年神様を迎える大掃除や門松、水神様を迎える花火大会や夏祭り

水神信仰は水の恩恵を願い、災いを避けるために夏に祭りを行う水神信仰は水の恩恵を願い、災いを避けるために夏に祭りを行う

新年には年神様がやってくる、という話はご存知の方も多いことだろう。年末になると大掃除をし、お正月には門松を飾る風習も、この年神様をお迎えするための準備のひとつである。しかし実は、夏の7月15日にも、もう一柱ありがたい神様が来訪されることをご存知だろうか。

この夏の神様は水神様と言い、天候を司り、作物の凶作豊作や航海の安否、風水害、疫病の流行などに関わる霊験を持つと信じられてきた。年神様に比べると、水神様の知名度はそれほど高くはないが、各地で開催されている海開きや川開きの花火大会、神社の夏祭りは、この夏の来訪神の歓迎イベントとしての意味を持っている。

さてこの年に二回訪れる神様たちをお迎えするためには準備が必要で、そのための儀式が古来より12月31日と6月30日に執り行われてきた。準備とは神様を迎えるにあたり、それまでの半年間の穢れ(ケガレ)を祓い清めるというものである。

現在でも各地の神社で、この両日に「大祓(おおはらえ)」という神事を執り行い、国中の津々浦々まで穢れを祓い清めている。今回は、夏に行う大祓「夏越の祓(なごしのはらえ)」の中でも、特に珍しい、蛇神の形代を使う摩訶不思議な神事「茅の輪潜り(ちがやのわくぐり)」をご紹介しよう。

茅の輪潜りは7月15日に来訪すると言われている水神様をお迎えするための準備の儀式で、6月30日に執り行われる。新暦の6月30日か、旧暦の水無月の晦日か、どちらの日かは地方によってもまちまちだが、目的は水神様を迎えるにあたり穢れを祓い清めることにある。

なぜ水神様が来訪するのが7月15日なのかと言えば、これはお盆に関係している。7月15日はちょうど新盆の中日にあたる。本来お盆とは、初春と初秋の満月の日に年二回、ご先祖様があの世から帰ってくるという風習で、仏教の盂蘭盆会と、陰陽道の施餓鬼会と、日本古来の祖霊信仰とがミックスして生まれた。

この初春のお盆に先祖霊が帰ってくるという考え方と、陰陽道の歳徳神とが混じり合って生まれたのが「年神が我が家にやってくる」という正月の風習である。そして初秋のお盆に先祖霊が帰ってくるという考え方と、神道の水神信仰とが混じり合って生まれたのが「水神様が7月15日に来訪される」という信仰に繋がった。

それにしても、日本の正月は、すす払い(仏教神道共通の行事)で穢れを祓い、除夜の鐘(仏教の行事)を聞いた後に、初詣(神道の行事)を行う。そして夏になれば、お盆にお墓参りをし(仏教の行事)、夏祭りや花火大会(神道が源の行事)を楽しむ、と、日本人はなんと懐が深く、寛容な文化を築いてきたのであろうか。

巨大な注連縄を潜れば穢れが祓い清められる、夏越の祓「茅の輪潜り」

では水神様をお迎えするための夏越の祓、茅の輪潜りの概要をご紹介しよう。茅の輪の名前の通り、茅(チガヤ)という植物から作った注連縄(しめなわ)を、直径6尺4寸(1,939.392mm)の巨大な輪にして神社の参道に吊り、神官を先頭にして氏子が左右から八の字を描くようにその輪の中を潜っていく。そうすることで穢れが祓い清められ、無事に水神様が迎えられるようになると言う。

穢れとは忌わしく不浄なものを指す。古より、人は生きている限り、好むと好まざるにと関わらず、知ってか知らずかの別なく、例外なく穢れを身に受けていると考えられていた。これは奈良時代に仏教と共に伝来した思想で、神(まれびと)が来訪するまでにこの穢れを祓って準備を済ませておかなければ、如何なる災厄が身に降りかかってくるかわからず、ましてや今年の仕事の成功や、学業、結婚などの望みが成就することも無いと怖れたのである。

