近代化に突き進んだ、激動の明治時代にできた魅力ある建物たち

愛知県犬山市にある「博物館 明治村」。その名の通り、明治時代の建築をメインに、大正時代や昭和初期までの名建築が移築・保存されている野外博物館だ。およそ100万m2という広大な敷地に、国の重要文化財に指定された10件を含む、60以上の建造物を保存・展示している。例えば、アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトにより設計され、大正12年に完成した帝国ホテル中央玄関は、明治村の中でも人気の高い建物のひとつだ。ドラマや映画などのロケでも多く使われ、明治時代へとタイムトリップできる風情が漂う。

明治時代は鎖国がとかれ、世界の文化が日本へ急速に流れ込んだ。建築をはじめ、文化、生活様式など、あらゆる面で近代化の基盤となった重要な時代だ。

現在は全国各地で古い建物を保存する取り組みが行われているが、1965(昭和40)年にオープンした明治村は、建物のテーマパーク的な存在としては先駆け。今回は、明治村学芸員の中井彩子さんと広報の反端一也さんに、博物館としての取り組みから、近代建築の歴史まで取材。そして、実際に同村を歩いて見学したなかから、さまざまな名建築をご紹介していきたい。

帝国ホテル中央玄関。車寄せ、ラウンジ、ロビーが保存されている。幾何学模様の彫刻が施された大谷石(おおやいし)や、テラコッタなどの装飾が美しい。フランク・ロイド・ライトによるこの設計は、世界的にも貴重といわれている帝国ホテル中央玄関。車寄せ、ラウンジ、ロビーが保存されている。幾何学模様の彫刻が施された大谷石(おおやいし)や、テラコッタなどの装飾が美しい。フランク・ロイド・ライトによるこの設計は、世界的にも貴重といわれている

2人の男性の熱き思いから始まった、明治村の成り立ち

明治村の創設には、2人の男性の熱い思いがあった。「建築家の谷口吉郎と、当時、名古屋鉄道の副社長だった土川元夫の2人が創立者です。2人は旧制第四高等学校という、現在の金沢大学の同窓生でして、取り壊しの運命にあった近代建築をなんとか救いたいという谷口の思いに土川が応えたことから始まりました」と中井さん。

谷口氏が近代建築を残したいと思ったのは、明治政府が建てた社交場・鹿鳴館がきっかけだという。毎日通っていたところから見えていた鹿鳴館が、ある日取り壊されてなくなってしまった。明治時代を代表する建物がそんなことになるとは……と、当時の新聞に保存を訴える寄稿もしたそうだ。「関東大震災や戦争などの被災を免れた建物も、その後、昭和30年代の高度経済成長期に都市開発が進んで、また建物が壊されていった。なんとか明治時代の建物を残せないかと痛切に思ったのです」。

2人の尽力により、1965(昭和40)年3月18日に開村を迎えた。犬山市郊外の場所を選んだのは、市街地が見えにくく、訪れた人が明治時代に立ち返れることが大きかった。建物を配置していくうえで、坂道を加えたり、階段を作ったり、雰囲気を出すための調整も行った。「例えば、重要文化財である西郷從道(つぐみち)邸はもともと東京でも西郷山と呼ばれる小高いところにあったので、明治村でも高めのところに配置するなど、景観を考えたりもしています」。

山あいに位置するだけあり、自然が豊か。建物と共に、花や植物が村内を彩り、四季折々の景観を楽しむことができるのも人気だ。

学芸員の中井さん(左)と反端さん(右)。</BR>中井さんは村内の建物の中で行う催事などの企画を担当、反端さんは主に広報を担当している学芸員の中井さん(左)と反端さん(右)。
中井さんは村内の建物の中で行う催事などの企画を担当、反端さんは主に広報を担当している

建造物の移築と保存、修復について

「明治村の創設にあたって、専門家を集めて建築委員会というものを開きました。そこで、現状の日本の建物はどういう状態かを調べたのです。ただ、こちらからこの建物をくださいとお願いしたわけではなく、取り壊しが決まっていたもので、残すべき価値がある建物と聞くと駆けつけて、限られた時間内で調査を行い、受け入れるか否かの判断を行ってきました」。

移築する際は、ひとつひとつていねいに解体をし、部材には番号をつけて運び、建てなおした。その際、一部分だけ腐ってしまった柱などはその部分だけ継ぎ足して補うなどしながら行ったという。だがやはり、古い建物ゆえに、その後も随時修理はかかせない。

