東日本大震災から3年4ヶ月、いま被災地の住まいはどうなっているのか?!

未曾有の大災害をもたらした東日本大震災から3年4ヶ月。テレビや新聞等で『被災地復興』の明るいニュースを目にするたびに深い安堵を覚え、いつしか東日本大震災の悲しい記憶が少しずつ薄れてきたことを実感している人も少なくないだろう。

しかし、それはあくまでも“被災地の外で暮らしている人たち”の感覚だということを忘れてはいけない。あれから3年が過ぎた今も、被災地で暮らす人々は思うように進まない復興の中で様々な不都合を感じながら日々の生活を送っている。

筆者は震災から1年が経った頃から定期的に現地へ赴き、被災地復興に関する取材をおこなっているのだが、今回は『住宅の復興』に焦点を当て、その現状と課題を連載レポートする。

▲今回訪れたのは、筆者が定期的に取材訪問している岩手県大船渡市。<br />東日本大震災による死者・行方不明者は約500人。<br />地殻変動により最大0.76mの地盤沈下が確認され、今も満潮時には大船渡港一帯が冠水するという。<br />被災者の約7割が65歳以上の高齢者という点も住宅復興の大きな課題となっている。<br />※データは平成23年5月大船渡市発表の資料を参考に記載したもの▲今回訪れたのは、筆者が定期的に取材訪問している岩手県大船渡市。
東日本大震災による死者・行方不明者は約500人。
地殻変動により最大0.76mの地盤沈下が確認され、今も満潮時には大船渡港一帯が冠水するという。
被災者の約7割が65歳以上の高齢者という点も住宅復興の大きな課題となっている。
※データは平成23年5月大船渡市発表の資料を参考に記載したもの

オリンピック需要も一因?
建設バブルの影響を受け復興計画事業に遅れが…

▲現役の新聞記者時代から、街の復興を取材し続けている木下さん。震災前に暮らしていた60坪のマイホームは津波により全壊。現在は東京で暮らす家族と離れ、みなし仮設住宅(※)で一人暮らしをしながら取材活動をおこなっている。※みなし仮設住宅とは民間事業者の賃貸物件を応急的に仮設住宅とした住まいのこと▲現役の新聞記者時代から、街の復興を取材し続けている木下さん。震災前に暮らしていた60坪のマイホームは津波により全壊。現在は東京で暮らす家族と離れ、みなし仮設住宅(※)で一人暮らしをしながら取材活動をおこなっている。※みなし仮設住宅とは民間事業者の賃貸物件を応急的に仮設住宅とした住まいのこと

今回、筆者がお話をうかがったのは、フリーライターの木下繁喜さん。もともと地元紙の新聞記者だった木下さんは、自身も津波による自宅全壊の被害を受けた被災者だ。現在は、自らの被災体験や取材に基づく執筆活動に加え、全国で防災をテーマにした講演等をおこなっている。

「東日本大震災が発生したのが平成23年3月。それから7ヶ月が経った平成23年10月31日に市の復興計画が発表されました。その計画では、平成25年度から26年度にかけて、住宅敷地造成工事をおこない、いわゆる“高台移転”と呼ばれる『防災集団移転促進事業』が進められる予定でしたが、実際にはなかなか計画通りには進んでいません。というのも、建設業界全体の人手不足と資材不足で計画全体のスケジュールがズレこんでいるのです。これは、大船渡市に限らず多くの被災地の復興の現状です」(木下さん談)。

東京オリンピックの開催決定以降、日本国内の『建設バブル』に拍車がかかったと言われ、実際にマンション・商業施設・オフィスビル等の建設現場でも、人手不足と資材不足、そしてその影響による価格高騰が起こっている。これは被災地でも同様で、“人と建材が足りない”・“各自治体が想定していた予算の中では建設コストが収まらない”等の問題が発生し、事業計画に遅れが出ているのだ。

“高台”では暮らせない、高齢者の集団移転問題

▲震災から1年後に訪れたときは街のあちこちに瓦礫の山が積み上げられていたが、3年が過ぎた今は瓦礫の山がなくなり巨大な重機やトラックがせわしなく動いていた。この風景を見ると被災地の復興は着々と進んでいるように感じるが、『被災者の生活復興』には様々な課題が残っている(平成26年6月岩手県陸前高田市にて撮影)▲震災から1年後に訪れたときは街のあちこちに瓦礫の山が積み上げられていたが、3年が過ぎた今は瓦礫の山がなくなり巨大な重機やトラックがせわしなく動いていた。この風景を見ると被災地の復興は着々と進んでいるように感じるが、『被災者の生活復興』には様々な課題が残っている(平成26年6月岩手県陸前高田市にて撮影)

「津波で流されてしまった自宅を自力再建できる人は、『生活資金に余裕があるひと』や『働き盛りの若い世代の人たち』などに限られます。大船渡市の場合も被災した全ての人たちが自宅を再建できるわけではなく、仮設住宅での生活を経て災害公営住宅に移り住む人たちも多くいます。

復興計画事業の発表から一年後の平成24年10月、とある災害公営住宅の募集がスタートしたのですが、入居希望者の応募は募集44戸に対してわずか6世帯でした。何故だと思いますか?

…5階建ての中古の雇用促進住宅を買い取って改修したもので、エレベーターがついていなかったからです。5階までの階段の上り下りは若い人たちでも大変なのに、ましてや足腰が弱った高齢者の方たちが住めるはずありませんよね?」(木下さん談)。

住宅復興という点では、この災害公営住宅のケース以外にも様々な課題が浮上している。

国の『防災集団移転促進事業』では、今後津波の被害が及ばないと想定されている高台や内陸への集団移転を促しているが、『集団移転は民家5戸以上がまとまっておこなうこと』『集団移転する際には住宅跡地(宅地)のみを買い取る』等の厳しい条件があり、なかなか進捗していないという。

被災者が本当に求めているのは『住宅の復興』ではなく『生活の復興』

「海から遠く離れた内陸や高台が、安心・安全であることはみんな理解しています。しかし、スーパーや病院から遠く離れた場所に住宅を再建しても、車が運転できない高齢者の方は、生活が続けられません。毎日の買い物、病院への通院、年金の受け取り…いったいどうしたら良いのでしょうか?わたしたちにとって『生活再建なき復興』は、まったく意味がないのです」(木下さん談)。

行政側が進める『復興事業』と、被災者の多くが求める『生活の復興』の間には微妙なズレが生じており、本来優先して守られるはずの被災者の生活再建が後回しになっている現状があるようだ。次回は、被災地の住宅復興にまつわる『法令の壁』についてレポートする。

▲旧・大船渡市街に残された時計塔は、津波が押し寄せた3時25分を示して止まっていた。<br />被災者の皆さんの記憶に刻まれた時間が少しずつ進むよう、<br />早期の生活再建を願うばかりだ(平成24年5月大船渡市街にて撮影)▲旧・大船渡市街に残された時計塔は、津波が押し寄せた3時25分を示して止まっていた。
被災者の皆さんの記憶に刻まれた時間が少しずつ進むよう、
早期の生活再建を願うばかりだ(平成24年5月大船渡市街にて撮影)

2014年 07月17日 10時15分