神事と農業の深いかかわり

日本は古来稲作の国だ日本は古来稲作の国だ

弥生時代以降、日本は稲作の国であり、春になると村人総出で田植えを行い、秋には同じく稲刈りが行われてきた。

日本古来の神道では、春になると先祖の霊が山から下りてきて田の神となり、稲を守護する、そして稲刈りが終わると山に戻って山の神となると考える。だから春になると、豊作を祈る「祈年祭(としごいのまつり)」が伊勢神宮をはじめとする各地の神社で催行され、田植えの前には神を迎える「御田植(おんたうえ)神事」や「御田(おんだ)祭」も執り行われる。そして稲刈りの後には「収穫祭」が各地の神社で催行され、宮中では、天皇が五穀の収穫に感謝して、天神地祇とともにそれを食する「新嘗祭(にいなめのまつり)」が祭祀されるのだ。

農業と信仰は密接に関わっており、田植えや稲刈りといった重要な農作業ごとに神事が行われてきた。ほかにも鋤や鍬などの農具は神の名に使われるほど大切に扱われてきたし、「田んぼのかかし」は、害鳥を追い払うだけではなく、山の神が田に降りてくるときの目印となる「依り代」の意味もあるのだ。

そして農民たちには、重労働の農作業を、娯楽につなげたいと願っていただろう。特に中腰のまま作業を続ける田植えはつらい作業だったため、作業しながら歌ったり踊ったりして、神に豊作を祈りつつ、自分たちも楽しむ風習が生まれた。のちにそれが田楽になったと考えられるのだ。

住吉大社と、御田植神事の由緒とは

北は青森県八戸のえんぶり、南は佐賀県の白鬚神社の田楽まで20以上の田楽が、民俗芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されている。大阪では、毎年6月14日に催行される住吉大社の御田植神事が、昭和54年2月24日に指定されており、古風をよく遺していると親しまれている。

住吉大社は、2~3世紀の神功皇后にゆかりの深い神社。
『日本書紀』によれば、神功皇后は仲哀天皇の皇后で、誰もが驚くほど美しい女性だったが、夫が早逝したため、代わりに三韓に出兵したとされる女傑だ。彼女の船は天照大神やその妹である稚日女(わかひるめ)神、海神の神霊が守護したが、凱旋の後、天照大神の御荒魂を廣田国(ひろたのくに・兵庫県西宮市)へ、稚日女神の御魂を活田長峡国(いくたのながおのくに・神戸市中央区)、海神の荒魂(あらみたま)を穴門の山田邑(あなとのやまだむら・山口県下関市鎮座)、そして海神の和魂(にぎみたま)は大津の渟名倉の長峡(ぬなくらのながお・大阪市住吉区)に祀るよう神託があったため、そのようにしたとある。荒魂と和魂は、神霊の二つの側面を言い表した言葉で、荒魂は活動的で勇壮な性質を持ち、和魂は平和で穏やかな性質を持つ。そしてこれらの神霊が祭られているのが、それぞれ現在の廣田神社、生田神社、下関市に鎮座の住吉神社、そして大阪市住吉区に鎮座の住吉大社だ。

住吉大社鎮座の際、神功皇后は御供田として神田を定めた。そして長門国(ながとのくに・穴門の別称とも)から植女(うえめ)を連れてきて奉仕させたのが、御田植祭の始まり。当事の祭りがどのようなものだったかはわからないが、鎌倉時代の記録から、猿楽や田楽などが行われていたとわかっており、大きな規模の祭りだったようだ。植女の末裔が、堺の遊女となったという伝説があるので、近年まで堺の遊女が植女に扮して祭りを華やげる風習があった。

猿楽や田楽などの歌舞がどのようにして始まったかは諸説あるが、上記したように、田の神を歓待するための儀礼から始まったと考えられる。そうすると、田楽や猿楽は農民たちのもののようだが、『太平記』には、鎌倉幕府で将軍を補佐する立場であった執権の北条高時が田楽に夢中になり、カラス天狗に化かされる場面が登場する。武将たちも田楽や猿楽を好んだのだ。その後、観阿弥や世阿弥がこれを洗練させ、能楽へと発展していく。

五穀豊穣、家庭和楽などの願いが込められた住吉踊に向かう。現在は小学生や中学生によって舞が奉納される五穀豊穣、家庭和楽などの願いが込められた住吉踊に向かう。現在は小学生や中学生によって舞が奉納される

御田植神事の次第

住吉大社の御田植神事は、植女や稚児、替植女(かえうえめ)、御稔女(みとしめ)ら祭りに携わる人々が、おしろいとまゆずみを塗る粉黛式(ふんたいしき)、盃をいただく戴盃式(たいはいしき)、そして神事への奉仕資格を得る宣状式(せんじょうしき)から始まり、その後、祝詞が奏上される。

植女は御田植祭の創始から奉仕していたとされる女性たちで、早苗を捧げ持つ役目をする。稚児は植女に付き従う少女で、替植女は植女から早苗を受け取って御田に降りて植え付けを行う女性。そして御稔女は豊穣祈願の神楽を踊る女性で、特に品性や容貌、技芸に秀でた女性が選ばれていたらしい。一連の儀式は神館で行われるが、その後一行は列次を整えて御田まで練り歩き、畔を一周する。

御田に辿りつくと神職が田を祓い清め、耕作長にあたる大田主(おおたぬし)が田に御神水を注いでから、「斎牛(さいぎゅう)」と呼ばれる神聖な牛が、御田の代掻きを奉仕、そこでやっと植女と替植女たちによる田植えが始まる。田植え開始とほぼ同時に、御田の真ん中に組まれた櫓の上では、住吉大社の神楽女8人で構成される「八乙女」たちによる田舞が、次いで御稔女による龍神の舞が舞われる。そして畔では侍大将に扮した男たちが表裏金銀、日の丸の軍扇をかかげ、月明りに見立てて威武を示す「風流」の所作を行い、紅白の雑兵たちが棒打合戦の演技をする。棒を打ち鳴らすのは、田んぼから害虫を追い出す「虫追い」の意味もあるのだとか。そして地元小学生の少女たちが扮する早乙女により、往古から農民の間で謡い継がれてきた田植歌と田植え踊りが奉仕される。
そして最後に、神功皇后が堺の浜に上陸した際、住民たちが祝福と歓迎のために踊った舞に由来するとされる「住吉踊」が、童女たちにより披露される。

住吉大社の御田植祭は、背後からの見学でよければ見学自由だが、初穂料を納めれば「綿の花」と呼ばれる魔除けのお守りが授与され、テント内で座って見学もできる。御田植祭は、神話の時代から続くとされる神事であり、米の国・日本にとって重要な儀式でもある。この機会に一度見学してみてはいかがだろう。

田植えが始まるとほぼ同時に、櫓では八乙女による神楽が奉納される田植えが始まるとほぼ同時に、櫓では八乙女による神楽が奉納される

2018年 06月04日 11時03分