女性洋画家の第一人者、三岸節子の生家跡地にある美術館

美術館の玄関にある三岸節子像。節子は、16歳で洋画家・岡田三郎助に師事して以降、94歳で亡くなるまで生涯洋画を描き続けた。女性画壇の地位向上に努め、1994年には女性洋画家として初の文化功労者となっている美術館の玄関にある三岸節子像。節子は、16歳で洋画家・岡田三郎助に師事して以降、94歳で亡くなるまで生涯洋画を描き続けた。女性画壇の地位向上に努め、1994年には女性洋画家として初の文化功労者となっている

以前、当サイトの記事でご紹介した東京都中野区にある、画家の三岸好太郎・節子夫妻の「三岸アトリエ」。国の登録有形文化財に指定された建物は、戦前の趣を残し、建築としても大変貴重なもので、夫妻のファンのみならず、建築ファンも多く訪れている。

今回は、三岸節子の作品を常設展示する愛知県一宮市にある「一宮市三岸節子記念美術館」を訪れた。1998年の開館時は「尾西市三岸節子記念美術館」であったが、2005年に市町村合併があり、現在の名称に変更となった。

同地のある愛知県・尾張西部地方は、織物業で栄えてきた歴史があり、繊維のまちとして全国的にも知られる。戦後には、織機をガチャンと動かせば“万”のお金が入るという「ガチャ万景気」という言葉が生まれるほどの好景気を迎えた場所である。節子の生家である吉田家も織物工場を経営していた。節子が15才の1920年に第一次世界大戦終結による戦後恐慌のあおりを受けて破産をしたが、美術館はこの生家跡に建設された。

織物工場ののこぎり屋根など、節子の思い出を活かしたデザイン

開館のきっかけは、「尾西市だった時に、この近くにある尾西歴史民俗資料館で何度か展覧会が行われ、市民の方から、ぜひ地元出身である三岸節子さんの美術館をという署名運動がありました」と教えてくれたのは、同館の学芸員・杉山章子さん。それから作品の収集が始まり、名誉市民でもある節子の功績を後世に伝えると共に、市民の美術・芸術への関心を高める目的で美術館が建てられた。

「コンペを経て名古屋の会社のデザインに決まりました」という建物の大きな特徴は屋根だ。この地域にまだ多く残る、織物工場ののこぎり屋根をモチーフにしている。のこぎりのギザギザとした歯に似た三角の屋根は、直射日光を抑え、北向きの窓から工場内に均等に光を取り込むことができ、繊維の組織や色などを見るのに適しているので多くの繊維工場で採用された。「三岸節子さんの実家である吉田家は、大きな織物工場を経営していらっしゃいましたので。今でも、この地域は日本一のこぎり型の屋根が残っているそうです」。

また、吉田家の工場が火災に強いレンガ造りだったことも、外壁やロビーの内装のデザインに取り入れられている。「開館してから20年近く経ちますが、古臭くなく、このレンガの雰囲気もよいのではないかと思っています」と杉山さん。

常設展示室に入ると、天井部のデザイン、明るさが目を引いた。「ここは、節子さんがかつて住んでいたフランス・ブルゴーニュのアトリエを少し意識した造りです。息子である黄太郎さんの意向もあり、紫外線カットの素材を使用して作品に配慮しながら、自然光を取り入れています」。三岸黄太郎(1930-2009)も洋画家として活躍した。

節子は息子・黄太郎とその家族と共に1968年に渡仏し、カーニュという町に住んだあと、1974年にブルゴーニュのヴェロンという小さな農村に移住。1989年の帰国まで、節子は20年余りを過ごした。その間には、スペインやイタリアなどへも行き、作品を制作したという。その思い出の地のひとつ、ヴェネチアをイメージした水路も作られている。「1970年代にヴェネチアですばらしい風景画をたくさん描かれており、それにちなんでいます」。

(左上)節子の生家の家業、繊維工場ののこぎり屋根をモチーフにした屋根が特徴の美術館外観</BR>(左下)天井から自然光を取り入れた造りの常設展示室(右)節子が多くの風景画を描いたヴェネチアをイメージする水路(左上)節子の生家の家業、繊維工場ののこぎり屋根をモチーフにした屋根が特徴の美術館外観
(左下)天井から自然光を取り入れた造りの常設展示室(右)節子が多くの風景画を描いたヴェネチアをイメージする水路

土蔵の中にアトリエを再現

土蔵展示室の中のアトリエ展示と、土蔵の外観土蔵展示室の中のアトリエ展示と、土蔵の外観

敷地内には、土蔵展示室もある。この土蔵は、節子の生家にあったもので、場所を移動させて、改修し、展示室とした。中には、節子がコレクションしていた埴輪や土偶などが飾られているほか、パレットや筆などの絵画の道具や机、じゅうたんなどを配してアトリエ風の展示をしている。「作家がどういう風に描いていたかを想像し、雰囲気を感じてもらえれば、とレイアウトしました」。

また、美術館の敷地周りには、白い花を咲かせる木が植えられている。「節子さんがエッセイに白いお花が好きだということを書かれていて、それにちなんでいます。建物を回ってもらいながら、節子さんが住んでいたころの様子、また節子さんの思い出をしのんでいただけるような造りになっています」。

生まれた町の雰囲気も感じながら、作家の理解を深める美術館の役割

(上)右側のレンガの建物が美術館、左側にのこぎり屋根の建物</BR>(下)今回お話を伺った学芸員の杉山さん(上)右側のレンガの建物が美術館、左側にのこぎり屋根の建物
(下)今回お話を伺った学芸員の杉山さん

一宮駅からバスで15分。最寄りのバス停から美術館へは1分ほどとすぐだが、その道沿い、美術館の向かい側の家屋にものこぎり屋根が見られる。
「当館は、民家に取り囲まれていて、住宅街に突然現れるというのは、公共の美術館としては珍しいのではないかなと思います。のこぎり屋根もすぐ隣に残っていますし、周りの風景と合わせて楽しんでもらえるかと。帰りのバスは、木曽川の方をう回して行きますので、そうすると市街地から視界が急に開けて、違う風景になり、私も赴任した時に驚きました。また、近くには、起(おこし)宿という江戸時代の宿場町であり、古い歴史を感じられます。こういうところで節子さんは生まれたんだと感じてもらえると思います」と杉山さん。

三岸節子記念美術館は、1993年に創設された「愛知まちなみ建築賞」の第6回(1998年度)に選ばれ、町並みとの融合が評価されている。絵の具の鮮やかさや図録などでは感じられない立体感、迫力など、実物を目の前にすることで驚きや感動を得る経験はとても大切なものだ。それに加えて、作家の生まれた町並みにとけこんだ建物を通して、生い立ちや歩みなど作家を身近に感じられ、理解を深めることができるのは素晴らしい体験だと思う。ぜひ美術館を訪れる際は、周囲にも足を延ばしてほしい。

一宮市三岸節子記念美術館
http://s-migishi.com/

2017年 04月03日 11時00分