原状回復は20年以上も前からの課題

新しい住まいに引越すとき、気になる原状回復のルールを確認しておこう新しい住まいに引越すとき、気になる原状回復のルールを確認しておこう

賃貸住宅市場はこの40~50年で大きく変化してきた。今では信じられないだろうが、40~50年前には住宅が不足、アパートを建てればすぐに決まるのが普通だった。昭和末期にはハウスメーカーが一戸建て住宅の部材を流用するなどして賃貸住宅を作り始め、それまで地主が自分で掃除したりできる範囲で作られてきた賃貸住宅が徐々に増加するにつれて、手が回らなくなった大家をサポートするべく管理会社も増えた。その後のバブル期にはビジネスマンを中心にワンルーム投資が流行したものである。

自分で掃除をしなくなり、他人に管理をしてもらうようになると同時に、借りる人が住宅に求めるものも変わってきた。ほんの数十年前には掃除と襖・障子の張替え程度で済んでいたものが、室内をほぼ新築のように整えなければならなくなってきたのだ。経済的に余裕のある大家が経営、手間とお金のかからない原状回復で済んでいた時代なら、その負担を退去する人に転嫁しなくてもよかっただろうが、原状回復に多額の費用がかかり、しかもローン返済を抱えて資金的に余裕のない大家となるとそうはいかない。

そこで頻発するようになったのが原状回復を巡る敷金返還トラブルだ。原状回復を「入居したときそのままに戻すもの」とし、退去する人に多額の費用を請求したのである。当時はまだ敷金は家賃の2ヶ月という時代だったが、それだけの額を契約時に払っていても足らず、さらに何十万円もを請求されるような例が相次いだ。それを問題視した国土交通省が「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(以下ガイドライン)を発表したのが1998年のことだ。

20年以上経っても1万件を越すトラブル相談

独立行政法人国民生活センターに寄せられた2019年の賃貸住宅の敷金・原状回復トラブルに関する問合せは11,793件独立行政法人国民生活センターに寄せられた2019年の賃貸住宅の敷金・原状回復トラブルに関する問合せは11,793件

それから23年。ガイドラインは2度の改定を経ており、独立行政法人国民生活センターのホームページで見ると賃貸住宅に関する相談件数は年々減少しており、それに伴い、「敷金並びに原状回復トラブル」に関する相談件数も減ってはきている。実際の数字で見ると2009年度で1万6728件が2018年度には1万1689件。

だが、ルールが明確にされてから20年以上も経っていることを考えると、逆にいまだに1万件以上もの相談があるともいえる。しかも、最近は償却年数を超えた壁紙に対し、壁紙分は請求できないが、施工費は入居者の故意・過失、善管注意義務違反の有無にかかわらず、全額請求できるなどという新説を唱える大家が登場。新たな火種になりそうな懸念もある。ガイドラインを理解している入居者と旧態依然の大家とのギャップもいまだ散見されるほか、ペット特約などといったかつては少なかったトラブルもある。まだまだ、周知を図るべき余地はあるというわけである。

では、ガイドラインは何をどう決めているのか。大きなポイントは2つ。ひとつは原状回復とは入居したときの状態のままに戻すのではないということ。ガイドラインでは原状回復の定義を以下の通りに定めている。

「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような損耗・毀損(以下「損耗等」という。)を復旧すること」

ルールは明快だが、実際の生活では判別不能なことも多々

畳の変色やへこみなど、長年住んでいると何が原因だったか不明なケースも畳の変色やへこみなど、長年住んでいると何が原因だったか不明なケースも

いささか難しい文面だが、簡単に言えば通常の使用で汚れたり、傷ついたものについては借りた人が費用負担をする必要はなく、借りた人が故意・過失、善管注意義務違反(後述する)などで汚した、傷つけたものについてだけは責任を持ちなさいということである。

