繊維王国だった大阪・丼池筋にひっそりと立つ築90年超の建築

大阪・船場の丼池筋、繊維王国を象徴するかのように1922年に創建された丼池繊維会館大阪・船場の丼池筋、繊維王国を象徴するかのように1922年に創建された丼池繊維会館

明治7年に埋め立てられた池の名前にちなんだ丼池筋(どぶいけすじ)は、繊維の町、大阪の船場(せんば)エリアを南北に貫くおよそ2kmの通りだ。戦前の丼池筋は高級家具問屋街として栄え、東の堺筋に繊維問屋が並んでいたが、戦後は丼池筋に繊維問屋が集中し、戦後の大阪の復興を支えた。全国から生地や服飾雑貨を仕入れる人が訪れ、大阪でもいちはやくアーケードを取り入れたショッピングストリートだった。

この一画に建つ丼池繊維会館(1922年/大正11年築)は、もともと愛国貯金銀行の本店だった建物を丼池筋の旦那衆が買い取ったもの。そこを自分たちの地域サロンや福利厚生施設として使ったり、テナント収入を配当としたり、進取の気性に富む大阪人ならではのプロジェクトだった。
この建物ができたころには、大丸百貨店大阪店(現・大丸心斎橋店本館、ヴォーリズ建築事務所)や帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト)なども建築されている。丼池繊維会館は、それらのような大胆で重厚な装飾を避け、タイル張りで水平ラインを強調する、当時としては珍しい外観デザインだった。

しかし、その後、旦那衆が代替わりしたり、経営者がサラリーマン化したり、日本の高度成長とともに流通や産業構造が変化する中で、卸業態そのものが不振になっていく。そんな中で、劣化する建物の管理・維持や改修はおざなりにされた。
丼池筋に面した1階こそテナントが入っているものの、2階以上の部屋への入居者は次第に減っていった。

建築物の設計者や施工者は不明、設計図書も残らない中で始まったリノベーション

5年ほど前からビルの再生が討議された。壊して建て直すのか、リノベーションするのか、部屋の規模や配置、内装をどうするのか、空室をどう埋めるか、それらの費用対効果はどうか…。
船場界隈でテナントビルの再生や管理などをしていた合資会社マットシティ(みんなの不動産)の末村巧代表社員が相談に乗りながら、3年ほどかけて話し合いがもたれたという。
結果的に、事業主(株式会社丼池繊維会館)は「建物を再生しよう」と英断を下す。最終的には、総合企画設計と建物管理をマットシティ、設計監理を高岡伸一設計事務所、施工をミドリテックという体制がきまった。

問題は山積していた。そもそもこの建物を誰が設計・施工したのかは不明で、設計図書すら残っていなかった。創建当時の写真が1枚あるだけだ。
本来、この建築物の最大の特徴を表していたはずのファサードは、1997年に施工された鋼製サイディングで覆われて全く見えない。
失われたファサードの実態を調べるため、サイディング材を剥がしてみた。タイル自体はきれいに残っていたが、ファサードの装飾が削り取られていたり、ペンキの跡が無惨に残っていたり、サイディング材を打ち込んだボルトの跡が無数に目立った。

これをどう再生していくのか。
「モダニズム建築の黎明期に建ったこの建物には、未来に向けたデザインを志した設計者の思想がある。重厚な装飾の時代に、あえてこのシンプルなデザインにしたのは、当時はとても大きなチャレンジだったはず。建物がもっているそんな『チャレンジ精神を継承』すべきではないのか」。そんな意見が主流となり、修復は必要最小限にして、90年以上にわたる建築の歴史と創建当時のスピリッツを、なるべくありのまま残すことにした。

20年ほど前に鋼製サイディングが施工され、元々のファサードを覆いつくしていた建物20年ほど前に鋼製サイディングが施工され、元々のファサードを覆いつくしていた建物

補修跡も含め歴史の歩みや時間の痕跡を「消さずに残す」

以前には通用口として使われたところを、シンプルで小さなエントランスにした。乱雑に塗られたかつての左官工事の跡も、無数のボルトの穴跡も手を加えずに残し、「丼池繊維会館」の新しい館名板だけ取り付けた。
階段の木製手すりや床のタイルも、必要最小限の補修にとどめた。
新しく設置した窓の木製サッシの周囲には新しく左官工事をしたが、部屋のほかの左官工事跡と併せて調整しなかった。だから、色が違う左官の跡が随所に見られる。
つまりはオリジナルの建築や装飾も、過去に補修した跡も、今回補修したところも、それぞれがすべて残る形となった。

