建築の歴史的・芸術的価値を継承するために図面や模型を収集する機関

東京・池之端の「旧岩崎邸庭園」隣に5年前に開館した「国立近現代建築資料館」という施設をご存じだろうか。少々お堅い名前だが、毎年春と秋に開催される企画展は入場無料で、コンパクトながらも情報の詰まったカラー図録が無償でもらえるという、建築に興味がある人におすすめの施設だ。

建築は、それがどんなに文化的・芸術的価値を持っていようとも、実物をまるごと美術館や博物館に展示したり収蔵したりはできない。なおかつ、耐震性が低いなどの物理的な理由や、持ち主が維持できないなどの経済的な理由で、改変されたり取り壊されたりもする。そこで、建築物そのものに代わって、その学術的、歴史的、芸術的価値を継承していくために、なくてはならないのが図面や模型などの「建築資料」だ。

「国立近現代建築資料館」は、こうした資料の劣化や散逸、海外への流出を防ぐための機関として、2013年に設立された。手描きの図面が作成された時代の資料を中心に、調査・収集・研究を行っている。年に2回の企画展は、その普及活動の一環だ。

2018年10月23日から2019年2月11日までは、開館5周年記念展を開催中(12月29日〜1月3日は休館)。「明治期における官立高等教育施設の群像」という、これまたお堅いタイトルだが、学校という、誰にとっても馴染みのある建築物の変遷を、全国から集めた多彩な資料で見せてくれる。当時の図面や写真を中心に、工事費の見積書や契約書といった書類も展示している。

(左上)国立近現代建築資料館外観。元研修施設をリノベーションして開館した(右上)資料館ロビー。隣接の旧岩崎邸を臨むピクチャーウィンドウがある(左下)資料館ロビー。正面奥が展示室入り口(右下)国立近現代建築資料館の勝原基貴さん。解説しているのは展示冒頭に掲示されている明治16〜17(1883〜1884)年頃の東京の地図だ(左上)国立近現代建築資料館外観。元研修施設をリノベーションして開館した(右上)資料館ロビー。隣接の旧岩崎邸を臨むピクチャーウィンドウがある(左下)資料館ロビー。正面奥が展示室入り口(右下)国立近現代建築資料館の勝原基貴さん。解説しているのは展示冒頭に掲示されている明治16〜17(1883〜1884)年頃の東京の地図だ

開国間もない明治の初め、相次いで設立された専門性の高い高等教育機関

展示は、明治初期から大正初期まで、学校制度の変遷に沿ってほぼ時系列になっている。最初に飾られているのは、東京大学の源流となった「東京第一大学区開成学校」の開業式を描いた錦絵だ。画面には明治天皇の馬車も登場する。

明治の初め、長年の鎖国を解いて間もない日本が、欧米列強の脅威に立ち向かうため、人材育成を急いだことは想像に難くない。明治2(1869)年には旧幕府の昌平坂学問所、蕃書調所、種痘所をそれぞれ「大学校」に発展させ、明治5(1872)年には日本で最初の近代的学校教育制度である「学制」が公布された。

同館主任建築資料調査官の川向正人氏によれば、初めに誕生した高等教育機関は、いわゆる「大学(University)」ではなく、単科で専門性の高い「専門学校(College)」だ。文部省が「開成学校」と「東京医学校」を、司法省が「法学校」を、工部省が「工部大学校」を、といった具合に、行政機関がそれぞれ必要とする官吏を養成する目的で設立している。

下のセピア色の写真は開校間もない明治8(1875)年の「東京開成学校」の正門と本館。皇紀で「2535年第8月」と記されている。

東京開成学校正面/東京大学駒場博物館蔵東京開成学校正面/東京大学駒場博物館蔵

コンドル博士が描く東京大学キャンパス案には五重塔とゴシック風大学が同居

明治10(1877)年になると、早くも日本最初の大学である東京大学が発足する。前出の東京開成学校と東京医学校の合併によるもので、その後、法学校、工部大学校が吸収され、帝国大学に発展していく。

