西新宿に誕生した小さなホテル
初台駅を下車して徒歩約5分、山手通りから1本入った場所にアパートメント型ホテル「スタジオイン 西新宿」がある。2018年末に竣工した新しいホテルだ。開業から半年がたち、「稼働率は9割と上々です」と、物件のオーナーでありホテルの運営者でもある畑 昭さんは胸を張る。
畑さんは、4棟、4区分、計53戸の住戸とホテル5室を所有する専業大家だ。もともとはサラリーマン大家だったが、所有物件数が増えたことから専業へと転向。それぞれの建物を管理しながら、ホテル経営も軌道に乗せている。
資産形成の手段として注目を集めている不動産投資だが、物件を購入したはいいものの、思うように収益が出ないケースは少なくない。最近では民泊やホテルを始めたものの、うまくいかず撤退を余儀なくされることも…。畑さんも、初めから順調だったわけではなかった。どのように大家の仕事を行っているのだろうか。また、ホテルの人気の理由とは?
自宅購入の失敗が、サラリーマン大家へのきっかけ
畑さんは、バブル経済崩壊後の1993年、荒川区町屋の新築マンションを自宅として5,700万円で購入した。4年半後、子どもが生まれ、夫婦共働きでの子育てをサポートしてもらうため、義理の両親が暮らす吉祥寺方面に引越すことになった。土地を購入して家を建て、それに伴い町屋の物件を売却したところ、売値が3,500万円に。わずか4年ほどで2,000万円以上が消えてしまったことに驚いたそうだ。
同じころ、不動産投資に関する本がベストセラーになっており、それらの影響もあって、自分でできる投資や事業について考えるようになったという。
自宅売却時の失敗から、中古マンション経営に挑戦しようと考えた畑さん。2001年、競売で港区の区分マンションを買ったのを皮切りに、1年に1戸ずつ物件を購入していき、7区分まで持つようになった。やがて1棟丸ごと所有したいと思うようになり、購入のノウハウやマンション経営の勉強を重ね、2008年、全6戸の八王子の小さなマンションを購入した。
畑さんの不動産経営は、サラリーマン大家のころから、自主管理が特徴だ。管理会社に任せきりにせず、例えば、家賃の入金管理、退去後の清掃やメンテナンス等もすべて自分でこなす。もともと事業をやりたいという思いもあり、できることはなるべく自分でやりたかったのだ。管理会社に丸投げしてしまうと、自分は投資するだけになるのも嫌だった。
2014年、会社を退職して専業大家になった畑さんだが、運営方針はいまも変わっていないという。
イタリア旅行をきっかけに民泊運営に挑戦
マンション経営をしていた畑さんが、宿泊施設に興味を持つきっかけとなったのは2009年、イタリアへの家族旅行だった。ミラノやフィレンツェを訪れ、そのとき泊まったのが、住宅の一室が宿泊施設になっているアパートメントホテルだったのだ。ミラノではドゥオモの正面のマンションの一室、フィレンツェではアカデミア美術館の目の前の部屋に宿泊した。民泊の先駆けともいえる形態で、畑さんは面白いと感じ、いつか民泊に挑戦してみたいという思いが芽生えたそうだ。
2015年、畑さんはついに民泊の運営を始めることに。
調べてみると、新宿や渋谷などの都心部が外国人客に人気だということが分かったが、当時の所有物件ではそれに見合うものが空いていなかった。そこで民泊物件に強い不動産会社の紹介で、新大久保と赤坂見附に物件を借りて運営をスタートした。
集客は民泊のマッチングサイトを活用。インターネットを介したゲストとのやりとりは英語が得意な奥さまが担当、部屋に不具合があるときには畑さんが駆けつけ、ゲストと直接対面した。
掃除は専門の会社に委託したが、シーツやバスタオルを替えていないケースもあったため、きちんと完了しているかのチェックも畑さんの大切な仕事だった。また、レストランの予約をしたい、チェックイン前に荷物を預けたいなどの宿泊客の要望にも対応していった。
