阿蘇神社のお膝元。活気を失った商店街の復活劇を追う

熊本県阿蘇市の阿蘇一の宮門前町商店街(以下、門前町商店街)は、阿蘇山の北麓、阿蘇神社に隣接する全長200mほどの通りとその周辺に30軒ほどの商店が集まる商店街だ。阿蘇神社を中心に古くから栄え、特に戦前戦後は人や物の集積地として賑わったという。

阿蘇神社は、全国に約450社ある阿蘇神社の総本社で、境内には豪華な社殿が3つあり、楼門、一の神殿、二の神殿、三の神殿、御幸門、還御門の6棟は国の重要文化財に指定されている。参道は全国的にも珍しい横参道。その中央に構える楼門は「日本三大楼門」と言われ、年間25万人もの人が訪れる人気のスポットだった。(※2016年4月に起きた熊本地震で楼門・拝殿等が倒壊し、2022年の再建を目指して現在復旧工事中)
にも関わらず、参道に隣接するこの商店街は、20年ほど前まで閑古鳥が鳴いていた。もともと観光向けではなく地元の人向けの商店街だったのだが、人口減少・高齢化・そして国道沿いへの郊外型大型店進出のあおりを受けて徐々に活気を失い、疲弊していったのだという。

ところが、そこから15年ほどかけて門前町商店街の活気はV字回復を果たす。観光客が少なかった商店街が、年間35万人もの人を呼び込むようになったのだ。地震の直後、観光客は激減したものの、商店街の人々の頑張りや周囲の支えもあり、また少しずつ賑わいを取り戻しつつある。

今回は、門前町商店街のまちづくりの変遷について紹介したい。

熊本地震で倒壊した阿蘇神社の様子。現在は2022年再建を目標に復旧工事中。上の写真で、崩れた楼門の手前にある通りが横参道。右手に進むと、門前町商店街に続く(写真:山口)熊本地震で倒壊した阿蘇神社の様子。現在は2022年再建を目標に復旧工事中。上の写真で、崩れた楼門の手前にある通りが横参道。右手に進むと、門前町商店街に続く(写真:山口)

「5年後、商売をしているだろうか」の危機感

(一社)阿蘇門前町商店街振興協会理事の岩永さん。老舗文具店を営む丹波屋さんでは、和風小物や水に浮かべると文字が浮き出る「御紙水みくじ」が人気だそう(写真:山口)(一社)阿蘇門前町商店街振興協会理事の岩永さん。老舗文具店を営む丹波屋さんでは、和風小物や水に浮かべると文字が浮き出る「御紙水みくじ」が人気だそう(写真:山口)

お話を伺ったのは、一般社団法人阿蘇門前町商店街振興協会 理事の岩永芳幸さん。商店街にある大正2年創業の老舗文具店「丹波屋」の4代目だ。

商店街にアーケードはない。通りに面して店、その奥が住まい、と職住近接の昔ながらの商店街である。阿蘇門前町商店街は旧称を「仲町通り繁栄会」と言い、昭和40年代には旧一の宮町で最も活気のある地域密着型の商店街だった。けれど徐々に一の宮の町からも人が減っていき、平成になると郊外型の大型スーパーの出店等の影響も受けて次第に客足が遠のいた。岩永さんが店を継ぐと決めた20年ほど前は、商店街には人がほとんどいない状態になっていたという。また、阿蘇神社には年間25万人もの参拝客が訪れていたのに、当時商店街に流れる人はほどんどおらず、観光としては見向きもされない商店街だった。

「笑い話のようなんですけど、その頃あんまり暇だから向かいのとり宮の杉本さんたちと通りでキャッチボールをしていて。"次に車が来たらやめようや!"と決めたのに、車が全然来ないからなかなかやめられなかった、なんてエピソードもあるほどです。」

当時の地元紙に「消えゆく灯」と題してその閑散とした商店街の様子が綴られたそう。ぼんやりとした危機感はある。何かしなければいけないけれど、どうしたらいいのかわからない。そんな日々が続いたという。

「5年後、商売をしているだろうか。自分たちは果たしてここに住んでいられるのだろうか。」

彼らの危機感がピークに達した2001年、商店の若手を中心に「若きゃもん会」を結成した。メンバーは当時28〜57歳の10人。一部若きゃもんかどうかはさておき、彼らはまず手始めに、形骸化していた「夏祭り」の賑わいを復活させることにした。記憶に残る、子どもの頃の賑やかな商店街の風景を取り戻したかったのだ。考えたのは「仲町なんばーす」といういわゆる福引企画。ガソリン1000Lや韓国旅行、大型液晶テレビなど、地域の夏祭りとしてはかなり豪華な賞品をつけた。賞品の豪華さにも惹かれ、1000人もの人が集まる大賑わいのイベントになったそう。もともとは地元のお客さん向けの感謝祭のつもりだったが、観光目的のお客さんも多数訪れ、各店が知恵を絞った当日の出し物も盛況だった。

