大阪の地形を意識、話題に上るようになったのはここ数年

国土地理院のデジタル標高地形図に、本文中に出てくる主要なスポットにナンバリングを入れたもの。①の大阪城から③の住吉大社までが広義の上町台地。大阪駅、なんばなどは低地にある国土地理院のデジタル標高地形図に、本文中に出てくる主要なスポットにナンバリングを入れたもの。①の大阪城から③の住吉大社までが広義の上町台地。大阪駅、なんばなどは低地にある

大阪駅、繁華街梅田などと淀川を挟んだ対岸に十三(じゅうそう。難読地名である)というまちがある。大阪高低差学会の新之介氏はこのまちで生まれ育った。平坦なまちで、子どもの頃からゼロメートル地帯であること、坂がないことは感じていたし、一方で大阪城や上町台地(うえまちだいち)のような坂のある高台があることも知ってはいた。でも、地形を意識し始めたのは40歳を過ぎてからだという。

「大阪は地下鉄やJR環状線、私鉄が縦横に走る便利なまち。まちを歩かなくてもどこへでも行けてしまうため。多くの人はあまり歩きませんし、平らだから地形を意識する機会もない。また、坂のある上町台地周辺は住宅や寺が集まるまちで、遊びに行く場所ではありません。自分が住んでいるところが平らだから、まち全体がそんなものかと長く思ってきました」。

ところが年齢とともに自分の住んでいるまちの歴史に意識がいくようになり、徐々にまちを歩くように。そこで平らと思っていたまちに意外に凸凹があり、しかも、そこには長い歴史が彩る背景があることに気づく。その発見をブログで発信し始めた頃、出会ったのが中沢新一氏の著書「アースダイバー」だ。同書は縄文時代の地形図を元に東京の成立ちを解き明かすもので、地形に関心を持つ人達を最初に掘り起こすことになった1冊である。

東京だけでなく、大阪にも同じような地形があり、歴史がある。面白くなった新之介氏がブログ等で情報発信をしていたところ、「大阪アースダイバー」(中沢新一氏著)の出版記念イベントにゲストとして呼ばれる機会があった。そこで中沢氏に大阪でも地形を楽しむ人を増やして欲しいという激励を受け、やがて2013年2月に発足したのが「大阪高低差学会」である。それから5年、少しずつながら大阪の地形に関心を持つ人は増え続けている。その新之介氏に大阪で歩くべき場所を教えて頂いた。

凸凹と歴史が集まる上町台地。天王寺周辺には急傾斜の坂も

大阪の中心部はほぼ平坦な低地(上の図で④は大阪駅、⑤はなんば)だが、唯一の例外が上町台地である。北端に大阪城(同じく①)、南端に住吉大社(同じく③)がある高台といえば、おおよその場所はお分かりいただけよう。正確に言えば大阪城~住吉大社を繋ぐラインの東側には我孫子台地があり、上町台地も天王寺(上の図の②)の少し南、天王寺区河底池を通る東西方向の凹地を境に南部、北部に分けるそうだが、ここではもう少しざっくり、広義の上町台地を対象にする。

この台地で最も高い場所にあるのが大阪城である。標高は約31m。元々あった高台の上に豊臣秀吉が盛土をして城を築き、さらにそれを7m以上埋めて徳川氏が天守閣を再築しているというから、現在の高さは歴史が生み出したものというわけだ。

だが、残念ながら現在の大阪城周辺の高低差はさほど大きくはない。意外に平らなのだが、それは上町台地が南北に細長く、平坦地が少なかったことと、城郭などを作るため早い時期から谷を埋めてきたためである。

台地らしさを味わうなら天王寺周辺をお勧めする。多くの人が行くのは天王寺公園や動物園だろうが、地形を味わうならお勧めは天王寺七坂だ。「公園、動物園間にも階段があるなど高低差はあります。それがより感じられるのが寺町。地元の人以外はあまり歩かない天王寺七坂界隈は自然地形が感じられる場所。屏風を立てかけたような急崖やかつて名水と称された崖下の湧水もわずかながら残されています」。

天王寺七坂。右下は真田幸村が戦死した場所とされる安居神社の階段。急さがお分かりいただけよう天王寺七坂。右下は真田幸村が戦死した場所とされる安居神社の階段。急さがお分かりいただけよう

住吉大社はかつての日本の玄関口

住吉大社の反橋(太鼓橋)。高さは4.4mあり、橋自体は昭和に作られたものだが、石造の脚部分などは豊臣秀吉の時代のものとか住吉大社の反橋(太鼓橋)。高さは4.4mあり、橋自体は昭和に作られたものだが、石造の脚部分などは豊臣秀吉の時代のものとか

上町台地で新之介氏が「ぜひ訪れてほしい」と勧めるのが住吉大社。全国に約2300社余ある住吉神社の総本山で、古事記や日本書紀に由来が記されている古刹である。4棟の本殿は住吉造といわれる神社建築史上最古の様式で、海に向かって西向きに建てられている。

「ここは奈良に誕生した大和朝廷が海外との交流の使者を送り出し、迎え入れた日本の玄関口。当時のこの地域には住吉津(すみのえのつ)と言われる、砂州によって形成されたラグーン(潟湖)の中にあり、外海の波の影響を受けにくい天然の良港がありました。遺構はほとんど残っていませんが、参道の反橋の下の池はラグーンの跡とも言われています」。
その後、主要港は難波津(なにわづ。場所には諸説あるが、高麗橋付近が有力)に移るが日本にとっての大阪の重要さが分かる場所である。

