「かつての下宿」からたどり着いた「シェアハウス」

「下宿」という響きに懐かしさを感じるとすれば、同じ生活空間に友人や同級生がいる特別感からだろうか。昔ながらの下宿のように気軽に使いやすく、つながりを緩やかにしたような複合施設が、北海道帯広市にある。内装とデザインという手に職のある大家さん2人が元下宿をリノベーションした「Share apartment and office TORINOS(シェア・アパートメント・アンド・オフィス・トリノス)」。マルチな使い方ができる、現代の「下宿」として生まれ変わった。

JR帯広駅から車で10分ほど行った、農業高校の正門前。周囲に高校や大学が多くある地域に、飾り気のない外観の、ホテルや旅館を思わせる建物がある。かつて下宿「ドミテルホテルとりこし」として営業していた、1983年築のRC造の3階建て。内装業を営む加茂与志雄さんと、インテリアデザインなどを手がける山川知恵さんはともに地元のさまざまな物件を所有する大家仲間で、この建物の情報を共有していた。売り出し価格の推移をかねてチェックしていたが、誰でもたやすく再生できるような規模と構造ではなかった。

居室だけでも7畳ほどの41部屋がある大きな建物で、エレベーターはないためお年寄り向けの施設に改修するのはハードルが高い。居室には個別の水回りがなく、ホテルにするにはコストがかかりすぎる。そこで効率的に再生できる最適解として浮かんだのが、シェアハウスだった。しかも、それにシェアオフィス・民泊・イベントスペースなど多くの機能を加えることで事業の可能性も広がると加茂さんは考えた。「いろいろな使い方ができれば、いろんな人が交流するようになる。帯広に新しい文化、新しい暮らし方を根付かせたい」

明るい空間に再生された玄関近くのロビー明るい空間に再生された玄関近くのロビー

内装とデザインを手がける大家の2人がリノベーション

41の居室がある、元下宿の建物41の居室がある、元下宿の建物

2017年9月からリノベーションに着手。オーナーとなった加茂さんが内装工事の全般を、山川さんが空間デザインやインテリアコーディネートを担当した。

1階の大きなリビングや下駄箱横のロビーは、白を基調とした洒落たカフェのような雰囲気に仕上げた。シェアオフィスに並ぶデスクは加茂さんが一から作り、不要になった配管を壁にはわせて、ハンガーラックにするなど遊び心も添えた。大きな間取り変更は、かつての大浴場に仕切りをつくってシャワールームを設けたことと、シェアオフィスのための壁と扉を新設したくらいで、玄関の扉の取っ手、タイル、下駄箱、洗濯室の扉やランドリーはそのまま残した。家具の一部には、予算を抑えながら帯広市内の古材を取り扱う店に制作してもらったものもある。

「フルリノベーションで新築そっくりにするのは嫌でした。もともとの昔の良い物を生かして、そこに合うようなデザインにしようと。建物の記憶をできるだけ残しました。工事の進み具合に応じ、メンテナンスや運用のしやすさをその場で話し合って、コストパフォーマンスが良くて安っぽく見えない物で、全体を明るくコーディネートしました。最初から『これ』と決めるとお金がかかる。大家らしい考え方ですが、建物をどうやって費用を抑えて、効率よく生かしていくか。デザインも同じですね」と山川さん。

半年間の工事の末、2018年3月20日にオープンした。

30人以上が入居できるシェアハウス

トリノスは、最短で4ヶ月から契約できる定期賃貸借契約のシェアハウスが柱になっている。

取材した2019年3月時点で入居者の半数が学生、半数が単身赴任の社会人という割合。一般的なアパートの代わりとしてだけでなく、セカンドハウスとして、また事務所としてさまざまな使い方を提案している。3階は女性専用フロアで、スタイリッシュな空間に充実した設備の共用キッチンを置くなどした。定期契約の更新は1年ごとで、家賃は25,000円、共益費2,000円、水道光熱費は10,000円(税別、月額)。

シェアハウスは室内やシャワールーム、キッチン、廊下とも洗練されたデザインが楽しめるシェアハウスは室内やシャワールーム、キッチン、廊下とも洗練されたデザインが楽しめる

シェアオフィス、民泊、イベントと幅広く使える複合施設

1階にあるシェアオフィスの専用室は午前8時~午後8時に利用でき、Wi-Fiやプリンター、シュレッダー、文房具と冷蔵庫が備わるほか、1階のキッチンやリビング、シャワールームも使うことができる。緑を多く配した、落ち着ける空間だ。

農林水産省などで農業機械を研究してきた濱田安之さんが立ち上げた、世界的に知られる農業ICTベンチャー「農業情報設計社」の社員などが利用する。広々としたキッチン・リビングは貸しスペースとしても提供し、食育活動で知られる地元の料理研究家の母娘が食のイベントで使うなどしている。一部の居室は民泊仲介サイトAirbnbに登録して、訪日旅行客らの宿泊ニーズに対応。最大で3ヶ月間まで宿泊することができる。山川さんは「複合施設なので、いろんな使い方ができることを発信したいですね」と話す。

緑を多く配したシェアオフィス(左上)、一階のリビング・キッチン(右上)、洗濯室(右下)、民泊用の部屋(左下)緑を多く配したシェアオフィス(左上)、一階のリビング・キッチン(右上)、洗濯室(右下)、民泊用の部屋(左下)

さまざまな人が交流できる新しい「下宿」に

下宿時代の雰囲気を残した玄関前に立つ、加茂さん(左)と山川さん下宿時代の雰囲気を残した玄関前に立つ、加茂さん(左)と山川さん

次なる展開として、運営を意欲ある人に委ねたり、ユニークな事業をする会社と連携したりと、さまざまに検討しているという。加茂さんは「都市部とは違うので、ここにあったものを考えていきたい」と思いを巡らす。

入居を検討する人からは、「交流が楽しめる場だったら入ってみたい」という声が寄せられているため、加茂さんと山川さんは「今後は入居者をもっと増やしていき、交流を活発にさせたい」と話す。

今後は一緒にトリノスという交流の場をつくりあげる仲間を募っていくつもりだ。加茂さんは「友達以上、家族未満の人と一緒に帯広に住む経験そのものが他ではできないこと。シェアオフィスにも面白い人が出入りしています。2拠点居住に興味があったり、新しい暮らしとコミュニティーをここで作りたい人に来てもらって、情報発信もしてもらい、家賃のかからない『管理人』として受け入れたいですね」と呼びかける。

元々の建物のよさを残し、リノベーションで再生された新しい「下宿」。多様な使い方と暮らし方を受け入れ、住む人や使う人が緩やかにつながる場所を目指して動きだした。

2019年 05月15日 11時05分