新婚カップル憧れのアパートが複合文化施設LOGに

LOGの屋上から見た尾道水道。アパート時代にも眺望のよい場所として人気だったLOGの屋上から見た尾道水道。アパート時代にも眺望のよい場所として人気だった

広島県尾道市。現在は坂のまちとして知られているが、まちの山手側、坂のあるエリアに人が住み始めたのは比較的新しく、1891(明治24)年に山陽本線が敷設されて以降。それ以前の山手側は神社仏閣のための地だった。

だが、鉄道が通ったことで住宅建設が許可されるようになり、当時の豪商たちは高台の風光明媚な土地を選んで「茶園」と呼ばれる別荘を建てるようになる。同時に鉄道により立ち退きを迫られた住民も山側に住まいを求めて移っていった。それによって山手側に今のような坂のまちが生まれてきたのである。

中近世の寺社の周辺に近現代に建てられた住宅が入り交じり、その間を細い路地と坂、階段が複雑に交差する山手側に現LOG、かつて新道アパートと呼ばれた建物が誕生したのは1963(昭和38)年のこと。山手側では珍しい鉄筋コンクリート造、3階建て、40m2の部屋が24室という、今からするとごく普通の、だが当時としてはとてもモダンで、新婚カップルには憧れのアパートだったという。

LOGの屋上から見た尾道水道。アパート時代にも眺望のよい場所として人気だったLOGに向かう途中、横道にそれるとこうした細い階段、そして猫。尾道らしい風景である。この先には志賀直哉旧宅が公園として残されている
LOGへ向かう道。建物は右側の石垣の上にあり、ここまでくればあともう少しだが、これがきついのであるLOGへ向かう道。建物は右側の石垣の上にあり、ここまでくればあともう少しだが、これがきついのである

「神社仏閣の集まる聖なる地域であり、茶園文化の残る特別な土地です。そこに、これまでなかった建物ができたと。眺望は素晴らしいものの、階段を100段以上も上らなくてはいけない、家賃も安くはないにもかかわらず、憧れのアパートとして人気を集め、つい15年ほど前までは満室が続いていたと聞きました」とホテル、カフェなどからなる複合文化施設LOGの支配人・小林紀子氏。

一時期は紡績工場の社員寮に使われていたこともあり、LOGを運営するTLB株式会社が同物件を取得した時にもまだ数組が居住していたという。当初は同社の社員寮にでもしようかと漠然とした意図で取得したそうだが、今回、設計を手がけた、小津安二郎の映画「東京物語」で尾道に愛着を感じていたビジョイ・ジェイン氏率いるスタジオ・ムンバイとやりとりをするうちに、どのように使うかがゆるやかに変化し、現在の形になっていったという。

まちの大事なものを残し、事業と雇用を創出する場に 

海運倉庫を利用した複合施設ONOMICHI U2ができたことで人の流れが変わり、日帰り観光地だった尾道に滞在する人が増えたという海運倉庫を利用した複合施設ONOMICHI U2ができたことで人の流れが変わり、日帰り観光地だった尾道に滞在する人が増えたという

「私たちはLOG以前に歴史ある擬洋風建築、日本家屋の2棟を利用して滞在施設『せとうち 湊のやど』、県所有の築70年余の海運倉庫を利用して『ONOMICI U2』という複合施設をつくってきました。まちの人にとって大事なものを残していかないとという思いがありますし、加えて会社のビジョンはこの地に事業と雇用を創出するというもの。かつて尾道の新婚カップルが憧れたアパートに若い世代が戻ってきてくれたらと考えました」

ただ、これをやるぞ! というような目標を設定してのスタートではなく、2013年に物件を取得して以降の2~3年は、ああでもない、こうでもないとオンライン、メールを使ってやりとりを重ねてきたそうだ。

海運倉庫を利用した複合施設ONOMICHI U2ができたことで人の流れが変わり、日帰り観光地だった尾道に滞在する人が増えたというせとうち 湊のやどの1棟、島居邸洋館。建物、眺望が楽しめる 撮影/Tetsuya Ito

「当初から考えていたのはこの建物がステータスだった時代にクローズドだった空間を、開いていくということ。50%以上はオープンスペースにしてまちの人に使ってもらおうと考えました」

