広瀬川が作った複数の段丘、坂の街、仙台

作並街道から長い階段を上ったところにある大崎八幡宮社殿。写真はこの日のツアー参加者。東京からの参加者もおり、スリバチの人気ぶりにびっくり作並街道から長い階段を上ったところにある大崎八幡宮社殿。写真はこの日のツアー参加者。東京からの参加者もおり、スリバチの人気ぶりにびっくり

杜の都仙台はかつて佐藤宗幸さんが詩情たっぷりに歌った「青葉城恋唄」の出だしにもある広瀬川が作った河岸段丘の街。歌の中の広瀬川は「瀬音ゆかしき」と穏やかに描かれているが、実際の広瀬川は昭和20~30年代には何度も洪水を繰り返す暴れた川で、現在の形になったのは度重なる河岸改修などの賜物。市内を周遊するバスに乗ると幾度となく、広瀬川を渡ることになり、いやでも川の存在を意識させられるが、歩いてみるとさらにその感は強くなる。坂が多いのである。

仙台の河岸段丘は広瀬川の左岸側の高いほうから青葉神社などがある台原段丘、県庁のある上町段丘、仙台駅のある中町段丘、もっとも川沿いの下町段丘となっており、広瀬川に近い場所ではそれぞれの段丘が人間の目、体でも意識できる狭い範囲で階段状に続く。歩いていてひとつ上がった、もうひとつ上がったということが分かるのである。今回はそうした段丘が作る複雑な地形とかつて仙台市街地を潤していた四ツ谷用水の面影を東京スリバチ学会会長皆川典久さんに案内していただいた。

スタート地点は仙台駅から4キロ強西の、台原段丘上にある大崎八幡宮。仙台駅周辺から来ると周囲に山の稜線が見えるようになり、緑も濃い。大崎八幡宮は何度かの移転はあったものの、創建自体は平安時代に遡ると言う歴史ある神社で、社殿は現存する安土桃山時代唯一の遺構として国宝建造物に指定されている。神社が面しているのは仙台と山形をつなぐ作並街道で、通り沿いには古い木造建築物などが残されている。

神社はもちろん、この通りから山側は東日本大震災時も影響が少なかったと地元の方。古い街道沿いには履物、衣類の店が多く、「着の身着のまま逃げてきた親戚に靴や衣類を調達するのに重宝しました」とも。「スーパーだと品物があっても店員さんがいなければモノを買うわけにはいかないが、この通り沿いは職住一体の個人商店が多く、開けてもらえたのだそうだ。

かつて仙台市を潤した四ツ谷用水の跡を歩く

大崎八幡宮社殿に上がる石段の手前にあるのが、かつて仙台市を潤してきた四ツ谷用水を記念する掲示。その背後の石橋の下には暗渠となり、一部が工業用水として使われている同用水の姿がある。「段丘崖には湧水があるものの、段丘上にある仙台は水に乏しかったため、伊達政宗の命で作られたのがこの用水。当時は城下町をくまなく巡っていたはずですが、現在は大半が埋められてしまい、ごくわずかに痕跡を残すだけです」(東京スリバチ学会会長・皆川典久さん)。

とはいえ、近年になってその存在を再発見しようと言う動きがあるそうで、市の主催で用水跡を歩くようなイベントも行われている。戦災にあったとはいえ、城下町らしい風情があまりにも残されていない仙台である。こうした歴史的な資源を見直すことは住む人にとっても、街を訪れる人にとっても意味があるだろう。

四ツ谷用水の説明を聞いた後は、参加者とともにごくわずかに残る用水跡を辿る。用水を境に左右の土地の高さが違うのは段丘の縁の、自然の高低を利用して水を流すため。今ならポンプを使う手もあるが、往時は地形を読み、水が低きに流れる性格を利用するだけが手。測量技術もない時代に市内に水路を張り巡らせた人たちは偉大である。

途中には蟹子沢川なる自然の川と水路が交差したのであろうと推察される、しかし、ここに水路、川があったことを知らなければ謎な地形もあり、参加者は往時の姿を妄想。初顔合わせ同志で盛り上がった。

左上から時計回りで四ツ谷用水を説明する掲示、橋の下を流れるのがかつての四ツ谷用水。雪で見えないがコンクリートで覆われている、写真右下低くなっているところが四ツ谷用水跡、蟹子沢川を上流に向かって歩く。道が蛇行していることが分かる左上から時計回りで四ツ谷用水を説明する掲示、橋の下を流れるのがかつての四ツ谷用水。雪で見えないがコンクリートで覆われている、写真右下低くなっているところが四ツ谷用水跡、蟹子沢川を上流に向かって歩く。道が蛇行していることが分かる

