門司港のひとびとが力を出し合って解体から救った最初の建物

(上)山の手から海辺の「門司港レトロ地区」に移築された「旧門司三井倶楽部」(下)現在の「カボチャドキヤ国立美術館」。「旧門司三井倶楽部」と同じく、かつての三井物産門司支店が建てたと思われる(上)山の手から海辺の「門司港レトロ地区」に移築された「旧門司三井倶楽部」(下)現在の「カボチャドキヤ国立美術館」。「旧門司三井倶楽部」と同じく、かつての三井物産門司支店が建てたと思われる

北九州市・門司港の「門司港レトロ地区」にある国の重要文化財「旧門司三井倶楽部」(大正10年、1921年竣工)は、もともとは山の手の谷町に建っていた。門司に三井物産の支店があった時代の社交施設だ。その谷町には近年まで、三井物産の社宅として建てられた洋風住宅群が残っていたという。

なかでも、支店長住宅だったのではないかと推測されるのが「旧菱和荘」、現在の「カボチャドキヤ国立美術館」だ。

そのユニークな館名については後述するとして、「旧菱和荘」は、のちの三宜楼保存運動につながる端緒となった建物だ。竣工は大正7年(1918年)というから、「旧門司三井倶楽部」より3年古く、今年で築100年になる。建物の2階部分までを覆う急勾配の屋根が特徴的な、洋館風の住宅だ。持ち主は何度か入れ替わったらしく、最後は三菱倉庫が保養所として使っていたという。しかし、1999年頃、老朽化を理由にいったんは取り壊しが決まった。

これを聞きつけた地元のひとびとは、建物を救うべく、「レトロ基金委員会」を立ち上げた。門司港の歴史を語る建物を次世代に引き継ぐための民間組織だ。個々人ではなく「委員会」として、三菱倉庫に「旧菱和荘」保存を申し入れたことで、同社の理解も得られやすかった。すでに足場まで組んでいた解体工事を中断し、1週間の猶予を与えてくれたという。

「レトロ基金委員会」は、保存活用を前提に「旧菱和荘」を買い取ってくれる人を探した。その熱意に応えてくれたのが、地元企業サニーライフの創業者、故・大西利昌さんだ。委員会は、無駄になった解体足場の費用を肩代わりした。この「レトロ基金委員会」から6年後に「旧三宜楼を保存する会」が派生することになる。

館長は“かぼちゃのブリューゲル”、トーナス・カボチャラダムスさん

大西さんは、建物の管理者に「レトロ基金委員会」発起人のひとり、画家のトーナス・カボチャラダムスさんを指名した。本名・川原田徹さん、1944年鹿児島生まれ。2歳から門司港で育ち、建築を志して東京大学に入学したものの、美術史に転向した末に中退、門司港に戻って自ら絵を描き始めたという異色の経歴を持つ。

トーナスさんは、銅版画(エッチング)や油彩、テンペラといったヨーロッパの古典的な技法を独学で身に付けた。画家になったばかりの頃からたびたび描いてきたのが「かぼちゃ」のモチーフだ。「かぼちゃのどっしりと力強い姿に、生命が生まれて還っていく根源的な存在をイメージした」と語る。

トーナス・カボチャラダムスを名乗るようになったのは1994年。「トーナス」はスコラ哲学の神学者トマス・アクィナスから、「カボチャラダムス」はルネサンス期の占星術師で医師でもあったノストラダムスから取った。「トーナス」は「唐茄子」でかぼちゃのことだ。2002年、「旧菱和荘」が再生への道を歩み始めた頃、空想の「カボチャドキヤ民主主義人民共和国」を創設し、総書記に就任した。

トーナスさんの建築への関心は、作品に投影されている。1枚の画面の中に、建築であり都市でもあり、1個の有機体にも見える構造物と、その中にうごめくひとびとの営みを描きだす。16世紀の巨匠ブリューゲルの「バベルの塔」を独自に発展、展開させたような世界だ。その名も「かぼちゃのブリューゲル」と題された大作には、門司港に実在する(または、かつて実在した)市場や商店が細かく描き込まれていて、何時間でも飽きずに見ていられそうだ。

(左上)「ミュージアムコンサート」でリコーダーを演奏するトーナス・カボチャラダムス館長。(右上)銅版画(エッチング)の展示室(左下)1階油彩画の展示室。かぼちゃの馬車ならぬかぼちゃの自転車の奥に見える大きな絵が「かぼちゃのブリューゲル」(右下)「かぼちゃのブリューゲル」部分。「中央市場」や「栄町商店街」は門司港に実在する商店街(左上)「ミュージアムコンサート」でリコーダーを演奏するトーナス・カボチャラダムス館長。(右上)銅版画(エッチング)の展示室(左下)1階油彩画の展示室。かぼちゃの馬車ならぬかぼちゃの自転車の奥に見える大きな絵が「かぼちゃのブリューゲル」(右下)「かぼちゃのブリューゲル」部分。「中央市場」や「栄町商店街」は門司港に実在する商店街

古びた洋館を1年かけて改装。保養所から美術館に生まれ変わる

大西さんの意向で、「旧菱和荘」はトーナス・カボチャラダムスさんの作品を展示する「カボチャドキヤ国立美術館」に生まれ変わることになった。

屋根を葺き替え、外壁を塗り替え、屋内を展示室に整えて、改装には約1年を要した。2色のスレートで葺いた屋根の色、かぼちゃを思わせる黄土色の外壁はじめ、内外のカラフルな色使いはトーナスさんが決めたそうだ。2階の床を一部抜いて吹き抜けにし、1階を明るい展示室にした。天井板を外して現れた小屋組は、建物の成り立ちを示す展示の一部にもなっている。

(左)1階から小屋裏まで吹き抜けに(右上)100年前のままと思われる屋根の小屋組(右下)鮮やかな青に塗られた床の間(左)1階から小屋裏まで吹き抜けに(右上)100年前のままと思われる屋根の小屋組(右下)鮮やかな青に塗られた床の間

大工さんが考えた洋風スタイル?独特の造作を残した食堂部分

もともとの建物の姿を残しているのが1階の食堂部分だ。“舟底天井”や“違い棚”といった和の形式を踏襲しながらも、石張りの擬似マントルピースを設け、全体としては洋室に仕上げた独特のデザイン。

そこに、大西さんのコレクションだったというアンティーク家具やアール・ヌーヴォーの照明器具が、不思議なほどぴたりと納まっている。

(左上)数寄屋などに見られる「舟底天井」の食堂。(右上)壁には書院の「違い棚」風の飾り棚や擬似マントルピースが造り付けられている。(右下)食堂とキッチンは窓のあるカウンターで仕切られている。造作材に斜めの切り込みを入れるなど凝った造り(左上)数寄屋などに見られる「舟底天井」の食堂。(右上)壁には書院の「違い棚」風の飾り棚や擬似マントルピースが造り付けられている。(右下)食堂とキッチンは窓のあるカウンターで仕切られている。造作材に斜めの切り込みを入れるなど凝った造り

4年後に迎える創立20年で閉館予定。継承の可能性は未だ不明

こうして「カボチャドキヤ国立美術館」は2002年にオープンした。運営に携わるのは口コミで集まったボランティア、運営費は売り上げと150人ほどいる会員からの会費で賄っている。入館料は一般300円、中高生100円、小学生以下は無料だ。何よりも「こどもたちに喜んでもらいたい」という大西さんの願いが込められている。

建物は誰も使わなければ荒廃していくが、使い続けるためにはお金も手間もかかる。美術館を1日開館するだけで、光熱費もかかれば掃除や応接の人員も配置しなければならない。長く続けていくためにも無理はできないと、開館日は土曜日と祝日(または振替休日)に絞った。

建物が一般に公開されたおかげで、かつてこの家に縁があった人が昔を懐かしんで訪ねてくることもある。玄関に飾られている古い写真は、戦前の一時期、この家に住んだ人の息子さんが、わざわざ東京から持ってきてくれたものという。企業の保養所だった時代に管理人を務めたと、思い出を語った人もいた。

オープンから16年が経過し、鮮やかだった屋根のスレートの色も褪せ始めた。館長のトーナスさんも74歳を迎える。「ボランティアも会員も、みんな一緒に高齢化してきました」と苦笑する。

「カボチャドキヤ国立美術館」は、2022年5月5日、創立20年を持って閉館を予定している。人口減少が進む門司のまちに、建物継承の糸口は見付かるだろうか。

左は「カボチャドキヤ国立美術館」の玄関に飾られている昔の写真。ゆかりの人が持ってきてくれたもので、戦前に撮影されたと思われる。建物の姿は今もほとんど変わっていないことが分かる左は「カボチャドキヤ国立美術館」の玄関に飾られている昔の写真。ゆかりの人が持ってきてくれたもので、戦前に撮影されたと思われる。建物の姿は今もほとんど変わっていないことが分かる

2018年 07月28日 11時00分