工事が始まったのは2017年。まずは建物を残していくための健康診断を行ったのだが、健康診断の結果はかなり悪かった。解体してみたところコンクリートに多数の穴が開いており、補強に多額の費用がかかることが分かったのだ。だが、耐震性能をおろそかにするわけにはいかず、交付金を利用、トンネルなどでコンクリートを補強する際に使用されるIPH工法(Inside Pressure Hardening:内圧充填接合補強)を採用して躯体を安全なものに再生した。

地鎮祭が行われたのは2018年1月。そして本来は10月に予定していたオープンは少し延びて12月になり、LOGは派手なお披露目をすることなく、静かにスタートした。これは設計のビジョイさん(LOGの人たちの愛情を込めた言い方にならい、この記事ではそう書く)の考えによるものだ。

「ここにある意味があるもの」に囲まれた空間

スタジオ・ムンバイはインド西海岸の都市ムンバイに拠点を置く建築集団で、職人と密接に協働しながら、伝統的な工法と素材を積極的に用いて建築を造り上げていくことで知られている。2010年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展での特別賞受賞、同年のヴィクトリア&アルバート美術館での展示で世界的に知られるようになり、日本でも2012年にTOTOギャラリー・間で「STUDIO MUMBAI:Praxis」展が開催されている。東京国立近代美術館前庭で「夏の家」と題したパビリオンが設営されたこともある。

と、教科書的に書くよりも、小林氏が語ってくれた、LOGに関わった左官職人・川上さんとビジョイさんとのやりとりを書くほうが職人との協働や静かにスタートした意味をお分かりいただけると思う。

普通、職人は自分の仕事は言われたことをそのとおりにやるものだと思っている。特に昔気質の人であれば自らの意見を言うことなど思いもよらぬのだろう、黙々と指示に従う。だが、ビジョイさんはいちいち川上さんに「どう思う?」と問うたという。

最初のうちは困惑していた川上さんだが、聞かれているうちに意識が変わる。LOGは建物の多くの部分が左官仕上げになっており、しかも、その角はいずれも丸い。そのひとつひとつに最適な角度はどのくらいか、川上さんは自分で考え、それをビジョイさんとやりとりをしながら仕上げていったというのだ。

これほど左官仕上げが表に出ている建物も少ないのではと小林氏。話を聞いた後で見ると、細部の手間のかかる丸みにかけた職人さんの心意気が感じられるような気がしたこれほど左官仕上げが表に出ている建物も少ないのではと小林氏。話を聞いた後で見ると、細部の手間のかかる丸みにかけた職人さんの心意気が感じられるような気がした
もともとは管理棟が立っていた中庭。解体した建物の瓦、壁材などを再生時に利用、あちこちに使っているもともとは管理棟が立っていた中庭。解体した建物の瓦、壁材などを再生時に利用、あちこちに使っている

「これをこのとおりにやって」と指示するほうが効率は良い。職人も考えなくて済む分、楽といえば楽だ。だが、ビジョイさんは効率よりも人のやりとりやその中で考え、生まれるものを大事にする人なのだろうと思う。

「スタジオ・ムンバイの仕事は自然素材、手作業を重んじるといわれていますが、それよりもソフトを大事にしている人というのが印象です。キーチェーンの話をしていた時、ビジョイさんが『検索すれば出てくるけれど、そこに欲しいものは載っていないよ』と。Aでも、Bでも、Cでもいいし、手作りでなくてもいいけれど、どうしてそれを選んだか、ストーリーのあるものがよいと言われました。今、ここにあるものはすべてそうしてできてきたものです」

真似はできるけれど、そこに本質はない

宿泊者専用の、2階のギャラリーに展示されている外壁の試行錯誤の様子。さまざまな色を試し、その場所に合った色を選んでいったという宿泊者専用の、2階のギャラリーに展示されている外壁の試行錯誤の様子。さまざまな色を試し、その場所に合った色を選んでいったという