すると、稼働率が8割を超え、家賃を差し引いても利益が残った。自分の裁量で料金を変更するなど、積極的に運営に関われることも面白く感じられたそうだ。
しかし、当時はまだ民泊に関する法律が定まっていないころで、危うさも感じていた。法整備によって年間営業日数が制限され、また、マンションでは消防設備の強化や管理組合の承諾など、民泊事業を行うのが難しくなったことなどから、大久保と赤坂見附の民泊は撤退することになったが、「ゲストとのやり取りや収益の面では、やめるのがもったいないと思ったほどの手応えを感じました」と畑さんは言う。
「都心に新居を」。ホテル併用住宅はそのための秘策だった
2016年、奥さまの希望で吉祥寺から都心に住み替えることになった畑さん。都心の物件は値上がりが続いていたが、ホテル併用住宅にすれば、十分に元が取れると踏んだ。民泊運用の経験から、どのくらいの収益が見込めるかイメージできたからだ。
自分で探すほか、知り合いの不動産会社にも声をかけ、西新宿に土地が見つかった。2017年5月に土地購入の申し込みをし、7月には契約することができた。
「基礎設計は建築家である義理の兄にコンセプトを伝え、お願いしました」
容積率が600%あるものの、接道が5mでその制限により3階建てまでしか建てられなかったため、半地下を設けて、4層構造に。旅館業法の条件を満たすため、保健所や消防署にも相談しながら設計を進め、2018年2月に着工、同年末に竣工した。
住宅とホテルを明確に分ける義務があるため、玄関アプローチが唯一の共有部分で、入り口は居住用と宿泊者用で分かれている。また、ホテルにはフロントも必要なので、ホテル側の入り口にはカウンターと、畑さんが受け付け業務や事務作業を行うスペースが作られた。
畑さんたちの居住スペースは、3階のLDKと2階の寝室2部屋。ホテルの部屋は2階に1部屋、1階に2部屋、半地下に2部屋。半地下には、ランドリーコーナーや備品倉庫もある。2階の宿泊室からは都庁が見え、一番眺望が良いため料金設定も高く、半地下の部屋には小さな窓があるだけなので、料金設定は安くなっている。
「眺望は悪くても、安い部屋が先に埋まっていきますね」
ホテルへ寝に帰ってくる旅行者にとっては、値段のほうが重要なのかもしれない。
客室は23m2~26m2の広さで、各部屋にキッチンが備え付けられているのも特徴だ。壁紙はシンプルな白にし、部屋ごとに異なる色調のインテリアで色づけしてメリハリをつけている。
ちなみに、地下ランドリーの乾燥機はガス式。電気式よりも速く乾かせるのだといい、ここには民泊経営で得たちょっとしたノウハウが生かされている。
常に自分ごととして関わるから見えてくるノウハウがある
ホテルの予約は、複数のWebサイトに登録し、サイトコントローラーでダブルブッキングにならないよう一元管理。宿泊料金は、フレキシブルに変えるようにした。需要に応じて料金を変えることで、予約が取れる可能性が高まるからだ。
宿泊者は、都庁の展望台などへ観光に行くケースが多いほか、スポーツイベントの参加者や、近隣のコンサートホールに出演する歌手が宿泊するなど、幅広いニーズがあるそうだ。宿泊者からの高いレビューも得ており、あるサイトでの評価は最高ランクになったとのこと。
忙しい日常の中で難しいことではあるが、丁寧な自主管理が利用者の評判を呼び、物件の価値を高めることにもつながる。畑さんの不動産経営について聞くと、たとえサラリーマン大家でも、人任せにしてばかりの運営は失敗のもとにもなりかねないと感じられた。
小さなホテルを経営しながら、都会暮らしをエンジョイしている畑さん。理想の暮らしに至るまでには、自ら深く関わることでノウハウを蓄積しようとする貪欲な経営哲学があった。
2019年 08月18日 11時00分