世界中の死亡原因のおよそ30%が感染症によるもの

人は遺伝子の中に、過去に感染したウイルスの遺伝情報を内包しているそうで、これを内在性レトロウイルスと呼ぶ。この内在性レトロウイルスの働きのひとつに、胎児の父親由来の形質を母親の免疫の攻撃から守るというものがあるそうだ。我々が母親だけでなく父親にも似ているのはウイルスのおかげだというのが面白い人は遺伝子の中に、過去に感染したウイルスの遺伝情報を内包しているそうで、これを内在性レトロウイルスと呼ぶ。この内在性レトロウイルスの働きのひとつに、胎児の父親由来の形質を母親の免疫の攻撃から守るというものがあるそうだ。我々が母親だけでなく父親にも似ているのはウイルスのおかげだというのが面白い

我々人類は、長い歴史の中で感染症の脅威と戦い続けてきた。2020年5月15日現在、新型コロナウイルスの感染者数(※1)は世界中で約440万人、死者数は30万人を超えている。日本では2020年4月7日に新型コロナ感染症緊急事態宣言が発出、現在も一部の地域で継続中である。

2016年の統計(※2)によると世界中の死亡原因のおよそ30%が感染症によるもので、同年の下気道感染症(肺炎・気管支炎など)による死亡者数は300万人に上る。

感染症は新型コロナウイルスだけではない。世界三大感染症と呼ばれているのは、マラリア・結核・エイズであり、近い将来克服されるといわれていたのにもかかわらず、再び大きな問題となっている。

感染症は人類にとって、いつの時代においても大きな脅威であった。日本の歴史の中でも、奈良平安の時代から感染症に関する記録が存在し、社会そのものの変革を後押しする結果になったケースもある。今回は、感染症と人類の歴史について考察してみた。

感染症とは、寄生虫・細菌・真菌・異常プリオン・ウイルスという病原体を体内に取り込むことで、「宿主」の体に異常をきたす症例の総称である。過去には「疫病」と呼ばれ恐れられていた。

(※1 NHK新型コロナウィルス特設サイト「世界の感染者数」より。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の発表をもとに作成)
(※2 WHO:2016年統計による)

人が移動すればウイルスも移動する、奈良時代には天然痘らしき症例が大流行し人口の20%が死亡

人類の進化には、ウイルスの存在が何らかの役割を果たしているのではないかという学説がある。これに関しては意見が分かれていて、今後の研究を待つ必要があるが、ホモ・サピエンス・サピエンスが生まれた16万年前よりはるか昔、数十万年前には既にウイルスに感染していたという痕跡がヒトゲノム解析で近年発見された。人類とウイルスには太古の昔より深いかかわりがあったことは間違いなさそうである人類の進化には、ウイルスの存在が何らかの役割を果たしているのではないかという学説がある。これに関しては意見が分かれていて、今後の研究を待つ必要があるが、ホモ・サピエンス・サピエンスが生まれた16万年前よりはるか昔、数十万年前には既にウイルスに感染していたという痕跡がヒトゲノム解析で近年発見された。人類とウイルスには太古の昔より深いかかわりがあったことは間違いなさそうである

史上、もっとも古い感染症の記録はおよそ紀元前3000年、古代メソポタミアのシュメール人によるものである。そこにはメソポタミア文明期に麻疹が流行したことが記述されている。その後、紀元前2500年にはインダス文明に、紀元前1000年のガンジスとエジプト文明においても麻疹が流行したとの記録がある。

中国の地に麻疹が発生したことが記述されている最古の資料は、西暦200年の後漢末期のものである。そして日本で麻疹の記述が見られるのは西暦1000年の平安中期である。文明は人が運び伝える。そして同時に感染症も運ばれた歴史をそこに見ることができる。

感染症は文明病という側面を持っている。緩やかな文明の発展期には、疫病の拡大も緩やかであった。しかし、人口の爆発的な増加と移動速度の飛躍的な進歩は、感染症の拡大速度をも早める結果を招いた。居住地の都市化が進み、街道が整備され荷車が発明され、馬車が登場すると人の移動は飛躍的に活発化した。

それにより、ヨーロッパでは全土にわたって感染症が大流行することになる。中でも14世紀に起こったペストの大流行は、当時の世界人口の20%以上の人の命を奪った。文明の発展速度の激化が、感染症のパンデミックを引き起こしたのである。

さらに時代が下り、15世紀の大航海時代に突入するとパンデミックは海を渡り、大陸間での感染症の交換が起こった。コロンブス交換と呼ばれるこの現象は、東半球と西半球の物資や作物、人のみならず病原体をも広範囲にわたり移動させた。

結果、西半球の感染症であったコレラ・マラリア・麻疹・ペスト・天然痘などがアメリカ大陸へと渡り、梅毒・シーガス病・イチゴ腫などがヨーロッパにもたらされた。

日本の歴史にも、実に多くの感染症被害の記録が残されている。日本書紀に、奈良時代に天然痘らしき症例が発生していたという記述がある。それによると、735年から738年にかけて西日本で「天平の疫病大流行」が引き起こされ、その際に平城京の政務を司っていた藤原四兄弟が罹患、死に至ったとある。

