場所の喪失は思い出、繋がりの喪失とも重なる

監督の中川氏は29歳。幼少時を川崎市の登戸で祖父母と過ごした経験から銭湯も商店街も生活の中にあったそうだ監督の中川氏は29歳。幼少時を川崎市の登戸で祖父母と過ごした経験から銭湯も商店街も生活の中にあったそうだ

首都圏は変化の激しい場所だ。ほんの何年か行かなかっただけで建物は建替えられ、再開発が行われでもすれば駅前の風景は大きく変わる。それに伴い、商店街も、そこにいた懐かしい顔もやがては消えていく。

「場所が無くなることで場所だけではなく、そこで過ごした思い出ごと、人との繋がりも無くなるのではないか」。2019年11月公開の映画「わたしは光をにぎっている」の監督、中川龍太郎氏がこの映画に込めたのは消えていく懐かしいまち、それとともに失われていくものを映像で残しておこうという思いだ。

「大学時代に7年間住んでいた大岡山(目黒区)には銭湯があり、商店街があり、多すぎて困るほどおまけをしてくれるお弁当屋さんや、きれいで親切なお姉さんがいる食堂がありました。そのまちで友人と出会い、その友人を介して映画と出会い、一緒に映画を作ってきたのですが、離れてから2年後に再訪してみたら懐かしい店も、顔なじみの人たちもいなくなっていました」

加えて、留年した中川氏が就活をしていた頃に友人が自死した。まちの変化とそこで一緒に時間を過ごした友人の死。ふたつの喪失が重なった。

中川氏の前2作「走れ、絶望に追いつかれない速さで」(15年)、「四月の永い夢」(17年)はその友人の死がモチーフとなっており、後者は世界四大映画祭のひとつ、モスクワ国際映画祭コンペティション部門に選出され、国際映画批評家連盟賞、ロシア映画批評家連盟特別表彰をダブルで受賞、高く評価された。人、思い出の喪失から始まる物語に続き、中川氏が新作で背景として取り上げたのは今、首都圏のあちこちで失われつつある2つの場所、商店街と銭湯である。

再開発で取り壊される予定の銭湯で働く主人公

主となる舞台は葛飾区立石。活気のある商店街と安価で美味しい飲み屋街が多くの人を惹きつけてきたまちで、現在は再開発で駅を挟んで3棟のタワーマンションの建設が予定されている。すべてが完成すれば商店街も飲み屋街も消失することになるだろう。

そのまちにあるという想定の銭湯に、祖母の入院を機に上京してきた主人公で人づきあいの下手な、松本穂香演じる宮川澪が居候することに。銭湯の掃除から始まり、次第に周囲の人やまちと馴染み、成長していくという物語だが、再開発は上京したときにはすでに予定されており、主人公や人間関係の変化などとは全く関係なく淡々と進行する。いかに主人公が愛着を覚え、大事に思うようになろうが、銭湯は廃業するし、映画館は潰れ、商店街は無くなる。

立石に限らず、首都圏では今、かなりの数のまちに再開発の予定があるが、どこもこのように個人の想いとは別に粛々と進行するのだろうと思うと、社会、それを動かす仕組みの大きさと個人のそれの違いを感じざるを得ない。でも、だからと言って主人公は絶望するわけではなく、その状況下にも光を見いだし、自分にできる明日を切り開いていく。

細かいことを言い出すとネタバレになるので、それくらいにしたいが、映画の始まり時点では時にいらっとするほど人間関係に不器用だった澪が次第に変わっていく姿はほほえましく、頼もしい。また、立石だけではなく、首都圏の古いアーケードのある商店街やドラマのセットのようにすら見えるレトロな中華料理店なども出てきており、それがどこかを考えるのも楽しい。ただ、残念ながら1年前の撮影終了時点から現在までの間に登場した店のいくつかはすでに廃業しているそうで、この映画の中でしか見られない風景もある。変化、早すぎである。

主人公が居候する銭湯。昔ながらの建物で、薪で風呂を沸かしていた主人公が居候する銭湯。昔ながらの建物で、薪で風呂を沸かしていた

場所そのものの価値を再考したい

さて、映画の公開直前に、これからの社会を作っていく若い人たちに見てもらいたいという中川氏たっての要望で、青山学院大学で18~20歳前後の人たちを集めた特別講義が開催された。映画の上映に続き、中川氏、杉並区高円寺にある銭湯、小杉湯店主・平松佑介氏、同番頭でイラストレーターでもある塩谷歩波さんによるトークイベントが開催されたのだが、このやりとりが非常に面白かったので、いくつかご紹介したい。

まずは場所と人間それぞれの寿命について。かつては人間より場所のほうが長生きだったと中川氏。親子代々住み続ける家というものがあり、そこに暮らしがあったわけだが、現在ではその代限り、あとは打ち捨てられて空き家になる家も少なくない。となると、長く続く時間の中にいる自分がイメージしにくく、刹那的なモノの見方をするようになり、ひいてはそれが他人への無関心に繋がっているのではないかというのである。