「小規模な修理は見つかり次第ですが、大規模な工事は年に数件行っています。明治村には学芸員のほかに、建築の歴史なども勉強した建築担当のものがいて、その人たちが中心となって修理を行っています。現在、修理中のブラジル移民住宅は、ブラジルで昔とれていた木材でできているのですが、今の日本ではもちろん、現地でももう手に入れられない貴重なものだそうです。なので、質的に一番近いものを探して、付け足す時には、ほかと違いが出すぎないようにひと手間加えて使用しています。私も現場を見せてもらって、こんなに大変なのかと思いました」。

ここ明治村では、国内以外に、ブラジル、アメリカの建造物も計3件ある。そこを含めて、多くの建造物を保存していくには労力がかなりかかるが、貴重な文化遺産を後世に伝える信念のもと、日々取り組みが行われているのだ。

明治村への移築第1号となった札幌電話交換局。1898(明治31)年の建物で、重要文化財となっている。<br>高価な交換機を火災から守るために石材で建てられた明治村への移築第1号となった札幌電話交換局。1898(明治31)年の建物で、重要文化財となっている。
高価な交換機を火災から守るために石材で建てられた

明治時代の蒸気機関車が現役で走る

明治村では、建造物だけでなく、鉄道が動態保存されているのも見どころだ。日本で正式に鉄道が開業してから2年後の1874(明治7)年にイギリスから輸入された蒸気機関車12号、1912(明治45)年にアメリカで製造された蒸気機関車9号は、村内に設置された“なごや駅”と“とうきゃう駅”の間を毎日客を乗せて走行している。もう一つ、1895(明治28)年に日本で初めて市内電車として開業した京都市電も走っている。

こちらも建造物と同じように、技術者が減少していることからメンテナンスは年々難しくなってきている。蒸気機関車、京都市電ともに、一時期運行を中止していたほどだ。だが、ファンからの要望が高く、安全に乗車できるように整備し、再開をした。

汽笛が聞こえ、蒸気をあげて走る様を見ると、子供も大人もワクワクする。明治のものが現役で動いていることは、雰囲気を盛り上げる抜群の要素だ。

(左上)駅に到着する蒸気機関車。人力で行う転車作業(向きを変える)も見どころ(右上)蒸気機関車のきっぷ。硬券で懐かしい雰囲気だ(左下)木々の間を走る京都市電(右下)村内の移動には、レトロな雰囲気の村営バスも利用できる(左上)駅に到着する蒸気機関車。人力で行う転車作業(向きを変える)も見どころ(右上)蒸気機関車のきっぷ。硬券で懐かしい雰囲気だ(左下)木々の間を走る京都市電(右下)村内の移動には、レトロな雰囲気の村営バスも利用できる

建物だけでなく、文化を見せる展示で満足度アップへ

神戸にあった大井牛肉店。ここでは、文明開化の象徴ともいえる「牛鍋(すき焼き)」を食べることができる(写真の料理は展示してある見本)神戸にあった大井牛肉店。ここでは、文明開化の象徴ともいえる「牛鍋(すき焼き)」を食べることができる(写真の料理は展示してある見本)

「入村者数は、平成4年度まで年間100万人台を維持しておりましたが、その後の長期にわたる不況やレジャーの多様化などが大きく影響し、入村人員は減少して、年間40万人を割り込む年がありました」と反端さん。現在は年間50万人台ほどというが、どのように回復したのだろうか。

「最初は、建物の中は見ることができなかったんです。次第に明治という時代も遠くなり、お客様が少なくなったこともあって、明治時代の生活をもっと伝えていかなければならないのではということで、生活道具などの資料を建物の中で再現しました」と中井さんは語る。

明治村では、家具や文書などの資料も膨大に保管している。実際にその建物で使われたものというわけではないが、資料を組み合わせて当時の雰囲気を再現し、展示している。明治時代の座り心地を、ということで修復したゴージャスなイスに実際に座ることができたりもするのだ。また飲食店では、小説などにあったレシピをアレンジした料理を食べることができる。

開村時には15件で、敷地面積も今の半分ほどだったという。それが今では、南北に約1100m、東西に約620mあり、正門から帝国ホテル玄関のある北口のほうまで、ただ歩くのみでおよそ20分。建物を見ていくと、目安として3時間以上は必要になるだろう。明治期の建物に囲まれながら、暮らしも垣間見ることができる。そうして飽きることなく楽しめるのが魅力となっている。

次回は近代建築について、より詳しくお届けする。

取材協力:博物館 明治村 http://www.meijimura.com/

2016年 07月25日 11時07分