日本一の森林率。自然豊かな高知県へのUターン事例

ここ数年、"地方移住"は多くの人の関心を集めるキーワードとなっている。1月に総務省が発表した2021年の人口移動報告によると、現在の集計方式となった2014年以来、東京23区は初めての転出超過となった(※)。一時的な可能性はあるものの、東京一極集中の流れが転換する契機になるかもしれない。とはいえ、都心近郊や地方都市への転入人口が増加している一方、人口減少に歯止めがかからない地方は数多い。

今回取材に訪れたのは、四国の南半分の太平洋に面し、海、山、川の雄大な自然に恵まれた高知県。面積に占める森林面積の割合は84%と、森林率は日本一を誇る(※)。そんな自然豊かな高知県も、少子高齢化による課題を抱えている地域が多いのが現状だ。

LIFULL HOME`S PRESSでは、都市での生活経験がありつつ、現在は高知県で暮らす人々を取材。前回は、人口の社会増が続いている香美市の事例を取り上げた(高知県香美市 旧農家の古民家をDIYして暮らす髙村さん。移住も住まいも、"どこに暮らすか"より"どう暮らしたいか")。2回目となる今回は、大阪府から人口3,400人ほどの高知県大豊町へUターン移住した事例を紹介したい。家族と暮らしながら、農家や茶屋を営み、地域資源を生かした地域活性化に取り組む 猪野(いの)大助さんにお話を伺った。

四国のほぼ中央部に位置する高知県大豊町。山間部に棚田、傾斜畑、集落が広がっている。訪問した2月下旬は雪景色だった四国のほぼ中央部に位置する高知県大豊町。山間部に棚田、傾斜畑、集落が広がっている。訪問した2月下旬は雪景色だった
四国のほぼ中央部に位置する高知県大豊町。山間部に棚田、傾斜畑、集落が広がっている。訪問した2月下旬は雪景色だった大阪府からUターン移住をした猪野さんは、高知県大豊町出身。運営されている立川御殿茶屋前にて

子育て環境を考え、大阪から高知県大豊町へUターン移住

高知市から車で北東へ40分ほど、自然豊かな山間部に広がるのが、猪野さんの暮らす大豊町だ。猪野さんの出身は高知県大豊町。地元を離れ、大阪市役所に10年勤めた後、2012年にUターンして大豊町に帰ってきた。地元に戻るつもりはあまりなかったが、子どもができたことをきっかけに大豊町へのUターンを決めたという。

「東京や大阪など都会での暮らしは、大人になってからでもできますからね。私自身が幼少期から大豊の自然に囲まれた中で過ごしてきたので、子どもも同じような環境で育てたいと思っていました。妻はなかなか首を縦には振ってくれませんでしたが、二人で話し合いを重ねて、私の熱意に負けて了承してくれました」(以下、「 」内は猪野さん)

大豊町の人口は2022年2月時点で3,324人、平均年齢は63.6歳。2019~2020年の人口増減率はマイナス3.9%と、高知県全体で3番目の高さとなっている(※)。清掃や草刈りなど、集落の生活を維持するための共同作業も難しくなっている地域もあるという。そんな大豊町にUターン移住して10年ほどがたった今、猪野さんは地域でさまざまな役割を担っている。

大豊町へUターンしたのは、上のお子さんが2歳のとき。奥さまと2年ほどよく話し合い、家族での移住を決めたという大豊町へUターンしたのは、上のお子さんが2歳のとき。奥さまと2年ほどよく話し合い、家族での移住を決めたという

トマト農家、NPO、そば職人、地域でいろいろな顔を持つ猪野さん

猪野さんは農家としてトマト栽培を営むかたわら、NPO法人「元気おおとよ」に参加している。地域住民や民間事業者と連携したり、移住者の案内・サポートを行ったりと、まちづくりの一役を担っている。そしてもう一つの顔が、地元の郷土料理である「立川(たじかわ)そば」職人だ。
つなぎを一切使わなずに打たれた立川そばは、米の栽培が難しい大豊町では蕎麦の栽培が盛んだったことから、郷土料理として古くから親しまれてきた。一般的なそばと比べ、麺は太く、不ぞろいで短い。そば本来の風味が楽しめる、いわゆる田舎そばだ。ゼンマイやワラビなど、地元で採れる山菜や猪肉を入れていただく。年越しそばとして親しまれ、猪野さんも幼い頃から食べていた懐かしい味だという。
この地域ならではの食文化だが、そばの収穫量もそばを打てる人間も年々減っていく中、猪野さんはこの立川そばを絶やさぬよう、技術と味を受け継いだ。

