明治後期に建てられた洋風住宅

名古屋駅から電車で約30分。知多半島に位置する半田市は、江戸時代から海運業や醸造業で栄え、発展してきた町だ。そんな歴史を継ぐ建物「旧中埜家住宅」は、半田屈指の旧家のひとつといわれる中埜半六家の第10代が別荘として明治44(1911)年に建てた洋風住宅。昭和51(1976)年に、明治後期の洋風建築の様子がよく残されているとして国の重要文化財に指定された。

同建物の歴史をひも解くと、別荘としての使用後、第11代中埜半六が昭和25(1950)年に女性のための学び舎として「桐華洋裁学校」を設立し、本館として長く利用されていた(ちなみに現在は同建物に隣接して公益財団法人桐華学園 桐華家政専門学校として学校が続いている)。平成時代になると、10年ほど民間に貸し出されてカフェとして営業していたが、平成24(2012)年に貴重な財産として後世に伝えていくため、建物部分が半田市に無償譲渡された。

ただ、その時に建物は老朽化で傷みが激しかったため、平成25(2013)年から保存修理が行われることになり、平成28(2016)年9月に修理が完了した。

通常は一般公開されていないが、平成29(2017)年11月に第1回の特別公開を実施、好評だったという。そして今年、平成30(2018)年も第2回として「文化財の修理って?―明治の姿を“保存する修理”―」をテーマに11月3、4日に特別公開され、取材の機会を得た。平成の保存修理に携わった現場監督である株式会社魚津社寺工務店・工事部所長の野口英一朗さんによる講演と、半田市立博物館の秋山紘胤さんによる建物ガイドをもとに、紹介していきたい。

東側から見た建物全景。写真右側のアプローチの先が玄関となっている。庭には、約100本のバラが植えられている東側から見た建物全景。写真右側のアプローチの先が玄関となっている。庭には、約100本のバラが植えられている

名古屋を中心に活躍した建築家・鈴木禎次による設計

旧中埜家住宅の設計を任されたのは、明治後期から昭和初期にかけて名古屋を中心に活躍していた建築家・鈴木禎次。名古屋の近代建築を多く手掛け、名古屋のまちをつくった建築家とも称される。実は文豪・夏目漱石と妻同士が姉妹という繋がりがあり、漱石の墓も設計しているという。

鈴木禎次は銀行や百貨店建築などを得意とし、住宅設計をしたのは数少なく、そのひとつが旧中埜家住宅となる。

「第10代中埜半六が、イギリスに留学している時に見たヨーロッパ建築の美しさに惹かれ、それを模して造らせた別荘だと言われております」と秋山さん。建てられた場所は、今でこそ名古屋鉄道やJRの駅からほど近く、住宅や商店などが密集しているが、もとは小高い丘の、周囲にほとんど建物がないところ。そこに華やかな洋風の建物が建てられ、かなりのインパクトがあったのではないかと、古い写真からも想像できるそうだ。

鈴木自身も明治36(1903)年から3年ほど英仏に留学しており、その時の経験が活かされた設計になっている。ハーフティンバーの手法をとった白い漆喰壁をはじめ、室内には暖炉を計4つ設置、ベランダの柱にバラの意匠を施すなど、室内外に優雅な雰囲気が漂う。

同建物が国の重要文化財となったのは、先にも述べた通り、建築当時と姿がほとんど変わっていないというのが一つ。さらに、天然スレートの屋根瓦、天然リノリウムの床材など、今では希少な材料が現存していることと、当時のガス灯も残っていることも、建物の価値を高めている。

なお、半田市では明治43(1910)年に電気よりも早くガス事業が始まっており、同建物はいち早く導入したことになる。

<写真左上>今回の特別公開で展示されていた天然スレートの屋根瓦<写真右上>天然リノリウムが使われた階段の床。貴重な素材のため、ビニールで覆って保護している。天然リノリウムは、亜麻仁油、石灰岩、コルク粉、ジュートなどの天然素材から作られる<写真左下>バラの意匠が施されたベランダの柱<写真右下>手洗い場に残されたガス灯(左側)と電気灯(右側)。ここのガス灯のガラス部分も当時のまま残っている貴重なもの<写真左上>今回の特別公開で展示されていた天然スレートの屋根瓦<写真右上>天然リノリウムが使われた階段の床。貴重な素材のため、ビニールで覆って保護している。天然リノリウムは、亜麻仁油、石灰岩、コルク粉、ジュートなどの天然素材から作られる<写真左下>バラの意匠が施されたベランダの柱<写真右下>手洗い場に残されたガス灯(左側)と電気灯(右側)。ここのガス灯のガラス部分も当時のまま残っている貴重なもの

文化財として後世に残す、保存修理を実施

さて、建物が市に無償譲渡された時、老朽化が進み、文化財としてはかなり深刻な状態となってしまっていた。昭和時代に一部修理された部分もあったようだが、「平成の保存修理工事」では、文化財として後世に継承するための工事が行われた。