ちなみに、輪の6尺4寸という寸法は、神道の様々な定めが記されている「神祇提要」という本によると、天の二十八宿(東洋占星術で用いる28星座)と、地の三十六禽(十二支のように36方位に配された獣)の合数だと言う。つまり天と地のありとあらゆる世界、神羅万象を表している。

では何故、この2m弱の草で編んだ輪を潜ることが、穢れを祓い清めることになるのだろうか。その成り立ちと隠された秘密を解き明かしてゆこう。

全国の神社で行われる夏の行事、茅の輪潜りは穢れを祓うために行われる全国の神社で行われる夏の行事、茅の輪潜りは穢れを祓うために行われる

茅は草の矛、雑草のように見えて神聖な刀剣と同じ力を持つ存在

まずは茅の輪を作る材料の「茅」から見てみよう。茅とは、単子葉植物イネ科チガヤ属の植物で、沖縄から北海道まで広く分布し、群生する広線形の葉が特徴の50cmほどの雑草である。古くは茅葺き屋根の材料として茎葉を乾燥させて使ったり、チマキを包む梱包材として利用したりしていた。なお、チマキの名前の由来は「茅巻き」からきているという説もある。

それにしてもなぜ茅で穢れ祓いができるのだろうか。正直あまりありがたみを感じない、何の変哲もない雑草である。

実はその起源は中国にある。中国では古くから茅は魔除けとして、また神前に備える供物として使われてきた。漢字の「茅」の文字は、「草の矛」という意味を持つため、葉の持つ矛のような形状が、強力な神威の現れだと考えられていたからである。

この茅を神聖な物として扱った記述はいくつか残されている。例えば、中国最古の歴史書である「書経」には「包むに白茅を以ってす。茅は其の潔を取る」とあり、神前に捧げる供物の器に使っていたことがわかる。また周の時代の礼法を表した書物「周礼」には「祭祀。肅茅を共なう」とあり、祭礼の供物としても使われていたことが伺える。

日本でも古来より、矛をはじめ、剣や太刀などの刀剣を、魔を祓うアイテムとして神事に使用してきた。神前に大太刀を奉納する習慣も、多くの神社で行われている。また、スサノオが出雲国で「八岐の大蛇」を退治した際に、尾から出て来た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は三種の神器の一つで、熱田神宮の御神体になっている。このように日本においても刀剣は神聖な物であり、剣状の葉をもつ茅も同じように神聖な力を持つと考えられていたと思われる。

茅は茎を乾燥させて屋根の材料としても使われた茅は茎を乾燥させて屋根の材料としても使われた

スサノオの恩返し、茅を輪にして腰に吊るす魔除け

さて、このどこにでもある雑草で作った輪っかが、なぜ穢れ祓いという神威を持ったのだろうか?これは「備後国風土記」に記された「蘇民将来説話」の中にその答えがある。

蘇民将来説話のあらすじを少しご紹介すると、昔、北海に武塔の神が居て、南海に住む女子に求婚しに行った。その途中で日暮れになってしまい、一夜の宿を蘇民将来・巨旦将来という兄弟に頼んだが、弟の巨旦将来は金持ちだったにも関わらず頼みを拒み、兄の蘇民将来は貧しかったが精一杯のもてなしをした。

数年後に武塔の神は、八人の子供と共に訪ねて来て、蘇民将来の一族以外を全て滅ぼし、「自分は速須佐の雄(以下スサノオと表記する)の神である。今後疫病が流行った時には、腰に茅の輪を身に付けていろ。その者は蘇民将来の子孫として助けてやる」と言った。
と、このようなストーリーである。

この説話から生まれた民間信仰が、「蘇民将来」と呼ばれる魔除けのまじないである。現在では、六角形のコケシのような形の木彫りのアイテムになっているが、元々は茅の輪を腰に吊るすことだった。

