何事にも全力投球、自分の道を模索する日々
皆さんは北海道の後志(しりべし)管内にある岩内町をご存じだろうか?
日本海に面し海の幸が豊かだというほかは、一見何の変哲もないどこにでもある静かな港町だ。
しかし、その人の目にはこのまちが全く違うものに見えている。その人とは、目黒沙弥さん。20代の早いうちに日本を飛び出し世界を2周した後、この岩内町に居を定めた。
世界中を見てきた目黒さんに「探していたものはここにあった!!」とまで言わせるものは何だったのか、自らが立ち上げた地域専門のツアー会社で提供するサービスとはどんなものなのか、この町で叶えたいことは何なのか、さっそく詳しく話を聞いた。
札幌出身の目黒さん。子どもの頃から何にでも全力投球、スポーツに勉強にと情熱を傾けてきた。しかし希望の大学の編入試験でまさかの結果になり大きな挫折を味わう。
そんな時、声をかけてくれたのが以前から縁のあった広告代理店の社長だった。心機一転その会社に入社し、社長の愛のあるスパルタ指導を受けて社会人として多くのことを学ぶが、新規事業の立ち上げという課題に対し、自分の納得できる結果を出せず再び大きな挫折を味わう。退社を決意した目黒さんに社長は最後の課題を出し、見事クリアすると「よくやったな」と送り出してくれた。
「言葉にできないくらいたくさんの事を学ばせてもらって、辞めるときは感謝しかなかったですね。絶対に社長に恩返しできる人間になると誓いました。それを言ったら『いらん、おまえに恩返しなんかされたくない』と言われましたけどね(笑)。でもそのあとに言われた『俺じゃなくて、次の世代にしてやれ』という言葉が、その後の自分の方向を決めました」
岩内町と運命の出合い
その後、ずっと憧れていた世界一周の旅に出る。そこで気づいたのは、自分が日本のことを何も知らないのだな、ということだった。
「海外の人と接すれば接するほど、自分が教科書に載ってるような薄っぺらい知識しかないんだと思い知りました。1年かけて海外を旅し、日本に興味を持つ人たちと接するうちに、日本ってとても素敵な国なんだな、と気づかせてもらいました」
帰国した目黒さん、今度は日本の事を知るべく、何と日本縦断ヒッチハイクの旅に出る。
「北海道から沖縄までくまなく行って見て、辺鄙(へんぴ)と言われるところも行って見て、よし、少しは自分なりに日本のことを語れるようになったぞ!という状態で再び、世界1周の旅に出ました」
結局30ケ国以上を訪れ、さてそろそろ旅も終盤という頃、またしても今まで培った縁によって、仕事のオファーが舞い込む。それが、「英語が話せて、フットワークの軽い人材を探しているけど、うちで働いてみないか」という、岩内町にあるIWANAI RESORTの外国人社長からの誘いだった。
「その時は、旅をしながらWEBでの情報発信で収入を得ていたので、世界中、気に入ったところなら住む場所にこだわりはありませんでした」
帰国後、とりあえずという気持ちで岩内の地を訪れてみたのだが、これがその後の人生を決める出合いとなる。
岩内の魅力は数あれど、まず最初に目黒さんをとりこにしたのが、IWANAI RESORTのスキー場から見た息をのむようなオーシャンビューだった。まるで真っ青な日本海に飛び込むかのように極上のパウダースノーを滑り降りる感覚は、世界のどこでも得られなかった感動だったそう。
「見た瞬間、ここだ、ここにあったんだ!と思いました」
今までお世話になった人への恩返しも込めて、岩内の魅力を発信する会社を設立
こうして岩内の地に移住し、IWANAI RESORTで働き始めた目黒さん。豊かな自然や食だけでなく、次第にそこに住む人たちの気質にも魅了されていった。
「岩内の人は良い意味で思い切りが良く、人のために動ける人が多い気がします。その飾らないまっすぐな優しさが大好きです。だからおもてなしやおすそ分け文化もすごくて、メロンや魚がどんどん家に届いて、魚なんかずっと買ったことないんですよ(笑)」
そんな岩内の人たちへの恩返しと、かつて勤めた広告代理店の社長に誓った“次の世代への恩返し”という目的のため、独立していよいよ立ち上げたのが、「IWANAI UNITED」。
岩宇(岩内町・泊村・共和町・神恵内村の2町2村を含む地域の総称)地域を訪れる主に外国人へのサポートや、地域のオリジナルコンテンツを活かした唯一無二の旅を提供する旅行エージェントだ。
