日本屈指の規模を誇る民間のレンガ建造物

お話を伺った半田市市民経済部観光課の大木康敬さん(左)と、半田赤レンガ建物指定管理者(株式会社JTBプロモーション)の赤根孝さん(右)お話を伺った半田市市民経済部観光課の大木康敬さん(左)と、半田赤レンガ建物指定管理者(株式会社JTBプロモーション)の赤根孝さん(右)

2015年7月18日、愛知県半田市に「半田赤レンガ建物」がオープンした。

知多半島の東岸に位置する愛知県半田市は、古くから海運業や醸造業などが栄え、知多地域の政治・経済・文化の中心都市として発展してきたまちだ。また、国の重要無形民俗文化財に指定されている「亀崎潮干祭の山車行事」や、環境省の“かおり風景100選”に選ばれた「半田運河・蔵のまち」、童話「ごんぎつね」の作者・新美南吉の生まれ故郷としてもよく知られている。

そんな文化資源に恵まれた半田市に、なぜ「半田赤レンガ建物」がオープンしたのか。そのきっかけや目的について、半田市市民経済部観光課の大木さんと、半田赤レンガ建物指定管理者の赤根さんに話を伺った。

まず始めに「半田赤レンガ建物」がどんな建物なのかを簡単に説明しよう。

国の登録有形文化財に登録されている「半田赤レンガ建物」が建てられたのは1898年(明治31年)のこと。同年から1943年(昭和18年)まで製造され今もなお根強いファンを持つ“カブトビール”の製造工場として誕生した。建物を設計したのは、辰野金吾や片山東熊と並んで明治建築界の3大巨頭の1人といわれる妻木頼黄(つまきよりなか)。頼黄が手がけた建築物としては横浜赤レンガ倉庫や日本橋(装飾部)などが知られているが、なかでも「半田赤レンガ建物」は“日本で5本の指に入る規模のレンガ建造物”と称えられている。

市民の声で取り壊しを中止、保存へ

さて、もとはビール製造工場だったこの建物をなぜ半田市が管理することになったのか。その経緯について大木さんにご説明いただいた。

「建物は明治31年にカブトビールの製造工場として建てられたのですが、ビールの製造終了に伴って昭和初期に工場が閉鎖されてしまい、その後、工場は日本食品化工というコーンスターチの製造会社に買い取られました。平成に入ると日本食品化工もまた工場を閉鎖することになり、工場は解体されることに決まりました。ところが、平成6年に解体工事が始まり工場の半分ほどが壊されてしまったとき、赤レンガ建物の調査研究をしている市民の皆様をはじめ、多くの方から『レンガ造りの貴重な建物をぜひ保存してほしい』という声が上がりました。そこで、建物は無償で譲り受け、敷地を購入するという形で、平成8年から半田市が赤レンガ建物を保存し管理することになったのです」

しかし、購入はしたものの赤レンガ建物をどう活用するかまでは決まっておらず、あらためて検討する必要があった。さらに、購入当時は建物の消防設備や耐震性なども万全ではなかったため、数年間は本格的な活用には至らなかったという。

(左上)一般公開にあたり建物の上から最大21メートルの穴を掘って鉄骨を入れる耐震工事を行った。760本の鉄骨が建物を補強している (右上)ビール熟成にかかせない5重の複壁。壁の内面と外面の間に空気層を持たせた断熱構造になっている (下)建物のあちこちにビール工場当時の姿がそのまま残る。左下の写真に写っている黒い点々は太平洋戦争のときに受けた機銃掃射痕(左上)一般公開にあたり建物の上から最大21メートルの穴を掘って鉄骨を入れる耐震工事を行った。760本の鉄骨が建物を補強している (右上)ビール熟成にかかせない5重の複壁。壁の内面と外面の間に空気層を持たせた断熱構造になっている (下)建物のあちこちにビール工場当時の姿がそのまま残る。左下の写真に写っている黒い点々は太平洋戦争のときに受けた機銃掃射痕

2005年愛知万博を機にカブトビール復刻!

