空き店舗の2階をリノベ、五島市の中心街に生まれた1日1組限定の宿
五島列島最大の島、福江島。面積は名古屋市とほぼ同じで、5つの地区に分かれている。中でも東部の福江地区は五島市が本庁舎を置く行政の要で、海と空の港を持つ五島の玄関口にあたる。
その福江の中心街に2017年7月、1軒の宿がオープンした。商店街から一歩奥まった通りに面した木造2階建て。広さ45畳の2階部分をまるごと使った、1日1組限定の宿だ。名前は「jasmine(ジャスミン)」。白を基調とした広い空間に、自由に使えるオープンキッチンが備わっていて、まるで別荘に暮らすような感覚が味わえる。
運営するのは、北九州市に本拠を置く一般社団法人リノベーションまちづくりセンター。北九州市戸畑区で元産婦人科医院を複合商業施設「cobaco tobata」に生まれ変わらせるなど、リノベーションをめぐる様々な活動実績を持つ。代表は、九州工業大学で准教授として教鞭を執る徳田光弘さんだ。
jasmine誕生の物語は、福岡から福江島にUターンした“リノベの女王”こと芳澤瞳さんが、福江再生への熱い想いを胸に、徳田さんを訪ねたことに始まる。
福江再生を目指し、まちづくりの足場となる空き物件を270万円で購入
それは、芳澤さんが五島に移住して3年ほど経った頃。五島の魅力をPRしたいと情報発信を続けてきた芳澤さんは、まちづくりNPOの理事や行政の審議会委員などとして活躍するようになっていた。しかしその中で、次第にジレンマを感じ始める。
「五島は国の離島振興策の対象なので、外部からいろんな方がまちづくりのアドバイザーとして来てくださいます。けれども、任期は限られているし、ワークショップを開いてアイデアを募っても、なかなか実現に結びつかない。迎えるこちらもワークショップ疲れしてしまって…。とはいえ、島のリソースだけではまちの再生は難しい。誰か心ある人に助けて欲しいと思いました。それで、意を決して徳田先生に相談に行ったんです」(芳澤さん)。
ちょうど、徳田さんのリノベーションまちづくりセンター(以下、センター)も、事業の転換期を迎えていた。新しく取り組む対象として、五島は魅力的だった。「五島は九州の最西端。こう呼ぶと住んでいる人には失礼かもしれないけれど、辺境こそ最先端だと思うんです」と徳田さん。その後しばらくは、五島で講演を行うなどの機会をつくって現地に足を運んだ。
芳澤さんは「徳田先生に五島の再生に関わってもらうには、福江に拠点が必要でした」という。徳田さんも「まちづくりに携わるには、まず自分も何らかの形で当事者にならなければ」と考えた。ふたりの最初のミッションは「福江のまちで空き物件をひとつ、手に入れること」。使い道は二の次だったという。
とはいえ、大学教員とセンター理事の二足のわらじを履く徳田さんにとって、物件探しに時間を割くのは難しい。それより何より、活用のしがいがある空き物件を発見するには、若い感性に委ねるべきだと考えた。そこで、大学院の徳田研究室に籍を置く、当時修士課程2年生の木村愛莉さんに白羽の矢を立てた。「彼女の鋭いセンスに期待した」と徳田さんはいう。
修士2年といえば、進路を考える時期だ。同級生が就活に奔走する中、木村さんは会社に就職することに関心が持てないままでいた。徳田さんの誘いに興味をそそられ、卒業後はセンターの職員として五島に移り住む前提で、物件探しを引き受けたという。「なんだかおもしろそう、という直感だけで移住を決めました。ゴールデンウイークの最終日に初めて五島に来て、一人で自転車を借りて、街中を下見に回りました」と木村さんは振り返る。
全員の意見が一致して購入を決めた建物は、かつてブティックが使っていた奥行きの深い2階建て。そのブティックによって、天井板を抜いたり窓を入れ替えたりと既に手が加えられていた。しかし、雨漏りが原因で移転し、その後すぐ持ち主が売りに出したらしい。延べ面積は180m2で、値段は破格の270万円。
競合のない唯一無二の価値を狙い、五島の魅力を味わうちょっと贅沢な宿に
物件購入の資金は、芳澤さんが調達した。
「関係者でお金を出し合う選択肢もあったけれど、ここは私が覚悟を決めなければ、と思いました。それまでずっと賃貸で暮らしてきたのに、生まれて初めて、不動産オーナーになりました」と芳澤さん。芳澤さんが大家になり、センターが運営を担う構図が決まった。
物件が決まったら活用策だ。道路に面した1階部分は、物販や飲食などあらゆる業態の店舗に使える。テナントに貸してもいいだろう。いっぽう、プライバシーが保てる2階は宿泊に向くかもしれない。センターの徳田さんとそのパートナーの岩下真太朗さん、実働スタッフの木村さんを中心に、事業計画のシミュレーションを繰り返した。一時はベッドを7つ置くゲストハウス案も出たそうだ。しかし福江には、安価な宿は他にもある。