もうひとつのポイントは原状回復に要する費用負担の割合が部位、材ごとに年数、補修範囲が具体的に定められていること。簡単に言うと新品の壁紙が張られている部屋に入居、壁紙の償却期間とされる6年を過ぎ、7年目に退去するとしたら、壁紙には価値がなくなっていると考え、退去する人は負担しなくてよいというもの。だが、入居して半年後に退去するとしたら、壁紙の価値の大半は残存しており、それに応じた負担が必要なこともあり得るというわけだ。

基本的なルールは明快だが、現実の暮らしの中で考えると途端に判別は難しくなる。子どもの落書きやタバコのヤニ、臭い、ペットが付けた柱等への傷、鍵の紛失などのように故意・過失として借りた人の負担が明確になっているものはいいが、判断に迷う場合は多々ある。

たとえば畳やフローリングの色落ちは日照によるものであれば壁の変色同様に通常の住まい方の中で発生したと思われるが、雨が吹き込んだことによる結果だとすると借りた人の不注意とされる可能性がある。だが、雨が吹き込んでもその都度拭き取ればすぐに床材の色が変わるわけではない。しかも、長く住んでいると何が原因で変色したかは本人ですら分からなくなることもあろう。そうした場合、どう判断するか。

退去時に慌てるのではなく、入居時に注意を

入居時に、入居時チェックリストなどで物件の状態を記録しておこう入居時に、入居時チェックリストなどで物件の状態を記録しておこう

また、そもそも「通常の使用」がどのようなものかが人によって異なるという大きな問題がある。たとえば掃除ひとつとっても毎日する人もいれば、年に一度の大掃除だけという人もいようし、掃除機を丸くかけるだけの人も、丁寧に拭き掃除までする人もいる。どの程度が普通に掃除された状態かの判断も人それぞれ。「通常」を基準にすることには無理があるのだ。特にその場での生活が終了した退去時になってからでは手の打ちようがない。

それよりも大事なのは退去時を考えて、入居時に「通常の使用」について具体的な話をしておくこととアドバイスするのは国土交通省住宅局住宅総合整備課賃貸住宅対策室の下田平和貴室長。

「契約時に使用細則、入居のしおりなどといった暮らし方のルールをまとめた冊子を用意している管理会社の中には『換気扇は月に一度中性洗剤を使って拭いてください』などと細かく清掃の仕方を例示しているケースもあります。その場で全部説明してもらうことは難しいと思いますが、以降の生活でそれらを参考にしておけば予想外の請求になることは少ないはずです。また自分が住む間取りの場合で原状回復に要する費用が平均でどのくらいかを聞くなど、施工単価を含めた目安となる情報をあらかじめ得るようにしておくのもトラブルの未然防止に効果的といえるでしょう」

入居時に室内の状況を記録しておくのも役立つ。管理会社によっては「入居時チェックリスト」や「現況確認書」などと呼ばれる書類を用意、入居時に現状を記載、提出することを求められる。入居時の状態が記録されていれば、それがどう変化したかが一目でわかる。

入居中の異変はすぐに管理会社に報告

ペット飼育の場合の特約も確認をペット飼育の場合の特約も確認を

契約時には特約、つまり一般のルールを超えるものにも注意が必要である。たとえば退去時には請求しにくいと考え、あらかじめハウスクリーニング費用などを「通常損耗補修特約」という名目で結ぶ例がある。これについては負担する内容が具体的に表記されているか、額が妥当かを確認、きちんと説明を受けた上で合意したい。

ペット飼育の場合も特約が登場することがある。この場合もどのような損耗を想定、それにいくらくらいかかることを考えているのかを質問しておきたいところ。すべての損耗を負担となると想像以上に多額に及ぶこともあるので注意しよう。

入居中、室内に異変があったときにはそれをすぐに管理会社に連絡しておくことも後日のトラブル回避に役立つ。室内にカビが発生した場合、たいていは風通しを良くすることで解決するが、それでも発生するようなら建物に不備がある可能性がある。それを黙ってそのままにしておくと放置したことが過失とされることがあるのだ。

