目指したのは「エンターテインメント」として楽しめる保存修理工事

▲2019年1月15日から保存修理工事に入った『道後温泉本館』。「道後温泉は、道後のシンボルであり松山の宝。工事前・工事中・工事後の3つの姿を見てみたいと思っていただけるような展開を考えています」(松山市道後温泉事務所の山下勝義さん(右)と寺井修二さん(左)談)▲2019年1月15日から保存修理工事に入った『道後温泉本館』。「道後温泉は、道後のシンボルであり松山の宝。工事前・工事中・工事後の3つの姿を見てみたいと思っていただけるような展開を考えています」(松山市道後温泉事務所の山下勝義さん(右)と寺井修二さん(左)談)

2019年1月15日、愛媛・松山の宝であり、公衆浴場として初めて国の重要文化財に指定された『道後温泉本館』が、約7年間の保存修理工事に入ることになった。その経緯については前回のレポートでもご紹介したが、これから7年ものあいだ松山観光の主役を失うことによる地元経済への影響は計り知れない。

「工事期間中、完全閉館して営業を休止した場合の経済損失額は592億円」との試算結果や、何より地元環境事業者からの強い要望を受け、道後温泉の運営・管理を行う松山市は「工事期間を2期に分けて、5つある浴室を使い分けながら営業を続け、同時に保存修理工事を進めていくこと」を決断した。

しかも、単なる保存修理工事ではない。「エンターテインメントとして観光客が楽しめる工事を目指す」というのだから実に興味深い。いったいどうやって“わたしたちを楽しませてくれるのか?”。松山市の取り組みについて取材した。

プロジェクションマッピングや現場見学会で「魅せる工事」に

「これまで、松山の観光は『道後温泉本館』に一存してきました。今回その存在を一時的に失うことにより“この7年間で我々は何をするべきか?せっかく右肩上がりで増加中の観光客数をどうやったらつなぎ止めることができるか?”について真剣に考えました。それは市の関係者だけでなく、地元観光事業者の皆さんも同じ想いだったと思います。地域全体で“道後温泉本館を無くして自分たちにできること”と向き合うことができた点は、とても良い機会だったのではないかと前向きに捉えています」(以下、「」内は山下さん・寺井さん)

保存修理工事は1期工事を2020年度までの約3年、2期工事を2021年度からの約3年として最長約7年間実施予定。まずは又新殿・霊の湯棟・南棟を閉じて着工し、その間は『本館三層楼』の神の湯棟にある2つの浴場を男女に分けて営業しながら工事を進めていく計画だ。そのため、明治の改築当時に使っていた北玄関をこの1期工事期のみ復活させることになる。これも観光客にとっては工事期間限定の貴重な体験となる。

「1期工事期間中は、建物をブルーシートで覆うのではなく、“魅せる工事”にするためにプロジェクションマッピングや夜のライトアップを実施します。また、工事現場の様子を間近で体験できる見学会や、高台にある足湯から俯瞰で工事の様子を眺められる見学施設も用意しました。本来は目にすることの無い本館の骨組みが見えることもありますから、ある意味“この時期だけの道後温泉本館の姿”を楽しんでいただけると思います」

▲1期工事のエリア分け。もともと北側の玄関は、道後温泉本館が開業した当初に使われていたもので、おそらく夏目漱石の小説に登場する“坊っちゃん”も通ったはずの入口だ。しかし、現在の正面玄関である玄関棟が移築されたことから、北玄関は使われなくなった。この北玄関を利用できるのは1期工事期のみ。漱石ファンにとっても感慨深い体験となることだろう▲1期工事のエリア分け。もともと北側の玄関は、道後温泉本館が開業した当初に使われていたもので、おそらく夏目漱石の小説に登場する“坊っちゃん”も通ったはずの入口だ。しかし、現在の正面玄関である玄関棟が移築されたことから、北玄関は使われなくなった。この北玄関を利用できるのは1期工事期のみ。漱石ファンにとっても感慨深い体験となることだろう

手塚プロダクション×ポニーキャニオンによる『火の鳥』のストーリー演出

こうした「工事のエンターテインメント化」はすでに他の地域でも前例がある。代表的なものでは“平成の大修理”と呼ばれた姫路城の天守閣保存修理。工事見学フロアが設けられ、観光客の間で好評を博していたが、今回の『道後温泉本館』の保存修理工事はさらにもう一歩進化し『工事のブランディング化』を図っている点が斬新だ。

「工事期間中に実施するプロジェクションマッピングは、クリエイティブカンパニー『ネイキッド』が手がけ、単なる映像投影ではなくストーリー性を持たせた演出になります。ビジュアルとストーリー制作はあの『手塚プロダクション』に依頼しました。テーマは『ReBORN~再生~』。手塚治虫氏がライフワークとして生涯をかけて描き続けた『火の鳥』とのコラボレーションです。また、工事期間中の道後温泉本館の姿をリアルタイムで伝えるため2基のライブカメラを設置し、『ポニーキャニオン』のYouTube公式チャンネルから24時間配信を行います。

今回各分野のプロと組むことで、この保存修理工事自体をひとつの観光資源とし、ブランディングしていくことが我々の狙いです。工事自体をブランディング化できれば、“工事中の道後温泉本館を見た”ということに新たな意義が生まれ、各メディアの注目度やSNS等での発信力も高まります。そして何より、地域の人たちや保存修理工事を担うスタッフの皆さんにとっても、それが誇りに感じられるはずです」

明治27(1894)年、道後温泉本館の大掛かりな改築工事を決断した道後湯之町初代町長の伊佐庭如矢(いさにわゆきや)は、当時の大工の中でも格上とされた城大工・10代目坂本又八郎に棟梁を依頼して人々の度肝を抜いた。それから125年、松山市は『ポニーキャニオン』や『手塚プロダクション』といったエンターテインメントのプロに工事期の演出を依頼。どうやら「周囲をあっと驚かせる気質」は明治期から変わらず、脈々とこの地に受け継がれているようだ。

▲左上から:酸化によって変色した青銅の屋根が印象的な『又新殿・霊の湯棟』。今回の工事により新しい銅板に葺き替えられるため、屋根の色が変わる予定。左中:3階に8つ並ぶ個室の一番奥は、夏目漱石が好んで使っていた部屋。『坊っちゃんの間』として公開されていたが、1期工事中は見学休止。左下:約55畳の広さがある『神の湯二階席』では、現在も炭火でお茶を沸かし茶菓子が提供されている。右:明治32年に建てられた皇室専用の『又新殿』。玉座の間に使われている襖の銀箔は酸化して黒くなってしまったが、使えるものは極力使い続ける予定。畳は高麗縁(こうらいべり)と呼ばれる特殊な意匠、天井は檜の木目を市松に並べ、上から侵入者がヤリで突いても突き通せないよう3重構造になっている。今となっては修理職人がいない御簾も含めてしつらえや調度品は貴重なものばかり。保存修理工事はこうした館内の細かな箇所まで実施される▲左上から:酸化によって変色した青銅の屋根が印象的な『又新殿・霊の湯棟』。今回の工事により新しい銅板に葺き替えられるため、屋根の色が変わる予定。左中:3階に8つ並ぶ個室の一番奥は、夏目漱石が好んで使っていた部屋。『坊っちゃんの間』として公開されていたが、1期工事中は見学休止。左下:約55畳の広さがある『神の湯二階席』では、現在も炭火でお茶を沸かし茶菓子が提供されている。右:明治32年に建てられた皇室専用の『又新殿』。玉座の間に使われている襖の銀箔は酸化して黒くなってしまったが、使えるものは極力使い続ける予定。畳は高麗縁(こうらいべり)と呼ばれる特殊な意匠、天井は檜の木目を市松に並べ、上から侵入者がヤリで突いても突き通せないよう3重構造になっている。今となっては修理職人がいない御簾も含めてしつらえや調度品は貴重なものばかり。保存修理工事はこうした館内の細かな箇所まで実施される

