「昭和23年以前建築で今も現役」の門柱が愛知県立高校13校に

旧愛知県碧南国民学校の正門門柱は、現在、愛知県立碧南高校の正門門柱に(1929年造)旧愛知県碧南国民学校の正門門柱は、現在、愛知県立碧南高校の正門門柱に(1929年造)

「母校に古い正門があります」
「古い門柱にも価値があるのではないでしょうか」
愛知県立高校のOB・OGや地域の人々からそんな声が愛知県教育委員会に届いたのがきっかけだった。同委員会生涯学習課文化財保護室が2015年9月、県下54校の県立高校にアンケート調査を行ったところ、「昭和23年以前に開校し、今も“現役”で使われている」門柱は13校あると判明した。そのほかの門柱は新しく取り替えられたか、歴史のモニュメントとして敷地内にはあるものの現役の門柱として機能していなかった。

有形文化財(建造物)への登録に向けて、具体的な調整や調査が始まった。2016年6月から県は13校の校長と協議を重ねた。いったん登録有形文化財になれば、その後の改修や補修の際には一定の制限がかかるからだ。全ての校長は、古い門柱を「使用しながら保存する」道を選んだ。
7月、8月の2ヶ月にわたり、名古屋大学の西澤泰彦教授研究室が全面協力して調査。写真や設計図を整え、文化庁に正式に申請した。2017年6月、愛知県立の旭丘高校、瑞陵高校、惟信高校、岡崎高校、岩津高校、半田商業高校、津島高校、碧南高校、刈谷高校、安城農林高校、鶴城丘高校、西尾高校、小牧高校の13校の門柱が、正式に文化財登録をされた。

門柱には戦争や災害など地域の歴史が刻まれている

竣工後に、校舎は建て替えられたり、耐震補強されたり、改修されていることが多い。門柱はどうかというと、昔は正門だったが今は通用門になっているとか、柱と柱の間の幅を広くしたなど、事情は高校によって異なるものの、13校の門柱はほぼ建設当時の形で使用されている。元々は、それぞれ前身の旧制中学や国民学校の時代に正門として使われていた。
最も昔に作られた門柱は安城農林高校で、1903(明治36)年造というから、およそ114年の歴史を経てきた。建設当時の門柱の設計図面が残っていたのは、津島高校のみ。他の高校では図面が残っていなかったので、竣工時に撮影された写真や卒業アルバム、記念誌などを調査した。

門柱はなぜ開校当時の姿で残り続けたのだろうか。建築物に比べ、単純な形の門柱(工作物)は壊れにくく、風雨に対しても頑丈だ。それでも、これらの県立高校の門柱の歴史には、大きな試練が2つあった。
まず「第二次世界大戦」だ。愛知県下でも、空襲によって被害を受けた学校は多く、戦争中の金属類回収令によって門柱についていた鉄製の門扉が供出された。門扉が引き抜かれた跡、戦後もう一度そこへ門扉を付けられた跡、前とは別の場所へ穴をあけて門扉を付けられた跡などが残っている。門柱には、そんな過酷な戦争の歴史が刻まれていた。

次の試練は、1959(昭和34)年の「伊勢湾台風」だ。当時、第二次世界大戦後としては最大の被害をもたらした台風で、伊勢湾に高潮を引き起こし、名古屋港で3.45mという観測史上、最高水位の気象潮を観測した。伊勢湾沿岸の愛知・三重両県の死者・行方不明者は4,500人を超え、特に名古屋市南部は大きな被害を受けた。
この台風によって被害を受けた校舎を修理するために、門柱と門柱の間を広げないと工事車両が通れなかった。だから門柱の幅や位置が変わったのだ。被害の大きかった市内南部にある惟信高校(名古屋市港区)は、伊勢湾台風で門柱の資料が流出し、残っていなかったが、卒業生の元にあったアルバムや写真で、竣工当時の門柱だと判断できた。門柱はまさに、愛知県に起きた歴史の上に立っているのだ。

