前川建築を軸に全国8自治体が参加する「近代建築ツーリズム」が始動

2016年7月、東京・上野の「国立西洋美術館」を含む、ル・コルビュジエの建築作品群が世界遺産に決定した。

これをきっかけに、日本の近代建築にも光を当てようという動きが始まっている。コルビュジエの弟子・前川國男の作品を観光資源と捉え、積極的にPRしていこうという「近代建築ツーリズムネットワーク」の設立だ。

多作だった前川は全国各地に作品を残しており、しかも公共建築が多い。青森県弘前市を代表とする「近代建築ツーリズムネットワーク」には、全国8つの自治体が参加している。その1つ、3つの重要な前川建築を擁する岡山県を訪ねた。

昭和日本の近代建築を約50年間リードし続けた建築家、前川國男

前川國男は、昭和の日本建築界を半世紀にわたって牽引した建築家である。名前を聞いたことはなくても、知らず知らずのうちにその作品に接している人は少なくないはずだ。たとえば東京なら、前出の国立西洋美術館の向かいに建つ東京文化会館(1961年)や、同じく上野公園内にある東京都美術館(1975年)、新宿駅東口の紀伊國屋書店本店(1963年)などがそうだ。


1905年(明治38年)に新潟で生まれた前川は、4歳から東京で育ち、東京帝国大学建築学科で学んだ。卒業したその日にシベリア鉄道に乗り、パリのコルビュジエの元に向かったことは伝説になっている。帰国後、1935年に30歳で事務所を設立するが、ほどなくして日本は戦時下へ。その間、「前川國男自邸」という傑作を残してはいるものの、自由に建築に取り組めない時期が続いた。

敗戦から5年目にして資材統制が解除され、鉄筋コンクリートで建築がつくれるようになる。そこで、前川が取り組んだのが“テクニカル・アプローチ”だ。日本に近代建築を根付かせ、発展させるための、建設技術の探求を指す。前川の建築を語るための重要なキーワードだ。

岡山市にある3つの前川建築を巡ると、その“テクニカル・アプローチ”がどのような変遷をたどったかをうかがい知ることができる。岡山県立大学名誉教授でアトリエ・アトス主宰の建築家、山田孝延さんがガイドしてくれた。

岡山県庁本館。写真左に前面道路が走る。建物の中ほどに長く伸びた庇のようなものは空中回廊。今は歩けないが、背後の議会棟までつながっている岡山県庁本館。写真左に前面道路が走る。建物の中ほどに長く伸びた庇のようなものは空中回廊。今は歩けないが、背後の議会棟までつながっている

戦後復興期の岡山に“日本一”の県庁舎を目指してつくられた清新な建物

岡山県庁舎は戦後復興期の昭和28年(1953年)に計画され、昭和32年(1957年)に完成した。前の庁舎は戦災で消失しており、新庁舎は新しい敷地に移転することになる。南に旭川が流れ、北に岡山城、東に操山を望む場所は「風水で最良の立地として選ばれたそうです」と山田さんは語る。

建物の設計は、県に指名された4者が提案を競い、前川國男の案が採用された。このとき前川は「名実共に日本一の模範的県庁舎を実現する覚悟でおります」と意気込みを語っている(1954年8月1日発行「岡山県政情報」)。


JR岡山駅から路面電車に乗って「県庁通り」で降り、東に向かって少し歩くとやがて、道路に沿って長く伸びた巨大な庁舎が姿を現す。本館の全面は、水平に連なるガラス窓とスチールのパネルに覆われている。これは“カーテンウォール”と呼ばれるもので、建物の重さを担わない壁だ。大きな力がかからないから、ガラスや金属板などの軽い材料が使える。“テクニカル・アプローチ”の初期段階で、前川がよく用いた手法である。

岡山県庁舎本館では、1枚のカーテンウォールが5階分を貫く。スチールパネルには強度を持たせるために折り目がつけられており、その陰影が建物の表情に変化を与えている。

本館正面。ピロティーの奥は中庭になっている。現在は正面に議会の新館が建っているが、竣工当時は向こうの旭川方面まで通り抜けられた本館正面。ピロティーの奥は中庭になっている。現在は正面に議会の新館が建っているが、竣工当時は向こうの旭川方面まで通り抜けられた

人々が自由に行き交うピロティーや広場が、戦後民主主義を象徴する

本館は道路から26m後退して配置され、前面が広い空地になっている。中央は地面から3層分持ち上げられたピロティーで、その左右に入り口がある。ピロティーの奥には中庭(サンクンガーデン)が伸び、竣工当時は旭川方面に通り抜けられるようになっていた。庁舎の足元に広場やピロティーを設け、人々の自由な往来を促す建物は、戦後民主主義の理想、開かれた県政を表現している。

「本館のデザインは、上下で明確に分かれています。1階から3階は、コンクリートの柱と梁を表に見せ、壁はタイル貼り。4階より上は、ガラスとスチールのカーテンウォールに覆われている。下部は知事部局などの執行機関で、上部は行政事務機関。内部の機能に合わせて外観も表現を変えているのです」と山田さん。

本館と、背後にある議会棟とは、3階部分にある空中回廊でつながれている。穴あきブロックのフェンスに守られた回廊は、議会棟からピロティーの上を通り、一旦道路に向かって張り出して、また建物の奥に引き込まれる。行き止まりがなく流れるような“一筆書き”の動線は、前川建築を語るもう1つのキーワードだ。

中庭側から本館を見る。左手が議会棟旧館。中庭側から本館を見る。左手が議会棟旧館。

竣工当時の設計変更が理由で、建築誌に発表されなかった経緯も

本館屋上には、竣工当時屋上庭園があったそうだ。写真左は山田孝延さん、右は案内してくれた岡山県建築指導課主任の川内秀治さん。背後に岡山城が見える。本館屋上には、竣工当時屋上庭園があったそうだ。写真左は山田孝延さん、右は案内してくれた岡山県建築指導課主任の川内秀治さん。背後に岡山城が見える。

本館竣工から14年後の1971年にコンクリート打ち放しの西庁舎が建ち、1980年には中庭に議会棟新館が建つなど、庁舎は増築や改修を重ねてきたが、いずれも前川建築設計事務所が手がけている。一カ所にさまざまな時代の前川作品が共存しているという意味でも貴重な事例だ。本館の東側は、前川國男が亡くなったあと、事務所を継承した弟子たちによって、竣工時のデザイン通りに増築されている。

大切にされてきたように思える岡山県庁舎だが、実は、竣工当時、前川はこの作品を建築誌に発表しなかった。

建設時、当初の設計案では面積が足りないとして、本館ピロティーの下に1階追加した経緯がある。そのため、前川は、自らが目指したプロポーションではなくなったと考えたらしい。確かに、原案のスケッチを見ると、ピロティーは実際の建物より少し低いように見える。前川はもっとヒューマンなスケールを意図していたのだろうか。

岡山県庁舎は、去年ようやく、国際団体「DOCOMOMO.japan」が選ぶ「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に登録された。

岡山における前川再評価の気運を高めたのは山田さんの力によるところが大きい。日本建築学会中国支部の活動やシンポジウムを通して、前川をはじめ岡山の建築物の紹介に尽力してきた。これからは、県が「近代建築ツーリズムネットワーク」に参加したことも後押しになるだろう。

岡山県は近く、庁舎の耐震改修を予定している。今年(2017年)還暦を迎えた本館も、これから永く現役を続けていくことになりそうだ。

2017年 06月28日 11時05分