別荘住宅史に刻まれた「名建築」がひっそりと姿を消しつつある今の軽井沢
日本におけるモダニズム建築の巨匠・吉村順三は軽井沢の地に多くの作品を残した。
自身の別荘である『吉村山荘~小さな森の家~』や現代洋画家・脇田和の『アトリエ山荘』は、若手建築家や建築を学ぶ学生ら“吉村順三ファンの聖地”とされており、軽井沢の別荘住宅史に残る名建築としていまだに注目を集めている。
しかし残念ながら、時代の流れとともに「名建築」と呼ばれた建物たちがひっそりと姿を消しつつあるのが今の軽井沢だ。住宅はどんなに優れた建物であっても、人がそこで暮らしていないと次第に朽ちていく。もともとの所有者が亡くなって持ち主の世代が変わると、徐々に建物への愛着が薄れて維持することが難しくなり、やがて新しい建物へと建て替えられる…そんな消えゆく軽井沢の名建築・名別荘たちを守りたいとプロジェクトを立ち上げたのが、『軽井沢総合研究所』の代表・土屋勇磨さん(40)と友人の佐野誠さん(39)だった。
アメリカ人音楽教育家が吉村順三に依頼してつくった『ハーモニーハウス』
▲音楽を通じて日本の青少年の育成に取り組んだエロイーズ・カニングハム女史(1899-2000)。生涯独身を貫いたため、女史の遺産はすべて(社)青少年音楽協会が受け継ぐことになった。同協会は現在も地道な活動を続けているが、あくまでも利益を追求する団体ではないため「建物の利活用」については専門外。理事の多くも高齢化が進み「ハーモニーハウスを残すということは、後継の若い理事たちへ負の遺産を残すことになるのでは?」と取り壊しを検討しつつ、並行して建物の活用アイデアをチラシ等で公募していたという『軽井沢総合研究所』の取り組みをご紹介する前に、まずは今回訪れた『エロイーズカフェ/旧ハーモニーハウス』の歴史について触れておかなくてはならない。
JR『軽井沢』駅から南へ車で約10分。ゴルフ場やテニスコートなどのリゾート施設が建ち並ぶ高級別荘地・南ヶ丘の一角に、今回取材した『エロイーズカフェ/旧ハーモニーハウス』がある。
大通りから一歩奥まった場所にあり、未舗装の曲がりくねった路地の先に佇んでいるため、最初に訪れるときは道に迷う人も多いという“隠れ家”的な名建築だ。
この“隠れ家”を建てたのは、アメリカ人音楽教育家のエロイーズ・カニングハム女史。戦前、宣教師だった音楽好きな両親とともに軽井沢の別荘地で暮らし、終戦後にGHQとして再び軽井沢の地へ戻ったカニングハム女史が「戦争で心を失った日本の子どもたちに良質な音楽を聞かせてあげたい」と建設したのが、練習場を兼ねた音楽ホール『ハーモニーハウス』だった。
『ハーモニーハウス』を設計したのは、カニングハム女史の友人でもあった吉村順三。沢のせせらぎが響き渡る約1000坪の台形の土地に建つ美しい木造2階建ての建物は1984年に竣工した。
竣工後は、カニングハム女史が創設した青少年音楽協会の活動拠点として長年使われてきたが、築34年を経て建物が老朽化。カニングハム女史の没後に『ハーモニーハウス』の所有を引き継いだ青少年音楽協会は「取り壊すか?利活用するか?」の選択を迫られることになった。
軽井沢の名建築を後世へ残したい、そんな想いから軽井沢総合研究所を設立
▲軽井沢総合研究所の発起人のひとりである佐野誠さん。「34年前、竣工直後のハーモニーハウスは人で溢れかえるぐらいの人気ぶりで、いろいろなスポンサーがつき、多彩な音楽イベントを開催していたと聞いています。もともと合宿所として機能するように宿泊施設も備えられていたため、そのスペースは現在シェアハウスとして活用中です。おかげさまで満室状態が続いています」と佐野さん「代表の土屋は軽井沢出身なんですが、彼と彼のお母さんが“別荘マニア”で、軽井沢の別荘住宅にものすごく詳しかったんですね。
でも最近は、その場所にあったはずの別荘が忽然と無くなって新しい建物に建て替えられていたり、明らかに朽ち果てている様子を多く見かけるようになって…そんな地元の風景の変化を残念に感じていました。そんなとき、この『ハーモニーハウス』が取り壊しの危機にあることを知って、自分たちで何とかしたいと手を挙げ、『軽井沢総合研究所』を立ち上げることになったのです」(以下、「」内は佐野誠さん談)
34年間修繕をしないまま老朽化が進んだ『ハーモニーハウス』の場合、建物の修繕費用を考慮するとどうしても採算の目処が立たない。さらに、第一種低層住居地域に属する別荘地の一角に位置しているため、建物の利活用を行おうとしても業態には制約がある。
