坂を下りたらもうひとつの東京があった

東京スリバチ学会会長の皆川典久氏が東京都心部の窪地≒スリバチを意識するようになったのは就職して上京し、ヒマな休日にまちを歩いていた時である。「自分にとっては東京とは近代的なビルが建ち並ぶ都会的なイメージでしたが、そういった風景は実は丘の上の一面。坂を下りてみると、そこにそれまで知らなかった、もうひとつの東京があった。山の手の下町がいたるところに潜んでいたのです。その丘の上とは全く違う風景と空気感に興味を抱きました」。

江戸時代、住む場所は身分と土地の高低の掛け合わせで決まっていた。高台には大名屋敷や寺社があり、低地には町人が住み、農地が作られたのである。東京ではその時代に作られた区画が今も残り、使われている。高台の大きな区画は大学や官公庁、総合病院などに替わり、再開発でタワーが建った場所もある。一方の低地は区画が小さいため、なかなか開発が進まず、一部にはいまだに昭和の面影を残すまち並み(震災、戦災に遭っているので江戸時代はさすがにない)が残されていることも。スリバチの底から丘を眺めてみるとそのコントラストは印象的で、地形と歴史が今の都市の構造に引き継がれていることが分かるというのである。

この面白さを分かち合おうと2003年には東京スリバチ学会を設立、友人たちとまち歩きを始めた。スリバチという名称を選んだのは食器のうちで唯一その形状をトレースするのがスリバチだけだからだという。「窪みを撫でまわすように歩く行動が『スリバチ』的なのではないかと思ったのです」。

港区の我善坊谷へ向かう坂道。谷の底には低層の住宅、谷の上にはタワーというスリバチ的な風景がよく分かる。我善坊谷は細長く、傾斜のある場所で現在、再開発が始まりつつある。いずれは見られなくなる風景だ(写真・画像は夕やけだんだんを除いて皆川氏提供)港区の我善坊谷へ向かう坂道。谷の底には低層の住宅、谷の上にはタワーというスリバチ的な風景がよく分かる。我善坊谷は細長く、傾斜のある場所で現在、再開発が始まりつつある。いずれは見られなくなる風景だ(写真・画像は夕やけだんだんを除いて皆川氏提供)

点と線ではなく、面でまちを見る

東京都心部の地形図。台地の上に無数のスリバチがあることが分かる東京都心部の地形図。台地の上に無数のスリバチがあることが分かる

一度聞いたら忘れられない名称と、これまで見えていなかった土地の高低が教えてくれるまちの成立ちの面白さに集まる人は徐々に増えていった。さらにそれを加速させたのが国土交通省による標高データの公開だ。「それまでも標高を現す地図を作るソフトはあったのですが、国土地理院の標高データが使えるようになって、1mにも満たないような高低差をぱっと見て分かる形で表現できるようになったのです」。それを受けて2012年に上梓したのが『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)。その翌年に出された続編と共に地形好き急増に繋がったことは間違いない。

「まちは点と線だけで見ていても気づかないことがあるのです。我が家の2駅手前で降りて歩いてみるなどして面で見るようにすると新たな発見があるはず。たとえば、自分たちはまちを鉄道や道路網の繋がりで把握していますが、実は水のネットワークでも繋がっています。かつて川は物流の要。それを意識すると下北沢と東北沢、恵比寿と渋谷の位置関係が分かる。そうやって足で稼いだ情報は有益だし、都市の全体像が見えてきます」。

面として土地の高低差を知っていれば不測の事態に直面した時、どちらに逃げるべきかが分かるはずだし、家を選ぶ時にも役立つことは言うまでもない。住宅的観点で言えば窪地、つまり低地は決してプラスではないが、どんなものにもメリットとデメリットがある。

「水が出る土地かもしれないけれど、水があってこそ産業や文化が生まれたと両面を見るようにしたいもの。マイナス面を知っていれば備えることだってできるはずです」。良いところばかりの土地に住めればベストだろうが、様々な制約からそうはいかないこともある。そんな時、知って備えることは何より大事である。

スリバチが何かを体感しに荒木町へ

現在では日本全国に地名を冠したスリバチ学会、スリバチとは言わないが地形を愛する人達の団体があり、全国を飛び回る皆川氏だが、ここでは都心限定、初心者にお勧めのスリバチをご紹介いただこう。

まず、スリバチとはどのようなものかを理解するのに最適なのが新宿区荒木町である。ここには江戸時代、美濃国高須藩主松平摂津守の屋敷があり、窪地は大名庭園として使われていた。近くにはかつて紅葉川と呼ばれた川が流れており、その支流がこの窪地に滝となって流れ落ち、その水をせき止めて池が作られていたというのである。現在もこの崖下の湧水池はごくごく小さくはなってしまっているが、現存しており、その畔には津の守弁財天が祀られてもいる。その池の脇で回りを見渡せば、そこが四周から凹んだ底地になっていることが分かる。スリバチの底である。