IWANAI RESORT時代、今まで当たり前にあった雪山が、マーケティングの仕方によって、高級リゾートへと変貌していくのを目の当たりにしていた目黒さん、岩内の可能性を誰よりも感じていたのだった。
「当たり前にあることをいかに違う視点で見られるか、が大事だと思うんです。つまり価値に気づけるかですね」
提供するのは「ここでしかできない体験」
目黒さんの提供するツアーというのは、こうだ。
例えば、漁師さんのお宅を訪ねて、そこのお母さんと一緒に鮭をさばくという体験。お母さんの手際の良さや、イクラの輝きに歓声があがり、一緒にご飯を食べてお母さんと別れるときにはもれなくお客さんの表情が輝いているという。これはもちろん、鮭をさばくという珍しい体験にも価値があるが、それ以上に、訪れる人を心からもてなすお母さんとの交流に価値が生まれているのだ。
またあるときは、町内にある帰厚院というお寺を訪ねてそこの住職と交流をする。目黒さんから一方的に寺の由来や由緒を説明するのではなく、住職から普段檀家さんに接するように話をしてもらうことで、より印象深い体験となる。寺自体も古い歴史があり、東京以北では最大の木造大仏があるなど、見るだけでも価値があるが、住職のユニークで温かい人柄が、さらに出合いという価値を生む。
さらには、会津のお侍さんが始めた上田酒店という現役の酒屋さんを訪ね、代々伝わる貴重な家宝をお話とともに披露して頂く、といったツアーもまた大人気だ。これも目黒さんが説明するのではなく、お侍さんの子孫である家主の方に語って頂くことで、より深く歴史を感じるという価値が生まれている。
つまり、提供するのはいわゆる「見所」や「景勝地」ではなく、目黒さんの見いだした「ここでしかできない体験」なのだ。
「今まで数十ケ国を訪ねましたが、思い出すのは何を見たかよりも、どんな人と出会ったか、ということです。もう一度行きたいと思うのは、世界遺産や遺跡がある場所ではなく、会いたい人がいる場所なんです」
しかも、岩宇地域にはプロとして意識の高い人がとても多くて“本物”を見せるのに事欠かないのだとか。
外への発信と同時に、子どもたちに自分の住む地域の魅力に気づいてもらいたい
そんな本物に出会えるディープな体験ツアーは、確かにゲストには満足度が高いに違いない。しかし、そうした体験型ツアーを提供する理由がもう一つある。
「ゲストに岩宇の良さを知ってもらうのはもちろんですが、これを体験した受入側の地元の人たちが、改めてこの地域の素晴らしさに気づいてくれるといいなと思っています。特に子ども達!」
実は岩内に来た当初、自分たちの住む地域を「岩内なんて。。何も無い」と思っている子が多いことにショックを受けたそう。実際、90人の生徒がいたら地元に残りたい子は数人しかいないという状況だったのだ。
決めたら即行動の目黒さん、子ども達に伝えるための活動として高校から職業体験の受入をする機会に恵まれると、早速「旅行業」の体験で来た高校生を地域を回るツアーに連れ出した。
「岩内には何も無いと言っていた子が、帰ってくると『こんな素敵なところがあるなんて知らなかった!!』と言ってくれたんです」
“この町に自分ができること”をどんどん実践する目黒さん。今後の目標を「ここの子ども達が、一度外に出ても、戻ってきたとき受け皿をつくれるような大人でありたい」という。
「これから近隣のニセコではさらに開発がすすみ飽和状態になると、岩内を含めた周辺地区にも単なる観光ではなく、移住などのニーズも出てくるはずです。そしてその先には、様々な法的な手続きを請け負うことのできる人や事業者が必要となります。そんなニーズも見据えて、今の旅行業とは別に準備を進めています。自分がそういったことも網羅できるようになれば、それだけ雇用を生み出すこともできると思うので」
そのビジョンの足がかりとして、今のガイド業は外から来た自分ではなく、この地で生まれ育った子どもたちにやってほしいとのこと。そんな子ども達が育っていけば、この地域にまた新たな、価値あるコンテンツが生まれることだろう。
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筆者:くらしごと編集部 佐々木 都
公開日:






