ノーマライゼーションをコンセプトに、閉鎖的ではない福祉センターを

複合観光施設「百年草」のメイン玄関口。足助屋敷からは車で約7分の場所にある複合観光施設「百年草」のメイン玄関口。足助屋敷からは車で約7分の場所にある

1990(平成2)年10月、豊田市足助町に「百年草」と名付けられた施設が誕生した。先の記事でご紹介した「三州足助屋敷」のオープンから10年後のこと。1890(明治23)年の町制施行から100周年を記念したものだ。

ここは、高齢化社会という課題に対し、福祉センターの創設を考えたことから構想が始まった。当時の町長だった故・小出孝夫さんの発案により、役場の職員で、足助屋敷を成功に導いた小澤庄一さんが再び企画から立ち上げまでを担った。

「福祉センターは、福祉のサービスを受ける人と、その家族、福祉に関わるスタッフと、非常にクローズドな施設になりやすいと思うんです。お二人は普通の福祉センターをつくっても面白くないと。足助町は紅葉シーズンは観光客がたくさん来ます。それまで、料理旅館はあったけれどホテルがありませんでした。そして洒落っ気を大切にもされていたので、田舎のおじいさん、おばあさんが孫の誕生日など家族のお祝いごとのときに家族で食べに来られるようなフランス料理のレストランも…、といったように、イメージがふくらんでいったのだと思います」と、足助屋敷と同じく、百年草の指定管理者になっている株式会社 三州足助公社の岡村達司さん。

ノーマライゼーション=人がともに生き、参加することをコンセプトに、あらゆる年代の人々が集う場所となることを目指した。

そして、「足助にある山野草を愛と慈しみの心で育てていくように、お互いに福祉の心を持って、そして雑草のごとく元気で100歳まで生きよう」といった趣旨で、「百年草」と命名された。

凝ったデザインが随所に見られる建物

最初のオープン時には、福祉センターと入浴施設、フレンチレストラン、喫茶店、ハムやウインナーを製造・販売する店舗が営業をスタート。ホテルは約2年後の1993(平成5)年1月に、さらにベーカリーが1995(平成7)年8月にオープンした。

福祉センターと、まちの人だけでなく観光客という他地域の人を呼び込み、にぎわいを生むレストラン、ホテルなど観光に関わるスポットが併設された施設は、全国的に珍しく、大いに注目を集めた。

建物自体も、1993年に「愛知まちなみ建築賞」、1994年に「中部建築賞」などを受賞した。設計を担当したのは、足助屋敷の建設でも株式会社 浦辺設計の中心的な存在であった上杉秀隆氏(現在はアーキトラスト・上杉建築研究所代表)。

地上3階建ての百年草は足助川の河川敷の敷地にあり、道路に面した玄関は3階になる。川側からは3階建ての建物全部を見ることができる。外観は、周囲の自然に溶け込むようにコンクリートと木造を組み合わせたデザインになっている。

また、岡村さんは「館内にはパステルカラーが要所要所で使われていたり、照明も凝ったものになっている」と教えてくださった。

上/川側から見た百年草の全景。手前の三角屋根のところがホテル棟。ホテル棟は2階建てで、全10部屋ある。左下/階段の空間をおしゃれに演出している照明。ただ、これらこだわりの照明器具に使われている電球が廃番になってきているものもあることが目下の悩み。右下/玄関前にあるビー玉を使った遊び心のある飾り上/川側から見た百年草の全景。手前の三角屋根のところがホテル棟。ホテル棟は2階建てで、全10部屋ある。左下/階段の空間をおしゃれに演出している照明。ただ、これらこだわりの照明器具に使われている電球が廃番になってきているものもあることが目下の悩み。右下/玄関前にあるビー玉を使った遊び心のある飾り

“じじ・ばば”が働ける職場に

なぜホテル以外に、ハムやソーセージなどの店とベーカリー、さらにはフレンチレストランが出店することになったのか。「普通なら、特産品を生産するときは地元の資源を使うというのが考えられますが、地域で誰もやっていないメニューをあえて選んだのではないかといわれています。ここは行政が絡んだ施設でしたので、豆腐だったり、鍋だったり、まちの人がすでに商売としているものと競業しない、民業の圧迫をしないものをと」と岡村さん。

また、山里の暮らしを伝える施設である足助屋敷は、わら細工、機織りなどを生業にする地元の人々がその場で手仕事を見せる民俗資料館であり、それは足助町の高齢者の雇用につながっていた。この百年草も同じように、当初から高齢者雇用を意識していたという。

手作りのハムやソーセージを売る「ZIZI(ジジ)工房」、そしてベーカリーの「バーバラはうす」。ユニークなネーミングは、高齢者の呼称である“ジジ”“ババ”に由来する。

「ZIZI工房は県外から職人1人を講師という形で招へいし、数年間技術指導をしてもらいました。また、バーバラはうすは、県内のベテランパン職人1名を社員採用して基礎作りを担っていただきました。その指導で技術を受け継いだ社員がいまも支えながら、パート従業員のおじいさんやおばあさんがいっしょに製造作業を行っています。パートは、それぞれの店舗で15人ずつぐらいおり、毎日5人交代制で働いています」と語った。

左上/まちの高齢者がいきいきと働く「ZIZI工房」。左下/ZIZI工房の商品は、愛知県産の肉を中心に使用している。種類も豊富で、お中元やお歳暮などの贈り物にする人も多いそう。右上/イベント出店依頼には、この車で出張する。左の車はキッチンカーになっており、焼きたてのフランクフルトを提供している。右下/ベーカリーの「バーバラはうす」。取材に訪れた日は日曜日の夕方近くということもあり、多くの商品が売り切れになっていた左上/まちの高齢者がいきいきと働く「ZIZI工房」。左下/ZIZI工房の商品は、愛知県産の肉を中心に使用している。種類も豊富で、お中元やお歳暮などの贈り物にする人も多いそう。右上/イベント出店依頼には、この車で出張する。左の車はキッチンカーになっており、焼きたてのフランクフルトを提供している。右下/ベーカリーの「バーバラはうす」。取材に訪れた日は日曜日の夕方近くということもあり、多くの商品が売り切れになっていた

全10室が異なるデザインのホテル

上/和洋室の201号室。コンクリートと木がミックスされた内装で、ブルーのタイルがアクセントに。畳の部分は、掘りごたつが備えられている。下/特別室の205号室。裸電球がいくつも吊り下げられておしゃれ上/和洋室の201号室。コンクリートと木がミックスされた内装で、ブルーのタイルがアクセントに。畳の部分は、掘りごたつが備えられている。下/特別室の205号室。裸電球がいくつも吊り下げられておしゃれ

一方、ホテルは全10室が窓から足助川と山並みを望むことができ、宿泊者は足助町の豊かな自然を感じながらのんびりと過ごすことができる。外観については先にも記したが、三角屋根で、コンクリートと木をミックスさせたデザインのところがホテル棟で、周囲の自然と調和する造りになっている。また、川側からホテル棟を見ると、緑、赤、黄、白、青と5色が2階のバルコニーに差し色で使われており、おしゃれな雰囲気を出している。このカラーは、廊下の壁の一部にも使われ、コンクリート打ち放しのなかでアクセントを生んでいる。

部屋は、洋室、和洋室、和室を用意。内装はすべて異なり、畳で横になって旅の疲れを癒したり、木製2段ベッドのある部屋では仲間たちで賑やかにすごしたりと、ファミリーから若い世代、年配世代など幅広い客層に対応する。リピーターはお気に入りの部屋を指定する人も多いというが、泊まるたびに趣の異なる部屋で楽しむという利用もできる。

豊田市への合併で変わったこと。そして高齢者雇用の今

紅葉シーズン以外に観光客をいかに呼び込んでいくかが、まちの課題だ紅葉シーズン以外に観光客をいかに呼び込んでいくかが、まちの課題だ

さて、施設の紹介をしてきたが、組織としては2005(平成17)年の豊田市への編入合併により変わらざるをえないことがあった。

当初の運営は、足助町がつくった任意団体・百年草協会が行っていた。市町村合併の話が進み始めた2004(平成16)年、三州足助屋敷の運営団体・緑の村協会と、香嵐渓の園内管理も行っていた観光協会を法人化し、株式会社 三州足助公社を設立。町おこしをもとにした団体を一本化した。

それまで、「足助町を盛り上げたい、よくしたい」と、役場も足助屋敷や百年草で働く人も一致しており、話が伝わりやすいところや、融通の利く運営ができるところがあった。しかし、豊田市という大きな都市の一部となると、すべてがそうはいかなくなった。

「百年草のように福祉と観光がミックスした施設というのは、行政の組織には融合しにくいのです。市の行政は、地域振興は社会部、高齢福祉は福祉部、観光は産業部などとわかれています」。そういった動きのなかで、足助町時代は百年草のなかに町の保健福祉課があったが、市町村合併以降はその機能は本庁や足助支所(旧役場の建物)に移って別になった。

現在は、社会福祉協議会のみが建物や同じ敷地内の隣接する建物に“同居”という形で、デイサービスを行っている。分断化が進み、何かを一緒にやるということはなくなってしまったそうだ。

とはいえ、福祉と観光をミックスした施設として、まちの人と観光客が集う場所であることは変わりがない。

「現実として高齢者の方がたくさん働いていますが、私たちは高齢者を必ず雇用しようと思って運営しているわけではないんです。足助屋敷と百年草の仕事のなかで、それぞれいちばん適した人材を探して働いてもらっている。非常に戦力だと思っているし、お年寄りだからアドバンテージを出しているということも一切ない。本当に大切な社員であり、パートナーです。そういう気持ちで雇用しているので、いまは福祉的な考えはゼロです」と岡村さんは言う。

高齢の1人暮らしだったりすると誰とも話すことなく1日を過ごすこともある。しかしここや足助屋敷で働くことで、老若男女の観光客から喜ばれたり、話す機会を得たりして、笑顔が見られるようになる。さらには、賃金を得られることで生活も潤う。

紅葉シーズン以外のホテル利用率の低さや、もともと薄利なパンの収益があまり見込めないことなど収支が大きな課題ではあるというが、まちの憩いの場、そして就労の場というすばらしい機能がこのまま続くことを願う。

取材協力:株式会社 三州足助公社(百年草 https://www.hyakunensou.co.jp/

2019年 10月02日 11時00分