例えば外装のなんとも微妙なニュアンスのあるピンクベージュは114色(!)のレシピを作り、ひとつずつこの土地の光に合うかどうかを検証したうえで選ばれたもの。寝室の白は「何かやわらかいものに包まれる部屋にしたいね」という思いから選ばれた色。LOGでは、館内のギャラリーに置かれているプロジェクトブックで、できるまでの経過をすべてオープンにしているので真似をして作るつもりなら再現はできる。

しかし「再現できるけれど、再現できない」と小林氏。世の中には見た目が同じで機能も同じ、全く違いがないものもあれば、同じに見えて全く異なるものもある。ビジョイさんが目指しているものはもちろん後者だ。

宿泊者専用の、2階のギャラリーに展示されている外壁の試行錯誤の様子。さまざまな色を試し、その場所に合った色を選んでいったという階段の踊り場にも試行錯誤の跡が残されていた。ちなみに照明やドアノブその他細かいものもすべてこの建物のために作られている
清潔さにうっとりする客室。風、光が通り、爽やか 撮影/Tetsuya Ito清潔さにうっとりする客室。風、光が通り、爽やか 撮影/Tetsuya Ito

そしてビジョイさんはLOGを「うちと同じようにしてほしい」とも。その意味はわが家と同じように住んでいる人が日々手入れをし、少しずつ整えていくということ。

「暮らし始めたばかりの家にはそれほど物はなく、暮らしているうちに少しずつ増えていくものです。植物もそうで、ちょっとずつ時間をかけて設えをそろえていく。そうやって15年後くらいにもっと素敵になったらいいねとビジョイさんはよくおっしゃっています」

ずっと考えながら、手を動かしながら、変化を楽しみ、日々を愛おしむ。それが場を今日よりも明日とよくしていく。LOGが目指しているのは、そのような空間なのである。だから、派手なお披露目をするのではなく、ゆっくり静かに始まったのだろう。

ビジョイさんはよく、「クリンナップ、掃除をしてください」と言う人でもあるという。「建物はL字形で光と風が通るように設計されており、いい気が流れるように考えられています。それは訪れる人に対してだけではなくスタッフの部屋も同様で、緑が見え、風が入り、居心地がよい。訪れる人、働く人がその場にいることをハッピーに思い、空間を大事にしてきちんと掃除をする。それによって場は長く続くものになるということでしょうか」

LOGの建物はすでに60年近くを経ているが、今回の改修によってさらにそれ以上の時を生きることになる。「これから15年後」というのはひとつの目安であり、おそらくビジョイさんが見ているのはもっともっと先。「未来を想像する人なのだと思います」と言う小林氏の言葉に頷いた。

宿泊者専用の、2階のギャラリーに展示されている外壁の試行錯誤の様子。さまざまな色を試し、その場所に合った色を選んでいったというL字形で段差のある建物全体。1階、2階の中央部がスケルトンになっているのがお分かりいただけるだろう

場所ごとに異なる色合い、時間が流れる

LOG入り口。上って来た道を振り返ると向こうに海。ドラマチックな場所であるLOG入り口。上って来た道を振り返ると向こうに海。ドラマチックな場所である

建物をご紹介しよう。尾道駅からはそれほど遠くないが、山陽本線のガードを過ぎると、延々と階段が続く。息を切らしながら登り、右手に高い塀が見えてきたら、そこがLOGである。やっと着いたかと振り返ると海が見える、門を入る前から絶景の場所だ。

新道アパートだった頃から立っている瓦屋根の門をくぐると足元にも瓦があることに気づく。これは現在、中庭になっているところに立っていた管理棟に使われていたもの。通風、採光を考えて取り壊したものの、その廃材を無駄にすることなく利用しているのである。瓦だけでなく壁材も、床の掻き落とし(左官仕上げの一種。先が針のように尖った道具で表面を粗く掻き落として仕上げる)の土間に使われている。全部に使うほど廃材が出なかったため、使われているのは全体の20%ほどだとか。訪れた時にはぜひ、床も眺めてほしい。

LOG入り口。上って来た道を振り返ると向こうに海。ドラマチックな場所である門を入ったところ。左側が元のアパート部分。正面は東屋として改装予定の、現在は使われていない建物。植栽は以前からのもの

