佐渡汽船が出発時に180度転回する理由とは?

ガイドいただく路地連新潟の野内隆裕氏との待ち合わせ場所は、信濃川河口近くにある新潟市歴史博物館みなとぴあ。ここは、新潟市の2代目市庁舎(明治44年竣工)をモデルに建てられた博物館本館、第四銀行住吉町支店(昭和2年竣工)を移築・復元したレストラン、会議室と旧税関庁舎(明治2年竣工)が並ぶ一角で、信濃川を挟んで目の前には佐渡汽船の乗り場がある。

朝の9時20分。それが指定された集合時間だが、これには意味がある。佐渡汽船が出発する時間なのだ。

「新潟港は信濃川の河口港で堆積物が多く、水深の浅い港です。そのため、毎日浚渫船が稼働するなど対策が打たれています。佐渡汽船の船着き場が海の近く、市街地からはやや遠いところにあるのも水深の浅さによるもの。その上、溯上ができないため、船はぐるりと転回して佐渡に向かうのですが、それがちょうど見られるのです」と野内氏。

佐渡汽船には何度か乗船したことがあるが、出発時に180度転回していたとは知らず。ダイナミックな操船を眺めた後は博物館へ。

新潟は長野県方面から流れてくる信濃川と現在は市東部、新潟空港近くに河口がある福島県方面から流れてくる阿賀野川(江戸時代初期までは河口はひとつだった)による土砂で作られたまち。まずはその歴史を博物館で予習してからまちを歩こうというわけである。

左上から博物館、レストラン&会議室、佐渡汽船、そして案内頂いた野内氏。Tシャツが新潟市内の地図!左上から博物館、レストラン&会議室、佐渡汽船、そして案内頂いた野内氏。Tシャツが新潟市内の地図!

今の新潟は平行移動して生まれた

信濃川、阿賀野川はともに長大で流域も広大な河川である。運んでくる土砂の量も多く、それがかつて海だった新潟を埋め、まちが作られてきたのだが、そこで不思議な現象が起きている。陸から運ばれて浅瀬や砂浜を形成した土砂が季節風などで陸側に飛ばされて高く堆積、砂丘を作ったのである。

これが新潟砂丘で、新潟市角田山麓から新発田市、胎内市を経て村上市瀬波までと長さは約70kmにも及ぶ。有名な鳥取砂丘が16kmほどであることを考えると、日本有数規模の砂丘である。しかも、海岸より内陸約10kmの場所(新潟市江南区亀田)から約10列の砂丘が連なっているのだとか。確かに普通に歩いていると気づかないが、舗装されていない土地を見るとそこは砂地。新潟は砂のまちだったのである。

博物館では砂丘の成り立ちのほか、新潟市そのものの成り立ちの説明も。意外なことに、江戸時代のはじめ古新潟町は今よりもずっと海側、昔の信濃川の左岸にあった。信濃川は今よりも広い川だったのである。その川岸を利用して古新潟町は水上交通の拠点として栄えるが、江戸時代初期に至り、問題が発生する。土砂で川が浅くなり、船の往来に支障をきたし出したのである。そこで取られた方策が大胆。まちを砂丘のキワから信濃川の中州に移動させたのだ。それを元に今の新潟市中心部が作られていくことになる。

もうひとつ、博物館での説明で印象的だったのは、かつての越後平野はしばしば大きな水たまりになっていたという点。海側に、最も高いところで50m、そこまで行かなくとも10m~20mもの砂丘があり、その内側はほとんど高低差のない低地。そこに大河が流れているとしたら、氾濫の度にその内側に水が溜まり、排水できなくなることは容易に想像できよう。過去には何度も大水害が起きており、川の水を海に直接流す分水路も作られてきたが、それが最終的に沃野に生まれ変わったのは近代になり、ポンプで排水ができるようになってから。新潟の、特に新潟市の農村部が沃野になったのはつい最近のことなのだ。

新潟の地形を色分けして示したもの。海沿いに砂丘の高まりがあることが分かる新潟の地形を色分けして示したもの。海沿いに砂丘の高まりがあることが分かる

案内板、標高表示の充実ぶりにびっくり

新潟の地形、歴史をざっと学んだ後はいよいよまち歩きへ。みなとぴあからかつての艀下川(はしけがわ)の跡を日本海側に向かっていく。艀とは河川や運河、港湾内などで貨物を積んで航行するために作られた平底の船のことで、察するに艀下川は信濃川から市中心部の廻船問屋などに荷を運ぶための水路だったのだろう。少し歩いたところには早川堀という艀下川のバイパスとして作られた堀も。流れが修復されており、水路の多かったまちの様子を垣間見る気がした。

また、歩き始めてすぐに気づいたのは街中にある歴史等を記した掲示の充実ぶり。地名、路地名、寺名などと解説、昔の様子をイメージしたイラストが細かい解説板にまとめられており、分かりやすく、見た目にもスマート。2007年から作られてきたそうで、2008年からはそれを地図に落とし込んだ市内のまちあるきマップも作られており、現在は6種類。2013年にはグッドデザイン賞を受賞しているそうで、今回はそのうち「新潟下町あるき」(したまちではなく、しもまちと読む)を元に歩いたのだが、これは非常に役立つ。市のホームページからダウンロードすることもでき、市役所や新潟市中央図書館、みなとぴあなどで入手することも。これがあれば新潟ががぜん、面白くなるはずだ。