しばらく活用がとん挫していた赤レンガ建物だったが、2004年からは年に数回、イベントやお祭りなどに合わせて期間限定で特別公開を行っていた。なかでも注目を集めたのが、2005年の愛・地球博を機に復刻したカブトビールを赤レンガ建物で味わえるという催しだった、と大木さんは振り返る。

「普段は一般の方が入ることのできない建物だけに特別公開は好評でしたが、特に平成17年の公開のときにはカブトビールの復刻もあって来場者数は約8,700人にものぼりました。近隣市町村はもちろん、関西からわざわざカブトビールを味わいに来られた方もいらっしゃいました」

特別公開で集客の手ごたえをつかんだ半田市は、有識者や市民の意見なども取り入れながら、2013年には赤レンガ建物を核とする観光振興プロジェクトに向けて動き出し、その運営を指定管理者に委託することにした。それが赤根さんの所属する株式会社JTBプロモーションだ。
赤レンガ建物を運営していくにあたり、どんなことを大切にしているのか赤根さんに尋ねてみた。

明治時代、大都市の4大ビールメーカーがビール類のシェアを占めていた。</br>そこへ地方都市の半田から果敢に挑んだのがカブトビールだった明治時代、大都市の4大ビールメーカーがビール類のシェアを占めていた。
そこへ地方都市の半田から果敢に挑んだのがカブトビールだった

ものづくり精神を次世代に伝えるために

「一番は、赤レンガ建物の歴史を大切にするということです。赤レンガ建物の歴史とは、この地でビールづくりが始まった歴史でもあります。それは、中埜酢店(現ミツカン)4代目中埜又左衛門(なかのまたざえもん)氏と、のちの敷島製パン創業者の盛田善平(もりたぜんぺい)氏が、半田で培った酢や酒の醸造技術を用いて1からビール造りの世界に飛び込んだことから始まりました。両氏のものづくり精神やチャレンジ精神を、当時のままの建物を通じて後世に、多くの方々に伝えていきたいと思っています」

こうして、半田市民をはじめさまざまな人の温かい想いに支えられ「半田赤レンガ建物」はオープンした。7月18日から20日まではオープン記念イベント「カブトビールフェスタ」が開催され、3日間で約2万人が来場した。また、オープンから1週間後の7月26日にはマルシェが開かれ、約4,600人が半田赤レンガ建物に足を運んだ。赤根さんによると、今後は毎月第4日曜日に「半田赤レンガマルシェ」を定期開催していくという。

「地域の野菜や特産品を販売する一般的なマルシェとは趣向の違うマルシェにしたいと考えています。テーマはものづくりで、半田をはじめ知多半島全域でものづくりに携わっている方々にエンドユーザーと接する機会を持っていただき、そこからまた新しいモノやコトが生み出されることで地域がより元気に、より魅力的になることを期待しています」

オープン記念イベントの様子。</br>今後のイベントの予定はホームページで紹介されているので、参加を希望される方はご確認をオープン記念イベントの様子。
今後のイベントの予定はホームページで紹介されているので、参加を希望される方はご確認を

クラブハウスの利用法は?

半田赤レンガ建物の施設内には常設展示室やカフェ、お土産ショップなどがあり、イベント時でなくても建物の魅力をじっくり楽しむことができる。また、南知多町にあるビールメーカーで製造されている「生カブトビール」を味わえるのも魅力だ。ビンのカブトビールは半田市内の一部の店舗で販売されているが、生カブトビールはここのカフェでしか味わえない。

多くの魅力を持つ赤レンガ建物だが、「課題もある」と大木さんと赤根さんは口をそろえる。それは、クラブハウスの利用についてだ。一般でいう貸し会議室なのだが、まだ十分に認知されておらず、一般の方の利用促進が課題だという。

「今はマルシェや私たちが実施するワークショップなどに利用することが多いですが、今後は地域の方のワークショップやものづくりの作業などに活用していただきたいと思っています。逆に利用者の方から『音楽の練習に使える?』などと提案していただくのも大歓迎です」

試しに筆者が、クラブハウスでのミニコンサートや写真展、建物全体を使った映画やドラマやCMの撮影などを挙げてみると、おふたりは「いいですねぇ」と微笑んでくださった。興味のある方は、提案してみるといいかもしれない。

赤根さんは地元の高校や大学との連携にも積極的に取り組んでいきたいという。さまざまな可能性を秘める半田赤レンガ建物が、今後どう進化していくのかとても楽しみだ。

【取材協力】
◆半田赤レンガ建物



【関連リンク】

◆一般社団法人 赤煉瓦倶楽部半田



◆半田市観光ガイド(はんだ蔵のまち散策コース)



◆新美南吉記念館


クラブハウスは「ものづくり工房」「赤レンガ学び工房」「マルチ工房」「マーケット広場・音楽活動ルーム」の4タイプがある。</br>写真は、ものづくり工房クラブハウスは「ものづくり工房」「赤レンガ学び工房」「マルチ工房」「マーケット広場・音楽活動ルーム」の4タイプがある。
写真は、ものづくり工房

2015年 09月13日 11時00分