東京生まれ東京育ちのフォトグラファーが経営する、港のそばの朝食店

福岡市と五島列島・福江島を結ぶフェリーは、博多埠頭を深夜に出て、朝8時過ぎに福江港に着く。
お腹を空かせて下船したら、朝ごはんに頃合いの時間だ。しかしこれまで、港周辺はもとより、中心街まで足を延ばしても、開いている飲食店は見当たらなかった。

そこで2018年5月、港から徒歩2分のところに、土・日・祝日の朝8時〜10時の間だけ営業する朝がゆの店「金木犀」がオープンした。五島の地鶏「しまさざなみ」で出汁をとったあつあつのおかゆに、新鮮な地魚の刺身を載せていただく。メニューには、五島の食材を使ったおかずも並ぶ。テイクアウトにも対応しているので、朝9時頃に出港する長崎行きのジェットフォイルに持ち込むこともできる。

店主の瑳山(さやま)ゆりさんは、東京生まれ東京育ちのフォトグラファー。2011年に、2匹の愛犬とともに五島に移住してきた。「東日本大震災の直後、緊急避難のつもりで滞在したんですが、五島の爽やかな風土に魅了されて、2週間後に東京に戻ったときは、もう引っ越しの準備に取りかかっていました」。

最初の1年は、島の小さな集落でカフェを開いてみたり、陶芸家に弟子入りして器を焼いたりしていた。その器を展示販売する場所を探して巡り会ったのが、いま「金木犀」のある建物だ。

「もともとは五島のほかの島から移築した倉庫だったそうです。家屋じゃないから、中は柱や壁のない、大きな空間になっていたんですね」。わざわざ移築するぐらいだから、おそらくいい木材を使っているのだろう。移築後の年数は50〜60年ほどになるという。

(左上)福江港の近くにある居酒屋「かきごや こんねこんね」。土日祝日の朝は「金木犀」として営業する(右上)「こんねこんね」と同じ建物の反対側に「サヤンテラス」がある(左下)「金木犀」で、店主の瑳山ゆりさん(右下)「サヤンテラス」内部(左上)福江港の近くにある居酒屋「かきごや こんねこんね」。土日祝日の朝は「金木犀」として営業する(右上)「こんねこんね」と同じ建物の反対側に「サヤンテラス」がある(左下)「金木犀」で、店主の瑳山ゆりさん(右下)「サヤンテラス」内部

ひとつの建物をきっかけに、移住者たちのチャレンジが広がる

瑳山さんははじめ、建物の南側半分を借りて島の大工と一緒にリノベーションし、「サヤンテラス」と名付けた。そこで、自分でつくった器を並べるだけでなく、週末の4日間ほどは、台湾茶や点心を出したりもした。

それがほどなく、北側の半分も借りることになる。その場所で冬の間だけ、牡蛎小屋を出していたおじさんの勧めだった。
「おじさんの目に、東京からひとりでやって来た私は頼りなく見えたんでしょう。助けてやりたいから、ここでちゃんと店をやりなさい、と場所を譲ってくれたんです」。

奇遇にもおじさんは、瑳山さんの亡くなった父親と同じ名前、同じ年だった。「父が背中を押してくれているような気がしました」。

こうして2012年12月、瑳山さんは居酒屋「かぎこや こんねこんね」を開くことになった。はじめのうちは知人の女性と2人だけで切り盛りしていたが、翌夏には縁あって料理人を雇い、さらに6年目には、新しく「金木犀」をオープンするため、東京と福岡からの移住者を雇い入れたそうだ。

一方、「サヤンテラス」のほうは、アロマテラピーマッサージ、タロット占い、マインドフルネス講座、テンポラリーセレクトショップなど、さまざまなイベントを開催したり、瑳山さんのように五島に移住してきた人が、お試しショップを営業する場になっている。そこで、2014年から1年間、週に1度、無農薬野菜と自然食品、五島の手仕事のものなどを販売していたのが「ねこたまShop&Cafe」の坂本泰子さんだ。