入ってすぐ左手に建物があるのだが、驚いたことにL字形の建物の、海側に向いた半分ほどはスケルトン状態。一番手前の上下2色に塗り分けられた漆喰の空間には窓から光が差し込み、庭の緑、灯籠が見え、部屋全体が額縁のように見える。

その隣もやはりスケルトンの空間で、そこに和紙のシェードからの光が陰影を作る。壁際に無造作(に見えるが決して無造作ではない)に置かれた石、和紙の額が印象的だ。

1階はこのスケルトンの2室の奥にダイニングルームがあり、L字の、少し段差のある山側には階段があり、その上にはレセプションとショップ、オフィスがある。

LOG入り口。上って来た道を振り返ると向こうに海。ドラマチックな場所である建物入ってすぐの空間。木漏れ日という言葉を久しぶりに思い出した
LOG入り口。上って来た道を振り返ると向こうに海。ドラマチックな場所である続く空間もスケルトン。和紙の照明の温かさが印象的。壁際にも和紙の作品が飾られている

ダイニングは木陰のグリーン、カフェは夕陽のピンク

ダイニングルーム。木陰のような深い緑色の壁、漆喰の壁際に設えられた席が特徴的。ランチ、ディナーは宿泊客でなくてもいただける 撮影/Tetsuya Itoダイニングルーム。木陰のような深い緑色の壁、漆喰の壁際に設えられた席が特徴的。ランチ、ディナーは宿泊客でなくてもいただける 撮影/Tetsuya Ito

1階のダイニングルームは窓から木々が眺められる空間で、壁の色はその緑陰に合わせたグリーン。少し濃いめの落ち着いた色合いだ。壁側の席は漆喰で作られており、その前にテーブル、椅子。この作りは2階のカフェ&バー、宿泊者専用のライブラリーも同じで、乾いた土の色に合わせてくすんだ、自然を思わせるラグが置かれている。この色合いが実に絶妙で思わずうちにも欲しいと思ったほどである。

2階はL字の海側の一番手前がカフェ&バーになっており、こちらは少し赤みの強いピンクが使われている。夕陽をイメージしたそうで、カウンターはそれよりもやや暗い赤。和紙にベンガラと漆を塗ったものだそうで、一見鉄のようにも見える。メニューには地元の名産であるレモンを使った品なども多い。

1階のショップ、ダイニング(ディナー時)、2階のカフェ&バーは一般客も利用でき(18時以降は宿泊者限定)、取材時には地元の人たちが楽しそうに写真を撮っていた。いずれも絵になる空間であり、その気持ち、よく分かるなあと思ったものである。

ダイニングルーム。木陰のような深い緑色の壁、漆喰の壁際に設えられた席が特徴的。ランチ、ディナーは宿泊客でなくてもいただける 撮影/Tetsuya Ito明るく、眺望が楽しめる2階のカフェ。カウンターに立っているスタッフも海が眺められるロケーションで働く人も楽しそうだ 撮影/Tetsuya Ito

2階も、海に面した側の中央部分はスケルトンになっており、真ん中には庭に下りる階段が新たに設置されている。緩やかな、風景を楽しみながら下りられる階段で、その先には現在は使われていない瓦屋根の建物。いずれは東屋として再生する予定があるという。いずれという話でいえば、もうひとつ、来年にはスパを作る計画もあるそうだ。

2階の奥にはプライベートダイニングがあり、こちらはドキッとするような鮮明な青と黄色の部屋。ここで食事をしたら元気が出るに違いない。

2階にはもうひとつ、宿泊者専用の、時間限定で自由に見られるギャラリーもある。ここには約5年間にわたるLOGの再生に至る実験、検証の一部が展示されており、繰り返した色の実験やロゴが生まれるまでの経過などを見ることができる。それがどこに置かれているかを客室や、敷地内で探してみるのも楽しいと思う。

ダイニングルーム。木陰のような深い緑色の壁、漆喰の壁際に設えられた席が特徴的。ランチ、ディナーは宿泊客でなくてもいただける 撮影/Tetsuya Ito2階から庭へ下りる階段。風景に見とれていても足を踏み外すことがないほど緩やかに作られている
ダイニングルーム。木陰のような深い緑色の壁、漆喰の壁際に設えられた席が特徴的。ランチ、ディナーは宿泊客でなくてもいただける 撮影/Tetsuya Ito高貴な色といわれている青と黄色をぱっきりと使ったプライベートダイニング。他の部屋とは全く雰囲気が異なり、目が覚めるような色使い 撮影/Tom Miyagawa Coulton

