日本人と桜

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」梶井基次郎の小説『桜の樹の下には』の冒頭は、非常に有名だ。桜の根が、馬や犬猫や人間の屍体から腐った体液を吸い上げ、その姿が異様であるがゆえにこそ、かくも美しい花を咲かせるというのだが、これは単に作家の空想とはいえないようだ。
数年前、山桜が有名な自然公園を訪れたとき、ここまでたくさんの桜の樹が生えている理由を、管理人が教えてくれた。昔この地に住んだ人々は、親族が亡くなると地面に埋め、墓標代わりに桜の苗を植えたらしい。それが大きくなり、山を埋め尽くしたのだ。古来、桜の花には鎮魂のはたらきがあると考えられてきたのも、この樹が選ばれた理由だろう。まさに「桜の樹の下には死体が埋まっている」わけだ。

万葉集に詠まれる「花」は梅が多く、100首以上あるのだが、これは奈良時代に中国風が好まれたからで、古来、日本で「花」といえば桜だった。
その理由として考えられるのは、開花の時期だ。農耕を生活の糧としてきた日本人にとって、田植え前に咲く桜は、忙しい季節を前にした自分たちを、慰めてくれる存在だった。桜の下でごちそうを食べて騒ぐ、現代と同じような「花見」が始まったのは江戸時代だが、桜の花を愛でる風習は奈良時代以前から続いてきたものなのだ。
また、暦がひろく行き渡らない時代、農民にとって桜は春の訪れを告げる花であり、農作業の合図にもなっていた。つまり、桜の花は日本人の生活と共にある存在だったのだ。

桜は季節を知る指標でもあった桜は季節を知る指標でもあった

日本最古の花見の宴

花見の元祖は、平安時代の嵯峨天皇による「花宴の節」だろう。『日本後紀』には、弘仁3年(812年)に神泉苑で開かれたことが記録に残っており、『凌雲集』には、その際に天皇が詠んだと思われる「神泉苑花宴賦落花篇」と題された漢詩も収められている。そしてその後、花宴は恒例行事となっていったようだ。源氏物語第八帖「花宴」に登場する右大臣の六の君(朧月夜)も、紫宸殿で開催された花宴の後に光源氏と出会っている。光源氏はこの宴で漢詩を作り、舞を披露したとあるから、かなり盛大な内容だったのだろう。

平安時代まで、花見の宴は京だけで開催されていたが、鎌倉時代になると、地方遠征の武将たちが花見の風習を全国に広げる。『徒然草』は、鎌倉時代末期に吉田兼好が書き記したと伝えられる随筆だが、第137段には「かたゐなかの人こそ、色こく万はもて興ずれ。花の本にはねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒のみ連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ」とあり、田舎の人たちが、お酒を飲み、歌を詠みながら花見をする様子が描写されている。
武士と花見といえば思い出されるのは、太閤秀吉だろう。華美を好んだ秀吉は桜の花を愛し、さまざまな趣向で花見を楽しんだ。特に醍醐山に700本もの桜を植樹し、1300名の客を招待した「醍醐の花見」は有名だ。参加女性は宴の最中に二度着替えるように、とそれぞれに三着の衣装を与えられたという。
吉野の山に桜を植樹したのも秀吉だといわれている。吉野山の花見には5000名が繰り出されたというから、さぞかし豪華な宴を催したのだろう。

庶民に花見が広がった江戸時代

現代でも、河川敷に桜の名所は多い現代でも、河川敷に桜の名所は多い

戦のない江戸時代になると、町民たちの間で、歌舞伎や人形浄瑠璃などのさまざまな文化が花開く。徳川家康の側近であった天海僧正は、幕府から譲り受けた土地に桜を植樹。それが現在の上野恩賜公園で、当時から桜の名所とされた。また、徳川吉宗も浅草隅田川の河川敷に桜を植樹し、町人たちによる花見を奨励したといわれる。徳川吉宗といえば、質素を好んだ将軍として有名だが、桜の花の美しさには肯定的だったのだろうか。落語の『あたまやま』で、サクランボを種ごと食べてしまった男の頭に桜の樹が生え、人々が花見に集まってきて騒がしくなったと語られているように、お弁当を食べ、お酒を飲む花見はこの時代に始まった。

花見に桜餅を食べる風習も江戸時代に生まれている。ちなみに、関西と関東では「桜餅」の形態が違う。関東の桜餅は小麦粉を水で溶き、薄く焼いたものであんこをくるんだものに、桜の葉を巻き付けたものだ。これに対して関西の桜餅は、もち米を乾燥させた「道明寺粉」を蒸して戻し、これであんこを包んでいる。
関東の桜餅は、隅田川の向島にある長命寺の門番・山本新六が作り始めたと伝わっており、もともとは墓参りの人をもてなすものだったとされる。その後、隅田川に桜が植樹され、花見の客でにぎわったことから、桜餅も流行したのだとか。
関西の桜餅は、長命寺の桜餅の人気を知った北堀江の土佐屋が始めたとされている。つまり、桜餅の始まりは江戸なのだ。

家の中で楽しむ「花見気分」

現代の花見も江戸時代と同じく、桜の名所に集まってお酒やごちそうを食べるが、花粉の季節でもあり、まだ寒いため、長時間外にいたくない人も多いだろう。そんな方のために、家の中で楽しめる「花見」を提案しよう。

庭のあるご家庭なら、桜の樹を植えるのも一つの方法。土質は選ばないが、水はけのよい日向が適している。ただし多くの場合、エゾシロチョウなどの毛虫が発生するので、殺虫剤の散布は覚悟しておいた方がよい。また、散布後には、夥しい毛虫の死骸が落ちるので、虫が苦手な人には向かないかもしれない。肥料を切らさないことで、ある程度は虫害を抑えられるので、こまめな追肥を心がけよう。植え付けは落葉の後、11月から3月が適している。

庭のないご家庭なら、盆栽を入手する手もある。手入れをすれば毎年花が咲くから、家の中でも花見ができる。友人たちとさまざまなお花見弁当を持ち寄り、盆栽の桜を見ながら分け合って食べるだけでも、春らしさを満喫できるに違いない。

2016年 03月19日 11時00分