多様な背景をもつ住民同士が話し合える場を設けた

NPO法人シブヤ大学の授業で登壇するアンドレア・ボッコ氏と通訳兼司会の多木陽介氏。ちなみにこの授業が行なわれたのは、東京都渋谷区の「ケアコミュ二ティ・原宿の丘」。渋谷区が旧原宿中学校の校舎を改修し、地域コミュニティの拠点施設として設立したもの。「この会場も、“地区の家”のような場だと思います」と、ボッコ氏NPO法人シブヤ大学の授業で登壇するアンドレア・ボッコ氏と通訳兼司会の多木陽介氏。ちなみにこの授業が行なわれたのは、東京都渋谷区の「ケアコミュ二ティ・原宿の丘」。渋谷区が旧原宿中学校の校舎を改修し、地域コミュニティの拠点施設として設立したもの。「この会場も、“地区の家”のような場だと思います」と、ボッコ氏

イタリア・トリノ市の「地区の家」をテーマにした記事の2回目。前回に引き続き、ソーシャル系大学のNPO法人シブヤ大学で開催された『トリノの地区の家 ― 都市再生の新しい考え方と実践のし方』と題した授業のレポートをお届けする。講師は、トリノ工科大学建築学科建築技術専攻准教授のアンドレア・ボッコ氏。通訳兼司会を務めたのは、ボッコ氏の友人でローマ在住の演出家・アーティストである多木陽介氏。

ボッコ氏は、1990年代に外国人移民の急増により、不安になったイタリア人との間で関係が悪化し、生活環境が悪くなったサン・サルヴァリオ地区の再興をはかるために「サン・サルヴァリオ地区改善事務所(以下、改善事務所と記述)」を創設。地区住民との協働をはかりながら改善に取り組み、そのプロセスで「地区の家」と名付けた地域コミュニティセンターを開設した。その結果、地区の活性化が進んでいったことは前回記事でお伝えした。

アフリカなどからの外国人移民が多く、多様な人が住むサン・サルヴァリオ地区の地域再生。なぜ、成功できたのだろう? その理由について、ボッコ氏はこう話す。
「私たち改善事務所のメンバーが常にニュートラルであったことです。特定の人々のためにということではなく、地区に住むすべての住民のための活動。それが私たちの活動ポリシーなのです。毎月1回は立場の違う市民団体の人を集め、大きなテーブルを囲んで話し合う場を設けました。この地区をどのようにしていこうか、話し合うのですが、その席には外国人移民や、古くからこの地で店を営むイタリア人などさまざまな住民に参加してもらったのです。最初の頃はみんなの意見が合わなくて険悪な雰囲気になることもありました。でも、改善事務所のメンバーが無理にまとめることはせず、みんなの意見を受け入れ、私たちも一緒に話し合っていくというスタンスを崩しませんでした。それを継続していくうちに、外国人移民もイタリア人もお互いの意見を尊重するようになり、歩み寄りが見られるようになりました。イタリア人の中には外国人移民に対して抵抗を感じていた人もいるけれど、毎月、顔を合わせているうちに、“案外、いい人たちじゃないか“と打ち解けていったようです」。

こうした取り組みを、多様な民族、多様な文化が共存するイタリア・トリノのサン・サルヴァリオ地区で実践していくことは決してたやすいことではなかっただろう。

実践し続けた結果、得られたものは大きかった。地区の外に住むアウトサイダーであるボッコ氏ら改善事務所のメンバーと、地区住民との間で信頼関係を築くことにもつながった。

地域再生の活動を続けるなかで挫折した経験も

このような住民の人間関係を改善するという地道な取り組みを経て、2010年に「地区の家」がオープン。前回記事でも触れているように、1990年年代には悪評が立っていたサン・サルヴァリオ地区がマルチエスニックの街として人気スポットへと変わることができた。その一方で、ボッコ氏らは挫折も経験したと明かす。
「ここはもともと貸し家の多い地区だったのですが、街に魅力が出てくると、不動産の価格に反映されます。住宅の家賃が上がり、低賃金層の人たちは住み続けることができず、この地区から出ていかざるを得なくなったのです。そうした新たな課題に対し、なんとかしたいと思いました。例えば老朽化した貸し家の建物を、私たちの建築家グループが安価な価格で改修することで家賃の高騰を防げるのではないかと考え、プロジェクトを練り上げたこともありますが、資金がなくて実現できませんでした」。
ボッコ氏の改善事務所には、当初はトリノ市から補助金が出ていたというが、「しだいに行政からの資金的なサポートは期待できない状況になっていきました。2006年のトリノ五輪開催などで財政的に余裕がなくなっていたことが要因でしょう。私たちの活動も資金的な問題を抱えるようになりました」と話す。

そうしてボッコ氏らが選択した道は、トリノ市の別の地区で新たな「地区の家」を開設すること。トリノ市北部のバリエーラ・ディ・ミラノ地区に2013年にオープンした「地区の家」である。サン・サルヴァリオ地区の「地区の家」は、地域の問題解決をめざすプロセスで誕生した施設だったのに対し、バリエーラ・ディ・ミラノ地区(以下、バリエーラ地区と記述)のケースは事情が異なる。バリエーラ地区の「地区の家」も“街づくりの核になる地域コミュニティセンター”という根本は変わらないのだが、改善事務所の活動資金を担う事業として起業したものという。