門柱には、竣工当時の建築様式や地域性が現れている

設計者が不明な門柱もあったが、瑞陵、惟信、津島、刈谷、鶴城丘、小牧、西尾の7校の門柱は、愛知県営繕課で設計した。各校の門柱は、柱礎、柱身、柱頭から構成される3層構造で、セセッション式(*)の装飾が柱頭についている。主門柱と脇門柱の高さが異なると、柱礎、柱身、柱頭の3つの部分の寸法も異なる。横目地を何本入れるかによって、分割される段数が異なる。これらの門柱は、少しずつ意匠が違うが、ほぼ同じ形状をしている。
西尾高校の通用門と、小牧高校の正門には、柱頭部にアカンサスの葉を用いた装飾が付されている。これは、古代ギリシャ・ローマの建築物の柱頭部装飾や陶画に多用されたデザインだ。

岡崎高校(岡崎市)、碧南高校(碧南市)、岩津高校(岡崎市)の門柱は石造で、これら3校は地域が近いことから石の削り方などが似ている。門柱にも、地域性のような特徴があるのだ。
特に、岡崎高校の門柱は和洋折衷の意匠で、日本の石工が用いる「荒のみ切り」と呼ばれる伝統的な仕上げ手法で処理されている。近隣には寺が多く、地元の石工が門柱をつくったらしく、石工の名前が門柱に彫られている。
岩津高校の柱頭部には厚さ18cmの笠石が乗り、その上に直径54cmの半球が乗っている。碧南高校の門柱にも、竣工時の資料を見ると、笠石とその上に照明器具が乗っていて、岩津高校とよく似ていることがわかる。
珍しいところでは、半田商業高校の赤レンガの門柱だ。コンクリート造で、表面に小口煉瓦タイルを張り、花崗岩を帯状に三ヶ所組み合わせ、柱頭部の花崗岩飾り石とその上に、球形の照明が乗っている。地域では「赤門」の名で親しまれている。

*セセッション式:古典建築の様式を簡略化したダイナミックなデザインが特徴。幾何学的意匠、渦を巻く植物模様等が見られる様式。

赤い小口煉瓦タイルが張られた愛知県立半田商業高校の正門門柱(1921年造)は、「赤門」の名で地域に親しまれている。元々は旧愛知県知多郡立高等女学校正門赤い小口煉瓦タイルが張られた愛知県立半田商業高校の正門門柱(1921年造)は、「赤門」の名で地域に親しまれている。元々は旧愛知県知多郡立高等女学校正門

竣工時の写真や卒業アルバム、記念誌などから建設時の姿を類推

いくつか代表的な門柱を紹介しよう。
まず、名古屋市東区にある旭丘高校の正門門柱だ。主門柱2本と脇門柱1本から構成される鉄筋コンクリート造。設計者は不明で、元々、同校の前身である旧愛知県立第一中学校の正門として使われ、1938(昭和13)年、現在地への校舎移転にともなって建設された。
主門柱の高さは2m40cm。門柱の平面形状はほぼ正方形で、四隅を切り欠いた形態だ。主門柱、脇門柱とも、台座に柱身部が乗っている。横目地を4本入れ、5分割している意匠だ。
竣工時の写真を見ると、主門柱2本、脇門柱2本の4本から成っている。1959(昭和34)年の増築工事にあわせて正門の拡幅工事が行なわれ、中央部分の開口を広げ、今の形になった。竣工時の写真では、正面右手の門柱の上に照明が取り付けられていたが、1959の改修で撤去された。2001(平成13)年の改修で、柱身部と台座の表面に塗料が吹き付けられた。

次に、名古屋市瑞穂区にある瑞陵高校の旧正門門柱だ。これは、旧愛知県商業学校の正門として1924(大正13)年に建設された。1948(昭和23)年、愛知商業、熱田高校、名南高校、貿易商業高校の4校が統合して県立瑞陵高校となり、その正門として使われた。1977(昭和52)年に現在の正門が完成すると、この門は通用門として使われるようになった。
主門柱2本、脇門柱2本から成り、主門柱の間に広い開口(中央口)を設け、両側に狭い開口(通用口)を設けている。1931(昭和6)年の卒業アルバムに掲載された写真から、門柱の位置と規模は、竣工時の状態を維持しているとわかった。
門柱の平面形状は、正方形に近い長方形で、四隅に切り欠きはない。柱礎、柱身、柱頭の3部分から成り、主門柱の高さは3m45cm、脇門柱は3m14cm。柱身部の外観は、横目地を入れて8段に分かれ、さらに縦目地を入れて「石造」表現を行なっている。柱頭部にセセッション式の装飾、すなわち凹凸をつけた抽象表現の装飾をしている。愛知県営繕課による標準設計の一例だ。