「関係者の中には、一様にきれいにしないと見た目が悪いのでは?と考えた人もいましたが、築94年ならではの痕跡を消すのではなく、そのまま残っていることこそが貴重だと考えたわけです」
2015年12月にリノベーションを着工、16年3月に完成した。

元々のファサードが復元された外観(左)。オリジナル部分と過去の修復部分が併存して残る外観(右上)。左官跡を残したまま新しい館名板をつけたエントランス(右下)元々のファサードが復元された外観(左)。オリジナル部分と過去の修復部分が併存して残る外観(右上)。左官跡を残したまま新しい館名板をつけたエントランス(右下)

核となるテナントとして、有望なプロダクト・空間デザイナーを招致

上階のテナントスペースや共用空間は大きく変わった。
3階は、当初の案では5つの小部屋に分割する計画だったが、2層になっていた天井をめくると、建築当時の丸い折り上げ天井が3層目に現れた。そこを生かすために間仕切らず、143.41m2の大空間とした。丸い折り上げ天井には、照明を配することにした。

このフロアには、プロダクト・空間デザイナーの柳原照弘氏に入居してもらうよう招致した。
柳原氏は、有田焼の新しい陶器ブランド「1616/arita japan」のクリエイティブディレクターとして、有田焼創業400年記念の年に、国際的に活躍するデザイナーと窯元・商社が商品開発を行う「2016」プロジェクトのクリエイティブディレクターとして活躍した、注目のクリエイターだ。
「テナントビルにとって、核となるテナントが誰なのかが、とても重要です。キーパーソンに入居してもらうことで、ビルには新しい命が吹き込まれます」と末村氏は話す。
実際に丼池繊維会館が完成した後には、こんなおしゃれなビルに入居できないかと、クリエイターたちからの問い合わせが急増したという。

リノベーションで誕生した3階の大きな空間には、プロダクト・空間デザイナーの柳原照弘氏が入居、階下には陶器のショップを開設リノベーションで誕生した3階の大きな空間には、プロダクト・空間デザイナーの柳原照弘氏が入居、階下には陶器のショップを開設

リノベーションは、建築の更新以上に、まちづくりや街並再生の手段として重要だ

2階にはかつて複数のクリニックが入居し、廊下が共用の待合室となっていた。ここを木とガラスで区切り、コンクリートむき出しの3つのテナントスペースとした。
テナントをつなぐ廊下にあたるホールは3.3mの天井高があり、壁際にはかつて製薬会社の研究所にあった実験器具収納のための天袋の木製建具を譲り受けて設置。大阪市内のレトロビルに使われていたガラスブロックも、壁面のアクセントにした。
柳原照弘氏が手がける有田焼の陶器のショップもオープンした。

最上階にはトタン葺きの倉庫があったが、キッチンを備えた「屋上会議室」に変えた。屋上を整理し、今では、地域の人が小さなパーティを開くこともできる。
「どんな街にも歴史があり、オーナーも近隣住民も、この丼池筋に誇りをもっています。時代が流れ、たとえシャッター商店が増えたとしても、建物は静的存在でなく、“使ってもらってなんぼ“の存在。丼池繊維会館のリノベーションは、単に建物をきれいに更新するだけではなく、街を再生するための手段にしたい。入居者にも街を意識してほしいし、街並をどう残すか、外から訪れた人にどうおもしろく思ってもらえるかも考えていきたい」と末村氏はいう。
モノが満ちあふれた世の中で誰を応援し、何にどう投資するかも、これからのまちづくりには問われている。


丼池繊維会館
http://dobukan.com/

かつて製薬会社で使われていたという建具(左)やレトロビルで使われていたガラスブロック(右上)もリノベーションに生かされた。新しいテナントも入居(右下)かつて製薬会社で使われていたという建具(左)やレトロビルで使われていたガラスブロック(右上)もリノベーションに生かされた。新しいテナントも入居(右下)

2017年 01月31日 11時05分