「本当は結婚式場として運営会社に転貸し、『軽井沢総合研究所』としては建物管理だけを行う予定だったんですが、法律上それができない地域でした。当初の計画を断念しなくてはならず土屋と悩んでいたとき、第一種低層でも広さが50平米以下であれば飲食店として営業できることを思い出し、そこで『ハーモニーハウス』の食堂をカフェとして活用することに決めたのです」
吉村建築だからこそ手を加えることができない…課題満載のリノベーション
1984年築の『ハーモニーハウス』は新耐震基準をクリアしていたため耐震性能には問題は無かった。しかし、改修を行う上で最も課題となったのは、この建物が「吉村順三の名建築」だった点だ。
「僕も驚いたのですが、この建物の建材・部材、細部にわたるすべてが『吉村作品』のひとつなんですね。例えば、木材の多くは東南アジア原産のラワン材が使われているんですが、東南アジアの気候と軽井沢の気候はまったく違うのでこの場所だと傷みやすく、本来は軽井沢の建物には使わないはずの木材なんです。しかし、吉村先生があえてこのラワン材を使ったということは“おそらく、木目や色味の美しさなど意匠性を優先したかったんだろう”ということで、そのまま改修せずに残すことにしました。
老朽化した柱については、上から茶色のペンキを塗る予定だったのですが、“せっかくの木目が消えてしまう。吉村先生の作品に上から色を塗っちゃダメだろう”と指摘を受け、急遽透明な塗装を施すことにしました。しかし、“いやいや、素材感が大切なんだから、透明でも上から塗装しちゃダメだろう”と更なる指摘を受け、あわてて塗装を落としたこともありましたね(笑)
床材は、昔の学校に使われていたようなピータイルが貼られていたのですが、そのピータイルは剥がすことなく、上からフローリングを被せた状態で保存しています。とにかく、担当の設計士さんと相談しながら、“吉村先生の意匠を壊さないこと、そのままの状態を残すこと”を徹底して心がけました。そこが老朽化対策以上に大変なポイントでした」
音楽交流の場、本来の建物の意義を大切にしながら名建築を守りたい
エロイーズ・カニングハム女史がつくった『ハーモニーハウス』は、こうして『エロイーズカフェ』として生まれ変わり、35年目の新たなスタートを切った。『軽井沢総合研究所』では、カフェやシエアハウスで得た収益をすべて建物の修繕に充当している。
「実はまだ屋根の補修が追いつかず、雨漏りが気になる箇所があるのですが、屋根には浅間石が使われているためすべて補修しようとすると1000万円以上はかかります。名建築と呼ばれた建物は維持をしていくにもお金がかかるということを、いましみじみと痛感しています(笑)」と佐野さん。しかし、採算がとれなくても“なんとか建物を守り続けたい”という想いは変わらない。
「吉村順三建築は、建築関係者の間で“家主から怒られてもいいから中へ入って実物を見てみたい、触ってみたい、勉強してみたい”という人が後を絶ちません。うちにもよくプロの建築家の方や建築学科の学生さんたちが見学にいらっしゃるのですが、窓の開口部の大きさを測ったり、ついているカギのひとつひとつまで写真を撮って議論をしたり…と、とにかく皆さん熱心なんです。吉村建築に限らずですが、設計者の想い、家主の想い、つくった人たちの想いがつまった建物が無くなってしまったら、それはただの『幻』になってしまいます。だからこそ、この建物の価値を共有できる人をひとりでも増やし続けて、建物の存在を受け継いでいってもらうことが僕らの願いです」
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「カフェスペースとしてグルメ取材が増えているのはとても嬉しいのですが、やはりここは“音楽交流の場所”ですから、本来の建物の意義をこれからも大切にしていきたい」と佐野さん。
『エロイーズカフェ』では、エロイーズ・カニングハム女史の音楽への想いを継承するため、音楽ホール・イベントホールとしての貸し出しも行っている。意外な感じもするが、軽井沢には音楽ホールが無く、イベント時には教会を借りることが多いため、ミニコンサートやクラシックコンサートの会場として重宝されているという。
建築家・吉村順三と音楽教育家・エロイーズ・カニングハム。軽井沢の文化を育んだ2人の想いがつまった『ハーモニーハウス』が、今後どのように新たな地域文化を生み出し、建物価値と共に次世代へとその想いが継承されていくのか、注目していきたい。
■取材協力/軽井沢総合研究所
http://kri-inc.co.jp/
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