令和2年7月豪雨から1年の節目に復活オープンを果たした「球磨川くだり」

日本各地に被害をもたらした「令和2年7月豪雨」。なかでも、熊本県人吉市を流れる球磨川の氾濫は、押し流された鉄橋の映像とあいまって記憶に新しい。市街地も広い範囲で浸水し、1年経った今も、復興への道のりは遠い。熊本駅から観光列車やSLが走っていた人吉駅への路線も、未だ不通のままだ(2021年9月現在)。

そんななかで、久しぶりの明るい話題が、地域のシンボル「球磨川くだり」の拠点、人吉発船場のリニューアルオープンだ。発災からちょうど1年目の2021年7月4日、「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA(以下、HASSENBA)」として新たなスタートを切った。

「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」、球磨川側からの外観。周囲の自然に馴染む黒を基調とした、和モダンのデザインだ。人吉球磨の新しい魅力を「発見」し「発信」し、「発展」させることをコンセプトに掲げている
「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」、球磨川側からの外観。周囲の自然に馴染む黒を基調とした、和モダンのデザインだ。人吉球磨の新しい魅力を「発見」し「発信」し、「発展」させることをコンセプトに掲げている

水害前から温めていた、人吉球磨の新たな観光拠点構想

発船場のリニューアル構想は、水害が起きる前から、社長・瀬﨑公介さんの胸のうちにあった。

瀬﨑さんは、2019年1月に球磨川くだり株式会社の社長に就任した。同じ熊本県の上天草市出身で、地元で小さな船会社を起点に一大観光地をつくり上げた実績を持つ。人吉に来て感じた課題は、「人吉を訪れたら、まずここに寄る」という観光拠点がないことだった。

人吉点景。左上/平安時代初期に創建されたという青井阿蘇神社。桃山風の建築様式が珍しい 右上/JR人吉駅。人吉にまつわる昔話をモチーフにしたからくり時計がシンボル 左下/球磨川の向こうに人吉城趾を望む。鎌倉時代から幕末まで、約700年もの間この地を治めた相良氏の居城だった 右下/職人町の面影を残す、石畳の鍛冶屋町通り人吉点景。左上/平安時代初期に創建されたという青井阿蘇神社。桃山風の建築様式が珍しい 右上/JR人吉駅。人吉にまつわる昔話をモチーフにしたからくり時計がシンボル 左下/球磨川の向こうに人吉城趾を望む。鎌倉時代から幕末まで、約700年もの間この地を治めた相良氏の居城だった 右下/職人町の面影を残す、石畳の鍛冶屋町通り

人吉には、球磨川くだりをはじめ、国宝・青井阿蘇神社や人吉城趾など、観光資源はあるが、景色を楽しみながらゆっくり休憩できる場所がない。瀬﨑さんは言う。
「発船場も、以前は乗船手続きをするだけの通過点でした。でも、スペースはあったので、食事やお茶が楽しめる場をつくろうと考えたんです」。
社長就任から約1年でコロナ禍が始まり、経営の多角化が課題になっていた。観光客だけでなく、地元のひとびとのニーズに応える必要も感じていた。

当初はテナント誘致を検討したが、採算の見通しが立たないと断られ続け、唯一関心を持ってくれたのが、オリジナルブランド「九州パンケーキ」を展開する一平ホールディングスの村岡浩司さんだ。傘下のカフェチェーンとフランチャイズ契約を結び、球磨川くだりで運営しようと腹を括る。カフェのインテリアデザインは、以前から村岡さんと協働してきたタムタムデザインの田村晟一朗さんに依頼することにした。それが、2020年6月のことだ。

2020年7月4日。球磨川の氾濫で発船場は床から約1.5mの高さまで浸水、10隻の川下り船はすべて流されてしまう。発災1週間後にまとめた瀬﨑さんのnote記事「令和2年7月豪雨で被災した企業経営者が伝えたい、災害時に大切な3つの必要性」(https://note.com/irukaoyaji/n/n54cb6e7b61e0)には、当日出張中だった瀬﨑さんと現地従業員との、緊迫したLINEのやりとりが記録されている。

