信仰、儀式、しきたり――「変えなかった」ことがプラスになった

壇上伽藍の西塔。山内には歴史的建築物が多く、歴史の厚みを感じさせる壇上伽藍の西塔。山内には歴史的建築物が多く、歴史の厚みを感じさせる

2004年の世界遺産登録を機に、日本有数の国際観光地へと変貌した高野山。この1200年の歴史を誇る仏都は、一方で、信者・参拝者の減少という深刻な事態に直面している。
泊まりがけで参拝する人が減れば、現在52ある宿坊寺院の経営は成り立たなくなり、ひいては高野山の伝統的景観が維持できなくなる可能性もある。となれば、ゆゆしき事態だが、そこに救世主のように現れたのが、ヨーロッパからの観光客だった。高野山真言宗総本山金剛峯寺や高野町が、外国人観光客をもてなすためのさまざまな取り組みをしていることは、前回の本稿でも述べた。

とはいうものの、それは外国人旅行者のための便宜を図ったにすぎず、高野山の根幹をなす部分を変えたわけではない。そう強調するのは、高野町産業観光課の観光振興係長・茶原敏輝氏だ。

「高野山は、古来の姿を“変えなかった”ことによって外国人が増えてきた町。たとえば北海道のニセコ町のように、外国人を受け入れるためにまちづくりをしてきた地域とは根本的に違います。おもてなしの面で“変えた”部分があるのはたしかですが、根幹の部分を“変えなかった”ことが、逆にプラスになった。高野山の生命線は、1200年の歴史の厚みと、「お寺に泊る」という生活文化体験にある。外国人に迎合するような変え方は一切していません」

一方で、そんな高野山の魅力を根本から揺るがしかねない問題が浮上している。建物の老朽化にともなう「建て替え」の問題だ。

老朽化した寺院は“コンクリート化”? 高野山の町並みは保全できるか

伝統的な景観をいかに守りぬくことができるか伝統的な景観をいかに守りぬくことができるか

2011年に東日本大震災が勃発し、南海トラフ巨大地震の到来も予想される中、老朽化した寺院の耐震化や建て替えが課題となっている。だが、宿坊は「旅館」と見なされるため、木造で改築するためには、さまざまな法規制をクリアしなければならない。このため、高野山でも、伝統ある宿坊を、やむなく鉄筋コンクリートで建て替えるケースも見られるようになった。

このままでは、歴史と格式を誇る高野山の景観は永久に失われてしまう。宿坊が軒並み鉄筋コンクリート造に変わるようなことにでもなれば、世界遺産の伝統的景観が、興醒めで魅力のないものになってしまう――。
こうした憂慮の声に応え、2015年7月、和歌山県の建築住宅課では相談窓口を設置。木造での改築を望む寺院からの相談に乗ることになった。

実際のところ、大きな宿坊を木造で建て替えることは可能なのか。建築住宅課の新田和宏氏は、「現行の建築基準法の範囲内でも、一定の条件を満たせば、木造での改築は可能」と語る。

「現行の建築基準法では、寺院における宿坊部分が3階建以上の建物は『耐火建築物』、2階建て以下でも2階の床面積が300m2以上で『準耐火建築物』としなければなりません。これらは、基本的には鉄筋コンクリート造で(準耐火建築物は鉄骨造でも可能)、窓にも防火戸を使う必要があります。
一方、建築業界では、鋼材を内蔵した集成材を使い、木造の耐火建築物を作る工法が普及しつつあります。また、『燃えしろ設計』といって、普通よりも太い柱を使い、燃える速度を遅らせて建物の崩壊を防ぐ工夫も以前から行われています」

新田氏によれば、「2014年の建築基準法改正により、大規模木造建築物の耐火構造に関する規制が緩和され、木造でも大きな宿坊の建築が可能になるよう、建築基準の性能規定化が図られた」、とのこと。今後は、宿坊を低層化して「準耐火建築物」とすれば、「燃えしろ設計」を活用することにより、木造でも建築できるようになる。
こうした法改正や新工法の開発も追い風となって、「高野山の総コンクリート化」は、ひとまず回避される道筋が見えてきた。