もうひとつ、チェックしながら歩くと地形が理解できるのが標高表示。みなとぴあ近くではなんとゼロm。近くには-1mというところもあったが、歩くにつれ少しずつ、上がっていく。海に近づいているのである。

左2点は早川堀とその標高。右2点は市内の至るところで見かけるまちのお宝を紹介する掲示、それを落とし込んだマップ左2点は早川堀とその標高。右2点は市内の至るところで見かけるまちのお宝を紹介する掲示、それを落とし込んだマップ

坂と砂防林が海の方向を示す

上は開運稲荷神社、奥にまで石段があるのが分かる。下の写真、一番奥に一列に見えているのが砂防林上は開運稲荷神社、奥にまで石段があるのが分かる。下の写真、一番奥に一列に見えているのが砂防林

歩き始めて30分ほどは緩やかな、意識しないと気づかないほどの坂が続くが、それ以降は明らかに上っていることが分かるようになってくる。これが砂丘だそうだ。開運稲荷神社はそんな砂丘のキワに鎮座している。公道から石段を上がり、さらに上がって上がってようやく本殿だ。その背後にもこれまで無かった、石段が続く。市の中心部にいると平坦なまちに思える新潟だが、ちょっと海に向かうだけで風景は一変するのだ。

坂、石段のほかに海に向かっていることを示すものがある。砂丘周辺に植えられた砂防林だ。かつての新潟は風が吹く度に「砂ふぶき」が起こり、家も田畑の作物も砂に埋まってきた。その被害を防ぐために考えられた手法のうちのひとつが植樹である。江戸の天保年間に新潟奉行となった川村修就が海岸の木を切ることを禁止、加えて6年間で3万本の松を植えたことで、1851年には海岸全域の砂防林が完成。その後、明治に入って伐採が行われたものの、飛砂による被害が出て再度植樹が行われ、現在の姿になっている。道に迷っても緑の列が見える方向が海と考えれば間違いはない。

そして最後の長い急坂を上りきるとそこが一番海側の砂丘の上。ようやく、市内からは全く見えない海が見える場所である。その海沿いに塔がある。日和山(ひよりやま)展望台だ。

「北前船などが行き交っていた時代、港町には船乗りが船を出すかどうかを決めるために日和を見る(天候を予測する)ときに利用した山、日和山がありました。日本全国に80カ所ほどあるそうですが、新潟の元々の日和山はもっと町寄りの場所にありました。しかし、まちの変化、砂丘の拡大などでこの場所に新たな日和山が設定され、名所となり、この様な展望台が立っています」

土地が削られる! 今も続く水との闘い

展望台に上ってみる。と、目前の海岸で何か、工事が行われている。野内氏に聞くと海岸を保全するための工事だという。

「かつては信濃川、阿賀野川が大量の土砂を運んできていましたが、今は分水などもあって水量、土砂ともに減り、そのために今度は陸地が削られているのです。一時はこの展望台の手前まで海が押し寄せてきていましたが、近年の保全工事のおかげで今の状態に。水量が多すぎても少なすぎてもダメ。新潟では今も水との闘いが続いているのです」

長年、悩まされてきた洪水の悩みからようやく解放されたと思ったら、今度は海からの攻撃。自然のバランスとは難しいものである。ため息をつきながら、展望台を下り、かつての日和山へ向かう。こちらの山頂には住吉神社がある。

といっても標高は12.3m。だが、明治の開港時にはここは市内でも目立つ高台として絵図に登場しており、まちが大きく変わってきたことが分かる。新しい日和山ができたことから長らく忘れられ、住吉神社も荒廃していたというが、前述の案内板、マップの登場と同じタイミングで野内氏などが中心になって再生の動きが起こり、時間をかけて参道や、住吉神社が再生されてきた。2014年には中腹に日和山五合目というカフェができてからは多くの人が集まるようにもなってきた。屋上は日和山の山頂を望む高さになっており、その昔はこのあたりから海が見えたのだろうなと妄想する。

新潟の町には、江戸時代に作られた新潟町の骨格がそのまま残っている。信濃川に平行につくられた道は「通り」、直交する道は「小路」と名付けられている。今回案内された下町は、そんな新潟町の川下に位置する場所で、川で運ばれた土砂でできた複雑な町並みの場所ではあるが、そんな歴史や地形を楽しみながら、みなとまちのランドマークであった日和山に登るストーリーが魅力だと野内氏。近代的に見えながら、北前船の「湊」と、開港場の「港」の歴史が地形と共にちりばめられている、それが新潟なのだ。

左は日和山展望台とそこからの風景、右はかつての日和山とその中腹にあるカフェ日和山五合目からの風景左は日和山展望台とそこからの風景、右はかつての日和山とその中腹にあるカフェ日和山五合目からの風景

2019年 09月18日 11時05分