ボッコ氏たちが開設した「地区の家」には中庭があり、地区住民のくつろぎのスペースとしても親しまれているという。写真はバリエーラ・ディ・ミラノ地区の「地区の家」ボッコ氏たちが開設した「地区の家」には中庭があり、地区住民のくつろぎのスペースとしても親しまれているという。写真はバリエーラ・ディ・ミラノ地区の「地区の家」

「もの作り」を通じて地域住民の交流を深める拠点に

ここでバリエーラ地区とはどういう街なのか、触れておきたい。前回記事でも記述しているが、トリノは19世紀末にフィアット社が設立され、かつては自動車の街として繁栄していたという歴史をもつ都市だ。第2次世界大戦後にはイタリア南部から多くの移民がやってきて、自動車産業の労働の担い手となった。そんな移民労働者によって作られた地区のひとつがバリエーラ地区という。
20世紀後半からは石油危機などによって、トリノの自動車産業が衰退していく。バリエーラ地区は、そうした時代の変化を受けた街でもある。「近年、EU(欧州連合)の支援で地域再生をはかろうという取り組みが始まっています」と、ボッコ氏は言う。

そんなバリエーラ地区で、もとは印刷工場だったという空き建築物を改修し、「地区の家」をオープンした。建物は、2階建ての900m2。サン・サルヴァリオ地区の施設と同じく、さまざまな市民講座やワークショップ、コンサートやイベントの会場として多目的に利用されている。
このほか、館内には住民のためのカウンセリング窓口やコワーキングスペースはもちろん、ジャズスクール、ミニラジオ局、有機素材のパンを売る店やカフェもあり、多彩。
「この建物はもとが印刷工場というもの作りの場だったので、“地区の家“となってからも木工やパン作りのラボを設け、“もの作りを通じて地区住民がつながること“をコンセプトにしています」と、バリエーラ地区の文化的な拠点にもなっているようだ。ちなみに館内のカフェは、ボッコ氏ら改善事務所のメンバーによる経営で、調理、接客サービスのすべてに関わっているといい、「私たちの活動資金を支えるという意味でも、カフェの売上は重要な役割を果たしています」。

バリエーラ・ディ・ミラノ地区の「地区の家」にあるカフェ。店内のインテリアの多くはリサイクル品を活用している。提供するメニューはリーズナブルな価格のベジタリアンの料理などで、トリノでも評判のカフェになっているというバリエーラ・ディ・ミラノ地区の「地区の家」にあるカフェ。店内のインテリアの多くはリサイクル品を活用している。提供するメニューはリーズナブルな価格のベジタリアンの料理などで、トリノでも評判のカフェになっているという

「地区の家」のイベントなどは住民が提案し、企画

このバリエーラ地区の「地区の家」も、サン・サルヴァリオ地区のケースも、多くの地域住民が利用できるよう、開館時間を長く設定していることが特徴的。年間で350日開館し、平日は朝9時から深夜24時まで、金曜・土曜は朝9時から深夜2時まで開いている。「開館時間が長いのですが、私たち改善事務所のメンバーがローテーションを組んでシフト制で管理するシステムができているので、問題はありません」とボッコ氏は言う。

ボッコ氏らが開設した2つの「地区の家」の運営でもう1点、特筆したいのは、住民の側から数多くの提案が出るようになっているということ。講座やイベント、コンサートの企画は、住民の側から活発に出てきているし、地区全体に関わるポジティブな提案も増えているという。
「たとえば、地域の公園をみんなで一緒に掃除しようとか、安全で良質な食品を共同で購入しようといった動きも見られるようになっています」。

「地区の家」は開館時間が長く、夜間でも利用されている「地区の家」は開館時間が長く、夜間でも利用されている

都市の再生に必要なのは「人と人とのつながり」を補強すること

授業に参加したのは、街づくりの仕事に関わる人や、自分の住む地域の生活に関心のある人たちだったようだ。多くの質問が寄せられ、その一つ一つにボッコ氏と多木氏はていねいに答えていた授業に参加したのは、街づくりの仕事に関わる人や、自分の住む地域の生活に関心のある人たちだったようだ。多くの質問が寄せられ、その一つ一つにボッコ氏と多木氏はていねいに答えていた

このように、さまざまな成果をあげてきた「地区の家」。
「私たちは行政ではなく、プライベートな組織ですが、地域の住民が共有していける、新しいタイプのパブリックスペースを創り出すことができたのではないかと思います」。
さらに続けてボッコ氏はこう話した。
「街づくりにおいては、従来は建築家が新たに建築物を建てるという再開発プロジェクトが主流でした。でもこれからはそういう目に見えるものではなく、その地域にやってきた人がどんなことを経験できるのか、どんなことが心に残るのか、“非物質的”なことに目を向けた街づくりが必要になるでしょう。特に農村部よりも都市部において重要です。なぜかというと、都市は生活環境や経済的な面で、人が暮らし続けることが難しくなると、私は考えています。そんななか、都市で暮らしやすい状態にするには、人と人とのつながりを強くしていくことが大切です。それが可能になるよう、私たちは今後も活動を続けていきたいと思います」。

海外の街づくりの事例について、研究者などの有識者から話を聞く機会はあっても、現地の当事者から話を聞ける機会はそう多くはない。その意味でも、今回のシブヤ大学の授業は貴重な場になった。

☆取材協力
特定非営利活動法人シブヤ大学
http://www.shibuya-univ.net

2016年 05月29日 11時00分