若い人たちの「きっかけの場」に

2ベッドルームの、4人で泊まれる部屋。窓辺には縁側的なスペースがある 撮影/Tetsuya Ito2ベッドルームの、4人で泊まれる部屋。窓辺には縁側的なスペースがある 撮影/Tetsuya Ito

3階は宿泊者専用のフロアで部屋数はわずか6室。いずれも土間、寝室、縁側という作りになっており、漆喰と和紙が印象的。1室を除き、すべて定員は2名で、ダブルか、ツインかという違いである。

面白いのは最大4名が泊まれる1室。これは学生でもシェアして泊まれるようにと価格を抑えて作った部屋だそうで、若い人が気軽に良いもの、おいしいものに触れられるようにすることもこの施設の目的のひとつだという。

「館内には、ほかの施設であれば誰でも触れられるような場所に置かないようなアート作品も置いてありますが、10代のうちからそうしたものに触れることで、きっかけの場になれたらと思っています。実際、ここに泊まりにきてくれた女性が空間に触発されてインテリアデザイナーになりたい、料理を監修していただいている料理家の細川亜衣さんの料理会に参加してくれた中学生が料理を仕事にしたいと言ってくれるなど、実際に誰かのきっかけになりつつあるのがうれしいです」

2ベッドルームの、4人で泊まれる部屋。窓辺には縁側的なスペースがある 撮影/Tetsuya Ito1階の壁面に飾られていた和紙、石などの作品。たったこれだけの物が空間全体を引き締めている不思議
あえてモールガラスを入れたという3階角部屋にあるライブラリー。透明なガラスだとストレートに風景が見えるが、ぼんやりと見えるようにすることで想像する余地が生まれるという。家具はスタジオ・ムンバイのものあえてモールガラスを入れたという3階角部屋にあるライブラリー。透明なガラスだとストレートに風景が見えるが、ぼんやりと見えるようにすることで想像する余地が生まれるという。家具はスタジオ・ムンバイのもの

3階には宿泊者専用のライブラリーもある。ここは最上階角部屋という建物内でもっとも見晴らしのよい部屋で、ダイニングの緑よりも一段淡い、セージグリーンに彩られており、窓を開けると海と斜面の風景が広がる。LOGの近くにはかつて作家の志賀直哉が短期間暮らした家があるが、彼がそこで見た風景がここにはいまだ残っているとビジョイさんが感動した空間でもあるそうだ。

また、宿泊者向けには夕方17時から館内ツアーも行われている。開業当初は建築、スタジオ・ムンバイなどを知って訪れる人が多かったものの、現在は検索でヒットしたからという理由での来訪者も増えている。場の意図するところを知ってもらい、より味わってもらおうというわけだが、もうひとつ、違う意図もある。それは立ち上げに加わったメンバーがいなくなっても、この空間のDNAを残していけるようにするというもの。

長年不動産を見てきて思うのは、人が建物の想いを継承していなければ建物だけでは生き続けられないということ。どういう意図で、誰がどのような想いでこの建物を造ったのか。その継承と維持管理が同時に行われてこそ、建物は人の寿命を超えて生きる。LOGが再生当初からそれを目指しているのは素晴らしいこと。現在でもすでに素敵だが、時間がたてばたつほどよい空間になっていくのだろうなと思う。小林氏は「季節を変えて何度か訪れてほしい」と言うが、そういうことである。


LOG
https://l-og.jp/

せとうち 湊のやど
https://minatonoyado.jp/

ONOMICIH U2
https://onomichi-u2.com/

2ベッドルームの、4人で泊まれる部屋。窓辺には縁側的なスペースがある 撮影/Tetsuya Ito2階のギャラリーにはこの建物が再生されるまでの経緯が分かるような品の一部が展示されている。テーブル中央にあるのは関わった人たちが書いたLOGという文字。これを組み合わせて現在のロゴが作られている

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