2019年1月から保存修理工事に入る松山の観光名所『道後温泉本館』

愛媛・松山と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、夏目漱石の小説『坊っちゃん』ゆかりの『道後温泉』という方も多いのではないだろうか?松山市の発表によると、推定観光客数はここ5年連続で右肩上がりに増加しており、昨年は前年比17万7,200人増の600万5,100人を記録(2018年5月発表)。『瀬戸内しまなみ海道』開通以来19年ぶりに600万人を超えたことがわかった。

その成果の要因のひとつが『道後温泉別館 飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)』の整備にあったと言われている。『道後温泉別館 飛鳥乃湯泉』は2017年12月にオープンしたばかりの松山市営の温泉施設だが、実はこの別館開業は2019年1月からはじまる『道後温泉本館』の保存修理工事を見据えた松山市の“戦略的事業”の一環でもあったようだ。

▲松山の玄関口『松山市駅前』から路面電車で約20分ほど。築124年の歴史の中で何度も増改築を繰り返して今の姿となった『道後温泉本館』は、あまりにも美しすぎる佇まいで道後湯之町の中心街に鎮座している。真っ赤なギヤマンガラスをはめ込んだ振鷺閣の『刻太鼓(ときだいこ)』は、今も朝6時・正午・夕方6時の3回打ち鳴らされ、地域のひとたちに刻を告げる▲松山の玄関口『松山市駅前』から路面電車で約20分ほど。築124年の歴史の中で何度も増改築を繰り返して今の姿となった『道後温泉本館』は、あまりにも美しすぎる佇まいで道後湯之町の中心街に鎮座している。真っ赤なギヤマンガラスをはめ込んだ振鷺閣の『刻太鼓(ときだいこ)』は、今も朝6時・正午・夕方6時の3回打ち鳴らされ、地域のひとたちに刻を告げる

日本最古の湯治場、約3000年の悠久の歴史を持つ道後温泉

▲松山市産業経済部の山下勝義さん(左)と、寺井修二さん(右)。背後に写る銅像は、松山の宝『道後温泉本館』の礎を築いた伊佐庭如矢(いさにわゆきや)町長の像。その眼差しは今も本館の建物をまっすぐ見つめ、見守り続けている▲松山市産業経済部の山下勝義さん(左)と、寺井修二さん(右)。背後に写る銅像は、松山の宝『道後温泉本館』の礎を築いた伊佐庭如矢(いさにわゆきや)町長の像。その眼差しは今も本館の建物をまっすぐ見つめ、見守り続けている

「ここ道後温泉は、約3000年の歴史を持つ“日本最古の温泉”と言われています。古くは“傷ついた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んできてはその湯に傷を浸していたところ、完全に癒えて元気に飛び去った”という『白鷺伝説』からその歴史がはじまりました。

法興6(596)年には、かの聖徳太子が家臣らを従えて道後に来浴した記録が残っているほか、『源氏物語』の中にも道後の民謡である『伊予の湯桁』が登場しています。斉明天皇、舒明天皇、中大兄皇子など、皇室の方々が湯治に訪れた記録も古くから残されているのです」

今回、道後温泉の歴史について語ってくださったのは、松山市産業経済部の山下勝義さんと、寺井修二さんのお二方だ。道後温泉はもともと道後湯之町の町営施設だったが、現在は市が運営・管理を行っている。

「日本三古湯のひとつとして広く知られていた道後ですが、現在の道後温泉本館がつくられたのは明治27(1894)年のことでした。道後湯之町の初代町長となった伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が、老朽化していた本館の改築を決めたのです。

改築費用は当時のお金で13万5,000円。小説『坊っちゃん』の中で中学校の新米教師の月給が40円だったと書かれていた頃よりも少し前の時代の話ですから、単純に計算はできませんが、現在の貨幣価値にすると30億円相当だったとも言われています。

そのため、地元からは“町の財政が破綻してしまう”と反対の声が挙がり、一時は伊佐庭町長が命を狙われたり、賛成派と反対派で抗争が勃発したこともあったようです。しかし、伊佐庭町長は私財を投げ打って改築に心血を注ぎ、“100年後も他所が真似できないような建物を作ってこそ、初めてそれがモノを言うことになる”と反対派を説得し続け、その偉業を成し遂げたのです」

