戦火をのがれ残る古くからの建物…「坂のまち」尾道の魅力

もともと山の斜面の中腹部分は寺社などの伽藍が拡がる場所だった。鉄道がとおったことで、線路沿いにあった多数の家屋が立ち退きを余儀なくされ、山の中腹に移転、これが坂のまち尾道のはじまりとなる。現在も多くの民家の土地は寺社の持ち物で、地代を払っているもともと山の斜面の中腹部分は寺社などの伽藍が拡がる場所だった。鉄道がとおったことで、線路沿いにあった多数の家屋が立ち退きを余儀なくされ、山の中腹に移転、これが坂のまち尾道のはじまりとなる。現在も多くの民家の土地は寺社の持ち物で、地代を払っている

前回の“【尾道空き家再生プロジェクト①】約760人の移住希望者が待つ、尾道空き家バンクの成功”では、多くの移住希望者を生み出した「尾道空き家再生プロジェクト」の取り組みを主にお伝えした。

坂に建ち、老朽化の激しい建物…しかも多くの家は接道義務を果たさず、今の法律では建て替えが出来ない状況だ。にもかかわらず、「空き家バンク」には、多くの移住希望者が待っている。前回の記事では、そこには移住者の意識をポジティブに現実化する実感を伴った現場の"移住者支援"と、建物を負債と考えるのではなく"価値の再発見と価値転換"が、空き家再生の大きな力になっている、とお伝えした。
今回は、尾道というまちの魅力の特性と、建物の魅力や空き家の活用事例をお伝えしたい。お話を伺ったのは、NPO法人「尾道空き家再生プロジェクト」の理事であり、建築家の渡邉義孝さんである。

「尾道という地域の特性でいくと、なんといっても込み入った迷宮のような道が通る坂のまち、そこからの尾道水道の眺め、そして寺社が非常に多い事です。もともと山の斜面の中腹部分は寺社などの伽藍が拡がる場所でしたが、明治期に鉄道がとおったことで、線路沿いにあった多数の家屋が立ち退きを余儀なくされ、山の中腹に移転しました。これが坂のまち尾道のはじまりです。現在も多くの民家の土地は寺社の持ち物であり、地代を払って住んでいる状況です。

尾道は世界大戦での戦火をのがれており、明治・大正・昭和とそれぞれの時代を語るような建物が残っています。例えば、明治期から大正期以降、豪商たちが"茶園(さえん)"と呼ばれる別荘を多く建てました。その後、大正~昭和にかけては、西洋文化が入ったことで擬洋風(ぎようふう)と呼ばれる和洋折衷のような建物が建てられています。また、物も住宅も足りなかった戦後の混乱期には、復員兵や引揚者のためのバラック建築が建てられ多く残っているなど、まるで近代建築の地層のような場所なんです。」

尾道空き家再生プロジェクトのシンボルともいえる
「旧和泉家別邸」、通称ガウディハウス

尾道に残る建物の中に、とりわけユニークで尾道の空き家再生の大きな転機となった建物がある。
築70年余の木造建築で、地元でも有名な旧和泉家別邸、通称“尾道ガウディハウス”。昭和初期の木造建築の技術の粋を集め地元大工が3年がかりで建てたというその建物が20年余り放置されていることを知ったNPO代表豊田雅子さんは、購入することを決め、夫婦で建物の再生に着手する。その様子をブログで発信したことで多くの人々に知られるところとなり、空き家再生と移住希望者の受け皿となる活動を始めることとなった。

ガウディハウスは、坂のまち尾道でもさらに急斜面の階段沿いに建つ木造2階建ての洋館付き和風住宅。外観は飾り屋根が幾重にも重なり、1階と2階に玄関がある。内部にはカーブを描く内階段があり、修復の途中であるからか内部からは外の石階段が見えていた。素人目にも建設が困難でバランスを取ることが難しいだろう場所に、和洋の要素をみごとに取り入れ魅力的な建物とした大工の職人技に驚かされる。

尾道空き家再生プロジェクトのシンボルともいえる「旧和泉家別邸」。</br>その不思議な外観からスペインの名建築家にちなんで尾道ガウディハウスと呼ばれている尾道空き家再生プロジェクトのシンボルともいえる「旧和泉家別邸」。
その不思議な外観からスペインの名建築家にちなんで尾道ガウディハウスと呼ばれている

