明治から昭和初期まで、国際港として隆盛を極めた門司のまち

関門海峡を望む「門司港レトロ」は、北九州市有数の観光スポットだ。青い海水をたたえた船だまりの周囲に、明治〜大正時代の華やかな洋風建築が建ち並ぶ。赤煉瓦の「旧門司税関」、八角形の塔屋を持つ「旧大阪商船」、ハーフティンバー様式の木造洋館「旧門司三井倶楽部」などなど、それぞれ個性豊か。駅舎として日本初の重要文化財となった「JR門司港駅」は現在改修工事中だが、来年春以降、少しずつ修復後の姿を現す予定だ。

門司にこれだけの華麗な建物が残されているのは、かつて栄華を極めた時代があったからだ。明治22(1889年)年に国の特別輸出港に指定されて以来、貿易港として、国際航路の寄港地として、戦時には軍港としても活況を呈した。ピーク時の地価は東京と肩を並べるほど高騰したといわれる。

(左上)門司港レトロ、船だまり(右上)旧門司税関(左下)旧大阪商船(右下)旧門司三井倶楽部(左上)門司港レトロ、船だまり(右上)旧門司税関(左下)旧大阪商船(右下)旧門司三井倶楽部

港を見下ろす山裾に点在する、花街の名残りと懐かしい路地

港が門司の繁栄を築く表玄関だったとすれば、その奥に広がる山裾は、集まった人々をもてなす場として、数々の料亭や旅館、富豪の別邸などが建てられた。

「門司港レトロ」から徒歩10分ほどの清滝エリアには、かつて10軒以上の料亭があったという。その多くはすでに失われたが、今も木造3階建ての料亭建築「三宜楼(さんきろう)」や、芸妓たちの拠点だった“券番”の建物が残る。さらにその周辺には、風情ある坂道の路地が幾筋も伸びている。

「門司港レトロ」が昼の顔なら、こちらは夜の社交や生活の場で、洋風の「門司港レトロ」とはひと味違う、情緒豊かな和の「レトロ」がここにはある。しかし「門司港レトロ」を訪れる年間約200万人の観光客がこちらに足を向けることはまれだ。

ひとびとの暮らしの記憶を刻む清滝の懐かしい路地裏に、往時の賑わいを取り戻したい----。そんな思いから、地域の人々と市内の大学生が、タッグを組んで動き始めた。

(左上)昭和初期の栄華をしのばせる木造三階建ての高楼「三宜楼」(右上)かつて、芸妓達がお金を出し合って建てたという研修道場「二葉券番」の跡地。建物は昭和12年の建設で、その一部が今も残り、「錦町公民館」として地域の人々の活動拠点になっている(左下)清滝の路地。かつて芸妓の置屋だったとされる酒屋がある(右下)赤煉瓦塀のある長屋の一棟は「路地裏ギャラリーもじろじ」として活用されている(左上)昭和初期の栄華をしのばせる木造三階建ての高楼「三宜楼」(右上)かつて、芸妓達がお金を出し合って建てたという研修道場「二葉券番」の跡地。建物は昭和12年の建設で、その一部が今も残り、「錦町公民館」として地域の人々の活動拠点になっている(左下)清滝の路地。かつて芸妓の置屋だったとされる酒屋がある(右下)赤煉瓦塀のある長屋の一棟は「路地裏ギャラリーもじろじ」として活用されている

営業を終えた昭和初期の料亭に賑わいを取り戻せ!学生たちが案を練る

清滝の高台にある旧料亭「ひろせ」は、昭和初期に建てられた和風建築だ。2014年に料亭としての営業を終え、長く使われないままだった。

その「ひろせ」2階の大広間が、今年9月23日・24日に公開され、最盛時を超えるのではと思われるほど大勢の人々が詰めかけた。西日本工業大学建築学科の学生たちによる清滝のまちづくりプランの発表を聞くためだ。

「門司路地シャレット」と名付けたこの企画は、5〜7月にリサーチ、8月に学生と地域住民の交流会やまちあるきを行い、9月の6日間に集中してアイデアを練り上げるというもの。「シャレット」とはフランス語の「荷車」で、かつてパリの建築学生が荷車に図面を積み、課題の締め切り日に駆け込んだことに由来し「短期集中型の都市デザイン手法」を指すようになったという。