松山城の城大工に改築工事の棟梁を依頼、遂に誕生した“松山の宝”

実は、伊佐庭町長がここまで本館の改築にこだわった理由は、道後温泉の“湯量の少なさ”に不安を感じていたことにあった。当時、九州には日本一の豊富な湯量を誇る『別府温泉』があり、伊豆では半島一帯に多くの温泉が分布して一大温泉郷をつくっていた。

「これから全国に鉄道網が広がっていくなかで、松山は本州と海で隔てられた四国にあり、しかも湯量の少ない道後温泉は他の温泉街と比べて圧倒的に不利になる。何か客を呼び込むための“目玉”を作らないと、観光地として成り立たなくなるに違いない」と、文明開化の波に取り残されつつある道後の危機的状況を予測していたのだ。

「そこで、伊佐庭町長は“日本中が驚くような立派な本館をつくりたい”と発案したのです。改築を依頼したのは、代々松山城の城普請を務めてきた名工で、西洋式工法を学んでいた10代目坂本又八郎。温泉の建物を直すのに、わざわざ最も格の高い城大工に棟梁をお願いしたわけですから、当然ながら改築費用も高くなるわけで、地元の人たちは呆気にとられたと伝えられています。しかし改築から124年が経ったいま、道後温泉本館は“松山の宝”と言われていますから、伊佐庭町長の先見の明がまさに“モノを言う結果”となったわけです」

大屋根入母屋造・総三階建ての巨大な本館は、伊佐庭町長の思惑通り日本全国、そして今や世界へその名を轟かせる名建築となった。

『刻太鼓』へと上る階段の屋根裏には、伊佐庭町長から依頼を受け棟梁を務めた10代目坂本又八郎の銘が今も残されている。大屋根には当時まだ珍しかった西洋の建築工法である『トラス工法』を採用。もちろん城大工の伝統技術も生かされており、建物自体はとても頑丈だ。平成13年の芸予地震発生時には、震度5強の揺れを受けても瓦がずれた程度で「まったく建物への被害は無かった」というからすごい。

▲道後温泉本館の中でも一番古い建物は、奥に見えている三階建ての『本館三層楼』。現在改札口がある西向きの玄関棟は昭和に入ってから増築されたもので、改築当時は北側の玄関から出入りしていた(そのためシンボルである振鷺閣の白鷺は北側を向いている)。手前に見えるのが南棟。東側の青銅色の屋根が『又新殿・霊の湯棟』。浴槽の改築のために“家曳き”をしたこともあるという▲道後温泉本館の中でも一番古い建物は、奥に見えている三階建ての『本館三層楼』。現在改札口がある西向きの玄関棟は昭和に入ってから増築されたもので、改築当時は北側の玄関から出入りしていた(そのためシンボルである振鷺閣の白鷺は北側を向いている)。手前に見えるのが南棟。東側の青銅色の屋根が『又新殿・霊の湯棟』。浴槽の改築のために“家曳き”をしたこともあるという

増改築を繰り返し4つの建物が“くっつきあった”複雑構造、館内はまるで迷路

▲「湯量としては少ないものの、道後温泉には18本の源泉があり、それぞれ55~20度まで温度が異なります。その源泉を混ぜ合わせてちょうど良い42度のお湯にしています。水を加えることは一切せず、湯を沸かすこともありません。源泉の効能そのままの“かけ流し”となっているのが道後温泉の自慢です」と片野さん▲「湯量としては少ないものの、道後温泉には18本の源泉があり、それぞれ55~20度まで温度が異なります。その源泉を混ぜ合わせてちょうど良い42度のお湯にしています。水を加えることは一切せず、湯を沸かすこともありません。源泉の効能そのままの“かけ流し”となっているのが道後温泉の自慢です」と片野さん

