文字より古い地図の歴史。地図には時代の世界観が表れる

上:ゼンリンミュージアムのエントランスで、館長の佐藤渉さん。館名の上に描かれたシンボルマークは、地図を描いて丸めた羊皮紙と、方角を指し示す星と月がモチーフ。未知の土地を求めて航海する、船のイメージも重ねられている </br>下:ゼンリンミュージアムのあるリバーウォーク北九州(写真右手)。建物の設計は、六本木ヒルズなども手掛けたアメリカの建築家ジョン・ジャーディ。写真左手には小倉城天守閣が見える上:ゼンリンミュージアムのエントランスで、館長の佐藤渉さん。館名の上に描かれたシンボルマークは、地図を描いて丸めた羊皮紙と、方角を指し示す星と月がモチーフ。未知の土地を求めて航海する、船のイメージも重ねられている 
下:ゼンリンミュージアムのあるリバーウォーク北九州(写真右手)。建物の設計は、六本木ヒルズなども手掛けたアメリカの建築家ジョン・ジャーディ。写真左手には小倉城天守閣が見える

2020年6月6日、北九州・小倉に、地図専門の博物館「ゼンリンミュージアム」がオープンした。コンセプトは「歴史を映し出す地図の紹介」。館長の佐藤渉さんは「地図には、それぞれの時代の人々が、世界をどのように捉え、そこに何を求めていたかが反映されています」と語る。地図の変遷をたどれば、人類の歴史が見えてくる。

人類は、文字より先に地図をつくったといわれる。「最初はおそらく、ここに行けば水があるとか、美味しい実がなっている、といったことを伝えるためのコミュニケーションツールだったのでしょう」と佐藤館長。

現存最古の世界地図は、紀元前700年頃にバビロニア(現在のイラク)でつくられた。粘土板に刻まれた図には、海に浮かぶ円盤状の陸地が描かれている。

科学が発達した古代ギリシアでは、早くも地球球体説が提唱された。しかし、キリスト教の普及とともに地図は具体性を失い、世界は平坦な円形に逆戻りしてしまう。

ゼンリンミュージアムの展示は、地図の誕生から大航海時代の15世紀までをイントロダクションとして、その後、世界地図に登場する日本、日本における地図の発展をたどる構成になっている。以下、展示のダイジェストを紹介しよう。残念ながら記述した地図のすべてをここで紹介することはできないが、ご興味あればぜひ現地を訪ねて確認してほしい。

常設展示は3章立て。第一章には16〜19世紀の美しい古地図が並ぶ

第一章「世界の中の日本」は、イタリアの地図製作者ベネディット・ボルドーネが世界で初めて日本を単独で描いた図で始まる。ヨーロッパ人が日本に到達する前の、空想で描かれた「日本図」(1528年、下の写真)だ。それから15年後にポルトガル人が種子島に漂着し(鉄砲伝来)、以後、キリスト教の布教や南蛮貿易を通じて、日本の姿が少しずつ西洋に知られていく様子が、地図の変化に表れている。

実際に日本を訪れて精度の高い日本地図を作成したのは、ポルトガル人のイグナシオ・モレイラだ。天正遣欧使節4少年の帰国に伴って来日し、豊臣秀吉にも謁見したという。モレイラの原図(未発見)をもとに版画家クリストフォロス・ブランクスが作成した印刷図(1617年、下の写真)は、世界で1点しか見つかっていない貴重なものだ。

キリスト教弾圧が始まり、鎖国時代に入ってからは、西洋に日本の情報が伝わらなくなり、世界地図の中の日本も次第に正確さを失っていく。一方、国内では江戸幕府が全国掌握のために地図を製作し、また浮世絵師・石川流宣による絵画的な道中地図「日本海山潮陸図」(1691年)もつくられた。

鎖国時代の地図では、長崎の出島に2年間滞在したドイツ人エンゲルベルト・ケンペルにまつわる展示が充実している。ケンペルの死後、彼がまとめた資料をスイス人医師ヨハン・カスパー・ショイヒツァーが編集して出版した『日本誌』(1727年)や「江戸図」(1729年)、「大阪図」(1750年頃)など各地の地図は精緻な銅版で、当時の西洋人の目で見た日本の様子が伝わってくる。

江戸期に日本人がつくった地図では、水戸藩の学者・長久保赤水による「日本輿地路程図」、通称「赤水図」(1779年)に注目したい。赤水が遺した資料群は今年、国の重要文化財に指定された。「赤水図」は日本で初めて経緯線を入れた地図で、有名な伊能忠敬の実測図より半世紀ほど早い。赤水は測量こそしていないものの、幅広い地理情報を収集して、かなり正確な地図に仕上げている。約4200もの地名が書き込まれ、特に内陸部の情報はのちの伊能図より詳しい。

西洋社会では、17世紀後半にはオーストラリア大陸が知られるようになり、東南アジアの島々も地図に描かれたが、19世紀に入るまで空白のままだったのが、日本の北方領域だった。ロシアで初めて世界周航を成し遂げたアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンの「日本図」(1806年)でも、樺太(サハリン)は曖昧に描かれて大陸とつながっている。ちょうど同じ頃、日本では伊能忠敬が蝦夷地測量に取り組み、その後を継いだ間宮林蔵が1809年に海峡を発見、樺太が島であることを確認した。

