2020年2月。東京国立近代美術館工芸館の歴史にひとつの区切り

2020年2月28日、ひとつの美術展が閉幕した。東京国立近代美術館工芸館(以下、工芸館)の『パッション20 今みておきたい工芸の想い』。日本の近代工芸を代表する作家の言葉や活動・出来事から20のテーマを抽出し、陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工ほかあらゆるジャンルをまたいで、19世紀末から今日に至る工芸の軌跡をたどる展示だった。新型コロナウイルスの影響で9日間の短縮を余儀なくされたが、東京では、これが最後の展覧会だった。

工芸館は、石川県金沢市への移転が決まっている。展示室の出口には、白い文字で「さらば。」と書かれていた。

2020年1月に撮影した東京国立近代美術館工芸館。北の丸公園の緑を背にして建つ、赤レンガの建物だ。明治43(1910)年に竣工した簡素なゴシック様式で、中央に八角形の塔屋を載せている。屋根はスレート葺き。関東大震災後に銅板に葺き替えられていたが、1973年に始まった改修工事で建築当時の姿に復原された。工芸館が移転したあとの活用法は、まだ決まっていないという2020年1月に撮影した東京国立近代美術館工芸館。北の丸公園の緑を背にして建つ、赤レンガの建物だ。明治43(1910)年に竣工した簡素なゴシック様式で、中央に八角形の塔屋を載せている。屋根はスレート葺き。関東大震災後に銅板に葺き替えられていたが、1973年に始まった改修工事で建築当時の姿に復原された。工芸館が移転したあとの活用法は、まだ決まっていないという

明治時代の建造物・近衛師団司令部庁舎の保存活用を機に誕生した工芸館

工芸館が入居していた重厚な赤レンガの建物は、はじめ大日本帝国陸軍の近衛師団司令部庁舎として建てられた。竣工は、明治も終わりに近付いた1910年。現存する同時期の建物には、たとえば迎賓館赤坂離宮(1909年、片山東熊)がある。赤レンガ建築としては、東京駅丸の内駅舎(1914年、辰野金吾)と同時代だ。設計を手掛けたのは、東京帝国大学で辰野に学んだであろう、陸軍技師の田村鎮 (やすし)。当時32歳の若手建築家だった。

近衛師団司令部庁舎が完成した1910年は、日本が韓国を併合した年だ。そして、それから35年後の太平洋戦争終結の日、この建物は、降伏に反対した一部の陸軍将校によるクーデター未遂の舞台となった。映画『日本のいちばん長い日』(※1)にも描かれた宮城事件は、将校たちがここで近衛第一師団長を殺害し、虚偽の出動命令を発したことに始まる。

戦後しばらく、この建物は皇宮警察が職員宿舎として使っていたが、1963年以降は空き家となり、1968年にいったん取り壊しが決定した。

保存運動を率いたのは、東京国立近代美術館の本館(1969年)を設計した建築家・谷口吉郎だった。谷口をはじめとする日本建築学会などの陳情や意見書が功を奏し、1972年、「旧近衛師団司令部庁舎」は国の重要文化財として保存されることになった。同時に、その活用法として、東京国立近代美術館の分館への転用が決まる。コンバージョン(用途変更)による明治の歴史的建造物の保存活用として、国内では最も早い例ではないだろうか。

工芸館2階ホールから階段室を見る。改修により、レンガの外壁は鉄筋コンクリートで支持され、中の間取りも大きく変更されたが、中央の階段回りは建築当時の姿を残しているといわれる工芸館2階ホールから階段室を見る。改修により、レンガの外壁は鉄筋コンクリートで支持され、中の間取りも大きく変更されたが、中央の階段回りは建築当時の姿を残しているといわれる

建築家・谷口吉郎が改修を担当し、1977年開館。近現代工芸専門の美術館に

美術館への転用は決まったものの、もともと事務所としてつくられた建物は天井が低く、絵画を展示するための広い壁面が確保できない。そこで、工芸作品専門の展示施設に改修することになった。

陳列ケースを含めた展示室のインテリアを手掛けたのは、前出の谷口吉郎だ。特に、2階東側に設けられた「展示和室」は、谷口ならではの発案だったといえる。谷口は東宮御所(1960年)や迎賓館赤坂離宮和風別館(1974年)などを手掛け、“和”のモダニズムを確立した建築家だ。以下に、工芸館設計時に谷口自身が「展示和室」の趣旨について説明した言葉を引用する。