場所は新宿区荒木町10-9あたり。新宿通りから荒木町に入り、土地が低くなるほうへ、なるほうへと歩いていけば最後に到達する。途中には階段もあり、下りて行くほどに秘密めいた雰囲気が強まり、ちょっとわくわくする気分が味わえる。大名屋敷の庭園から花街という歴史もあり、夜に訪れても楽しめる場所だ。

谷という地名から誰もが推察する通り、谷のまち渋谷もスリバチである。特に渋谷で面白いのは周辺に神山町、南平台町、桜丘町、鉢山町などの高所を現す山、丘という地名があり、一方で宇田川町、鶯谷町、富ヶ谷などの低地の地名もあって、それがごちゃ混ぜに隣り合っていること。実際、渋谷から桜丘町へは坂を上るし、鶯谷町へは坂を下る。地図を片手に各地名を訪ねてみるとその凸凹さ、それに伴うまちの風景の違いがよく分かるはずだ。桜丘町と鶯谷町の町界近くには遊歩道になっている川跡などもあり、これが渋谷か!と思うような風景も待っている。

四谷荒木町のスリバチの底にある池、弁財天。過去の歴史が今に繋がっていることが実感できる四谷荒木町のスリバチの底にある池、弁財天。過去の歴史が今に繋がっていることが実感できる

2つの台地に挟まれた谷間のまち、谷根千

夕やけだんだん。階段を下り切ったところに商店街があり、直交するようにかつての川跡が商店街などとなっている夕やけだんだん。階段を下り切ったところに商店街があり、直交するようにかつての川跡が商店街などとなっている

同じ谷のまちながら、台東区谷中から文京区根津、千駄木にかけての通称谷根千エリアは戦災の被害が少なかったため、木造住宅や寺院、路地などが多く残る、東京には珍しい雰囲気のまちである。2つの台地に挟まれた谷間に広がっており、底を流れていたのが藍染川。暗渠化された川跡は「よみせ通り」と呼ばれる商店街、住宅地を走る「へび道」に見ることができる。川跡の特徴は蛇行、蛇のように曲がりくねっていることだが、「へび道」を歩いてみるとその意味がリアルに体感できる。

谷根千エリアへのお勧めアプローチは日暮里駅の西側から夕やけだんだんという階段を下りて谷中商店街。ここは観光写真でもよく撮影されている場所で、土地の高低をリアルに感じることができる。ただ、週末などに行くと通勤電車並みのラッシュに遭遇することも。人混みを避けたいなら商店街ではなく、路地を目指すのが手。逆にそのほうがこの土地らしさが味わえる。

「谷根千エリアは路地に植木鉢、猫というスリバチではお馴染みの、伝統的な下町風景が見られる場所です」。(皆川氏)
だが、猫は人の多すぎる場所には顔を出さない。路地に向かうほうがスリバチ3点セットが満喫できるわけである。ちなみにもうひとつ、スリバチでよく遭遇するのが井戸。最近は少なくなったが、このエリアであれば寺院の境内、路地の先のところどころに見かけることができる。井戸だけを探して歩くのも面白いかもしれない。

大久保も歌舞伎町もスリバチだった

中央の窪んだ部分が大久保。細長いスリバチである中央の窪んだ部分が大久保。細長いスリバチである

もうひとつ、皆川氏のお勧めは一般にはスリバチと認識されていないものの、実はスリバチという新宿区の大久保。地名には諸説あるが、そのひとつに大きな窪に由来するというものがあり、実際に地形を見るとその説に頷きたくなる。明治通りの東側、通りに並走するように戸山公園あたりから新宿文化センター辺りにまで至る、細く大きな窪地があるのだ。ここは蟹川(金川、可仁川とも)という神田川の支流が作った窪地。今ではほとんど流路がどこにあったかもわからない川だが、西武新宿駅の近くに水源があったとされ、大久保を流れて水田地帯だった早稲田を潤し、神田川へ注いでいたと思われる。

そのため、このエリアではもうひとつ、歌舞伎町が浅い窪地になっている。新宿六丁目の交差点から東京都健康プラザハイジアの前を通って西武新宿駅に向かう道の蛇行具合を見ると、これこそが蟹川ではあるまいかと妄想が膨らむというものである。

ご紹介した以外にも都心部にはもちろん、都市部以外にもスリバチは無数にある。「よく、自分の住むまちには何もないという言葉を聞きますが、地形に着目するとそのまちならではの起伏があり、歴史、文化がある。地形に注目することでまちのお宝が発見できるはずです」。

現在では日本はおろか、海外にもスリバチの輪は広がっており、ほぼ毎週末のように誰かが、どこかで凸凹を歩き、スリバチを実感している。一度参加してみると、いつものまちがまるで違うものに見えてくることは確実。その不思議な感覚をぜひ、体感していただきたいものである。

東京スリバチ学会

2018年 11月15日 11時05分