ここで道後温泉本館の建物構造に焦点を当ててみよう。本館を案内してくださったのは道後温泉事務所の片野憲司さんだ。

「今は“まるで建物の中が迷路のようだ”と言われるほど複雑な構造になっていますが、もともと明治27年の改築当初の道後温泉本館は、『刻太鼓(ときだいこ)』と『神の湯』がある3階建ての三層楼だけでした。

その後、明治32年に日本で唯一の皇室専用浴室を備えた『又新殿(ゆうしんでん)』を増築。大正期には『神の湯(女子浴室)』がある南棟が建てられ、現在の正面玄関になっている『玄関棟』を移築し、昭和10年に家曳きをして場所を移動するなど、合計4つの建物が“複雑にくっつきあっている”状態です。

館内を歩いていると、至るところに増改築の跡が見てとれます。例えば、天井部分に屋根の一部が突き出ていたり、廊下の壁面に隣の建物の石造りの基壇部がむき出しになったりしています。普通に設計された建物であればこのような形状にはならなかったと思いますが、複雑に増改築を繰り返すことで、この道後温泉本館の堂々たる姿が完成したのです」

『重要文化財』の指定をきっかけに、保存修理工事プロジェクトがスタート

道後温泉本館は平成6年、公衆浴場としては初めて『国の重要文化財』に指定された。文化財指定を受けたということは“国の宝として後世へと残していく義務”が発生する。文化庁から保存活用計画の提出を求められ、それを受けて建物の総合診断を行ったところ、耐震性を含め「保存修理工事が必要」と判断されたことからプロジェクトが動き始めた。

「木造の温泉施設ですからどうしても木材は傷みます。“いつか修理しなくてはいけない”とは思いつつも、“いつやるか?”という時期を決めることは、道後温泉地区にとって難しい決断でした。なぜなら、松山の宝である道後温泉本館を修理するということは“松山観光の主役”を失うことを意味します。観光の主役を失うことによる地元の経済損失は計り知れません…

また、大がかりな修理工事を実施するにあたり、“完全閉館するのか?それとも一部で営業を続けるのか?”を検討することも重要な課題でした。当初の計画では、完全閉館しても工事期間は約8年、営業を続けながらだとさらに工事期間が延長して約11年かかると想定されていました。工事による観光業への影響を調査したところ、8年で592億円、11年で約466億円の経済損失が出るとの試算が出たのです。これは我々にとっても、地元の商店街の皆さんにとっても、衝撃的な数字でした」

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こうしたデータを含めて検討を行った結果、松山市は「工事期間を2期に分け、本館の建物を半分ずつ営業しながら、同時に保存修理工事を進めていくこと」を決定。計画の見直しによって当初の予定より工事期間短縮が実現し、2019年1月15日から約7年間の保存修理工事が遂にスタートすることになった。

「松山では平成26年からずっと観光客数が伸び続けていますから、できればこの勢いを止めたくないという想いがあります。そこで、工事中も一部の営業を続けながら“観光客の皆さんにも楽しんでいただける保存修理工事”を様々なアイデアで演出することにしました」

冒頭で紹介した『道後温泉別館 飛鳥乃湯泉』のオープンも、本館工事期の観光客減少をサポートするための松山市の戦略のひとつだったという。では“観光客も楽しめる保存修理工事”とは、一体どのようなものになるのか?次回レポートでは『道後温泉本館保存修理工事』に向けた松山市の取り組みをクローズアップする。

■取材協力/松山市産業経済部 道後温泉事務所
https://dogo.jp/

▲道後温泉本館は2019年1月14日まで通常営業。翌15日以降は準備工事に着手し、引越しやオペレーション切り替えのために3日程度の休業を経て、その後は『神の湯』のみ営業を行う予定だ(霊の湯・又新殿は1期工事中営業休止、2・3階休憩室は工事期間中営業休止)▲道後温泉本館は2019年1月14日まで通常営業。翌15日以降は準備工事に着手し、引越しやオペレーション切り替えのために3日程度の休業を経て、その後は『神の湯』のみ営業を行う予定だ(霊の湯・又新殿は1期工事中営業休止、2・3階休憩室は工事期間中営業休止)

2018年 12月25日 11時05分