落語の世界

谷中の夕焼けだんだんも右側は荒川区。古今亭志ん生が住んでいた谷中の夕焼けだんだんも右側は荒川区。古今亭志ん生が住んでいた

下町らしさというと、人情味とか、庶民性とか、親しさ、気安さというものがあるが、一方で、楽しさ、明るさというものもあるのではないか。まあ、つまり落語の世界である。
山の手を舞台にした落語というものはあまり聞かないわけで、山の手に住む武士は落語では町人によるからかいの対象である。
だから、寄席はもちろん、演芸、映画などの娯楽は下町で発達したのであって、その代表が浅草だ。荒川区も、農村だった時代には、浅草方面に遊びに行ったらしい。

だが、大正時代になると、荒川区も、小さな区であるわりには、浅草との距離的近さもあったからか、娯楽施設が増えた。
また、荒川区と隣接する台東区根岸には戦後の娯楽の帝王・林家三平が住んでいたし、現在大河ドラマでビートたけしが演ずる古今亭志ん生は谷中に住んでいたが、行政上の住所は荒川区西日暮里だった。

たくさんの映画館があった

荒川区の映画館というと、大正10年に金杉(東日暮里)にできた金杉館や第一金美館が最初らしい。11年に尾久万歳館、12年に尾久館、第三金美館ができた。尾久には温泉旅館、芸妓屋もあったので、たいそう街が賑わったらしい。以後、映画館としては日暮里キネマ館、日の出館、昭和になり、三山シネマができた。
また寄席・演芸場・芝居小屋としては、中村座、さくら館、美登里館、菊住館などが大正11年から14年にできたほか、ビリヤード場、釣り堀、囲碁・将棋の会所などがあった。
ただし荒川区の映画館は、1番館ではない。つまり映画の最初の上映は浅草で行われ、その後の2番館、3番館が荒川区にあったという。

また、1914年(大正3)に、下尾久の宮ノ前の碩雲寺住職の松岡大機が、尾久村一帯の水が焼酎の製造に適すると考えて、衛生試験場に依頼して水質検査をしてもらったところ、ラジウムが含まれていることが判明したため、温泉を開き、「寺の湯」と名付けた。これが人気を得て、後に新築され「不老閣」と名を変えた。

ごったがえす三ノ輪の商店街。映画館もある。(1955年)(荒川区『目で見る荒川区50年の歩み』より)ごったがえす三ノ輪の商店街。映画館もある。(1955年)(荒川区『目で見る荒川区50年の歩み』より)

料理屋が栄え三業地に指定される

昔の三業地の跡。なんとも色っぽい昔の三業地の跡。なんとも色っぽい

こうして下尾久は温泉と料亭の町として栄え、料理屋としては、熊野前駅周辺に、小泉園、光泉園、保生館、富貴館、霊泉館、小泉分園、熊野館、玉富、日之出館、松月、池田屋、嬉しの、末広、弁天家、やぶそば、宝来寿し、小台駅周辺に、熱海、大河亭、尾張屋、神明庵、魚吉、清水庵、川端屋、玉川、五色寿しがあり、熊野前駅と小台駅の中間には、旭館などがあったというから大変な繁盛ぶりだ。

しかし、温泉と料理はあるが女性がいないということで、1922年、芸妓屋と料理屋からなる二業組合の指定を警視庁から受け、その後待合茶屋も加えた三業地となった。これにより、それまでは田園地帯だった下尾久の地が、1923年ごろには、商店数350軒という発展を見たのである。

震災後における商店街の全盛期

1923年は関東大震災の年であるが、荒川区の商店街も震災後に発展した。それ以前、1913年に王子電鉄が開通すると商店の近代化が進んだが、その勢いが震災後に強まったのだ。

王子電鉄はその後都電荒川線になっているが、その三ノ輪駅周辺の南千住銀座通りは、実に下町らしいノスタルジーを感じさせる商店街だった。

『王子軌道三十年史』によれば、なんとか銀座という商店街はたくさんあるが、「さすがここの銀座だけはこの界隈特有の色彩濃厚で、無造作に並べた肴屋(さかなや)の店舗が二軒もあったり、おでんの鍋から煙りがあがっていながら、すぐその鍋のかたわらで今川焼きや鯛焼きを焼いていたり、タコやコマ、メンコを売っている駄菓子屋があったり、大きなマーケットのそばに五色揚げ専門の店があるとか、蒲鉾屋が短い小路に二軒もあるなど、そぞろ歩きに面白い。夜はこの附近一帯からの買い物場所、散歩場所となっている。」(『王子軌道三十年史』、ただし表記は現代風に改めた)

南千住銀座のほかにも、町家銀座、小台銀座などができ、荒川区の商店街は一大発展期を迎えたのである。

ジョイフル三ノ輪商店街ジョイフル三ノ輪商店街

都市計画家・石川栄耀もこの商店街なら満足したのではないか

商店街は夜のほうが魅力的かも知れない商店街は夜のほうが魅力的かも知れない

 戦前から戦後にかけての都市計画の泰斗・石川栄耀(いしかわ・ひであき)は、「夜の都市計画」の重要性を指摘したが、まさにこの荒川区の商店街の描写は、そういう町の典型のように見える。
「我々はいつこの頃からか知らないが、日曜祭日、夜という語を完全に余暇という語の同意語にしてしまっている」。だが「本当の人生計画からいえば産業時間であるところの月火水木金土のしかも昼間が余暇で」あり「それ以外の時間こそ正味である。都市計画はすべからくこの人生の本態である正味の計画から初めその余地で産業計画をせよ」と石川は書いた。
「夜」は「昼間とても得られぬ親しい人間味のある安静の時だ。トゲトゲしい昼の持つ、一切の仲たがいと競争と、過度の忙しさ」が「静かに幕をおろし、本来の人なつこい心に帰る時である」。大事なのは「人間が遊楽施設につつまれ、その気分の中にあって集団的気分に酔うこと」であり、「実用価値を離れ、生を楽しむ気分」であり、「賑やかさ」こそが都市の本質的価値であり、都市の「人生」の要諦であると石川は主張した。
 今や商店街はさびれているが、それでもなお荒川区を歩いていて感じられる独特の暖かみは、そこに人間の人生があり、親しみやすさがあるからだろう。

2019年 05月14日 11時05分