時代の流れとともに役割を変え、再び街にとって欠かせない存在となった駅

1980(昭和55)年頃の上野駅ホームには、数々の夜行列車や優等列車の姿があった1980(昭和55)年頃の上野駅ホームには、数々の夜行列車や優等列車の姿があった

駅は、街の「玄関口」といわれることも多い。鉄道で移動した場合、その場所を訪れて初めて目にする場所は、その駅であり駅前の風景であるからだ。

上野駅は「北の玄関口」といわれ、東北新幹線や上野東京ラインの開業前には、東北方面から東京へやってくる列車のほとんどが起終点としていた。頭端式(行き止まり式)のホームに次々と到着する列車からは、大きな荷物とともに大きな夢を抱いた人々がプラットホームに降り立ち、この駅から東京の雑踏の中に送り出されていった。

上野駅15番線の先には、「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにゆく」という石川啄木の詠んだ歌の歌碑がある。同じく上野駅広小路口に歌碑の立つ、高度経済成長期の集団就職の青年たちを題材とした「あゝ上野駅」も当時ヒットしたように、駅とは、都市の玄関口として象徴となるような存在であった。

しかし、かつて交通手段として重要な地位を築いた鉄道も、モータリゼーションや航空網の発展に伴い、都市部や地方を問わず利用する人の割合は減っている。 (2015年 国土交通省全国都市交通特性調査より)
ある地名を言われた際に、誰もが思い浮かべるような象徴としての「駅」は、存在しなくなっているのではないだろうか。

LIFULL HOME’S PRESSではこれまでに、かつて栄華を極めたが時代とともに役割を終えた駅が、復原工事を経て再び観光の目玉となった事例や、地元の重要な玄関口と大切にされたのは今や昔となった駅に新たな機能を備え、地域を盛り上げる拠点となっている事例などを取材してきた。
今回は、交通手段の変遷や人口減少によって衰退した駅が、リノベーションなどによって新たな役割を与えられ、再び街にとって欠かせない存在として輝きを取り戻した姿を特集する。

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