「私が五島にかかわる目的からも、既存のゲストハウスとの競合は避けたかった」と徳田さんはいう。スタッフの木村さんにとっても、宿泊客数が多いと宿の運営で手一杯になってしまう。まちづくりに振り向ける余力がなくなっては問題だった。
そこで、たどり着いた結論が「1日1組限定の、ちょっと贅沢な宿」というコンセプトだ。周囲にゲストハウスやビジネスホテルはあっても、リゾート風の宿はない。「訪れてくれた人に、五島の魅力をゆっくり味わってもらいたい」という芳澤さんの願いにも適っていた。
総額約700万円で開業した新しい施設。1階はお試し店舗として開放
改修工事は、地元の大工や左官、電気・水道工事の専門業者に依頼しながらも、芳澤さんと木村さんが交代で現場に入って手を動かした。全部で実質2ヶ月半の工期のうち、ふたりの実働日数は、それぞれ30日と40日。設計や材料探しの手間は含まない。タオル掛けやドアハンドルなどは、既製品にイメージに合うものがなかったので、木村さんがデザインを描いて地元の鉄工所につくってもらった。
ふたりの知恵と努力の甲斐あって、キッチン・浴室・洗面・トイレをまるごと新設するフルリノベーションにもかかわらず、工事費は照明やエアコンも含めて総額350万円で収まった。家具や家電はセンターが負担し、こちらは全部で100万円ほど。物件購入を含めると、何もないところから、わずか700万円ほどで新しい宿泊施設をつくりあげたことになる。
リノベーションの工程は、デジタルとアナログの両方で公開した。芳澤さんのフェイスブックには、現場で起きる様々なできごとが綴られているだけでなく、費用についても細かく報告され、DIYリノベを目指す人の参考に供されている。木村さんは現場に看板を立てて町行く人に工事の様子を知らせた。完成直前には上棟式を模した餅まきイベントを開き、地元のひとびとを招いて一緒に新しい宿の誕生を祝ってもらった。
こうした情報発信が功を奏して、jasmineは開業直後からおおむね順調に稼働している。オープンから2度目の夏休みシーズンも、7月・8月とも早々に満室が決まった。「年間を通しても、稼働率7割は確実に達成できそうです」と芳澤さん。「宿泊以外にも、ヨガなどのイベント会場や撮影スタジオとして、時間貸しのご要望をいただいています」。
一方、1階はセミナー会場や期間限定ショップとして、さまざまなチャレンジの場になっている。ワークショップを開催してみんなでDIYしたり、講師を招いてセミナーを開いたり。飲食店のテスト出店も2件目。1件目の台湾朝がゆ店「金木犀」はすでに卒業し、別の店舗で本格営業を開始している。現在は子育て中のママ、“ゆみさん”と“みどりさん”による「ゆみどりcafe」が不定期で営業中だ。
jasmineから始まるチャレンジ。持ち主も周囲の人も新たな一歩を踏み出す。
jasmineをつくったことで、芳澤さんと木村さんはそれぞれ、また新しい一歩を踏み出すことになった。
芳澤さんは、二つ目の不動産購入に踏み切った。
木村さんはセンターを辞め、島の大工に弟子入りした。
芳澤さんは言う。
「一つ不動産を買ったら、見える世界が変わりました。オーナーとして、建物の採算を考えるようになった。そうしたら、もう一つ収益を生む物件が必要になったんです。今度は築52年、38m2の小さな一戸建て。87m2の土地込みで、値段は120万円でした。この秋からリノベを始めます。1年間に2つも不動産を買うなんて、自分でも驚きです」。
木村さんの動機はこうだ。
「jasmineをつくっている時間は、本当に楽しかったんです。そのぶん、完成してからが辛かった。宿の運営に気持ちが入らなくて…。私が何をしたいかを改めて自問すると、やっぱり建築しかない。センターに就職した身としては心苦しかったのですが…」。恩師である徳田さんに、その想いが伝わらないはずはなかった。
今、木村さんは真っ黒に日焼けしながら、喜々として現場で汗を流している。「建築の現場を知るために大工を始めましたが、今は大工が天職のように感じています。ゆくゆくは、設計と施工を融合させて、建て主と密にコミュニケーションしながら建物をつくる、現代版棟梁のような職能を確立したい。いろいろな土地に住んで、その土地の大工さんと一緒に仕事ができたらさぞかし楽しいだろうな、と思い描いています」。
近頃、芳澤さんは時折jasmine階下のゆみどりcafeに陣取って、「はたらき方相談所」を開いている。子育て中のママたちが、働きたいときに働きたいだけ働けるような、人と仕事のマッチングを模索しているらしい。jasmineは、地域のひとびとにチャレンジの機会を提供する、新しいかたちのまちづくり拠点に成長しているようだ。
2018年 10月12日 11時05分