学生たちは5つのチームに分かれ、それぞれのプランにタイトルを付け、パネルにまとめて「ひろせ」の大広間に展示。公開発表会に臨んだ。

路地や通りに灯りをともし、人々を誘導する「あかりの先へ」、背後にある山への入り口として登山家や家族連れに拠点を提供する「山の駅 ひろせ」、料亭をギャラリーやカフェ、ショップに改修する「ハナヤシキ」、まちなかに、滞留時間に応じたさまざまな場を設ける「yori-loji」など、多彩なアイデアが提案され、審査員との質疑が行われた。会場を訪れた地元の人々からも活発な意見が出され、賑わっていたころの街の思い出が語られたり、かつて料亭で奏でられた長唄の録音が披露されたりする一幕もあった。

最優秀賞に輝いたのは「もジ・ろっジ・らうんジ」。「ひろせ」を飲食や入浴、休憩ができる場所にすることで、清滝の空き家群をゲストハウスネットワークとして再生させようとする提案だ。

どの案もすぐ実現に結び付くわけではないが、アイデアの種として今後芽を吹く可能性はある。指導にあたった西日本工業大学の三笠友洋准教授は「単発のイベントで終わらせないよう、これからも長期的に取り組んでいきたい」と語る。「門司路地シャレット」の実践編として、10月28日・29日には路地の空き家のひとつを借り受け、まちの人々に公開するDIYイベントを開催。今後も学生たちの手で改修を進め、まちの賑わい拠点のひとつにする計画だ。

(上)旧料亭「ひろせ」で開かれた「門司路地シャレット」発表会の様子。地元の老若男女で賑わった(下)マイクを手に挨拶しているのは元「ひろせ」女将の久野さん。その左は順に、錦町まちづくり協議会代表の手島稔之さん、西日本工業大学の三笠准教授、立っている4人が「門司路地シャレット」最優秀賞に輝いた学生チーム。(上)旧料亭「ひろせ」で開かれた「門司路地シャレット」発表会の様子。地元の老若男女で賑わった(下)マイクを手に挨拶しているのは元「ひろせ」女将の久野さん。その左は順に、錦町まちづくり協議会代表の手島稔之さん、西日本工業大学の三笠准教授、立っている4人が「門司路地シャレット」最優秀賞に輝いた学生チーム。

炭鉱主の別邸から料亭へ、そして次の用途は?使うひとを待つ建物  

久しぶりに活気に満ちた「ひろせ」の様子を目にした元女将の久野悦子さんは、「建物が喜んでいるようです」と目を細める。

「ひろせ」の建物は、はじめ炭鉱主の別邸として建てられたといわれる。それを芸妓「千代菊」として活躍した久野さんの母が買い取り、昭和25年(1950年)に料亭として開業した。約90坪の木造2階建てで、それぞれに趣向を凝らした床の間付きの座敷が大小4つある。「門司路地シャレット」の発表会が開かれた大広間は25畳に板の間付きで、港の方向にベランダが設えられている。今はマンションに視界をふさがれてしまったが、かつてはここから海峡を望むことができたのだろう。

料亭を閉めたあと3年間使われていなかった建物は、ひっそりとして、生気を失っていたという。門司区役所の永田教子さんは「公開準備のために窓を開け、掃除をし、出入りを重ねるたびに、建物が息を吹き返していくのをまざまざと感じました」と語る。

今回の公開では、2日間で700人を超える人が訪れた。人々が「ひろせ」に寄せる関心は高い。今後は建物を維持しながら、引き続き、活用策を探っていくそうだ。次の公開は、2018年3月3日のひな祭りを予定している。

(左上)旧料亭ひろせ、外観(右上)中庭/写真提供:門司区役所(左下)玄関</br>(右下)1階和室の床の間。公開に合わせて飾り付けられた(左上)旧料亭ひろせ、外観(右上)中庭/写真提供:門司区役所(左下)玄関
(右下)1階和室の床の間。公開に合わせて飾り付けられた

2017年 11月21日 11時05分