その「ねこたまShop&Cafe」は今、福江港から15分ほど車を走らせたところにある。「奥浦」という名前の通り、奥深い入り江に沿った集落だ。その入り江の一番奥、海に面した石垣の上に、その家は建っている。かつては船を着けていたのだろう、石垣には、海に降りる階段が残っている。

入り江の奥にひっそりと建つ「ねこたまShop&Cafe」。2階は坂本さん一家の住まいになっている入り江の奥にひっそりと建つ「ねこたまShop&Cafe」。2階は坂本さん一家の住まいになっている

大阪と諫早から群馬へ、そして五島へ。“農”が導いた道のり

「ねこたまShop&Cafe」で、坂本勝さん・泰子さん夫妻「ねこたまShop&Cafe」で、坂本勝さん・泰子さん夫妻

長崎県の諫早出身の坂本泰子さんと、大阪出身の坂本勝さんは、群馬で出会って結婚し、それから約20年後の2013年、2人の子どもとともに五島にやってきた。

幼い頃からピアノを習ってきた泰子さんは、音楽を学ぶために東京に出た。しかし、20歳を過ぎてから重度のアトピーを患ったことをきっかけに、食について真剣に考えるようになる。このとき、知人に誘われて出掛けた体験農場を営んでいたのが勝さんだ。都会育ちの勝さんは自然に憧れて農学を専攻し、友人の縁で群馬に農場を開いたという。

「群馬に骨を埋めるつもりだった」と語るふたりが五島に移住したきっかけは、瑳山さんと同様、東日本大震災だった。悩んだ末に新天地で再出発しようと、九州で農業ができる場所を探した。候補地はいくつかあったが、五島に決めた大きな理由は「海」だ。「群馬には、なかったものですからね」と勝さんは言う。

群馬の20年間で培った無農薬農業のノウハウは、環境の異なる五島で、すぐに成果には結び付かなかった。「気候も違うけれど、何より土が違いました。5年かけて、今、ようやく野菜が育つ土ができてきたかな、という段階です。まだまだ、“軌道に乗った”とはいえません」と勝さん。

けれども、移住翌年の2014年からは、前述の通り、泰子さんが「サヤンテラス」で少しずつ、有機野菜をお披露目できるようにもなっていた。同じ年の6月には、五島産「無農薬野菜セット」の初出荷にも漕ぎ着けている。

静かな入り江の奥に見つけた牛小屋を、1年近くかけてDIYで改修

農業の傍ら、泰子さんがお店を持とうと思ったのは、自分たちがつくる野菜を売るためだけではない。群馬ではたやすく手に入ったオーガニックの調味料などが、五島では買えなかったからだ。「私たちに必要なものは、ほかにも欲しい人がいるはず。ひとりひとりが遠くから通販で取り寄せるより、私がお店をつくればいいと思いついて」と泰子さん。お店を開くことで、交流も広がる。「お客さまから新しい商品を教えてもらうこともあって、その都度、品揃えにも工夫しています」。

「サヤンテラス」での試験ショップを経て、自前の店を構えようと決めたのが2015年の10月。住まいと農園に近い奥浦で物件を探し始めたところ、近所の人が「ここはどうですか」と連れていってくれた家の、向かいの建物が、今の「ねこたまShop&Cafe」だ。入り江に面した風情が、以前から泰子さんの気に掛かっていた。

建物は快く貸してもらえたものの、問題はそれからだった。そこは住宅ではなく牛小屋で、中には山のようなモノが詰め込まれ、運び出すだけでも一苦労。坂本さん夫妻の人柄のおかげだろう、手を貸してくれる人は少なくなかったというが、改修はなかなか進まなかった。

それでも、自分たちの手で学びながら改修したいと、ふたりは慣れない大工仕事に取り組んだ。指導を仰いだのは、「サヤンテラス」の改修を手掛けた大工さんだ。「要領が悪くて叱られて、こっそり泣いたこともありました」と泰子さんは振り返る。作業はほぼ1年に及んだ。