一時は会社の清算も考えたという瀬﨑さんだが、発災1ヶ月目の8月4日には、早くも再建を宣言する。自らのFacebookに「復興のシンボルを目指す」と書いた。

人吉点景。左上/平安時代初期に創建されたという青井阿蘇神社。桃山風の建築様式が珍しい 右上/JR人吉駅。人吉にまつわる昔話をモチーフにしたからくり時計がシンボル 左下/球磨川の向こうに人吉城趾を望む。鎌倉時代から幕末まで、約700年もの間この地を治めた相良氏の居城だった 右下/職人町の面影を残す、石畳の鍛冶屋町通り発災直後の発船場。船はすべて流され、車両も水没。事務機器やパソコン、書類などもすべて廃棄を余儀なくされた
(写真提供:球磨川くだり)

球磨川の美を再発見するために。景観を最大限に活かす

2020年10月13日、まだ壁に浸水の跡が残る発船場に、再建チームが集結する。前出の村岡さん、田村さんに加え、建築会社、飲食コンサルタント、商品開発、ブランディング、行政書士と、各ジャンルのプロフェッショナルが「HASSENBA RENOVATION PROJECT」の旗の下に集まった。
「皆さんが意気に感じてサポートしてくれなければ、今のHASSENBAはありません。本当にありがたかった」と瀬﨑さんは振り返る。

1階の半分ぐらいまで浸水した発船場だが、構造は鉄骨で頑丈だった。「ただし、水に浸かった内装や造作はもう使えません」と設計の田村さんは説明する。「仕上げ材はすべて剥がし、いったん骨組みだけにしてつくり直す必要がありました」。

リノベーションのテーマは「球磨川とどう向き合うか」だった。

「氾濫を経験して、みんなが川を怖がるようになってしまったことが哀しい」と瀬﨑さんは言う。「でも、いつもの球磨川は、本当に美しい川です。冬の朝、水面から靄が立ち上る幻想的な光景、桜の季節の、花のピンクと水の青のコントラスト。どの季節にも、ここでしか体験することのできない情景があります。僕らは川下りの会社で、川とともに生きている。この川の素晴らしさを、観光客にも、地元のひとびとにも伝えていかなければならない」。

建物が密集する人吉の市街地にあって、発船場から見る球磨川の眺めは「お城の石垣以外の人工物が視界に入らない、唯一無二の景観」だと瀬﨑さんは言う。浸水によって迫られた全面改修を奇貨として、この景観を最大限に活かしたいと考えた。

HASSENBA1階から球磨川を望む。屋内のカフェスペースから屋外のテラス席、川の流れ、対岸の緑と、視界が遠くまで抜けていくHASSENBA1階から球磨川を望む。屋内のカフェスペースから屋外のテラス席、川の流れ、対岸の緑と、視界が遠くまで抜けていく

屋内と川を隔てていた外壁は、ほぼ全面をガラスのカーテンウォールに。外部にデッキやテラスを設け、建物と川をつなぐ。「内外どこにいても川を感じられる、川と一緒に過ごせるようにしました」と設計の田村さん。

さらに、屋根の一部を撤去して、ルーフテラスを実現した。リノベーションの実績豊富な田村さんにとっても、屋根を切り開くのは初めての経験で、ちょっと勇気が必要だったそうだ。しかしそのおかげで、高いところから球磨川を見晴らせる、これまでにない新たな眺望が生まれた。

HASSENBA1階から球磨川を望む。屋内のカフェスペースから屋外のテラス席、川の流れ、対岸の緑と、視界が遠くまで抜けていく既存の屋根の一部を切り開いてつくったルーフテラス。川を感じられる場所であるだけでなく、災害時には一時避難所として、救助のヘリコプターを待つ場所にもなる