上左:第一章の展示室風景。写真左側がケンペルにちなんだ展示</br>上右:ボルドーネ「日本図」(部分)1528年。地図中に「Ciampagu(ジパング)」の文字が見える</br>下左:ブランクス/モレイラ「日本図」1617年。当時としては精度が高く、ヨーロッパで刊行される日本図の下敷きになった</br>下右:ケンペル/ショイヒツァー「小倉・来島図」1750年頃。小倉から現在の愛媛県の来島までの航路を示した地図。左から「BUDSEN(豊前)」「NAGATTO(長門)」「SUWO(周防)」「AKI(安芸)」「BINGO(備後)」の国名が読める</br>(地図画像提供:ゼンリンミュージアム)上左:第一章の展示室風景。写真左側がケンペルにちなんだ展示
上右:ボルドーネ「日本図」(部分)1528年。地図中に「Ciampagu(ジパング)」の文字が見える
下左:ブランクス/モレイラ「日本図」1617年。当時としては精度が高く、ヨーロッパで刊行される日本図の下敷きになった
下右:ケンペル/ショイヒツァー「小倉・来島図」1750年頃。小倉から現在の愛媛県の来島までの航路を示した地図。左から「BUDSEN(豊前)」「NAGATTO(長門)」「SUWO(周防)」「AKI(安芸)」「BINGO(備後)」の国名が読める
(地図画像提供:ゼンリンミュージアム)

第二章は伊能忠敬の実測図がペリーに伝わり、開国に至る近世史

第二章「伊能図の出現と近代日本」では、伊能忠敬による日本初の実測地図の完成から、それがシーボルトによって国外に持ち出され、さらにペリーに伝わって、日本遠征から「開国」へとつながっていく、ドラマチックな地図の近世史が描かれる。

伊能図には縮尺によって「小図」「中図」「大図」の3種類があり、展示室の床面には「大日本沿海輿地全図」(中図)の実物大の複製が敷かれている。中図といってもかなり大きく、東西方向・南北方向ともに長さは9m近い。全図が完成したのは忠敬死後の1821年なので、忠敬本人は見ることができなかった地図だ。

伊能図の製作を指揮したのは幕府天文方の高橋景保で、のちにシーボルトに自らが編纂した日本図を渡したことで罪に問われ、獄死する。地図は重要な国家機密だったのだ。景保が禁を犯したのは、ひきかえに海外の情報を得るためだったと言われる。展示では、景保がつくった地図、それをもとにシーボルトがつくった地図、そしてペリーが再編集した地図(下の写真)を見ることができる。

忠敬の実測事業は、明治に至るまで日本の地図製作に貢献し続けた。明治14(1881)年の内務省地理局地誌課「大日本國全圖」も、伊能忠敬の測量図に基づいたと記されている。

上:第二章の展示室。床に伊能図「大日本沿海輿地全図」(中図、1821年)を展示。上を歩きながら細かく見ることができる</br>下:ペリー/ホークス「日本列島図」1857年。アメリカ合衆国政府が公式に刊行した「ペリー提督日本遠征記」に収録された地図。シーボルトの日本図に測量データを追加して製作されている(地図画像提供:ゼンリンミュージアム)上:第二章の展示室。床に伊能図「大日本沿海輿地全図」(中図、1821年)を展示。上を歩きながら細かく見ることができる
下:ペリー/ホークス「日本列島図」1857年。アメリカ合衆国政府が公式に刊行した「ペリー提督日本遠征記」に収録された地図。シーボルトの日本図に測量データを追加して製作されている(地図画像提供:ゼンリンミュージアム)

第三章は近代の観光案内図や鳥瞰図。コロナ後のギャラリーツアーにも期待

第三章「名所図絵・観光案内図・鳥瞰図の世界」は、地理の知識や正確性を求めて発達してきた地図史を離れ、観光案内や交通図など、地図の多様な表現を紹介する。大正のはじめには、当時まだ珍しかった写真を入れ、商店や旅館の電話番号を掲載した市街図もつくられている。江戸後期から現れ始めた鳥瞰図といった、新たな手法による絵画的な地図も展示されている。

ゼンリンミュージアムの常設展示資料は約120点、収蔵品は近現代の地図も合わせて約1万4000点に及ぶ。「将来的には、各章の拡大展示やさまざまなテーマでのイベントも検討していきたい」と佐藤館長。新型コロナウイルス感染防止のため、当面はギャラリーツアーも開催できないが、常態に復したら、常駐する「Zキュレーター」が地図の時代背景などを伝える計画だ。

ゼンリンミュージアムのもう一つの魅力はその立地にある。観光スポット・小倉城に隣接した複合施設リバーウォーク北九州の14階にあり、眺望は抜群。小倉城天守閣(1959年再建)を見下ろしながら、江戸時代の「豊前国小倉城絵図」と現在の街並みを見比べてみるのも一興だ。

ゼンリンミュージアム https://www.zenrin.co.jp/museum/

上左:小倉城を見下ろすビューポイント。小倉城の左上に見える緑色の屋根は磯崎新設計の北九州市立中央図書館 </br>上右:休憩スペース「Ligare(リガーレ)」。窓の向こうには海側の工場地帯や関門海峡が見え、北九州らしい景色が楽しめる </br>下左:リバーウォーク北九州1階にある「マップデザインギャラリー  小倉」。地図をデザインしたオリジナルグッズを販売している 下右:ゼンリンミュージアムの展示図録。常設展示や解説を網羅した詳細版(左)とダイジェスト版の2種類を用意上左:小倉城を見下ろすビューポイント。小倉城の左上に見える緑色の屋根は磯崎新設計の北九州市立中央図書館 
上右:休憩スペース「Ligare(リガーレ)」。窓の向こうには海側の工場地帯や関門海峡が見え、北九州らしい景色が楽しめる 
下左:リバーウォーク北九州1階にある「マップデザインギャラリー 小倉」。地図をデザインしたオリジナルグッズを販売している 下右:ゼンリンミュージアムの展示図録。常設展示や解説を網羅した詳細版(左)とダイジェスト版の2種類を用意

2020年 07月26日 11時00分