建物の再生だけでなく、使われ方も再生する
「三軒家アパートメント」「坂の家」「あなごのねどこ」

再生されているのは、ガウディハウスのような建物だけではない。

例えば「三軒家アパートメント」。2階建ての昭和の古いアパート…ほとんど空き家となってしまった風呂なしトイレ共同という建物をものづくりの発信拠点として再生。古いアパートのデメリットであった共有廊下などをうまく活かした方法で再生させ、10部屋それぞれ、店舗や事務所、ギャラリー、カフェなどが入っている。再生に関しては、NPOのサポートを受けて入居者によるDIYで自由な空間をつくり出している。

また、斜面地に建つ昭和初期の洋風長屋の一軒である「坂の家」は、移住者の坂のまち暮らしの体験ハウスとして、また移住が決まった人の空き家再生中の仮暮らしの場として使われている。

坂に残る物件だけでなく、尾道空き家再生プロジェクトでは尾道旧市街地の商店街にある俗にいう“うなぎの寝床”のような奥行きをもつ尾道町家を再生。地元の特産品の「あなご」にちなんで「あなごのねどこ」と呼ぶ建物をカフェとゲストハウスとして運用している。シャッターが目立つ商店街にあって、海外からの観光客も訪れ、尾道散策の拠点ともなっているようだ。

尾道の空き家再生では、建物自体の再生と同時に「建物の使われ方の再生」も試みているのである。

写真左)ものづくりの発信拠点として再生された「三軒家アパートメント」(写真は尾道空き家再生プロジェクトサイトより)</br>
写真右上)旧商店街の町家「あなごのねどこ」 写真右下)「あなごのねどこ」の奥はゲストハウスになっている写真左)ものづくりの発信拠点として再生された「三軒家アパートメント」(写真は尾道空き家再生プロジェクトサイトより)
写真右上)旧商店街の町家「あなごのねどこ」 写真右下)「あなごのねどこ」の奥はゲストハウスになっている

空き家再生を通じて、実感と愛着を同時に生み出す“再生プロセスの共有”
「みはらし亭」

もうひとつ、「空き家再生プロジェクト」では、大きな試みを行っている。
大正10年建築の木造2階建ての元旅館…登録文化財にも登録された“茶園建築”の「みはらし亭」の再生である。「みはらし亭」は、「あなごのねどこ」と同様にゲストハウスとして使われる予定であるが、プロジェクトではこの魅力のある建物をツールとして、再生のプロセスの一部を“合宿”という形で共有。参加型の空き家再生に長期的に取り組んでいる。

別の物件だが2009年には五右衛門風呂やウッドデッキづくりや壁塗り体験を行い、2011年には内外装のリノベーションにチャレンジする夏合宿を行った。2015年の春合宿では、「みはらし亭」の離れの建物にシャワールームや共有キッチンを25名の参加者と共につくりあげた。今回、2015年9月20日から6泊7日で行われる夏合宿では、ゲストハウスの寝室、カフェラウンジ、外部空間のリノベーションを現役の職人とともに行う。

プロジェクトの渡邉さんは、「大工さんたちのサポートを受けながら、尾道に残るすばらしい建築にじかに触れ、再生するプロセスを共有する意味は大きいと思います。まずは、建物がいかに手をかけて出来ているのかを理解できること、再生プロセスが理解できること、地元住民や職人さんとのやりとりで孤独にならず共同感覚が生まれること、そしてもうひとつは自ら再生を手がけた建物があることでまちへの愛着が深まることです」と話してくれた。

建物の再生とともに人のつながりと、まちへの愛情も一緒に育てていく…「尾道空き家再生プロジェクト」の本当の成功のカギはここにあるのかもしれない。

大正10年に千光寺の境内の見晴らしのいい場所に建てられた別荘「みはらし亭」(写真は尾道空き家再生プロジェクトサイトより)大正10年に千光寺の境内の見晴らしのいい場所に建てられた別荘「みはらし亭」(写真は尾道空き家再生プロジェクトサイトより)

2015年 09月28日 11時06分