ちなみに福引企画の予算はなかったため、若きゃもん会メンバーが各自リスクをとった。少し乱暴なやり方ではあったが、リスクをとることで「絶対に失敗しないぞ」という意識付けになったという。当時、県や市の補助金などを彼らがその企画に利用していたら、まちづくりに対する本気度はそこまで上がらなかったかもしれないと振り返る。

阿蘇外輪山の恵みを活かした「水基めぐり」のブランディング

夏祭りの大成功は、確かに大きな自信になった。しかし、例えイベントで2日間まちが賑やかになったとしても、残りの363日の売上が上がらなければ商売は立ち行かない。なんとか日々お客さんを呼べる仕組みを作らないと…。次の手立てを考える彼らの元へ、こんな声がかかった。

「30分間商店街に人が滞在できる仕組みを作ったら、テレビで取材するよ。」

岩永さん達は「テレビが来てくれるのなら、頑張ってみるか。」と張り切ったそう。そこでまず、各店舗が趣向を凝らし、オリジナル商品を開発した。開発された熊本特産の馬肉を使用したコロッケ「馬ロッケ」や、拳ほどの大きさの田舎いなり、湧き水をつかった水出しコーヒーやシュークリーム、ユニークな形の回転饅頭などは、今も食べ歩きグルメとして人気である。

食べ歩きだけでは30分持たないからと、次に目をつけたのは「水基(みずき)」。水基とは、水飲み場という意味の造語だ。この地域では昔から、各家庭で湧き水を生活用水として使っていた。阿蘇外輪山の恵みを受けて、こんこんと湧き出る資源である。
先代たちが数年前から「お客さんも自由に飲めるように」と、家の台所や店の裏手にあったパイプを通りの見える場所まで伸ばしていたそう。各店舗の前に個性あふれる水基が造作されている。岩永さんらはこれを「水基めぐりの道」としてブランディングすることにした。

子どもの頃から、顔を洗ったり洗濯をしたりと当たり前に使っていた水だが、その事自体が珍しく、観光資源になるなど、彼らにとって意外な発見でもあったそう。それぞれの敷地から湧き出る水は微妙に成分が異なり、味も違うとか。店舗ごとに水の味利きをするのもおもしろいだろう。ぜひ、次はマイボトルやマイカップを持参して訪れたい。実際、水基の水は口当たりが軟らかく美味しいと、水を汲む目的で何度も訪れてくれる人もいるという。

さて、この場所ならではの逸品を楽しめる各店舗と、地域資源を活用した水基めぐりは功を奏し、メディアにも取り上げられ、外部の人からの認知度も上がった。2005年頃からは対外的に商店街の名前を、全国に五万とある「仲町通り」ではなく、「阿蘇門前町商店街」と呼称するようにしたそう。門前町商店街は人気のまち歩きスポットになっていった。

併せて、夏祭りや花見などのもともとある地元の人向けのイベントの改良や、蚤の市などの新たな客層を生み出すイベントにも力を入れた結果、2011〜2015年頃には年間35万人もの人々が訪れるようになっていた。観光地化された街とも違い、のんびりとしたレトロな雰囲気が心地よい。近年では阿蘇神社が縁結びの神社として注目されていたこともあり、阿蘇神社への参拝と門前町のまち歩きをセットで楽しむ人も多い。

食べ歩きで人気の「馬ロッケ」(左上)と、ランチで人気の「あか牛カツ重」(左下)。信金のATMには「現金自動勘定所」と書いてある。(右上)観光案内所「水の駅阿蘇門前」には水基と足湯ならぬ「あし水」がある(右下)(写真:山口)食べ歩きで人気の「馬ロッケ」(左上)と、ランチで人気の「あか牛カツ重」(左下)。信金のATMには「現金自動勘定所」と書いてある。(右上)観光案内所「水の駅阿蘇門前」には水基と足湯ならぬ「あし水」がある(右下)(写真:山口)

2016年の熊本地震を乗り越えた「日々の交流」

うまくいくことがあれば、うまくいかないこともある。2016年の熊本地震は、まさに試練だった。
阿蘇神社の楼門と拝殿は全壊し、国道も分断された。橋が崩落し、一時陸の孤島となってしまった地域もある。幸い商店街周辺で人的被害はなかったが、建物の全壊が2軒、大規模半壊が4軒、一部損壊も多数とそれなりに被害を受けた。

4月16日の深夜1時半に起こった本震の後すぐ、若きゃもん会のメンバーは手分けして一人暮らしの高齢者の自宅を回り、周辺住民の安全を確認。皆を広場に集めて共に一夜を明かしたという。明るくなると、各店の在庫を持ち寄って炊き出しを始めた。その様子を受けて、各地から支援物資が次々と届く。若きゃもん会のメンバーの宮本さん(食事処はなびし代表)が全国商工会青年部連合会の元会長をしていたという繋がりもあって、フットワークの軽い全国の商工会メンバーがすぐに助けに来てくれたという。第1弾の佐賀からの支援が16日の夕方には届いたというから驚きだ。本震発生から5日後には電気が来て、10日後頃には商店街の機能は復旧したそう。中には倒壊した家屋もあるから、できるだけ地域のみんなでわいわいとキャンプのように過ごしながら、精神衛生を保つことに重きを置いた。地震直後はもちろん営業はできず、復旧した後も観光客は激減。一日一日の売上が自分達の生活に直結するため、正直なところ死活問題だった。