サイクリングツアーや特産品の商品化・販売で地域との連携を目指す「HASSENBA」

HASSENBAの1階は、仕切りのない、見通しのいい空間で、インテリアの工夫によってゆるやかにゾーニングされている。

「球磨川くだり」のロゴが浮かぶ壁は、球磨川の砂利を混ぜた左官仕上げ。流木のかけらが埋め込まれ、川の流れを連想させる。人造大理石のカウンターが「ツアーデスク」で、川下りとラフティング、「人吉はっけんサイクリングツアー」の受け付け窓口であり、付近の観光案内も行う。

ホテルのフロントのようなツアーデスク。右手に電動アシスト自転車が並んでいるホテルのフロントのようなツアーデスク。右手に電動アシスト自転車が並んでいる

「人吉はっけんサイクリングツアー」は水害後の2021年3月から始めた新規事業で、電動アシスト自転車で、人吉市内をガイド付きで巡るもの。ラフティングのオフシーズンである、秋から春にかけて催行する。ガイドを務めるのは、夏はラフティングボートを操る船頭さんたちだ。HASSENBA以外の観光施設や商店とも連携しており、地域のひとびととの交流もツアーの魅力だ。

木の香漂う「HITO×KUMA STORE」では、人吉球磨のほか、県南各地からセレクトした特産品を展示販売する。「人吉球磨地域にはいいものがたくさんあるのに、うまく商品化されていない」ということも、以前からの瀬﨑さんの問題意識だった。今も地元の生産者やメーカーと共同で、オリジナルの商品開発を進めている。

ホテルのフロントのようなツアーデスク。右手に電動アシスト自転車が並んでいる物販コーナーは国産材で櫓を組んで「森のようなイメージを表現した」と田村さん

地元客にも喜ばれた、これまでになかった洒落たカフェ

深いブルーの壁が印象的な「九州パンケーキCafe」は、国産の木製家具を採用し、素材感を大切にした。食事をしない人も休憩できるエリアだ。スイーツのほかランチメニューも人気で、今は6割ぐらいが地元客だそう。
「これまで、お昼どきは人気の蕎麦屋や鰻屋に観光客が集中して、ランチの選択肢が少なかったんです。洋風のメニューで、ゆっくり長居できるカフェは、きっと地元の人にも喜んでもらえると思っていました」(瀬﨑さん)。

明るいカフェコーナー。キッチンもオープンで、子どもたちがパンケーキが焼けるところを見物できるようになっている明るいカフェコーナー。キッチンもオープンで、子どもたちがパンケーキが焼けるところを見物できるようになっている
明るいカフェコーナー。キッチンもオープンで、子どもたちがパンケーキが焼けるところを見物できるようになっている「HASSENBA RENOVATION PROJECT」チームの面々。中央右のジャケット姿が瀬﨑公介さんだ。左から、施工管理を手掛けたASTERの中川正太郎さん、タムタムデザインの田村晟一朗さんと本田富子さん、瀬﨑さんを挟んでブランディング・ロゴデザインのPREODESIGN・古庄伸吾さん、一平ホールディングスの村岡浩司さん(写真提供:タムタムデザイン)

表面だけ見れば、すっかり美しい姿を取り戻した球磨川だが、石や土砂が流れを変えてしまい、川下りの航路は、まだ回復していない。運航再開の目標は、2022年春に延期した。ただ、向かいの人吉城趾を眺めながらの遊覧船「梅花の渡し」と、夏のラフティングは開始している。

新しくなったHASSENBAでは、きらきらと光る水面に誘われるように、子どもたちが岸に降りて川と親しむ姿が見られるようになった。景色を楽しみながらそぞろ歩いたり、川を背に記念撮影する人も多い。
「水害以前の発船場ではなかったことでした。リノベーションの力で、人の行動も変わるんですね。ずっと、こんな光景が見たいと願っていました」(瀬﨑さん)。

次の記事では、瀬﨑さんが語る「船をきっかけとしたまちづくり」を取り上げる。

HASSENBA https://hassenba.jp/
球磨川くだり https://www.kumagawa.co.jp/

明るいカフェコーナー。キッチンもオープンで、子どもたちがパンケーキが焼けるところを見物できるようになっている「梅花の渡し」の様子(写真提供:球磨川くだり)

公開日: