“軽井沢の鹿鳴館”と呼ばれた美しく革新的な西洋建築、旧三笠ホテル

避暑地・軽井沢の観光スポットとなっている旧三笠ホテル。“軽井沢の鹿鳴館”と称された美しい建物は昭和55(1980)年に国の重要文化財に指定され、軽井沢の華やかな別荘文化を後世に物語る歴史的建造物として、現在も保存・修復工事が丁寧に繰り返されている。

今回のレポートでは、旧三笠ホテルの成り立ちと純西洋式木造ホテルの匠の技について、長野県軽井沢町歴史民俗資料館学芸員の山田あづささんにお話をうかがった。

▲学生時代から日本史を学び、現在は歴史民俗資料館の学芸員として軽井沢町の歴史を研究している山田あづささん。<br />「旧三笠ホテルの歴史を調べていくと、政財界人・文化人など錚々たる顔ぶれのお名前が出てきます。<br />明治・大正時代の華やかな社交界を想像しながら、歴史を辿る作業はとてもおもしろいですね」と山田さん▲学生時代から日本史を学び、現在は歴史民俗資料館の学芸員として軽井沢町の歴史を研究している山田あづささん。
「旧三笠ホテルの歴史を調べていくと、政財界人・文化人など錚々たる顔ぶれのお名前が出てきます。
明治・大正時代の華やかな社交界を想像しながら、歴史を辿る作業はとてもおもしろいですね」と山田さん

はてしなく草原が広がっていた初期の軽井沢

▲旧三笠ホテルのロビー。天井から下がるシャンデリアは、明治39(1906)年の開業当初から使用されている貴重なアイテムだ。この窓から約4km離れた軽井沢駅の灯りが見えるほど、周辺は高い木のない草原だった▲旧三笠ホテルのロビー。天井から下がるシャンデリアは、明治39(1906)年の開業当初から使用されている貴重なアイテムだ。この窓から約4km離れた軽井沢駅の灯りが見えるほど、周辺は高い木のない草原だった

「江戸時代、軽井沢宿は中山道の難所のひとつだった碓氷峠の出入口に位置し、宿場町として栄えていた歴史があります。当時は上野国との国境に位置し、旅人や物が行き交う場所でした。

明治時代になって、慶應義塾大学で教鞭を取っていたカナダ人宣教師A.C.ショーが静養に訪れたことがきっかけで、避暑地として注目を集めるようになり、多くの人々が避暑に訪れる場所となっていったのです」(山田さん談)。


避暑地・軽井沢を見出したA.C.ショー(アレクサンダー・クロフト・ショー)。「ショーの生まれ故郷であるでカナダの風景に似ていたから、軽井沢を避暑地に選んだ」というエピソードは地元では有名な話だが、実はショーが避暑に訪れた当初の軽井沢は今のように爽やかな木立が続く緑の町ではなく、はてしなく草原が広がっていた。

旧三笠ホテルの窓から軽井沢駅の灯りが見えるため、ホテルのスタッフは「駅に汽車が到着したな」ということを肉眼で確認し、お客様を出迎える準備をしていたというのだから、当時の軽井沢がいかに高い樹木がなかったかが窺える。

ちなみに、現在の軽井沢に広がる美しいカラマツの木立は明治時代以降に植樹されたもので、空に向かってまっすぐ伸びる美しい木々が並んだ林は、江戸時代の軽井沢の風景ではなく人工的に作られたものだという。

人も、木も…日本人が作った“メイドインジャパンの西洋建築”

「軽井沢を見出したのが外国人宣教師だったことで、軽井沢は独自の文化を生み出していきました。“人生の楽しみを人や物に求めず、自然やスポーツに求める”といった考えから、あくまでも『知識や芸術を深め、スポーツなどに娯楽を求める社交場』として、宣教師や文化人たちが夏の軽井沢に集まるようになったのです」(山田さん談)。

東京からたくさんの避暑客が集まるようになると、新しい宿泊施設が必要になった。実業家の山本直良は、当初所有していた25万坪の土地で牧場を営むことを考えていたが、浅間山の火山灰の影響もあって牧場経営は難しく、途中からホテル経営に切り替えることを決断した。それが、旧三笠ホテルの誕生のきっかけとなる。

「当時、すでに軽井沢で西洋式ホテルを開業していた万平ホテルの佐藤万平を監督に迎え、西洋建築を学んだ岡田時太郎に設計を依頼し、施工は地元の大工の棟梁であった小林大造が引き受けました。

江戸時代までの日本では、建物を建てる場合、大工の棟梁が設計もおこなっていたため、設計・施工が分かれていなかったのですが、明治時代になると、『設計をするひと』『建てるひと』が別々に役割を担ってひとつの建物を作り上げるようになっていきました。旧三笠ホテルは、日本の建設業界で“建築士”という職業が確立されていった時代の建物でした」(山田さん談)。