同様に雨漏り、エアコンの水漏れ、異音やひび割れなど住んでいて気になることがあったら、管理会社に報告、日時も含めて記録しておくと後になっても責任の所在をはっきりさせることができる。

2020年6月に成立した「賃貸住宅の管理業務等の適正化に関する法律」でサブリース住宅における入居期間中の不備などの連絡先は契約時に明示されることになった。日常的に接することのない管理会社に連絡するのは躊躇するかもしれないが、それが身を守る。これから契約するのであれば、連絡先、暮らし方のルール等をしっかり用意、トラブルを防ぐ配慮がある管理会社であるかどうかは大きなポイントだ。

償却期間が過ぎていても壁紙を破いてはダメ

入居者には善管注意義務がある入居者には善管注意義務がある

入居者のトラブル回避について書いてきたが、逆の観点、つまり、大家さんの財産を守る観点からも少し書いておこう。入居者は賃料を払って住宅を借りるので、その間、生活をしていることで損耗、毀損するものについては原状回復はしなくてもよい。だが、だからといって乱暴に扱ってよいという話ではない。

契約時に「通常損耗補修特約」を結び、退去時の清掃費用を払ったから住んでいる間は掃除をしなくてよいというわけではなく、償却期間を過ぎた壁紙ならべりべりに破いてよいということでもない。入居者には善管注意義務があるのだ。

これは民法第400条、債権に関する部分にあるもので、正確には「善良なる管理者の注意義務」という。条文では特定物(中古車、美術品、建物など)の引き渡しの義務を負う者は引き渡しが終わるまで、取引上一般的に要求される程度の注意を持って特定物を保存しなければならないとしている。

非常に乱暴に解説すると、相手に引き渡す予定の品を預かっている場合、それを無事に引き渡さないと取引は終わらないし、引き渡し前に壊れてしまったらトラブルになる。自分のものなら壊れても、壊しても自分だけの問題だが、相手に引き渡しますと言った以上、ちゃんと引き渡せるように注意しましょう。それが善管注意義務で、自分のもの以上に注意する必要がある。

古いエアコンへの対処法は?

入居前にはエアコンの使用期間も確認しておきたい入居前にはエアコンの使用期間も確認しておきたい

そのため、償却期間を過ぎているからと故意に壁紙をはがしたり、床に傷をつけたりした場合、壁紙や床材は償却期間が過ぎていたとしても原状で引き渡したことにはならず、張替えにあたっては施工費の幾分かを負担する必要が生じる可能性がある。施工費の負担割合には個別性があり、数は少ないが、過去の判例は1割程度としているものがある。もし、全額を要求された場合には地元自治体、不動産業界団体等に相談しよう。

最後にもうひとつ注意しておきたいのは入居時に新設、新装されていなかったものについて。まだ使えるからと入居者が変わっても大家さんが年代物の古いエアコンを使い続ける例をよく聞くが、その場合、ある日突然壊れる可能性があるし、古ければ古いほど電気の使用料金は増える。新設してもらえないか、要望を出してみた上で、ダメとなったら何年使用しているかを確認。利用時は異変に注意し、何かあったらすぐに交換を依頼するようにしたい。

ちなみに2020年4月に改正された民法では賃借人の過失ではなく、借りている建物、設備が使えなくなったときには賃料の減額が請求できるとなっていた第611条が、使えなくなった部分の割合に応じて賃料が減額されるとより強いものになった。壊れている間は賃料減額があり得るわけだが、夏にエアコンが使えない事態などを想像すると賃料が多少安くなる以上に迷惑な話。そんな事態にならないよう、あらかじめチェックしておこう。

壁紙なども同様。前に入った人がきれいに使っていたからと古いままで借りた場合、自分の責任はいつからになるのかは確認すべき点。すでに4年経っているのに、ゼロから計算されたのでは負担が過重になる。適正なカウントになっているかは聞いておこう。

以上、簡単にまとめたが、不安がある場合にはまずはガイドラインを読もう。国土交通省のホームページ内で誰でも読める。

「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」について(国土交通省)
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000020.html

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