しかし、ここで一つ疑問が生まれる。蘇民将来伝承に記された「茅の輪」は、あくまでも草冠状の腰に付ける程度の大きさの物であり、直径6尺4寸もあるような注連縄の輪でなかったはずである。なぜ夏越の祓の茅の輪潜りでは、大きな注連縄を使うようになったのだろうか。そしてなぜ左右から八の字を描くようにその輪の中を潜る必要があるのだろうか。それは、スサノオの正体に秘密が隠されている。

神楽の大蛇という演目はスサノオが八岐大蛇を退治する神話から作られた神楽の大蛇という演目はスサノオが八岐大蛇を退治する神話から作られた

スサノオの正体とは、巨大な注連縄は龍神の形代だった

出雲大社の巨大な注連縄は大国主神の本身である蛇の形代出雲大社の巨大な注連縄は大国主神の本身である蛇の形代

「蘇民将来」に出てくるスサノオとは、一体何者だったのだろうか。スサノオは日本書紀や古事記、風土記などにも登場し、残された神話の中でも最も荒ぶる神であり、人間臭い神でもある。

古事記の記述によれば、スサノオは三貴神である天照・月読・スサノオの一柱であり、一番下の弟神に当たる。そして父神である伊奘諾(イザナギ)は、天照には昼の世界を統治するよう、月読には夜の世界を統治するよう、そしてスサノオには大海原を統治するようにと言う。

しかし、荒ぶるスサノオはそれを断り、母神である伊邪那美(イザナミ)がいる根之堅洲国(ねのかたすこく)へ行きたいと願ったため、父神の怒りを買って追放されてしまう。そこでスサノオは、母神の出身地である出雲へと向かい、そこで八岐大蛇を退治して三種の神器を手に入れ、出雲の地の神となる。

さてこのスサノオの正体はと言うと、父神から海を統治することを命じられていることから、水神(龍神)であることがわかる。そして水神(龍神)の本来の姿は、中国の古い文献によると「蛟(みずち)」という蛇の一種だと伝えられている。蛟とは蛇の出世した姿で、水辺に棲む蛇が500年生きると蛟になり、蛟が1000年生きると龍になり、龍が1000年生きると応龍になると言われている。

この水神(龍神)であるスサノオが、蘇民将来に茅の輪を身に付けるように言ったのは、茅の輪はとぐろを巻いた蛇もしくは龍の形であり、それは自分の姿を形取った形代(身代わり人形)という意味を持っていたからなのである。

この形代が変化したものが、現在神社でよく見る巨大な「注連縄」である。注連縄は龍神を表したシンボルであるため巨大で、また神木や神岩を取り巻くように輪状にして巡らせることで、結界として使われてきた。注連縄は古くから霊的な意味を持つとされ、3世紀の中国の正史「後漢書」にも、「注連縄とは鬼門の門番が手にする葦茭のことで、鬼を縛り上げるのに使った。」と注釈に登場している。

現在でも、この注連縄を蛇と見立てて神事を行っている神社がある。三重県志摩市にある安乗神社が行っている「注連切り神事」で、注連縄を大蛇に見立て、3つに切り放ち、五穀豊穣・家内安全を願う。そして切った注連縄は田畑に撒かれてお守りとされる。この注連縄を3つに切る風習は他にも見られ、伊勢神宮の外宮では、茅の輪潜り神事の終わりに、三段に切って豊川に流したと記録が残っている。

ではなぜ、この大きな注連縄である茅の輪の左右から、八の字を描くように潜るのか。それは古事記の中に書かれている「国生み神話」でイザナギとイザナミが左右で回り出会ったところで、国や神、スサノオたちを生んだという故事に由来している。

茅の輪潜りとは、夏枯れの季節、怖い疫病や風水害におびえる人々が、日本の八百万の神々の中で最も力が強い、荒ぶる神スサノオの来訪を願い、守ってもらうために、身を清め一心に祈る神事なのである。

2017年 06月01日 11時05分