地方創生の中でひときわ異彩を放つ商店街

高松丸亀商店街高松丸亀商店街

地方創生が謳われる中、人口減の対策として各地方自治体はコンパクトシティ化をすすめている。しかし、車社会がすっかり浸透した地方自治体では、郊外型の生活から市街地中心の生活に戻すのに苦労をしている感は否めない。都市の中心街にある商店街はシャッター商店街で「昔はよかった…」という事例は多いだろう。

そんな中で良い意味で異色の商店街があるのはご存じだろうか?香川県高松市にある高松丸亀商店街だ。2006年の中小企業庁が選んだ頑張る77商店街として選ばれ、その他様々な賞を受賞している。実際、商店街に向かうと平日の午前中から人通りは多く、活性化している状況がうかがえる。しかし、実はこの商店街の活性自体は高松丸亀商店街が目指す本質のところではない。実はなかなか見えにくいが、消費的なことで人を呼ぶのではなく、郊外に転居した人を呼び戻しハッピーな老後を過ごせる“まち”を目指しているという。

“人を呼び戻す商店街からのまちづくり”というのはどういうことだろうか?今後の地方都市のシャッター商店街の立て直しのヒントにもなりうる高松丸亀商店街の再開発事業と取り組みについて取材すべく、現地に向かった。

高松丸亀商店街の再開発の流れ

そもそもの高松丸亀商店街の歴史を紐解くと約420年前にもさかのぼる。高松市は当時本州と四国を結ぶ交通の要所であったことから多くの人でにぎわった。江戸時代、当時のお殿様が丸亀にいた商人を今ある高松市の場所に移したことで、高松丸亀商店街と呼ばれるようになったという。

場所はJR高松駅から車で約10分の距離にあり全長470mにもおよぶ。高松市を代表する商店街としてその歴史を歩んできたが、再開発事業のはじまりは平成2年のことだった。バブル経済で日本全国が浮かれていた時代、高松丸亀商店街も例外ではなかった。当時一日の通行量は約38,000人と多くの人が訪れ、また土地の地価はうなぎ上りに上昇していた。最盛期で何も怖いものがない状態と思うが、その状況に商店街の人たちは不安を覚えたという。

「当時、瀬戸大橋の開通もありました。それまで四国は中央の大手資本が入ってこないある意味守られた地域でしたが、開通して中央の大手資本が次々と入ってきていました。その一方、時はバブル経済であり、地価はぐんぐん上昇して金融も押し寄せる状態。甘い言葉にのって投資の話にのり借金も膨大に。この時点ではすぐに何かという訳ではありませんでしたが将来を考えるとこのまま順調な経済が続くとは考えられず、近いうちに債務超過、大型店の進出などが起こり、打撃をうけるだろうと予想していました。よくもって15年。早ければ10年ぐらいでうちの商店街は終わってしまうと思いましたね」

そう語るのは今回取材をお受け頂いた高松中央商店街振興組合連合会 理事長 古川康造氏。先見の明があったといえる。そうした危機感を覚え、平成2年から計画づくりがはじまったという。その計画づくりが実に18年。商店街の地権者への説得に時間がかかったのか?と思うが、意外にそうではない。合意形成はわずか4年間で終わったが、12年間は全部法律との戦いだったという。

「都市計画法、建築基準法、建築法、再開発法、道路交通法など…、ありとあらゆる現行法が僕らがやろうとした街づくりの大きな障害になっていました」

高松丸亀商店街の再開発と法律との関係は次回記事で詳しく伝えるが、そうして法との戦いを経て全長470mの商店街をA~G街区と7つに分けて計画をたて、平成18年についにA街区の開発がようやく始まった。予測していたバブルの時期から18年。その間に商店街はシャッター街の一歩手前の状態だったという。現在、開発計画の60%が終了。
それではどんな点に注目をして、まちの開発がされたのだろうか?

高松丸亀商店街の中心広場。地面の絵は、高松丸亀商店街出身の有名画家が描いたもの高松丸亀商店街の中心広場。地面の絵は、高松丸亀商店街出身の有名画家が描いたもの

老後をハッピーに暮らすために必要な施設

高松中央商店街振興組合連合会 理事長 古川康造氏高松中央商店街振興組合連合会 理事長 古川康造氏

高松丸亀商店街はまちづくりの根幹を見直し衣食住ではなく「医食住」に注目した。その理由として古川氏曰く、老後を想像すると恐怖だったから、だという。

「50歳を超えると郊外は苦痛です。公共交通がないからちょっとした場所への買い物でも、すべて車を使わないと行けません。しかし、80歳前後で肉親に危ないからと取り上げられ、そうこうする間に引きこもり気味になってしまう。家族にも負担をかけることになるので、そうして特養老人ホームへ入って…と想像すると恐怖を感じます。だから今のうちに整備して、車がなくても全部歩けるような安心安全な街をつくろうと思いました。そのため、まずは病院を一番早くつくる必要があったのです」