市内、住宅地の中にいきなり滝が登場

鶏沢の滝。皆川会長によるとこの辺りは東京でいえば世田谷区の京王線沿線くらいの感じとか。そこにこれがあると思うと、へええと思うはず鶏沢の滝。皆川会長によるとこの辺りは東京でいえば世田谷区の京王線沿線くらいの感じとか。そこにこれがあると思うと、へええと思うはず

段丘上を広瀬川に向かって流れていた蟹子沢川跡をしばらく遡上した後、大崎八幡宮に戻り、今度は広瀬川方面へ。ここは非常に高低差がある場所で、大崎八幡宮が標高80mあるのに対し、作並街道から階段を下りた広瀬川河原近くは標高40m弱。直線距離にして400mほどしか離れていないことを考えると、この差は大きい。だからだろう、滝があるという。その滝の少し上流にかかる橋の名は鶏橋。橋には鶏の絵も飾られている。「水音の響きを鶏の声と例えたのだろうと思います」。地元では鶏が洪水の前兆だったとする言い伝えもあり、水音など自然の変化に敏感だった昔の人々の暮らしが想像できる。

さて、その鶏沢だが、滝としての名称はないそうだが、市内のごく普通の住宅地にあるものとしては立派なもの。初めて見たという仙台市民もおり、皆、思わず、写メを撮りまくった。近くに住んでいても知らないものはあるわけだ。

その後、しばらく歩いた広瀬川の河原は秋は芋煮に賑わう場所とのこと。花見と芋煮、年に二度野外で盛り上がれるのは羨ましいところだ。また、広瀬川を挟んで対岸、右岸側には青葉城のある青葉山段丘という左岸の台原段丘よりさらに高い段丘があり、その雄大な高低差が作る眺めもすばらしい。

ところで、この河原沿いのエリアの地名は角五郎という変わったもの。仙台市ホームページによると、この地に居住した人名によるとする説と、角のように細く曲がった地形をしているためとする二説があるのだとか。その昔は仙台城の北を固める要地として旗本足軽が配置され、幕末には洋式兵術の訓練のための講武所があり、角五郎舟場、角五郎渡と呼ばれる渡場、江戸初期には流木の木場が置かれていたとも。歴史のある地名は面白い。

仙台最大。深く、狭いスリバチ、ヘクリ沢

最後は、仙台でも最大級のスリバチ、ヘクリ沢へ。大崎八幡宮よりも北に源流があり、ツアーで途中に歩いた蟹子沢川が削った沢で、伊達政宗の仙台開府時にはこの沢が市街地の西端だったと思われる。往時は渡るのが大変な交通の難所だったそうだが、現在は大半が埋め立てられ、ごく一部の広瀬川近くの谷が残るばかり。

行ってみると深さは約20m、谷底の幅は最大で約50mほど。谷の上から見ると箱庭のようにも見え、実に不思議な感じ。階段を降りると降りたで両側に思い切り見上げなければ上が見えないほどの崖がそそり立ち、今度はプールの底にでもいるかのように感じる。皆川さんによると、これだけの規模のスリバチが市街地に残されているのは珍しいとのこと。「ヘクリは刳りに由来する方言ではないかと思います」。

ヘクリ沢を訪れる前にこの沢を削った蟹子沢川にかかっていた石切橋(石切橋より下流は巴川と呼ばれることも)という橋跡を見たのだが、橋のサイズからするとさほど大きな川には思えなかった。その川がこれだけの谷を削るまでにはいかばかりの歳月がかかったのだろうと思うと、自然の営みの時間の長さに圧倒される。そして、それを一瞬のうちに埋めてしまう人間。谷を抜けると目の前には広瀬川が流れ、谷底のひんやりした雰囲気は吹き飛んだ。

仙台スリバチツアーはこれでおしまいだったのだが、その後、皆川さんは地元の人たちが作ったヘクリ沢のジオラマ完成会へ。「地元の市民センターでヘクリ沢の地形の特殊さを話し、歩いてみたところ、どんどん消えつつある地元の風景を残そうという話になり、皆さんでジオラマを作ることになりました」。会場には高齢者を中心に地元の方々が集まっており、中央にはジオラマ。住宅的視点でいえば決してうれしい地形ではないが、それでも故郷の風景、歴史を知り、思い出話を形にすることは楽しかったのだろう、参加者の皆さんの誰もが嬉しそうなのが印象的だった。

左上から時計回りにへくり沢を上から見たところ、降りて谷底の道を歩く、これだけの傾斜があるので危険地域にされている、ジオラマ完成会で挨拶する皆川会長。地元の地形、歴史を知りたいという動きは確実に広がっているようだ左上から時計回りにへくり沢を上から見たところ、降りて谷底の道を歩く、これだけの傾斜があるので危険地域にされている、ジオラマ完成会で挨拶する皆川会長。地元の地形、歴史を知りたいという動きは確実に広がっているようだ

2015年 04月16日 11時06分