ちなみに住吉大社の北側にはひときわ高くなった場所があり、そのピークにあるのが帝塚山古墳。4世紀末から5世紀初めに築造された全長120m余、高さ10mほどの前方後円墳で、その周囲に広がるのが関西屈指の高級住宅地として知られる帝塚山(てづかやま)である。住宅地の歴史を見ると最初期には必ず高台が選ばれているが、ここも同様。高低差を利用した眺望の楽しめる住宅地となっており、不動産に関心のある人ならこちらも訪ねてみたいところだ。

大阪城の堀+瓦工場+戦争が生んだ空堀界隈の風景

「そもそもの地形が歴史で増幅された面白さがある」というのが空堀(からほり)商店街界隈である。空堀という名称が示す通り、元々は台地と低地の間を利用して豊臣時代の大坂城の南惣構堀(みなみそうがまえぼり。大阪城の南側のもっとも外側の防御線)が作られていた場所で、大坂冬の陣(江戸時代以前は大坂という表記が中心)の後に徳川方の手によって埋立てられた。そのままだったら平坦な土地になっておしまいだが、その後、ここには瓦工場が作られた。

「大坂の陣が終わった後、復興を命じられた松平忠明が南惣構堀の跡地を瓦屋寺嶋藤右衛門、高津屋吉右衛門などといった人たちに使わせることとし、そこに瓦土取場などが設けられました。現在の高低差を見ると人工的に掘ったのでしょう、きれいに四角い窪地ができています」。

実際に歩いてみると商店街から両側には緩やかな坂や階段があり、その先が周辺よりも低くなっている場所が何カ所かある。どこまでが堀の跡で、どこが瓦土取場だったかは分からないが、豊臣秀吉の時代からの歴史がこの凸凹に繋がっていると思うと感慨深い。加えてこの界隈はその後の戦災でも焼け残った。

「大阪は町人のまちなので、元々の区画は小さく、長屋も多かった。ところが戦災で広範囲に焼けた後に大規模な区画整理が行われ、現在の姿に。かつての姿が残っているところは中津、中崎町その他ごく一部しかありませんが、空堀界隈もそのひとつ。地形、歴史、風情が重なる、歩いて楽しい場所です」。

空堀商店街と周辺の坂、階段など。大阪城からかつての熊野街道を通って向かうと、途中に谷等があり、楽しい。商店街の真ん中を谷町筋という通りが通るが、ここは谷になっている。周辺は住宅街なので訪れる時は迷惑にならないようにしたい空堀商店街と周辺の坂、階段など。大阪城からかつての熊野街道を通って向かうと、途中に谷等があり、楽しい。商店街の真ん中を谷町筋という通りが通るが、ここは谷になっている。周辺は住宅街なので訪れる時は迷惑にならないようにしたい

大阪で最初に作られたまち船場は近代建築の宝庫

かつては繊維街として知られ、今もオフィス街として知られる船場は豊臣秀吉が最初に作ったまち。「豊臣秀吉が入った頃の大阪は南北に伸びる台地があるだけの低湿地が大半。それを横に、西へ広げようと最初に作られたのが船場です。その後も大阪は広がっていきますが、戦前にその成長ぶりが突出していた時期があります。いわゆる大大阪(だいおおさか)と言われた、東京を抜いて日本最大の都市となった時代です。船場にはその当時に建てられた近代建築が数多く残されており、大阪の歴史を感じることができます」。

大大阪とは関東大震災の1923年頃からの急激な人口増や、1925年の第二次市域拡張などで面積、人口ともに東京市を上回る規模となった時期からおおよそ総動員体制に入る頃までの大阪を指す。日本初の児童相談所・公共託児所の開設、大阪城天守閣の再建、御堂筋の拡幅、大阪市営地下鉄御堂筋線の建設などが行われた時代であり、大阪が誇りに満ちていた時代である。船場にはたくさんのモダンな建物が建設され、そのうちのかなりの数が今も残されている。最近ではこうした建物を紹介する書籍、特別公開するイベントなども開かれるようになった。

「大大阪で生まれた日本一のまちが戦争で焼け野原になってしまい、長らく大阪人は自慢できるものを見つけられてこなかった。たこ焼きのような食べ物、お笑いが大阪名物と言われ続けたのもそのせい。大阪らしいものが残っていないと思われてきたからです。でも、まちを歩いてよくよく見ると地形に、その上に重ねられた歴史に大阪は残っています。ここ数年、ようやくそこに目を向ける人が増えてきたのは嬉しいところです」。

実際、歩いて見ると平坦と言われるまちのあちこちに坂があり、谷がある。加えて由来を聞くと驚くことばかり。大阪はもっと歩いてみるべきまちである。

参考書籍
凸凹を楽しむ 大阪「高低差」地形散歩 新之介著(洋泉社)

船場の近代建築群。10月には生きた建築ミュージアムフェスティバルと称した、建物見学ができるイベントが行われる船場の近代建築群。10月には生きた建築ミュージアムフェスティバルと称した、建物見学ができるイベントが行われる

2018年 08月22日 11時05分