「低炭素杯2019」で環境大臣賞を受賞

電車で大阪から和歌山へ向かう。山肌に並ぶみかんの木が見えてきた。そろそろ有田川町だ。
人口は約2万7000人。町名にもなっている有田川が流れる自然豊かな地で、まちを車で走れば、あちこちに特産のみかんの畑が広がり、生産量の多さをうかがわせる。そして、今売り出し中なのがぶどう山椒。和歌山県は山椒の生産量が全国一。ぶどうのようにたわわに実るこの山椒は、有田川町発祥だ。近年は高齢化による後継者不足、生産量の減少が危惧されていて、大学生とコラボレーションし、あらたな産地振興を図るなど意欲的な取り組みを行っている。

特産品に恵まれた有田川町だが、近年まちの取り組みの違う面から有田川町にスポットがあたっている。それのキーワードが「エコ」だ。LIFULL HOME'S PRESSでも取り上げた『和歌山「有田川エコプロジェクト」。年間5000万円の売電収入等、“黒字化”できるエコモデルとは?』でも紹介したとおり、県営ダムから放水される河川維持放流水を活用して水力発電を行う町独自のエコ政策「有田川プロジェクト」で全国から注目を集めているのだ。

この取り組みは今年2月、地域や団体の特性に応じた個性的な温暖化防止の活動を発表している「低炭素杯2019」で発表され、環境大臣賞を受賞した。

有田川町でエコを推進してきた建設環境部の平松紀幸さんは、
「企業・自治体部門でトップでした。こういうことで認められることで、町民のみなさんのエコ意識にもつながりました」と語る。

ダムに作られた町営の小水力発電所(右・左下、有田川町提供)、有田川町建設環境部の平松さん(左上)ダムに作られた町営の小水力発電所(右・左下、有田川町提供)、有田川町建設環境部の平松さん(左上)

黒字化した利益を住民のエコ活動に還元

「家庭ごみ総合案内」には、「これって何ゴミ?」と疑問に思うようなゴミの分別が掲載してある「家庭ごみ総合案内」には、「これって何ゴミ?」と疑問に思うようなゴミの分別が掲載してある

「有田川エコプロジェクト」について簡単におさらいしておこう。

発端となっているのは、1998年に始まったゴミ収集のステーション化。以前は、自宅前の道路にゴミを出す〝露天出し〟だったが、道に置いてあるゴミが交通の妨げになり、子どもが交通事故に巻き込まれるなどといった危険な状態に。そのため、ゴミを地区ごとの「ゴミステーション」に集める方式に変更。

ゴミステーションでは、住民の協力のもと、細かなゴミの分別が行われている。その分別に役立っているのが、町から各家庭に配布される「家庭ごみ総合案内」という冊子だ。クレヨンは燃えるゴミ、クリスマスツリーは燃えないゴミ、紙製の米袋は資源ゴミ、といった具合にどんなものを何ゴミとして出せばいいか細かく紹介しているほか、ゴミの出し方、コンポスト容器での生ゴミたい肥の作り方なども記載されている。

こうして、リサイクルへの意識は高まり、2008年には資源ゴミがまちに収益を生み出す「黒字化」を実現した。そしてこのお金は基金としてさらなるエコの取り組みに利用されている。

「地区の方がゴミステーションの掃除をしてくれたり、ゴミの分別を確認してくれたりしています。ですので、今年からは、その運営費用の一部を基金からお渡しして、この活動に役立ててもらっています」

エコの結果が、さらなるエコを生む…という、よい循環が生まれている。

農業も、DIYも。楽しんでやるから、続けられる

特産物も多くエコの取り組み成果も出ていることで、まちには活力を感じることができる。しかし、有田川町でも空き家や人口減少の問題は他自治体と同様だ。
そこで、町外からの移住者のサポートを推進。移住者のなかには、有田川町の資源の活用に目を向けた暮らしを実践している若い世代もいるようだ。今回は、有田川町に移住をした2名にお話を聞いてきた。

熊谷芳明さんは、2年ほど前に有田川町に移住してきた。
愛知県で働いていたが退職し、自転車で日本各地を旅していたとき、有田川町で行われたリノベーションイベントに参加したのがきっかけだったという。

「築100年ぐらいの家で、10年ほどは空き家だったようです。リノベーションした後で、この家をどう使うかっていう話になったようなのですが、住む人がいなくて……」それで熊谷さんが手をあげたのだという。
「移住の決め手は、有田川町の人かな。移住イベントに来ていた有田川町のまちづくりメンバーの人たちが、面白かった。それと直感です(笑)」。

旅をしながら、自分がどんなふうに生活したいのか、考えていた。野菜を育てたり、家をセルフリノベーションしたり。思い描いた暮らしと、有田川町の暮らしのイメージが重なった。「ここならそれができる」その想いが有田川町に住む理由になった。

