く(右下)玄関から2階入り口を見る(右上)玄関天井の石膏彫刻(左上)正面外観。黄褐色の平滑なタイル外壁に立体感あるテラコッタのレリーフが華やかさを加える(左下)玄関を入って正面にある階段。踊り場のレリーフは和歌山に総本社を置く「丹生都比賣命(にゅうつひめのみこと)」を描く(右下)玄関から2階入り口を見る(右上)玄関天井の石膏彫刻

竣工当時の姿をしのばせる3つの部屋、「正庁」「議場」「知事室」

本館が竣工してから現在まで、同じように使われ続けているのが「正庁」「議場」「知事室」だ。

「正庁」とは皇族や内閣総理大臣、閣僚などの正賓を迎えるための部屋。入庁式や県による表彰式などの行事を行う場でもある。室内正面に漆塗りの額縁を備えた「奉掲所」を持ち、真紅の絨毯を敷き詰めた格調高いインテリアになっている。

本館中央の3階と4階と占めるのが、和歌山県議会の本会議場。天井に組み込まれたU字型の照明が明るく印象的だ。壁はモルタルでラフに仕上げた文様の上に、金の箔置きが施され、今もほのかな輝きを感じさせる。

知事室はカーペットが貼り替えられた以外、ほぼ竣工当時のままの姿を残している。腰壁やドア枠などの造作材はチーク、金属部はブロンズ仕上げ。壁にはめ込まれた大理石のマントルピースが特徴だ。

こうした重厚な内装は、戦前の建物ならではだろう。和歌山県では2010年度までに本館のバリアフリー化、設備更新、耐震補強を完了。次代へと引き継いでいく姿勢を示している。

参考文献:和歌山県建築士会発行「和歌山県庁舎本館 歴史と文化のラビリンス〜迷宮〜」

(左上)正庁。正面の「奉掲所」の額縁は艶消しの漆塗りの上に、金箔の鳳凰が描かれている。壁には歴代知事の肖像が並ぶ(右上)本会議場。3階が議場で吹き抜け上の4階に傍聴席がある(下2点)知事室。竣工当時は柄物のカーペットが敷かれていたらしい(左上)正庁。正面の「奉掲所」の額縁は艶消しの漆塗りの上に、金箔の鳳凰が描かれている。壁には歴代知事の肖像が並ぶ(右上)本会議場。3階が議場で吹き抜け上の4階に傍聴席がある(下2点)知事室。竣工当時は柄物のカーペットが敷かれていたらしい

2018年 09月14日 11時05分