「立川そばは、昔ながらの十割そばです。大人の味ですね。ちょっとぼそぼそとしているので、食感をよくするために、配合や延ばし方など自分なりに工夫しています。地区の婦人会の方に手伝ってもらって、この『立川御殿茶屋』で、村の人や観光客に地元名物の立川そばをふるまっています」

集落の人の憩いの場でもある「立川御殿茶屋」。地区の人と協力し、月に一回、第三日曜日にオープンしている
集落の人の憩いの場でもある「立川御殿茶屋」。地区の人と協力し、月に一回、第三日曜日にオープンしている

「やってみいや」で始まった、地元の食文化を継いでいく大役

そばを打ち、立川御殿茶屋で提供するだけでなく、近くの道の駅へ卸したり、ふるさと納税の返礼品としたりするなど、猪野さんは販路の拡大にも努めている。大阪から地元に戻り、伝統の食文化をたった一人で受け継ぐというのは、さぞプレッシャーがかかることではないだろうか。と思いきや、猪野さんが5年ほど前にそばの道を継いだ経緯は意外なものだった。もともと「立川そばを継ごう」という意志はなかったそうだ。

「これは笑い話なんですけど、道の駅で働いていた弟から『立川そばがなくなりそう』という話を聞いて、最初は軽い気持ちで製麺所の見学に行ってみたんです。そしたら何故かその場で、『継いでくれてありがとう』という流れになって。もともと飲食に興味はありましたが、まさか自分が立川そばを継ぐことになるとは思っていませんでした。でも、年越しそばがなくなるのは寂しいですし、職人さんも後継者がいなくて困っていましたから、まずは『やってみいや』ということになりました」

本業の農業の合間に、そばを打ってきた猪野さん。特別な気負いはなく今に至るというが、地元の住民からは「じきに消えてしまいそうな立川そばの味を守ってくれた」と感謝されることも多いという。

都市での生活経験がありつつ、現在は高知県で暮らす人々を取材している。今回は、大阪府から人口3,400人ほどの高知県大豊町へUターン移住した事例を紹介したい。家族と暮らしながら、農家や茶屋を営み、地域資源を生かした地域活性化に取り組む 猪野(いの)大助さんにお話を伺った。立川御殿茶屋の食事メニュー。名物「立川そば」のほか、大豊町で親しまれてきた郷土料理が並ぶ

立川御殿茶屋では、そばの他にも大豊町ならではのさまざまなメニューを提供している。”不老長寿の豆”として古くから栽培されたきた「銀ブロウ豆」を混ぜた銀ブロウ寿司、独特の香りが楽しめる碁石茶、ゴボウとえごまを入れた地元のおやつ「コンチン」など、大豊町になじみのない人にとっては見慣れない食べ物ばかりだ。地域住民が書き残した郷土料理のレシピをもとに、猪野さんがメニュー開発も担当している。お店を切り盛りする地元の女性も、「地元の食材を頑張って伝えていこう」と同じ想いで運営しているという。

ミッションは、地域資源と自分の経験を生かして、地域を元気にすること

大豊町にUターンで戻って来たとき、「この地域を活性化させるのが自分のミッション」と思ったという猪野さん。大阪時代は市役所で都市開発に携わっていたこともあり、行政や住民へのプレゼン時など、経験が生かせる部分もたくさんあると感じているという。

「大豊町には豊かな自然はもちろん、人が集まる場所もあります。立川御殿茶屋もそうですし、すぐお隣にある『旧立川番所書院』もその一つです。今ある地域資源を生かして、自分の経験やできることも増やしていって、地域を元気にしていきたいですね」

猪野さんの言う「旧立川番所書院」は、1979年頃に高知藩によって建てられた番所の一つだ。江戸時代、大豊町は、高知から香川を抜けて本州に渡るための主要道にあった。

参勤交代道として古くからが整備されていた土佐街道参勤交代道として古くからが整備されていた土佐街道
参勤交代道として古くからが整備されていた土佐街道旧立川番所書院は、参勤交代時の宿として利用されていた。岩佐口番所(北川村)、池川口番所(仁淀川町)と並び、土佐の三大番所の一つ