「故郷の、おじいちゃんと入った銭湯が無くなると、自分の子どもや孫たちはかつてその場にいたおじいちゃんの存在を感じられなくなり、おじいちゃんと繋がれなくなってしまう。そう考えると、そこにある場所そのものに大きな価値がある。それを意識してみることが大事なのではないかと考えています」

ところで、まちで長く存在してきたものといえば寺社と銭湯である。86年続く銭湯の3代目、小杉湯の平松氏は「建物も、風呂に入るという行為もずっと変わっていないけれど、社会の中での銭湯の意味、役割は変わってきている。変わっていかなければ続いていかない」という。

トークイベントに登場した左から中川監督、小杉湯の塩谷氏、平松氏トークイベントに登場した左から中川監督、小杉湯の塩谷氏、平松氏

銭湯は弱い自分を見せられる場所

公衆浴場として多くの人の健康、衛生に寄与していた時代と違い、今の銭湯は身体を清潔に保つという意味だけでは成り立ちづらい。だが、違う意味があると塩谷氏。ハードな仕事に疲弊しきっていた塩谷氏を心身ともに救ったのは銭湯だったというのである。

「頑張り過ぎて凹んでいる時には同年代にも、知っている人にも会いたくない。でも、銭湯で知らないおばあちゃんとどうでもいいような天気の話をしている時間にほっとし、1日の疲れを癒す場としての銭湯に意味があると思いました」。実際、「銭湯に救われた、何かやらせて欲しい」と言う人が少なくないと平松氏もいう。

その銭湯について会場から面白い質問が出た。銭湯は人が弱いところを持ち寄っている場のように見えたが、本当はどうなんだろうかと。人に弱いところを見せにくい社会の中にあって銭湯は珍しい場ではないかと。

確かにその通りである。素っ裸の無防備な状態で他人とひとつの湯船に浸かる状況下では偉そうにしても意味はない。他者との違いを気にする必要もなく、ある意味、とても公平な状態。中川氏は一人旅の途中で入った大阪の銭湯の洗い場で、背中にたくさんの柄が入ったおじちゃんにシャンプーと石鹸を借りた話をし、銭湯は違い、弱さを自然に受け入れられる場という。また、「我が家=ウチ」と「会社=ソト」という二極化する社会の中でその中間にある銭湯や商店街、学校のような場所は貴重だとも。緊張と弛緩、その間にある少しゆるい部分とでも言えば良いだろうか、人にはいろいろな場が必要なのである。

実際の銭湯で撮影。ただし、この銭湯も映画の公開を前に廃業を決めたとか。残念実際の銭湯で撮影。ただし、この銭湯も映画の公開を前に廃業を決めたとか。残念

そのまちらしさを考えることを大事に

だが、残念ながら「わたしは光をにぎっている」でも描かれたようにこれまでのところ、一部の銭湯、商店街を除けば、多くは社会の変化に抗えず、大事な場と思う人達がいながらも少しずつ減ってきた。これをどう思うか。中川氏に問うた。

答えは画一的であることへの疑問である。「古いものを単純に残せばよいというわけではなく、更新せざるを得ないこともある。しかしながら、問題はそれが画一的で、どのまちも同じような風景になってしまうということでしょう」

かつてミニ東京を目指した開発が地方都市の個性を奪ったように、再開発でミニ武蔵小杉(妥当かどうかについてのお叱りはあろうが、イメージはしやすいはず)を目指すのが、そのまちらしい変化かどうかは冷静に考えれば分かるはず。古いものを残してきた京都が国内、海外からも評価が高いことを思えば、再開発に当たってそこがどのような場所かはもっと真剣に考えるべきであろう。

「多くの再開発でも住民との対話は行われてきたでしょうが、それだけでは限界があるのではないかと考えています。住んでいる人だけを対象にすると、財産、お金の話にすべてが取り込まれてしまう危険性があります。その場所を訪れる人だけでも足りない。本当は鳥や野良猫、木々その他も含め、自然の一部としてのまちという視座で考えたほうが良いのではないかと。海外からの視点も考えるならそのまちらしさを伝えることを国の施策としても良いのではないでしょうか」

自然も含めてまち、その土地と考える中川氏は映画の中で場所によって鳥の声を変えているという。自然はその場所ごとに姿が異なり、当然、暮らしもまちも異なっていたはず。しかし、今、まちは均質化し、二極化し、人を閉じ込める方向に向かっていると中川氏。「だから、今回の映画は若い人に見てもらいたかったのです。場を作っていくのは生きている人間。これからの社会を作る人達に知ってもらいたかったのです」

もうひとつ、タイトルの由来となった明治・大正期の詩人であり、児童文学者である山村 暮鳥の詩にも若い人たちへのエールが込められているのだが、紹介するにはスペースが足りない。それがどんなものであるかは映画を見て感じて頂ければ幸いである。


主な舞台となる商店街からちょっと入った場所にある飲食店街。見たことがあるぞ!と思う人もいらっしゃるはず主な舞台となる商店街からちょっと入った場所にある飲食店街。見たことがあるぞ!と思う人もいらっしゃるはず

2019年 11月15日 11時00分