目標は「3Kトイレを払拭し、顧客満足度を上げよ」

2012年度から始まった大阪市の地下鉄リニューアル。写真は四つ橋線「肥後橋」駅2012年度から始まった大阪市の地下鉄リニューアル。写真は四つ橋線「肥後橋」駅

地下鉄のトイレといえば、「汚い・臭い・暗い」。かつて、そんな苦情が寄せられていたと、大阪市交通局は自ら認める。市民に聞くと、特に女性は辛辣だ。「駅の近くのビルのトイレを借りて用を足し、地下鉄のトイレなんて利用せえへんわ」。
このいわゆる「3K」トイレを払拭しようと交通局が立ち上がったのは2012年度。将来の「地下鉄の株式会社化(民営化)」をにらみつつ「トイレ改革」を進めることになった。「2015年度までに地下鉄112駅のトイレを改装して、お客様の満足度を上げよ!」。「利用者」ではなく「お客様」と言うところに、交通局の意気込みを感じる。

目標は、明るい(Clear)、清潔(Clean)、快適(Comfortable)、魅力的(Charming)の4Cトイレ。清潔や快適はともかく、魅力的なトイレとは何か。トイレを通じて「おもてなしの心」を届ければ、地下鉄に対する親近感や愛着の気持ちをもってもらえる。外国から来た人が、母国に帰って大阪のトイレの魅力を伝えてくれる。交通局は、新しい地下鉄のトイレのコンセプトを「ホスピタリティコミュニケーション」に据えた。

大阪市には、御堂筋線、谷町線、四つ橋線、中央線、千日前線、堺筋線、長堀鶴見緑地線、今里筋線、南港ポートタウン線の地下鉄が縦横に走っている。2012年度から今里筋線と南港ポートタウン線を除く112駅を対象に改修をスタート。「少なくともすべての駅の1ケ所、トイレを改修する」のを目標に、2012年度に23駅のリニューアルを開始。翌年から17駅、21駅、25駅、22駅…と毎年リニューアルを続け、2016年度末までに累計108駅で完成した。
このトイレ改革が始まる以前は、トイレの改修は1年に3ケ所ぐらいだったというから、いかに革命的なスピードかがわかる。

市民の度肝を抜いた「ようおこし」の大型ピクト

改修の手法は2つだ。第1は、衛生器具や内装仕上げなど小規模な改修をする「リモデル」タイプ。第2は、トイレの面積を増やし、間仕切りなどレイアウト替えも含め、大規模な改修をする「リノベーション」タイプ。

まず、「リモデル」タイプのトイレを紹介しよう。新しいトイレの設計や建設にあたっては女性職員も参画し、女性の目線からのアイデアをどんどん取り入れた。どんなタイルにしたら美しい空間になるか…安心して使えるトイレとは…肌が美しく見える照明の色温度は…。
赤ちゃんをかかえていても利用しやすいトイレがいい。男性が用を足しているのを外から見たくない。いろいろなニーズを調べ、洗面室の横にベビーチェアをつけたり、男性トイレの入り口からずらした場所に小便器を並べたり、一つひとつ工夫した。
トイレの改修にかかわった男性職員は、家族の協力もあおぎ、妻や娘たちに頼んでよその女性トイレを見てきてもらった。「高級ホテルのトイレまでは無理としても、百貨店に匹敵するレベルのトイレはつくりたい」と心に刻んだ。

温もりのある木質系の仕上げをしたファサードには、ひと目でここがトイレとわかる大型のグラフィックデザインを掲げた。おもてなしの心を表現するため、おじぎをして迎えいれているような男性と女性のピクトには、「ようおこし」と文字が添えられている。よくいらっしゃいました、を意味する大阪弁だ。
「なんちゅうデザインや」「なんで『ようおこし』やねん」と当初は大阪人の度肝を抜いた。
これは、別の意味で大胆なリニューアルでもある。公共の建物ではJIS規格のピクトが使われるが、「ようおこし」のマークはJIS規格ではない。もちろんトイレの中ではJIS規格のサインも使っているのだが、独自に開発したピクトを含めトイレの意匠としたのが斬新だ。

リモデルタイプのトイレでは、和式便器を廃し、全ブースを洋式便器にした。男女1か所ずつにオストメイト対応の便器便房、設置スペースが確保できる箇所にはひろびろブース(簡易型多機能便房)を設けた。全ての女性トイレにパウダーコーナー、手洗い付近にベビーチェアーを設置した。女性、子ども、ハンディキャップのある人など使う人の立場に立ってトイレ空間を組み立てた。