“日本近代建築の父”と呼ばれ、工部大学校教授を務めたジョサイア・コンドルの遺作集(1932年)には、「東京大学建物配置案」(下図)が収められている。

右上に上野の山と思しき森と寛永寺(?)の五重塔が描かれ、遠景には明治23(1890)年に建てられ関東大震災で崩壊した、浅草凌雲閣(浅草十二階)のような塔も見える。しかし、田園風景の中に威容を見せる大学は、そこだけまるでハリー・ポッターの世界。イギリス人によるゴシック様式の学校建築であることが共通している。

ジョサイア・コンドルによる東京大学建物配置案/コンドル博士記念表彰会編『コンドル博士遺作集』(国立近現代建築資料館蔵)ジョサイア・コンドルによる東京大学建物配置案/コンドル博士記念表彰会編『コンドル博士遺作集』(国立近現代建築資料館蔵)

国立大学の源流「ナンバースクール」。和紙に着彩の立面図は絵画さながら

明治19(1886)年には、大学・専門学校に進むための予備教育課程として「高等中学校」が設置される。全国を5つの学区に分け、第一高等学校を東京に、第二が仙台、第三が京都、第四が金沢、第五が熊本に置かれた。

この5校と同時に、山口と鹿児島にもそれぞれ高等中学校が置かれたのは、明治の元勲の多くが薩長出身だったためだろうか。明治の頃、学校設立は各地の悲願だったようで、自治体や地域の財界人が誘致に奔走した様子が、展示のはしばしから伝わってきた。

「高等中学校」は明治27(1894)年に「高等学校」に改められ、明治の末までに第六・岡山、第七・鹿児島、第八・名古屋が揃った。これらを通称して「ナンバースクール」という。その後に設立された高等学校は自治体名が使われているので「ネームスクール」だ。

ナンバースクールはそれぞれ現在の東京大学、東北大学、京都大学、金沢大学、熊本大学、岡山大学、鹿児島大学、名古屋大学につながる。ほか、文部省直轄の専門学校にルーツを持つ国立大学も多い。会場には、これら官立高等教育機関の変遷を学校ごとに示した詳しい年表が展示されている。


和紙に墨で線を引き、彩色を施した明治時代の図面は、設計図としてだけでなく、建物が完成した後に財産目録や管理台帳として描かれたものも多い。レンガや石、ガラスなどの質感も表現されていたりして、絵画のように眺められる。

(上)明治20年代に描かれた第一高等中学校本館の立面図/東京大学駒場博物館蔵 (下)商船学校立面図 明治33(1900)年/個人蔵。明治8(1875)年に創設された三菱商船学校をルーツとする商船学校の系譜は現在の東京海洋大学に連なる(上)明治20年代に描かれた第一高等中学校本館の立面図/東京大学駒場博物館蔵 (下)商船学校立面図 明治33(1900)年/個人蔵。明治8(1875)年に創設された三菱商船学校をルーツとする商船学校の系譜は現在の東京海洋大学に連なる

明治時代の建築学生の講義ノートも。臨場感ある教育材料の展示

展示の最後には、当時の教育の様子をしのばせる教材や学生の作品、課題を集めたコーナーもある。当時の学生が取った講義ノート(“関西建築界の父”と呼ばれ、京都工芸繊維大学の前身などで教鞭を執った武田五一の講義)など、思わず学生の気持ちになって見入ってしまった。東京国立博物館本館や銀座和光の建築家、渡辺仁が学生時代に描いた課題も見ものだ。

「国立近現代建築資料館」へは、湯島天神の向かいにある「湯島地方合同庁舎」の正門を抜けて行く。土日・祝日は閉門しているので、隣の「旧岩崎邸庭園」を見学してから行こう。ただし、「旧岩崎邸庭園」を経由する場合は庭園観覧料400円が必要になる。

国立近現代建築資料館HP http://nama.bunka.go.jp/

(上)建築教育に関する展示。家具は武田五一のデザインと伝えられるもの(下)展示全景。中央テーブルには棟札や階段装飾などの建築部材が展示されている(写真提供:国立近現代建築資料館)(上)建築教育に関する展示。家具は武田五一のデザインと伝えられるもの(下)展示全景。中央テーブルには棟札や階段装飾などの建築部材が展示されている(写真提供:国立近現代建築資料館)

2019年 01月11日 11時05分