今回の特別公開の2日間の内、4日に開催された現場監督・野口さんの講演では、一か所一か所、修理の前と、過程の写真をスライドで見せながら、どのように保存修理が進められたかが説明された。

写真にあるように、ベランダ部分は朽ちる寸前の状態で特に状態が悪かった。ここの解体をはじめ、屋根の全面葺き替え、壁の塗り替えのほか、床をいったんはずして基礎部分も見るなどしながら、構造補強も施された。

貴重な天然スレートが使われている屋根は、いったんすべて天然スレートを下ろし、そのまま使えるものと、劣化して使えなくなったものを選別。使えないものは新しくしたが、スレートの国内産地である宮城県が東日本大震災の影響があったため、今回はスペイン産のものを使用したそうだ。四角い形とうろこ状の形が8段ずつ交互になっており、デザイン性も実に興味深いものだった。また、屋根の下地となる見えない部分には銅板を入れて雨漏りに対応できるようにもした。

屋根のほかにも、ベランダの手すりや内部など、見えないところで木にボトルを入れて補強したそうだ。

また、建築当時に近い壁紙が多く残っているのも特徴だという。その壁紙も傷んでしまっていたが、修理では職人が手書きで模様を描いて他と同じようにしたそうだ。

講演の最後に質疑応答の時間があり、筆者も野口さんに「文化財や貴重な建物を保存する難しさ、意義」について聞いた。野口さんは「今回の場合、全てを解体せず部分的な解体と修理でしたので、十分な工事ができなかったという難しさがありました。意義としては、壁を塗るなど左官職人にしても今は少なくなっていますし、文化財を保護すると共に、技術を継承できるという点。また、天然スレートの屋根だったり、文化財でしか使われていないような素材が保たれていくということもあります」とのこと。

耐久性などがよりよい素材、便利なものなどが生まれている現代だが、先人が築いた素晴らしい技術を今後に生かしていくという面でも、文化財は貴重な存在となっているとあらためて思った。

<写真左上>ベランダ修理前<写真左下>ベランダ修理後。木製の手すり部分は腐朽した部分を補修し、色をきれいに塗り直した※共に写真提供:半田市立博物館</BR><写真右上>職人が手書きで絵を描いて修理した壁紙。写真中央部分がそうだが、場所を指摘されてよく見ないとわからないぐらいに繊細な修理が施されている<写真右下>床の傷んだ部分に新たに木材をはめこんで補修。色が明らかに違うのが分かるが、秋山さんによると「私も初めて見た時に、なぜこんなにわかりやすく埋めたのかと思って聞いてみると、木の劣化のスピードや経年による床の沈みなどを考慮して、これから何年、何十年経ったときに古材と馴染むようにされている」とのこと<写真左上>ベランダ修理前<写真左下>ベランダ修理後。木製の手すり部分は腐朽した部分を補修し、色をきれいに塗り直した※共に写真提供:半田市立博物館
<写真右上>職人が手書きで絵を描いて修理した壁紙。写真中央部分がそうだが、場所を指摘されてよく見ないとわからないぐらいに繊細な修理が施されている<写真右下>床の傷んだ部分に新たに木材をはめこんで補修。色が明らかに違うのが分かるが、秋山さんによると「私も初めて見た時に、なぜこんなにわかりやすく埋めたのかと思って聞いてみると、木の劣化のスピードや経年による床の沈みなどを考慮して、これから何年、何十年経ったときに古材と馴染むようにされている」とのこと

地域の歴史をも感じられる貴重な建物

あいにく、取材日は小雨が降る中となってしまったが、それでもヨーロッパの木造建築の技法であるハーフティンバーのデザインを取り入れた外壁など、明治に建てられた美しい建物に魅せられた。

建物内の1階は大理石造りの暖炉など一番豪華な設えとなっている客室のほか、食堂、居間、女中室や書生室までもある造り。2階には和室も備えられていた。

半田市では電気よりガス事業の方が早く始まっていたという歴史も知る事ができた。地域の歴史、そして明治という時期の日本の雰囲気を感じ取れる貴重な建物が、保存修理されてかつての姿を取り戻したことは、とても喜ばしいことだと実感した。

取材協力:半田市立博物館 

窓下の外壁の小石を埋め込んだ漆喰壁は、平成の保存修理の際、すべて石の位置の寸法を測ってから取り外し、漆喰壁を塗りなおした後にもう一度同じ位置に石を戻したという。豪華な客室など、内部の細やかな意匠や造りも実に興味深かった。ちなみに、写真左下は女中さんを呼ぶために各部屋に取り付けられたボタンで、その下の写真にある機械でどこの部屋で呼んだかが分かる仕組み窓下の外壁の小石を埋め込んだ漆喰壁は、平成の保存修理の際、すべて石の位置の寸法を測ってから取り外し、漆喰壁を塗りなおした後にもう一度同じ位置に石を戻したという。豪華な客室など、内部の細やかな意匠や造りも実に興味深かった。ちなみに、写真左下は女中さんを呼ぶために各部屋に取り付けられたボタンで、その下の写真にある機械でどこの部屋で呼んだかが分かる仕組み

2018年 12月29日 11時00分