「ねこたまShop&Cafe」。左上が改装前で、右上が改装中の外観。作業する後ろ姿は勝さん。(以上2点写真提供:ねこたまShop&Cafe)左下は改装後の道路側外観、右下は内観。左手にある出入り口から入り江を望むテラスに出られる「ねこたまShop&Cafe」。左上が改装前で、右上が改装中の外観。作業する後ろ姿は勝さん。(以上2点写真提供:ねこたまShop&Cafe)左下は改装後の道路側外観、右下は内観。左手にある出入り口から入り江を望むテラスに出られる

暮らしと畑と音楽と、ひとびとをつなぐ店。五島でチャレンジを続ける日々

お店のほか、泰子さんには五島に来て始めたことがたくさんある。そのひとつが、音楽だ。

音大でクラシックピアノを学んだ泰子さんだが、群馬では頼まれて数人の子どもに教える程度だったという。それが、五島では人数が増えて教室を開くことになり、泰子さん自身も学び直しの日々だ。「人に教えるためには、自分も勉強しなくちゃならなくて。でも、それがまた、楽しいんですよね」。

さらに、ピアノ・トリオを組みたいからと誘われて、弾いたこともないジャズにも取り組んだ。クラシックとはまるで違って、これもまた大変だけれど新鮮だという。

「ねこたまShop&Cafe」では、年に1、2回「音楽祭」が開かれる。泰子さんのピアノ・トリオはもちろん、教え子たちのバンドや、知人による三線教室も。勝さんは高座をつくって落語を披露したそうだ。「単なるオーガニックショップだと、興味を持たない人もいるでしょう。賑やかにイベントをすることで、いろんな人に来ていただきたかったんです」と泰子さん。農業と音楽と生活は、泰子さんにとって分かちがたいものだ。

泰子さんの好きなものを詰め込んで、今の「ねこたまShop&Cafe」はある。そして泰子さんは「音楽も商品も、いつか必要がなくなったら、そのときは省いていく」とも言う。

2018年11月から、「ねこたまShop&Cafe」は営業日を1日減らし、日・月・火の週3日だけ開店することになった。閉店する土曜日は、音楽活動または「畑の日」に充てる。「畑の日」とは、参加者を募って農園で収穫を楽しみ、自分たちで採った野菜で昼食をつくって食べるイベントだ。畑と食卓のつながりを、子どもたちに実感してもらいたいし、何より泰子さん自身が、畑に親しむ日々を増やせる。

誰の人生も試行錯誤の繰り返しだけれど、坂本さん夫妻のチャレンジはとても鮮やかで自然体に見える。けれど実際は、傍目に見るよりずっとずっと苦労は大きいはずだ。「ねこたまShop&Cafe」が完成したときに泰子さんが自らのブログに綴った、何気ない文章が印象に残った。
「これが好き、こうしたい、こうなりたい、と思ったら、とても大変でいやなこともやれるんだなって思いました。小学生のような感想ですけど、単純にそう思いました」。

さて、その後の「サヤンテラス」では、新たな試験営業が始まっている。瑳山さんの友人である、湘南・葉山のアーユルヴェーダレストラン「MOKSHA」のオーナーが移住してきたのだ。現在は毎週日曜日と月曜日に、南インド料理のランチを提供している。
五島の変化のスピードは速い。


かきごや こんねこんね/金木犀
 かきごや こんねこんね Facebook 火曜定休、月・水不定休18:00〜22:00

金木犀 土・日・祝8:00〜10:00
※ハイシーズン、冬期の営業時間はFacebookページで確認のこと

ねこたまShop&Cafe 日・月・火​10:30~17:30

MOKSHA 日・月12:00〜14:30
 MOKSHA Facebook

左2点は「畑の日」の様子(写真提供:ねこたまShop&Cafe)右上は現在「サヤンテラス」で営業している「MOKSHA」のLakshmi靖子さんとSajinさん、右下の写真はある日のランチ(写真提供:瑳山ゆり)左2点は「畑の日」の様子(写真提供:ねこたまShop&Cafe)右上は現在「サヤンテラス」で営業している「MOKSHA」のLakshmi靖子さんとSajinさん、右下の写真はある日のランチ(写真提供:瑳山ゆり)

2018年 12月18日 11時05分