悩みの種は交通渋滞。パークアンドライドの導入も検討中

宿坊の部屋からは、美しい庭園の眺めを楽しむことができる宿坊の部屋からは、美しい庭園の眺めを楽しむことができる

観光客の急増は、高野山にもう1つの悩みをもたらすこととなった。マイカーの流入による「交通渋滞」だ。
高野山は山中にあるため土地は限られており、駐車場に転用できる土地はほとんど残っていないのが実情だ。小学校のグラウンドや大学の校庭を借りて駐車場にするなど、駐車場を増やす努力はしているものの、駐車場の慢性的な不足を解消するには至っていない。

「高野町では金剛峯寺と協力して、3年ほど前から臨時駐車場による渋滞緩和に取り組んできました。開創1200年の記念法会にあたり、金剛峯寺が主導して、臨時駐車場を含めた交通計画を作成。これが功を奏し、実際にオーバーフローしたのは3日程度でした。これからも臨時駐車場の仕組みを活用することで、できるだけ利便性向上を図りたいと考えています」

現在、高野町では、さらなる渋滞緩和を図るため、「パークアンドライド」の導入を検討中。これは、町の周縁部の駐車場にマイカーやバスを停め、町内の移動には路線バスなどの公共交通機関を利用するシステムだ。金剛峯寺の大門の南側に大きな駐車場を作り、大門からは路線バスを利用してもらうことを想定しているという。

「マイカー利用の方向けに、金剛峯寺や高野町のホームページでは臨時駐車場の紹介もしています。ただし町としては、車ではなく、南海電鉄などの公共交通機関で来ていただきたいのが本音です。その意味でも、外国人のお客さんはありがたい。9割9分は南海電鉄で来て、町の中を歩いて回り、宿坊にも泊まってくれますから。今の高野山にとって、外国人は大変ありがたいお客さんなのです」

欧米人は生活体験重視。鍵なし・襖仕切りでも「トレビアン!」

華麗な襖絵で仕切られた和室。宿坊では豪華な調度や書画、庭園などを鑑賞することができる華麗な襖絵で仕切られた和室。宿坊では豪華な調度や書画、庭園などを鑑賞することができる

まさに「外国人さまさま」だが、高野山の宿坊は伝統的な和風建築。鍵のある個室を提供する現代風の宿坊もないわけではないが、襖1枚で仕切られた和室に共同のバス・トイレという昔ながらの宿坊スタイルが基本形だ。外国人が増えたことによる異文化摩擦はないのだろうか。

「たとえば『朝にシャワーを浴びたい』とか、そういう要望は今も多いですね。ただ、高野山に来る外国人の大半は、日本の生活文化体験を求めて来られる欧米人。『郷に入れば郷に従え』で、部屋がバス・トイレ付きでないことや、鍵付きの個室でないことは気にならないようです。逆に、『立派な襖絵がある部屋に泊まれた』と、喜んで帰られる方が多い。日本的な雰囲気を味わい、高野山ならではの生活文化を体験できることが、逆にプラスとなっているようです」

今回の取材で、筆者は奥の院に近い宿坊・清浄心院に1泊したが、朝の勤行に参加する外国人の数が多いことに驚かされた。内陣には住職以下、役僧がズラリと並び、朗々たる読経の声が本堂に響く。その後方で神妙に控える30人ほどの宿泊客のうち、7~8割が外国人だった。
清浄心院には数年前にも1度泊めていただいたことがあるが、その時と比べても隔世の感がある。以前はなかった英語の案内も目に付き、外国人対応に力を入れていることがうかがえた。

“信仰”と“観光”のはざまで揺れる高野山。今後はどこへ向かうのか

宿坊の本堂では、朝の勤行に参加することができる宿坊の本堂では、朝の勤行に参加することができる

「高野山の魅力とは1200年の伝統です。弘法大師が真言密教の根本道場として開創し、いまなお奥之院で、人々の幸せや世界平和を祈り続けている――そうした信仰が今も脈々と生き続けているのが、高野山です。日本の他の地域からは失われてしまったものを、ここでは見ることができる。その意味では、日本の文化を学べる場であり、日本人の心の故郷でもあると思うのです」

茶原氏が語るように、高野山は古来の信仰の灯を守り続けることによって、世界でも類を見ない文化的価値を持つに至った。しかしながら、その文化的価値とは、全国から集まる信者や参拝者によって支えられてきたのも事実である。
信仰と観光のはざまで揺れる高野山は、今後、どのような道を歩んでいくのか。その道のりは、宗教とツーリズムの関係を再構築する、1つの壮大な実験といえるかもしれない。

2016年 02月11日 11時00分