「清掃」に対する考えもがらりと変えた。これまでのトイレは、水をまいて清掃する「湿式」の清掃法だった。水洗い後の拭き残しや飛び散りによる床面の水濡れが雑菌繁殖の原因となり、見た目の悪さと臭いにつながった。この清掃方法をモップで抗菌タイルを清掃する「乾式」に変えた。
トイレブースに入れば人間の動きを感知して、消音装置のスイッチが自動に入る。男性トイレの小便器の上部の壁面や女性トイレのブース内の壁には、額縁に入ったかわいらしい絵画が飾ってある。交通局の職員がボランティアで絵画を描いて提供したという。
かつての3Kトイレは、明るく、清潔で、あたたかな雰囲気が漂う魅力的な空間に生まれ変わった。

オリジナルの大きなピクトが「ようおこし」と出迎えてくれる(上)。壁を飾る額縁には職員が無償提供した絵が(下左)。洗面室の横にベビーチェアなどきめ細かい工夫がある(下右)オリジナルの大きなピクトが「ようおこし」と出迎えてくれる(上)。壁を飾る額縁には職員が無償提供した絵が(下左)。洗面室の横にベビーチェアなどきめ細かい工夫がある(下右)

新大阪駅は鉄道のトイレで初めて「日本トイレ大賞・国土交通大臣賞」を受賞

新大阪駅や梅田駅、淀屋橋駅、本町駅、心斎橋駅、なんば駅、天王寺駅など、主要ターミナル7駅9ケ所のトイレは、駅の周辺環境や駅のイメージをデザインに反映する「リノベーション」がほどこされた。梅田駅は「エレガント」、新大阪駅は「自分のお気に入りの場所に帰ってきたようなくつろぎ感」などデザインコンセプトもさまざまだ。

最大規模のリノベーションとなったのは新大阪駅で、男性トイレが50m2、女性トイレが70m2もの面積がある。新大阪駅は、JR東海道・山陽新幹線との結節点で、1日に約14万人が利用する。改修したトイレは中改札口近くにあり、新幹線とのメーン連絡口で1日に約8万人が利用、常に混雑している。利用者の多くは、出張や旅行などのため、大きな鞄や荷物をもっている。
パウダーコーナーは男女とも、トイレエリアと動線が重ならない独立型の空間とし、観葉植物を飾った。女性用のパウダーコーナーは、じっくり化粧直しができるよう、一人用の独立した空間に。フィッティングブースで着替えることもできる。
どこか楽しい場所へ向かうときの出発点だったり、大阪に帰ってきたと安らぎを感じる到着点だったりする新大阪駅。移動や旅の出入り口でもあるトイレを、全くこれまでとは違う空間にリノベーションした結果、利用者の満足度は2013年度91.1%、2014年度93.6%へ高まった。
このトイレは2015年9月、鉄道部門のトイレとしては初めて、日本トイレ大賞「国土交通大臣賞」を受賞した。

日本トイレ大賞・国土交通大臣賞を受賞した新大阪駅のトイレ。用を足す、化粧直しをする、着替えをする、いろいろなニーズに応え、広々とした空間が快適だ。通行の合間に、気持ちを切り替えられる場所でもある日本トイレ大賞・国土交通大臣賞を受賞した新大阪駅のトイレ。用を足す、化粧直しをする、着替えをする、いろいろなニーズに応え、広々とした空間が快適だ。通行の合間に、気持ちを切り替えられる場所でもある

心斎橋駅のリノベーションは、地下鉄トイレの「集大成」

リノベーションタイプのトイレとして、最後に改修が行なわれたのが心斎橋駅だ。交通局の職員はこれを「地下鉄のトイレの集大成」と呼ぶ。コンセプトは「レトロな喫茶店」。心斎橋界隈は古くからの繁華街で、高級ブランド店やビジネスビルが林立している。ここのトイレは、高級感を出そうということになった。

心斎橋駅の元々のトイレは、小さくて3Kの代表例だったが、隣接した駅長室や職員用の仮泊室をよそへ移し、トイレのスペースを拡幅した。今では、女性トイレに入ると、黒っぽいシックな内装に、キラキラ光る壁のタイルと飾り柱がアクセントになっていて、地下鉄のトイレとは思えないほどだ。照明は老舗の喫茶店のような雰囲気。トイレブースの壁にはガラスモザイクタイルが使われ、男性のブースの壁タイルは1室1室、デザインが違う。リノベーションタイプは、単に内装のグレードを上げるだけでなく、面積の拡幅など大きな工事を伴う。心斎橋駅の改修費用は、一般のリモデルタイプの4倍ほどの費用をかけた。