人口が過密化した都市が建設されると、どうしても付いて回るのが感染症の流行で、奈良時代の最盛期に当たる当時、唐招提寺の建立など国家規模の大工事が行われる中、大規模な人の移動が流行の範囲を拡大させた。

この大流行が起こった天平期の日本人口は490万人から750万人ともいわれ、前時代に比べ飛躍的に増加している。また都市整備についても外国との積極的な交流により大陸化が進んだ時期で、まさに人口の増加と都市の過密化、文明の発展が感染症の被害を拡大させた。

この遣唐使が持ち込んだとされる「天平の疫病大流行」による死者は、100万人とも150万人ともいわれている。つまり人口の20%が感染症により失われたのである。

平安時代に入ると、今度は麻疹が広く蔓延したという記述が見られる。麻疹は罹患者の死亡率の高さから「命定め」の別名で呼ばれるほど、人々から恐れられた。もちろん当時はこれらの対策ができるような医療はまだ存在しない。国家事業として薬師寺を建立、疫病退散を願って加持祈祷を行っていたのである。

家康の次男も感染症に罹患、大陸由来の感染症が日本全国に蔓延

時は進み、江戸時代に入ると、日本人口は1,200万人を数え更に過密化が進み、感染症の猛威が市民に襲いかかってきた。

17世紀初頭には、ハイチの風土病だったとされる梅毒が全国に蔓延し、徳川家康の次男である結城秀康が罹患したと記録に残されている。

徳川政権下の1603年から1868年までの265年間には、13回もの麻疹大流行が起こり、1862年に記された記録では1年間での死者は24万人となっている。一回の麻疹被害での死者数が24万人ということは、江戸期を通しての被害はゆうに300万人を超えるだろうと類推されている。

この他にも、大陸由来の感染症が日本全土に広がっており、大英博物館所蔵の医師ケンペルの資料によると1690年頃には、疱瘡・麻疹・疫痢・フィラリア症・天然痘などが日本に蔓延していたと記録に残されている。

ケンペルは外国人ゆえに出島から出ることが許されなかったため、日本の感染症の実情は、幕府の通訳官であり医術に精通もしていた今村源右衛門がケンペルに伝えていたとされる。

もちろん、もたらされたのは物資や感染症ばかりではない。最新の医療技術も伝えられ、この時代以降は、鎖国政策下にありながらも、西洋医術が広く日本全土に広がりを見せていった。

江戸期以前の日本には医療制度と呼べるものはなく、医学教育も制度化はされていなかった。当時は本草学と呼ばれる東洋医学が主流で、僧侶や武士が町医者を勝手に名乗り、治療にあたっていたケースも少なくなかった。

日本で初めて官制病院が設置されたのは1722年である。現在の東京都文京区白山にある小石川植物園がある場所に、小石川養生所が設立された。杉田玄白の解体新書が出される50年前のことである。この病院が江戸の公衆衛生や防疫に中心的な役割を担っていくこととなった。

科学の進歩は諸刃の剣で、飛躍的に文明を発展させる力を持っているが、同時に天敵である感染症をも運んできてしまう。風力というエネルギーの発見は、いっきに世界地図を広げ、新たな歴史のページをめくった。しかし、ペストも船便でアジアからヨーロッパに運んでしまった科学の進歩は諸刃の剣で、飛躍的に文明を発展させる力を持っているが、同時に天敵である感染症をも運んできてしまう。風力というエネルギーの発見は、いっきに世界地図を広げ、新たな歴史のページをめくった。しかし、ペストも船便でアジアからヨーロッパに運んでしまった

神秘的な救いを求める人々、犬張り子や赤べこは天然痘除け、アマビエには亜種も

このような天然痘や麻疹などの死病の蔓延は、人々の心に強い信仰心を育てる結果にもなった。

郷土玩具の代表格の犬張り子や赤べこ、さるぼぼなどは天然痘除けの呪いグッズであり、麻疹除けなら九紋龍の手形なども有名である。感染症被害の多かった地方には、必ずと言っていいほどこのような疫病除けの呪いが残されている。

昨今の新型コロナ除けとして話題になった「アマビエ」もこのような疫病除け信仰の一例である。アマビエは1846年に九州地方に預言者として出現、アマビエの絵を見せれば豊作になり疫病除けにもなるという話が瓦版で出回った。九州であった話が江戸にまで伝わったということは、かなり話題になったのであろうと予測されるが、その真偽は不明である。