「でも、あれだけの地震の中、この被害で済んだのは、阿蘇神社が身代わりになって守ってくれたのだと感じています。もっともっと魅力ある商店街になるよう、私たちは努力しなければなりません。」

彼らは現状を真摯に受け止め、あくまで前向きに捉えている。地震後の阿蘇神社の様子を見て、商店街も壊滅的だと思っていた人もいただろう。商店街は元気であることを外に発信し続け、元気でい続けようと互いに励まし合った。
災害時のマニュアルなどはなかったが、あれだけ迅速に動くことができたのは日頃の地域での交流があったから。もちろん、全国の商売人同士の繋がりも強い。やはり、この地で商売を続けていくことが、自分達にできるまちづくりなのだと実感したという。

取材時の阿蘇門前町商店街仲町通りの様子。平日の昼間(若干の雨模様)だったが、通りには食べ歩きや水基めぐりに訪れる人が(写真:山口)取材時の阿蘇門前町商店街仲町通りの様子。平日の昼間(若干の雨模様)だったが、通りには食べ歩きや水基めぐりに訪れる人が(写真:山口)

商売を営む自分たちにできる地域貢献

熊本地震をきっかけに、これまで任意団体だった仲町通り繁栄会を法人化して、同年6月に「一般社団法人阿蘇門前町振興協会」が設立された。
仲町通りで商売を営む人や住人、周辺地域の人も加わり、協会員は45名だ。若きゃもん会のメンバーも理事に入った。それぞれの個人店がそれぞれの商売を頑張ることがもちろん1番だが、皆頭の中に3割ほど、「商店街」「まちづくり」という意識がある。売上の低迷も負債も人間関係のトラブルも、結局は自分たちで解決するしかない。けれど自分の商売をうまくいかせるためには、このまちと共に上がっていくことがセットなのだとそれぞれが思っている。それがこの商店街の人々の強みでもあるのだろう。

法人化することで、様々な支援を受けやすくなったと岩永さんは言う。地震で観光客が激減したこともあり、国の補助を受けて空き店舗を活用し「水の駅阿蘇門前」を設けた。商店街の観光案内拠点として、情報発信やインバウンド対応を行っている。
各個店をブラッシュアップしながら、少しずつ観光型の商店街へとシフトしていきたいという狙いもある。ただし、行政の補助も必要ではあるけれど、それらはいつなくなってもおかしくないもの。あくまで自分たちの力で稼ぎ、永続的に商売ができる土壌を培うことを第一に考えているそう。

「商売は、長く続けることが大事だと私は考えています。商売を営む自分たちにできる地域貢献はここに雇用を増やすこと。きちんと会社として自立でき、雇用を維持できるなら、この地域に滞在したい、あるいは住みたいと思ってくれる人もいるでしょう。観光が成り立つなら、外からこの地へ商売をしにやってくる人もいるかもしれない。私たちがまずここを盛りたて、元気にしていくことで、波及する何かがあるかもしれません。」

この商店街の人々には、ここをもっと魅力的な街にしたいという強い想いがある。それは「観光地」として消費される場所ではなく、そこに住む人や次の世代が、きちんと生計を立てられるような場所を作っていくこと。彼らが今ここで商売を続ける理由はそこにあるのだろう。

熊本地震から2年半以上経つが、まだ国道は分断されており、ミルクロードなどの迂回路を経由する。国道復旧はもう少し先になりそうだ。JRも肥後大津駅から阿蘇駅までの区間も運休中。それでも、熊本市や県外あるいは海外から、車やバスで阿蘇門前町商店街に人が訪れてくれている。現在、肌感覚ではピーク時の8割程の客足だという。

「まだまだです。もっと、私達が頑張らなくては。」

国道・JRの早期復旧を願いつつ、またのんびりとあのレトロな街並みを散策しに行きたいと思う。

(左)4月に行う「お座敷商店街」の様子。ゆっくりと花見を楽しめるように、商店街に畳を敷きつめた。(右)11月末より、商店街をあげてキャッシュレス端末を導入。(中国からの旅行客に向けてアリペイ・ウィチャットペイに対応。3月末までの実証実験。)本格導入については、状況を見て検討するという(写真提供:(一社)阿蘇門前町商店街振興協会)(左)4月に行う「お座敷商店街」の様子。ゆっくりと花見を楽しめるように、商店街に畳を敷きつめた。(右)11月末より、商店街をあげてキャッシュレス端末を導入。(中国からの旅行客に向けてアリペイ・ウィチャットペイに対応。3月末までの実証実験。)本格導入については、状況を見て検討するという(写真提供:(一社)阿蘇門前町商店街振興協会)

2019年 01月15日 11時05分