新しいトイレを使うようになって気づいたことがある。一度、美しいトイレを利用すると、以前の3Kトイレは全く思い出せなくなる。また、3Kから4Cになると、単にトイレの利用者が増えるだけではない、人は、知らず知らずのうちに“きれいに使おう”とする。今でも、各駅には古いトイレも残っているが、利用者は意識的あるいは無意識的に、「ようおこし」のピクトを探す。いまや大阪の地下鉄のトイレの標準となったような気さえする。
最初はびっくりした市民も、次第に「交通局もやるなあ」と感心した。別の場所のトイレを使って、わがまちのトイレの美しさを思い出した。そんなトイレのあるまちに誇りを感じるようになりつつある。
トイレ改修にかかわった交通局の職員は話す。
「これまでは、男の発想でトイレを作ってきたと思うんです。頑丈であればよい、壊れにくければよい、と。実際には、前のトイレの方が頑丈で、改修したトイレの方が繊細な側面を抱えてはいるのです。でも、トイレを使っていただくなら、もっとお客様の身になって考えないと。改修した甲斐がありました」

トイレリニューアルの集大成が心斎橋駅。狭いトイレを拡幅(上左が改修前、上右が改修後)した上で、高級感をだした。女性トイレの洗面(下左)、男性トイレの小便器(下右)トイレリニューアルの集大成が心斎橋駅。狭いトイレを拡幅(上左が改修前、上右が改修後)した上で、高級感をだした。女性トイレの洗面(下左)、男性トイレの小便器(下右)

地下鉄の“トイレ革命”は内外に波及、民営化への橋渡しに

毎年、実施している「大阪市交通局お客さま満足度調査」によると、地下鉄のトイレのリニューアルに対する認知は、2013年度には51.9%だったが、2016年度には82.4%へ増えた。認知が広がるにつれ、かつては敬遠されがちだった利用者が戻ってきた。リニューアルされたトイレに対する満足度は2013年からずっと毎年90%以上を占める。
「事業開始時の目標であった、トイレを通じておもてなしの心を発信することができたと考えています」と交通局は胸をはる。

市民や訪問客に、この「ようおこし」トイレは、どう受け入れられているのだろう。
すべてのブースを洋式トイレにし、衛生面の対策として便座クリーナーを設置したので、高齢者や外国人、女性が使いやすくなったことは確かだ。「バリアフリー関連の会議では、障がいのある人にも利用しやすくなったと評価されましたし、日本語のわからない方でも、大きなイラストでわかりやすくなったと思います」と交通局は手応えを感じている。
残りのトイレは10年計画でリニューアルを実施し、2017年度にも6ケ所でトイレのリモデルを予定している。
大阪市は今年3月、議会で「市営の地下鉄・バスの株式会社化」を決議した。「株式会社化された後も、トイレにおけるおもてなしの心を忘れずに、前半5年間はペースアップしてリニューアルを進めていく」という。2018年春に向けて、トイレ改革も新しい株式会社に橋渡しされる。

この2年間、「週刊文春」誌で月1回の連載「トイレ探検隊がゆく!」の執筆にあたったルポライター、坂上遼氏は、24回の連載で未掲載分も含め200ケ所以上のトイレを取材したという。この連載で、大阪市交通局のようおこしトイレも取り上げたが、「大阪人のユーモア精神と実質主義がうまく融合した先駆的なものだと評価しています」と話す。坂上氏は「高齢化社会が進む中、公共のトイレは基本的に洋式にすべきです。60歳以上の高齢者に和式は残酷すぎますから。これからどこまで裾野を広げられるか…。できれば温水洗浄便座の普及も進めば」と話す。

大阪市交通局も温水洗浄便座へのニーズは把握していて、リノベーションタイプのトイレなど一部で採用している。が、ある関西の私鉄で、温水洗浄便座そのものが盗まれた事件があったことや、手入れの仕方や耐久性の課題もあって、全トイレに採用するかどうかは今後、検討される。
また、トイレの設計・リニューアルまではできても、完成後の「維持・管理」をどうするかは別の問題だ。設計・建設を担当した部門と、外部の清掃業者に委託する部門、実際に清掃を担当する会社や清掃員などは組織が異なり、「ようおこし」の思想がハードからソフトへ、きっちり伝達できるかどうかは課題の一つだ。

最近、関西圏の各私鉄で「トイレがきれいになったなぁ」と感じる機会が増えてきた。大阪市の地下鉄のトイレリニューアルは、単にトイレ空間を変えただけではなく、関西の鉄道網のトイレ改修に影響を及ぼしているように見受けられる。
「ようおこし」のトイレ革命は、まちや人を変える先駆けともなった。

女性、子ども、外国人、高齢者、ハンディキャップのある人、いろいろなニーズに応えた大阪の地下鉄「ようおこし」トイレ女性、子ども、外国人、高齢者、ハンディキャップのある人、いろいろなニーズに応えた大阪の地下鉄「ようおこし」トイレ

2017年 07月18日 11時05分