愛知県立旭丘高校の門柱(上2枚)は1938年造。1959年、2001年の改修で、門の拡幅や照明の撤去が行なわれた。愛知県立瑞陵高校の旧正門(下2枚)は1924年造。今は通用門として使われている。1931年の卒業アルバムで竣工当時の形状が確認できた愛知県立旭丘高校の門柱(上2枚)は1938年造。1959年、2001年の改修で、門の拡幅や照明の撤去が行なわれた。愛知県立瑞陵高校の旧正門(下2枚)は1924年造。今は通用門として使われている。1931年の卒業アルバムで竣工当時の形状が確認できた

青春時代の思い出とともに、門柱の記憶を共有している家族も

碧南高校の門柱は、1929(昭和4)年、旧愛知県碧南国民学校の正門として作られた。現在の正門は、主門柱の位置を動かして、門の有効開口を広げたもの。移動する過程で、門柱の柱頭を撤去し、柱身だけを活用したと見られる。主門柱はそのまま正門として使われたが、脇門柱は撤去された。東側の門柱は、碧南国民学校の正門に使われていた脇門柱を移設し、上下を反対にして再利用したのではないかと推測される。

こうして見比べると、学校の門柱とは実に不思議な存在ではないだろうか。普段、門柱単体で思い出すことはほぼない。が、母校を訪れ、正門をくぐった瞬間に、そこへ通っていた青春時代の思い出とともに門柱の姿がよみがえる。
親や祖父母の時代から2世代、3世代で同じ学校に通っている家庭にとっては、親と子が同じ風景を共有し、毎日、門を出入りし、入学式や卒業式の際には記念撮影をする。卒業アルバムや周年事業の記念誌には、校舎だけでなく、たいてい門柱は写っている。
人々の記憶の中に門柱は残り、アルバムや記念誌という形で、ありし日の姿を確認できる。だから今回の調査にも、門柱の歴史を調べることができた。
門柱の有形文化財登録に大喜びをした学校や地域、在校生、卒業生たち。これからも学校や地域の顔として、門柱は生き続ける。

★登録有形文化財になった愛知県立高校の門柱
旭丘高校正門門柱(旧愛知県立第一中学校正門、名古屋市東区)
瑞陵高校旧正門門柱(旧愛知県商業学校正門,名古屋市瑞穂区)
惟信高校正門門柱(旧愛知県惟信中学校正門,名古屋市港区)
岡崎高校正門旧門柱(旧愛知県立第二中学校正門、岡崎市)
岩津高校正門旧門柱(旧岩津町立愛知県岩津農商学校正門、岡崎市)
半田商業学校正門門柱(旧愛知県知多郡立高等女学校正門、半田市)
津島高校正門門柱(旧愛知県津島中学校正門、津島市)
碧南高校正門門柱(旧愛知県碧南国民学校正門、碧南市)
刈谷高校正門門柱(旧愛知県刈谷中学校正門、刈谷市)
安城農林高校正門門柱(旧愛知県立農林学校正門、安城市)
鶴城丘高校正門門柱(旧愛知県蚕糸学校正門、西尾市)
西尾高校通用門門柱(旧愛知県西尾中学校正門、西尾市)
小牧高校正門門柱(旧愛知県小牧中学校正門、小牧市)

門柱の登録有形文化財の登録を知らせる愛知県のHP
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/syogaigakushu-bunkazai/tourokubunnkazaikenzoubutsu.html

愛知県立碧南高校の正門門柱は1929年造。元は旧愛知県碧南国民学校の正門で、東側の門柱(写真左)は、上下を反対にして活用されているのではないかと推測されている愛知県立碧南高校の正門門柱は1929年造。元は旧愛知県碧南国民学校の正門で、東側の門柱(写真左)は、上下を反対にして活用されているのではないかと推測されている

2017年 07月30日 11時00分