整備された道中、旧立川番所書院は参勤交代の際に大名が泊まっていた施設であり、国の重要文化財でもある。史跡としての珍しさもあって、見学に足を運ぶ人も多いという。旧立川番所書院と立川御殿茶屋は、集落を代表するスポットだ。「せっかく貴重な史跡があるので、この場所の雰囲気を生かして、もっと人が集まる場所にしていけたらと思います」と猪野さんは語る。

「今はそば打ちがメインですが、本業を生かして農家レストランをやってみたい気持ちもあります。もともと趣味でうどんを打ったりピザを焼いたりしていたこともあって、新しく作ったピザ窯で地元食材のピザメニューを出す予定です。立川そばを継いだのは偶然ですけど、この茶屋で、やりたいと思っていたことにいろいろチャレンジをさせてもらっているので、結果的によかったなと思っています」

参勤交代道として古くからが整備されていた土佐街道移住者からのつながりで出会った元陶芸家と一緒に作り上げたピザ窯。1ヶ月ほどよく乾燥させれば、火を入れられるようになる。地元食材を使ったピザやそば粉のガレットなど、アイデアは広がる
参勤交代道として古くからが整備されていた土佐街道旧立川番所書院一帯の雰囲気を生かそうと、着物を着ての接客など、人を呼ぶための「レトロなおもてなし」も構想の一つだ

高知県の制度と地域の連携で、ミスマッチのない移住を

猪野さんはそばの味を守りながら、地域の人の協力を得て、大豊町でさまざまな新しいアイデアを実践している。これがもし都心だったら、ライバル店ひしめく環境で、立川御殿茶屋ほどの広さで店舗を構えるのは非常にハードルが高いだろう。大豊町でなら、都心に比べれば同業他社の存在も少なく、チャレンジもしやすい。また地元の人からの応援という心強いサポートもある。
「Uターンしてよかった」と語る猪野さんは、NPOで移住者のサポートも行っている。今後はできるだけ移住者と受け入れる地域とのミスマッチをなくしていきたいという。

「移住希望者の方をご案内することもありますが、都会での生活に疲れてのんびり田舎で暮らしたいと、いわゆるスローライフのような暮らしを思い描く方も多いです。でも、都会はもちろんですが、田舎は田舎でやることはたくさんあります。若い人の存在は貴重なので、近所の人に頼られることも多いですからね」

薪ストーブがある立川御殿茶屋は、災害時には住民が暖をとれる場所にもなる。地域の人が集まる場所として、猪野さんは今後もこの茶屋を活用していく薪ストーブがある立川御殿茶屋は、災害時には住民が暖をとれる場所にもなる。地域の人が集まる場所として、猪野さんは今後もこの茶屋を活用していく

移住での「こんなはずじゃなかった」をなくすために、高知市も力を入れている。高知の施設を一定期間利用できる「お試し移住」のほか、オール高知として行う「二段階移住」も特徴的だ。まずは県一の都市である高知市に滞在し、セカンドステップとして、県内全市町村の中から自分に合う地域へ移住するというものだ。お試し移住費用には補助金もある。さらに地域をよく知る猪野さんらが、近隣地域間で連携を図り、移住者の望む環境に近い地域を紹介するなどしている。

最後に猪野さんは、移住を検討する人に向けてこう締めくくった。

「田舎と一口に言っても地域の実情はさまざまですが、どの場所にもそこにしかない魅力や地域資源があります。自分のやりたいことをのびのびとできそうな環境を選んでもらえたらと思います。自分で手を動かすことが好きだったり、地域との交流に抵抗がなかったり、”来てくれてありがとう”と地域に温かく迎えられることを喜べる人は、田舎での暮らしに向いているでしょう」


■取材協力:立川御殿茶屋
https://www.otoyo-kankou.com/gurume/gotenjaya/

■高知県セミナー(2022年3月21日)※このイベントは終了しました。
密着スペシャル!多彩なゲストが語る高知の魅力〜高知出身の人も、そうでない人も見ればきっとこうちが好きになる〜

https://kochi-iju.jp/lp/mitchaku-kochi/index.html

※住民基本台帳人口移動報告 2021年(令和3年)結果
https://www.stat.go.jp/data/idou/2021np/jissu/pdf/youyaku.pdf

※都道府県別森林率・人工林率(平成29年)
https://www.rinya.maff.go.jp/j/keikaku/genkyou/h29/1.html

※大豊町 住民記録 人口世帯集計表(令和4年)
https://www.town.otoyo.kochi.jp/life/detail.php?hdnKey=721

※高知県の推計人口年報(令和2年)
https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/111901/files/2014021401751/r02nenpou.pdf

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