「日本の工芸が、いわゆる和室とはどういう関係にあったか、障子、ふすま、土間、畳というものはどういうものだったのか、そういう中にどういうものが置かれるのか、そういう概略と、また、日本の工芸とどういう関わりあいを持っているのか、ということで、非常に小さい場所ではございますが、いわゆる和風の建具造作を一応そこに考えてございます」(※2)

ちなみに、谷口吉郎は近衛師団司令部庁舎の竣工と同時代の1904年生まれで、田村鎮の後輩として東京帝国大学で建築を学んでいる。早くから明治時代の建築物の保存に取り組んだ建築家であり、博物館明治村の初代館長でもあった。

工芸館は1977年に開館。本館から引き継いだ工芸品39点に加え、文化庁が収集してきた伝統工芸品428点が工芸館に移管された。その後も陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィック・デザインなど、近現代の工芸作品を体系的に収集。約40年間の積み重ねにより、所蔵作品は当初の約8倍の3,863点に達した(2018年度末時点)。

谷口吉郎設計の展示和室。写真は所蔵作品展『パッション20 今みておきたい工芸の想い』の展示。</br>左の畳の上の作品は生野祥雲斎『虎圏(こけん)』(竹、1959年)、床の間に飾られているのは藤原志保『No.94-13』(和紙、墨、1994年)、その手前が星野暁『表層・深層』(陶器、1982年)谷口吉郎設計の展示和室。写真は所蔵作品展『パッション20 今みておきたい工芸の想い』の展示。
左の畳の上の作品は生野祥雲斎『虎圏(こけん)』(竹、1959年)、床の間に飾られているのは藤原志保『No.94-13』(和紙、墨、1994年)、その手前が星野暁『表層・深層』(陶器、1982年)

工芸館の移転先は、金沢の旧陸軍第九師団が遺した二つの建造物

2016年3月22日、東京一極集中を是正するため政府「まち・ひと・しごと創生本部」がまとめた「政府関係機関移転基本方針」で、工芸館も移転の対象となった。冒頭に書いたように、移転先は石川県金沢市。谷口吉郎の生まれ故郷である。

工芸館はよくよく旧陸軍と縁があるようで、移転先には「旧陸軍第九師団司令部庁舎」と、将校たちの社交場だった「旧陸軍金沢偕行社」を移築改修して使うことになった。前者は東京の近衛師団司令部庁舎より古い1898年、後者はほぼ同時期の1909年完成で、いずれも国の登録有形文化財だ。

2017年8月、東京国立近代美術館は工芸館移転の基本コンセプトを発表。移転後も、正式名称は「東京国立近代美術館工芸館」を引き継ぐことになった。その後、通称として「国立工芸館」を使うことに決まる。所蔵作品のうち、明治から現代に至る工芸史を語る上で欠かせない、約1900点を金沢に移転する。これは、現工芸館の所蔵作品のうち、工業デザインやグラフィック・デザイン作品を除く美術工芸品の約70%に当たる。うち約1400点は、重要無形文化財保持者(人間国宝)や日本芸術院会員の作品だ。

移転決定からこれまで、工芸館と石川県や金沢市は、さまざまな連携事業を行ってきた。石川県立美術館はじめ、金沢市や小松市の美術館で工芸館の所蔵作品を紹介する特別展が繰り返し開催されている。移転先の旧陸軍第九師団司令部庁舎と旧陸軍金沢偕行社では、改修工事の前後に建物の見学ツアーが実施された。

上が旧陸軍第九師団司令部庁舎、下が旧陸軍金沢偕行社。事務所として建てられた庁舎に比べ、社交の場であった偕行社はより華やかな造りになっている。いずれも木造2階建てで、これまでにも移築や改修が行われていた。今回の改修では、撤去されていた部分を増築復原したり、塗装の色を再現するなどして、建設時の姿に近付けている</br>(改修前の写真出典:石川県資料、改修後の写真:東京国立近代美術館工芸館提供を加工)上が旧陸軍第九師団司令部庁舎、下が旧陸軍金沢偕行社。事務所として建てられた庁舎に比べ、社交の場であった偕行社はより華やかな造りになっている。いずれも木造2階建てで、これまでにも移築や改修が行われていた。今回の改修では、撤去されていた部分を増築復原したり、塗装の色を再現するなどして、建設時の姿に近付けている
(改修前の写真出典:石川県資料、改修後の写真:東京国立近代美術館工芸館提供を加工)