建物を解体し、また元に戻す、文化財保存修理ならではの労力も

▲真っ赤なギヤマンガラスをはめ込んだ振鷺閣の『刻太鼓(ときだいこ)』は、今も朝6時・正午・夕方6時の3回打ち鳴らされ刻を告げる。松山市では、今回の保存修理工事費用の一部を賄うために「刻太鼓を鳴らす権利」などクラウドファンディングを実施した(工事期間中は中止)▲真っ赤なギヤマンガラスをはめ込んだ振鷺閣の『刻太鼓(ときだいこ)』は、今も朝6時・正午・夕方6時の3回打ち鳴らされ刻を告げる。松山市では、今回の保存修理工事費用の一部を賄うために「刻太鼓を鳴らす権利」などクラウドファンディングを実施した(工事期間中は中止)

「魅せる工事」の演出を想像するととても楽しげだが、実際の保存修理工事の内容はかなり難易度が高い。あくまでも『文化財の保存修理』が目的となるため、建物を一度解体して状況を確認した上で、極力元通りに復元していく作業の繰り返しになる。単なる老朽化対策工事とは事情が異なるのだ。

「道後温泉本館にとって『文化財保存修理』というのは今回がはじめての経験です。平成6年に文化財指定を受けるまでは、ごく普通の公衆浴場として必要に応じて修繕してきましたが、文化財となるとそうはいきません。建造物保存技術協会の方が現場を管理し、解体した建材の状態を確認しながら、それを再び“使うか?・使わないか?”を判断するのです。耐震補強についても外から見えないところに鉄骨を入れるのですが、補強箇所に関してはすべて事前に申請を行います。屋根の瓦も丁寧に外して一枚ずつチェックしてから戻すことになりますから、作業としてはかなり労力がかかります」

『道後温泉本館』は幸いなことに戦火を免れ、これまで大きな災害の影響を受けることもほとんどなかった。そのため“ほぼ明治期の改築当時のまま”の状態が残されており、実際に解体してみないと中から何か出てくるかわからない。「過去にどのような改築が行われてきたか?どのような素材が使われているか?建築学的な大きな発見があるかもしれませんね」と山下さん。手のかかる作業ながら、この建物解体による新たな発見への期待感も「エンターテインメント」的な要素のひとつとなるのかもしれない。

保存修理工事期間の7年間は、道後の次の100年をつくりあげる貴重な時間

「工事期間中はどうしても車輌通行に影響が出るため、“車を使わずに歩いて観光できるまち”へと道後の新たなまちづくりにも取り組んでいます。これまでは『道後温泉』駅前から『道後温泉本館』までで人の流れが折り返していましたが、周辺に憩いの場となるオープンスペース等を設置し、もっと歩きたくなる街並みへと整備を進めていきます。

保存修理工事中の約7年は、道後のこれからの100年をつくりあげる貴重な時間。初代の伊佐庭町長が築き上げ、市民の力で守ってきた“松山の宝”ですから、単に工事が終わるのを待ち望むだけではなく、“工事にプラスしていま何ができるのか?どうやったらそれを皆さんに楽しんでいただけるのか?”を考え続ける7年になりそうです」

『道後温泉本館』保存修理工事の総事業費は約26億円。この費用が果たして“未来に生きる26億円”となるかどうか…3年先、7年先、そして100年先の道後のまちの更なる繁栄を期待したい。

■取材協力/松山市産業経済部 道後温泉事務所
https://dogo.jp/

▲日本各地の銭湯が次々に廃業していくなか、文化財として保存される『道後温泉本館』。現役の公衆浴場自体が世界的に有名な観光スポットとなっているケースは珍しい。道後温泉には3000年の長い歴史があるが泉質は有史以来まったく変わっていないという。写真右下『神の湯男子浴室』では、道後温泉で最も古い124年前の湯釜がそのまま残され現在も使われている▲日本各地の銭湯が次々に廃業していくなか、文化財として保存される『道後温泉本館』。現役の公衆浴場自体が世界的に有名な観光スポットとなっているケースは珍しい。道後温泉には3000年の長い歴史があるが泉質は有史以来まったく変わっていないという。写真右下『神の湯男子浴室』では、道後温泉で最も古い124年前の湯釜がそのまま残され現在も使われている

2019年 01月10日 11時05分