監督も設計も施工もすべて日本人で、日本の木材を使って作り上げた“メイドインジャパンの西洋建築”である旧三笠ホテルは、現在も貴重な建物として保存が進められている。

▲明治37(1904)年着工、明治38年(1905)年に上棟し、<br />明治39(1906)年に営業を開始した旧三笠ホテル。<br />戦時中の軽井沢は大使館関係者の外国人疎開先となっていたため、旧三笠ホテルも外務省の軽井沢出張所として利用された。<br />幸い戦火を受けなかったことで、当時のままの状態を保ちながら現在まで建物が維持されている。<br /><br />【左上】ドイツの建築様式を取り入れた下見板張りの壁。<br />【右上】ロビーのキーボックス。通常日本では『四』を嫌うが、西洋風のため『13』のボックスがない。<br />【左下】テーブル&チェア、収納家具やベッドまで、ホテルのインテリアは地元の家具職人が製作した。<br />【右下】当時非常に珍しかった水洗式の洋式トイレ。壁面のタイルは英国から取り寄せたものだ。<br />これらの設備は、当時の地元紙で「文明的」「ハイカラ的」と紹介された▲明治37(1904)年着工、明治38年(1905)年に上棟し、
明治39(1906)年に営業を開始した旧三笠ホテル。
戦時中の軽井沢は大使館関係者の外国人疎開先となっていたため、旧三笠ホテルも外務省の軽井沢出張所として利用された。
幸い戦火を受けなかったことで、当時のままの状態を保ちながら現在まで建物が維持されている。

【左上】ドイツの建築様式を取り入れた下見板張りの壁。
【右上】ロビーのキーボックス。通常日本では『四』を嫌うが、西洋風のため『13』のボックスがない。
【左下】テーブル&チェア、収納家具やベッドまで、ホテルのインテリアは地元の家具職人が製作した。
【右下】当時非常に珍しかった水洗式の洋式トイレ。壁面のタイルは英国から取り寄せたものだ。
これらの設備は、当時の地元紙で「文明的」「ハイカラ的」と紹介された

外国人避暑客の求めに応じることから始まった伝統工芸『軽井沢彫り』

▲特有の湿気がある軽井沢の気候に合わせ、通気性を高めるためにホテルの基礎部分が高くなっている。通気口にもエレガントなデザインが施されるなど、徹底した“西洋風建築”へのこだわりが感じられる▲特有の湿気がある軽井沢の気候に合わせ、通気性を高めるためにホテルの基礎部分が高くなっている。通気口にもエレガントなデザインが施されるなど、徹底した“西洋風建築”へのこだわりが感じられる

日本人によって造られた西洋式木造ホテルには、日本人ならではのこまやかな工夫と技術が詰まっている。

「こちらの建物基礎は湿気対策で床下の通気性を良くするために、高めにした可能性があります」と山田さん。

また、旧三笠ホテルでは、インテリアとして木製の家具が各所に配置されているが、これは地元の家具職人に依頼して作らせたものだったという。

「旧三笠ホテルに限ったことではないのですが、当時は西洋風のテーブルやチェア、ベッド、収納家具などがなかったため、自分たちで作るしかありませんでした。地元の職人が、地元の木を使って、軽井沢の四季を表現するような独特の彫刻を施し、テーブルや椅子などを作って、それが軽井沢の伝統工芸品である『軽井沢彫り』になったのです。

職人たちが作った『軽井沢彫り』の家具は、愛用した外国人が母国へ持ち帰りやすいように、脚などのパーツが分解できるようになっていました。そうした使い手への気配りも、日本人らしいこまやかな配慮ですよね」(山田さん談)。

“軽井沢避暑文化”の黎明期を物語る重要文化財

▲多くの著名人・文化人がその手摺に触れたであろう吹抜け階段。旧三笠ホテルは、現存する純西洋式木造ホテルとしては、札幌の豊平館(明治13年築)に次ぐ古い建物だ。入館料は一般400円。展示されている宿泊名簿には、名だたる人物の名前が記載されている。ちなみに、当時の宿泊料は1室12円(一等・一泊)。周辺の旅館が一泊2円の時代だったため、庶民にとってはまず足を踏み入れることができない憧れのホテルだった▲多くの著名人・文化人がその手摺に触れたであろう吹抜け階段。旧三笠ホテルは、現存する純西洋式木造ホテルとしては、札幌の豊平館(明治13年築)に次ぐ古い建物だ。入館料は一般400円。展示されている宿泊名簿には、名だたる人物の名前が記載されている。ちなみに、当時の宿泊料は1室12円(一等・一泊)。周辺の旅館が一泊2円の時代だったため、庶民にとってはまず足を踏み入れることができない憧れのホテルだった

こうして、当時の最先端の技術を用い、最高級の設備が整えられた旧三笠ホテルだが、経営難等を理由に大正14(1925)年以降数々の所有者の手に渡り、昭和45(1970)年にホテルを廃業。

昭和55(1980)年に軽井沢町に寄贈され、現在は国の重要文化財として軽井沢町が建物保存に努めており、平成27(2015)年度中を目処に建物の耐震診断が完了する予定となっているため、今後はその診断結果を受けて補修の課題などを探っていくという。

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上棟から110年の年月を経て、今なお当時の姿のまま佇む旧三笠ホテルは、まだ日本人の多くが「バカンス」という言葉を知らなかった時代の“優雅な軽井沢避暑文化”を雄弁に物語っている。

見学の際には、メイドインジャパンならではの優れた建築技術や、未知の西洋文化を“日本人特有のおもてなしの心”で受け入れた当時の職人たちの努力にも想いを馳せてみたい。

■取材協力/長野県軽井沢町教育委員会(軽井沢町公式ホームページ)
http://www.town.karuizawa.lg.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html

2015年 09月18日 11時08分