歴史的建造物が数多く残る金沢。「工芸王国」石川で新たな時代が始まる

国内の大都市には珍しく、戦災を被らずにすんだ金沢市には、加賀藩時代の遺構から近代のレトロ建築まで、さまざまな歴史的建造物が残されている。新工芸館の周りには、重要文化財に指定されている旧金沢陸軍兵器支廠(1909年〜14年、現いしかわ赤レンガミュージアム)や、国登録有形文化財の旧陸軍第九師団長官舎(1922年、現石川県立美術館広坂別館)がある。

さらに近くには、谷口吉郎が設計したいしかわ生活工芸ミュージアム(1959年、旧石川県立美術館)もある。谷口の生家跡地には、長男・谷口吉生設計による、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館が2019年7月にオープンしたばかりだ。

旧陸軍第九師団司令部庁舎と旧陸軍金沢偕行社は、おのおの建設当初に近い状態に復原され、新設されたエントランスホールと渡り廊下でつながれた。司令部庁舎の1・2階に展示室、偕行社2階に講演会などの会場となる多目的ホールを設ける。さらに、庁舎2階には、石川県出身の人間国宝で漆芸家の松田権六の自宅工房が移築展示される計画だ。

石川県は「工芸王国」とも呼ばれる。加賀藩の時代には金沢城内に「御細工所」を設け、京や江戸から招聘した名工の指導のもと、多彩な工芸技術を育んだ。5代藩主前田綱紀は、全国から2000点を超える工芸・技術資料を収集して「百工比照」にまとめている。その伝統は今に受け継がれ、県内には九谷焼や輪島塗、加賀友禅など、国の伝統工芸に指定されているものだけでも10に上る工芸技術が伝えられている。

新工芸館は日本海側で初めての国立美術館であり、国立として唯一の工芸専門美術館となる。石川県には伝統工芸の展示施設のほか、県立の九谷焼技術研修所や輪島漆芸技術研修所をはじめとした工芸家の養成施設もあり、国立工芸館と連携しての工芸振興が期待される。開館は2020年度中の予定だ。

なお、独立行政法人国立美術館では、国立工芸館の移転・開館を記念するクラウドファンディングを6月22日まで実施している。支援額は3000円からで、すべてに返礼としてプロジェクト記念リーフレットが贈られ、国立工芸館に設置されるパネルとホームページに名前が刻まれる。集められた支援金は、工芸・美術作家の作品制作に充てられ、その作品は開館記念展や国立工芸館のイベントで活用される予定だ。

国立美術館クラウドファンディングサイト
https://crowdfunding.artmuseums.go.jp/products/detail/2?id=report-27

石川県企画課「東京国立近代美術館工芸館名品展」等実行委員会
http://www.pref.ishikawa.jp/kikaku/kogeikan/top.html

※1 原作書籍『日本のいちばん長い日』は1965年に大宅壮一編として刊行され、1995年に半藤一利名義で『決定版』として文藝春秋から再刊行された。映画は1967年の岡田喜八監督作品、2015年の原田眞人監督作品がある。
※2 「工芸館建設委員会議事録」昭和52年3月16日、下記『工芸とナショナリズムの近代』p208より孫引き

(参考文献)
木田拓也『工芸とナショナリズムの近代 「日本的なもの」の創出』吉川弘文館、2014年
金沢市『金沢市歴史遺産保存活用マスタープラン』2009年3月
石川県、金沢市『国立工芸館建物見学ツアー』(2019年11月23日〜12月2日)配付資料

オープンを待つ国立工芸館。改修工事後、展示室や収蔵庫が適切な状態になるまでの「からし期間」を設けている</br>(写真提供:東京国立近代美術館工芸館)オープンを待つ国立工芸館。改修工事後、展示室や収蔵庫が適切な状態になるまでの「からし期間」を設けている
(写真提供:東京国立近代美術館工芸館)

2020年 05月15日 11時05分