熊谷さんの生活は“半農プラス半α”。家の裏には畑があり、ハーブや野菜を育てながら、解体業や大工の仕事に出掛けたり、収穫期には梅やミカンの農作業を手伝ったりしてきた。解体や大工の仕事は家の造りがわかり、DIYの勉強になるのだそう。

「半分は農業をして、半分は自分の才能を生かすのに時間をつかいます。収入は以前より少ないけれど、自由な時間と豊かな暮らしがある」。風呂は薪で沸かし、薪ストーブで調理もする。農作業の水は雨水タンクにためている。DIYに使う木材や薪は、解体や大工の仕事で余ったものをもらったりもできる。だが、時間がない時はガスも使うし、電気も使う。

「エコな暮らしがしたい!と思って生活しているわけではなくて、自然と暮らしがエコになる。楽しんでやっているから、持続できるんだと思います」と熊谷さん。

今年からは田んぼに挑戦。暮らしの研究をすることはいっぱいあると熊谷さん今年からは田んぼに挑戦。暮らしの研究をすることはいっぱいあると熊谷さん

選択肢を増やしておく。廃油を利用した天ぷらカー。

もう1人の移住者である松本佑典さんは、実は隣の有田市の出身。
5年ほど前に有田川町の空き家に引越してきた。松本さんは、20代の頃、オーストラリアで“パーマカルチャー(※) ”に触れたこともあり、持続可能なライフスタイルを有田川町で実践している。

“パーマカルチャー ”は、パーマネント(永久)・アグリカルチャー(農業)・カルチャー(文化)を合わせた言葉で、オーストラリアのビル・モリソンとデビット・ホルムグレンが構築した人間にとっての恒久的持続可能な環境を作り出すためのデザイン体系のこと。

「簡単に言うと自給自足です。家庭菜園をして、家で出てきたものは堆肥にして畑に戻すコンポストもする。そこで循環をさせる暮らしのことをいいます。オーストラリアにいたときにパーマネントカルチャーを実践しているエコビレッジの家族のところに住み込んで働いたという経験があります」という。

そして帰国後、松本さんはみかん農家の仕事をしながら経験を積み、自分の畑を取得した。
「みかんと梅、米も育てていますが、農薬も除草剤も使っていません。生産性が落ち、手間がかかります。農薬を使う栽培方法が子どもや孫にのこしていける農法だったらいいんですが、土が悪くなってきたときに、どうするのか。自分の周りの環境を持続可能にすることをそれぞれの地域でやっていって、広まって欲しい」
と松本さん。大事にしているのは、〝持続可能性〟だ。

さらに注目すべきは「天ぷらカー」。松本さんの車は近所の飲食店などから出た廃油をろ過した燃料で走っている。

「ディーゼル車の仕様を変更した車で、今2代目です。捨てられる廃棄物になるものを引き取って利用しています。災害のとき、ガソリンスタンドに何時間も並んで、5リッターとかしか売ってもらえないとか聞きますよね。天ぷらカーなら、スーパーでサラダ油買って入れても走る。何かがなくなったら暮らせないということを、当たり前にしてしまったら、それがなくなったら本当に何もできない。東日本大震災や和歌山の那智勝浦の水害で被災地支援に関わった経験から、普段からそのことを考えていないといけないと思います。アプローチの仕方は人それぞれ。楽しみながらできる方法を持っておけるといい」。
そのアプローチのひとつが、天ぷらカーなのだ。

この日は、近くにある実家の畑を手伝いにきていた松本さん(左)と廃油で走る天ぷらカー(右 提供:松本さん)この日は、近くにある実家の畑を手伝いにきていた松本さん(左)と廃油で走る天ぷらカー(右 提供:松本さん)

キーワードは、“循環”と“持続”、そして“楽しむ”

エコの取り組みにひかれて移住者が集まるわけではないが、有田川町の自然豊かな環境と、人々の地元を愛する心が、エコな暮らしへと導いてくれることもあるだろう。町のエコへの取り組みが、意識の変化と収益をもたらし、それがいい循環をつくる。さらには、それを持続させることを楽しむ人が集まってくる。有田川町で、移住をサポートしている産業振興部産業課農山村交流班では「みなさん、住んでいくなかでエコに対する意識が芽生えて、実践してくれている。そしてその姿を見た人も、それに気づいてくれる。そういういい循環ができてきていると思います」と感触を語る。

自然の営みが、美味しい特産品を生むように、エコの意識も、ゆっくりと育まれ、そして根付く。行政の取り組み、移住者それぞれの取り組みが、いい影響を与え合っている、そう感じた取材だった。

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