アマビエの亜種として、海彦(アマビコ)、山童(ヤマワラワ)などが存在し、山梨県立博物館が公開した「ヨゲンノトリ」も近縁種であると言えそうである。

人は未知なる恐怖にさらされると、時代に関係なく、このような神秘的な救いを求めるものなのだろう。しかし、こういった民間信仰を紹介すると江戸時代はみな迷信深く、ただ疫病の恐怖に震えていただけと思われるかもしれないが、さにあらず。必要と思われる対策を必死で行い、懸命に戦っていた歴史がそこにはあった。

人類は知能の高さを得たかわりに死の恐怖をも得た。その恐怖を克服する手段として、日々の生活では死を忘れることを体得した。しかし、身近に死を感じさせる事態に直面すると、人は心のバランスをとるために神秘的な存在にすがろうとするのかもしれない人類は知能の高さを得たかわりに死の恐怖をも得た。その恐怖を克服する手段として、日々の生活では死を忘れることを体得した。しかし、身近に死を感じさせる事態に直面すると、人は心のバランスをとるために神秘的な存在にすがろうとするのかもしれない

未知の病と懸命に向き合った江戸時代の医師たち、人類が感染症に勝利をしたのは一度だけ

コミュニケーションの場で、日本人は「目は口ほどにものをいう」の格言の通り、目で場の空気を読み取る。しかし、欧米人はハッキリと自分の意見を正確に相手に伝えるために、口を大きく開けて話すことが大切とされマスクは嫌われた。ドイツでは公共の場でのマスクの着用を法令化、アフターコロナで世界は大きく変わるかも知れないコミュニケーションの場で、日本人は「目は口ほどにものをいう」の格言の通り、目で場の空気を読み取る。しかし、欧米人はハッキリと自分の意見を正確に相手に伝えるために、口を大きく開けて話すことが大切とされマスクは嫌われた。ドイツでは公共の場でのマスクの着用を法令化、アフターコロナで世界は大きく変わるかも知れない

江戸の安政5年(1858年)、突如として日本を襲った第三次コレラパンデミックは、異人とともに長崎に上陸した。時はまさに幕末、黒船の来航より5年後のことである。江戸幕府は大老井伊直弼主導のもと強権政治でこの外圧を凌ごうとしていた。そこに更なる外的としてコレラが襲来したのである。

黒船の出現、安政の大地震と天下を揺るがす大事件で世情は混迷を極め、日本人の多くが時代の変わり目を意識していた。そんなときにコレラも襲来したのであるから、尊王攘夷の気運に拍車をかける結果になっても無理からぬ状況であっただろう。

コレラは人々の間で即死病として恐れられ、1日コロリ・3日コロリとして恐れられた。船頭は船を操りながら死に、雲介や馬子は荷物を担ぎながら馬を引きながら道端に倒れた。街道の至るところに被害者の遺体が放置され、狸や狐の餌になるに任せるしかなく、それゆえコロリには「狐狼狸」の文字が当られたほどであった。

医師たちはこの未知の病と懸命に向き合い、必死で特効薬の開発に明け暮れた。まず試されたのは享保18年(1733年)の謎の疫病大流行の時に出された「時疫流行候節此薬を用ひて其煩をのがるべし」の覚書に記されている黒豆・桑の葉・茗荷の根である。しかし、100年も前の処方では効果むなしく、病魔を避けることはできなかった。

特効薬が望まれる中、種痘の実施で高名な蘭方医である肥田春安も新処方を考案し公開した。しかし藁をもつかむ薬探しの努力の甲斐無く、コレラの蔓延はとどまるところを知らず、3年間も日常的な死の世界が続いたのである。

当時の記録で興味深いのは、品川宿の猟師町の困窮者に対して、金一分から二分の支援金が配られたり、自身番前で煎じ薬が配られたりしたことである。これら支援の経費は民間による寄付でまかなわれ、総額505両2分であったという。

安政5(1858)年の金一分は現代の貨幣価値にして約6,000円ほどである。当時、一分で米を20Kgほど買うことができた。

人類は感染症との戦いにいまだ一度しか勝てていないといわれている。1980年、WHOは天然痘の根絶宣言をした。1991年に天然痘ウイルスのDNA塩基配列の解析が終了し、日本の伝染病予防法では法定伝染病から一類感染症へと変わった。しかし、いまだ人類は天然痘のワクチンを備蓄し、その脅威に備えている。

人は、現代文明はいまだ発展途上だと漠然と思っている。100年後はもっと進んだ技術があるはず、1000年後には更に進化していると何となく思っている。しかしそれは同時に、更に猛毒な感染症の訪れを示唆しているのかもしれない。

もちろんウイルスが進化すれば新たな薬が生まれる。しかし薬が進化する頃には、またウイルスも進化をしている。人類はこれから先もこれまでと同じく、必死で戦い続けていくのである。

もしかしたら全人類が「他にうつさず、うつされず」を徹底する社会システムの構築ができれば、それが感染症との戦いに勝つ早道なのかもしれない。とりあえずは、手洗いとうがい、人混みでのマスクの着用は徹底的に習慣化させておくことがよさそうだ。

2020年 05月20日 11時00分