神奈川の歴史の重要な場所

横浜港が一望できる屋上の眺めは最高だ横浜港が一望できる屋上の眺めは最高だ

みなと横浜といえば幕末以来の開港の地であり、西洋文明の入口。
横浜市の中心だが、そもそもアメリカが最初に開港を望んだときは横浜港はない。神奈川港が希望だった。しかし神奈川港は東海道の神奈川宿に隣接し、そこにアメリカが来ると、住民とのトラブルや、いざというとき一気に江戸まで攻め寄せてくるかもしれない。そういう懸念があったので、神奈川港より江戸から遠く、人口が密集する神奈川宿からも少し離れた横浜村に新たに港を開いたのだそうだ。だから、神奈川区こそが本来の横浜市の中心であるという意識が古くからの神奈川区民にはあるようだ。

神奈川区の中でも特にその中心は現在の京浜急行神奈川駅の西側の丘の上にある旧・青木城趾、現在の高島台、かつての北条家臣の拠点である。標高は40mあり、現在は横浜港から彼方に東京湾、西には富士山を望むことができる。そこには本覚寺があり、幕末に最初の米国領事館が置かれたという。

しぇあひるずヨコハマができるまで

しぇあひるずヨコハマのコンセプトを熱く語る荒井聖輝さんしぇあひるずヨコハマのコンセプトを熱く語る荒井聖輝さん

この歴史的な土地に「しぇあひるずヨコハマ」はある。これは築60年のコンクリートブロック造のアパート、築54年の鉄筋コンクリート造のアパートの2棟を同時にリノベーションしたものであり、同じ敷地に建つ母屋の木造1棟を加え、「海-UMI-」「空-SORA-」「陸-RIKU-」と名付けられたソーシャルアパートに17名が暮らしている。株式会社ここくらすが運営する。

ここくらすの代表の荒井聖輝さんは34歳。母方の曾祖父が戦後、本覚寺から840m2の土地を借り受け、まず自宅を1953年に、現在「海-UMI-」と名付けられたアパートを1958年にかけて建てた。建物が中庭を囲むように建てられていた。アパートは台所トイレ付の6畳一間、風呂共同で直近でも家賃月3万円ほどの格安物件だった。
最初は自宅に曾祖父と祖父母と母親らの家族が住んだ。荒井さん自身は14歳の時からこの地に移り住み、今は荒井さんに子どもができたので、曾祖父から5代が住んでいることになる。

またアパートができたのは冷戦時代が始まったころだから、米ソの対立が激しかった。だからソ連人に部屋を貸す人は珍しかったが、このアパートにはご主人がソ連人の家族が住んでいたという。ここで育ったソ連人(今はロシア人)のご主人と日本人の奥様がリノベーションの竣工時に訪ねてきたが、自分の住んでいた家をキレイに直してくれたと涙を流して喜んだという。
他には絵描きさんなどアーチストも多かったようだ。みなと周辺の喧騒を逃れて静かに創作活動に勤しめるからだろうか。

リノベーションで家族と地域がつながる

だがアパートは竣工後1度も修繕されなかった。古くなってくると設備が老朽化し、次第に空き室が増えた。築50年を過ぎた頃には借りて住んでいるのは中国人の1家族だけになった。家賃は払っているがいつもは住んでいない人も多く、ほとんど荷物置き場かゴミ屋敷のようになってしまった部屋もあった。

また2012年に長女が誕生した直後の13年、家族で次々に入院や介護に関わる問題が浮上し、子育てや仕事との両立にも苦労した。地域のつながりがなく、助け合えない社会という現実に直面した。そのために、家族みんなが一緒に生涯住み続け、地域とつながりあうことの大事さを知った。
そして母方のおじいさんが亡くなり、老朽化した建物の相続が発生した。土地はもともと借地のため、売却することも担保にすることもできない。だが老朽化したコンクリートのアパート2棟は壊すだけで1000万円以上かかる。その上、未接道という悪条件が重なり、壊した後に新築を建てることもできない。なんとかこわさずに再生する方法を荒井さんは模索した。リノベーションして貸し出すしかない。

計画を立案するにあたってはリノベーション・スクールにも通った。リノベーション・スクールの聖地、北九州でのスクールに参加し、家単体だけでなく地域全体を再生する思想を学んだ。それが「しぇあひるずヨコハマ」にも生きている。
リノベーション資金はクラウドファンディングを利用し、地元の銀行からも借りた。

リノベーションをするに先立ち荒井さんはアパートを素材にして多くのイベントを開催した。
友人を招いて屋上でバーベキューをしたり、子どもたちも含めたみんなで壁にペインティングをするイベントもした。せっかく、というのもおかしいが、廃墟のようになっているのだから、大学生を集めて廃墟の空間のハロウィーン・パーティをしたりもした。そういうイベントで集まった人たちにアパートの屋上から景色を眺めてもらった。多いときは70人も人が集まり、町内会からも若い人が集まってきてうれしいといわれた。
そうやって、今まで来たことのないこの丘の上にたくさんの人たちが来てくれて、この土地の価値を知ってくれるということが重要だった。

庭では農園、イベント、シェアハウス内のコモンキッチンでも様々な交流がある庭では農園、イベント、シェアハウス内のコモンキッチンでも様々な交流がある

各種のイベントで交流を促進。郊外の不動産価値も上げる

こうして2017年4月、共同キッチンを備えたソーシャルアパート2棟のリノベーションが完成した。
住人は、地域と積極的に関わりたいという人に住んでもらうようにした。また、近隣の人たちと一緒に楽しめるようなイベントをしぇあひるずの住人自身が企画するようにした。中庭には菜園をつくり、地域の人やNPOのグループが「畑部」をつくって、一緒に農作業ができるようにもした。住人ではないが、仲間が屋台を出したり、中古のキャンピングカーを庭に置いてアウトドアのイベントをしたりして、中庭を盛り上げている。

さらに隣接する家に住んでいた人が家を手放し、別の家が建つことになったが、そこの新しい住人には、しぇあひるずの活動とつながることに価値を置く人に住んでもらおうと考えている。だから家を販売する不動産会社にも、ここに住めばしぇあひるずの活動に参加できることを積極的に宣伝材料にしてもらっている。
一般的には急な坂の上で不便な物件だが、むしろしぇあひるずとのつながりによって、キッチンを使ってパーティをしたり、中庭でイベントを開いたり、菜園で野菜を作ったり、屋上から絶景を堪能できる。それにより新しい家の不動産価値が上がるのではないかと荒井さんも不動産会社側も考えているのだ。

郊外住宅地の高齢化、空き家増加が問題化しているが、こうした新しい取り組みによって、住宅地のコミュニケーションが活性化し、住宅地がもっと公共的な場所となり、ひいては不動産の価値が上がることも期待できるだろう。

庭には屋台が出たりして周辺住民も巻き込んだコミュニティづくりがされる庭には屋台が出たりして周辺住民も巻き込んだコミュニティづくりがされる

2018年 08月18日 11時00分