病院は再開発のビルの4~5F。入院施設はなく往診回診のクリニック形式だ。実はこの病院の上に400戸のマンション世帯があり、その入居者のほぼ100%が高齢者。つまり全員がお客さん。24時間対応で診療科も通常のものに加え、ペインクリニックやリハビリセンターなどもある。病院の院長のコンセプトは“病院ではなく自宅で死にましょう”ということだ。院長は自治医科大で教授を務めていた人物で実は商店街出身者。そのため讃岐弁にも精通しており、往診時のコミュニケーションもスムーズという。

この病院を中心にした驚きの仕組みについて紹介したい。

まず、マンションと病院の関係。すぐ階下に病院があるためいつでも行けるほか、マンション住戸には端末が用意され端末を通して生存確認が可能だ。現状、機能していない民政委員に代わって入居者を見守るために設けた。往診ボタンを押せばスカイプ経由で簡易医療もできる。

次にマンションの位置と病院の関係。現在、高松丸亀商店街が取り組む再開発の中で「住」も大切な要素。郊外に行った人を呼び戻し商店街に安心安全で住むために、商店街に沿った場所でマンション建設をおこなっている。マンションの自宅で倒れた人がいたら通常は一階までおろしてそこから病院に向かうのが通常だ。しかし、ここではマンションと病院が空中階でブリッジとしてつながっており、自宅からストレッチャーでそのまま病院に搬送できる。

最後に病院と商店街の関係。例えば、インフルエンザの流行前の時期になると予防注射を持った医師と看護師が、商店街をまわって往診してくれるという。仕事などで忙しくなかなか行けない人には、かなり便利な仕組みだ。ビジネス観点で言えば、人を待つスタンスではなく病院側から行くことで診療報酬点数は3倍になる。

こうした仕組みをつくることで、住んでいる人だけ恩恵を受けるのではなく、医療機関で働く方もきちんとしたビジネスをすることができ、お互いがWin-Winとなる。一見簡単なようだが、例え都市部であってもなかなか「医」と「住」がきちんと両立できるところは少ないと思う。

「食」と「住」

実際に中を見させていただき、病院らしくない雰囲気に驚いた。買い物に来ている間に500円で気軽に検査できる検査施設や、リハビリセンターも完備実際に中を見させていただき、病院らしくない雰囲気に驚いた。買い物に来ている間に500円で気軽に検査できる検査施設や、リハビリセンターも完備

こうした「医」の仕組みを取り入れた商店街だが、今度は「食」の変革にも挑戦する。香川県の生産農家は実はほぼ兼業農家。専業農家だと生活がなりたたない理由からによる。この原因は「流通」。JAで集めたものが一旦大阪の市場へ行き、仲買に購入され香川に戻り、そして別の仲買に購入されて小売りへ行き、そして消費者に届く。生産者から消費者の間には実に何社も入り、生産者は手取りが少なくなり消費者は新鮮さのない食物を口にすることになる。

一方でインターネットなどの台頭で、自主流通も増えて現在40%にものぼる。そうした背景も踏まえて、今回一石を投じるために根本的な流通を変革するという。その要が商店街に「市場をつくる」ことだ。公募したところ予想以上の生産者から応募があったという。生鮮4品が集められ、地産地消する仕組みをつくる。

「住」に関していえば、あくまでこうした環境を整えた上での住居を重視するという。つまり、箱もの自体の基本は踏まえつつ華美なものにしない。また、住まいのいい環境づくりのために、商店街の近くに温浴施設の建設を予定中だ。古川さん曰く「自分達が住みやすいような環境にする」というのがあくまで計画の本筋だ。

理想をかなえるために必要なのはビジネスセンス

取材を通して正直、高松丸亀商店街の見方がガラっと変わった。
商店街活性化を目指すのではなく、既存のインフラが整った地区でコストをあまりかけずに如何に充実した生活を過ごせるか。こうした理想を体現したのが高松丸亀商店街だと思うが、理想ばかりで実現したのではない。地権者や理事会メンバーのビジネス感覚があったのが要因と考える。とはいえ、政治家や有識者はそのメンバー内にはおらず、あくまで商店街に住んでいた人たちが結束して、自分たちの将来を考え行動をおこした。
政治家を使わず法と真正面に戦い、時には専門家とのワークショップを通して、少しずつ実現していった住みたい街。

次回は何故こうした街が実現したのか?法律面から見た商店街の再開発についてお届けする。

商店街が独自経営して地産地消の商品を売り出すショップもある商店街が独自経営して地産地消の商品を売り出すショップもある

2015年 07月01日 11時06分