重伝建地区に建つ大正の名料亭再生の仕掛け人

「寿ゞ家」本館2階、30畳の大広間。舞台上の背景は、扉の表に富士山が描かれ、扉を開けたその奥に松と鷹が描かれている。上の写真中央の白いシャツを着ているのが天野さん(写真提供:天野さん)。<br>「最初はこの広間にも埃が数センチ積もっていて、土足で歩いていました。掃除をして畳を水拭きして人がまた出入りするようになると不思議なもので畳も建物自体もシャンとしてくるんです」。今回のプロジェクトで改めて木造建築の再生力の強さを感じたという「寿ゞ家」本館2階、30畳の大広間。舞台上の背景は、扉の表に富士山が描かれ、扉を開けたその奥に松と鷹が描かれている。上の写真中央の白いシャツを着ているのが天野さん(写真提供:天野さん)。
「最初はこの広間にも埃が数センチ積もっていて、土足で歩いていました。掃除をして畳を水拭きして人がまた出入りするようになると不思議なもので畳も建物自体もシャンとしてくるんです」。今回のプロジェクトで改めて木造建築の再生力の強さを感じたという

2011年、愛知県初の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)となった豊田市足助町。まち並み保存の取り組みが続いているこの地区で、大正時代の料亭「寿ゞ家(すずや)」の建物の保存活用をすすめる1人の男性と出会った。

足助で毎年夏に行われる「たんころりん」は、ご存知の方も多いのではないだろうか。
竹かごと和紙で作った円筒形の行灯を街道沿いに灯し、情緒を演出するイベントで、今や足助の夏の風物詩といってもいい。
このイベントに訪れた際、散策をしていて目にとまったのが「寿ゞ家」だ。開いたままの玄関から見えた松の襖絵にひかれて中をのぞいてみると、修繕作業が行われていた。
奥から出てきた担当者らしき方に声をかけてみた。それが「寿ゞ家」再生の仕掛け人、天野博之さんだった。天野さんは豊田市の職員であり、「寿ゞ家」再生に取り組むNPO任意団体・地域人文化学研究所代表理事の顔ももつという。
「寿ゞ家」の一風変わった建物の成り立ちについて興味をそそられたため、後日改めて取材させていただくことにした。

斜面に増改築を重ね造られた三段構成の建物

「寿ゞ家」のなにが一風変わって見えたのか、たぶんそれは典型的な足助の町家とは趣が異なるにも関わらず、歴史や風格を感じさせる建物だったからだと思う。

まずは「寿ゞ家」の歴史と造りについて天野さんに伺った。

「『寿ゞ家』は江戸時代後期の天保以前から旅館として営まれ、その後明治・大正期に料亭へと移行し、最盛期には足助一の名料亭として名を馳せました。
現在見られる『寿ゞ家』の建物は、大正13(1924)年に建てられた地上2階・地下1階の木造3階建ての本館と、昭和32(1957)年に建てられた木造2階建ての新館。延床面積は300m2を超える規模で、華やかな当時を想起させるものとなっています」。

面白いのはこの建物が斜面に造られていて三段構成になっているということ。建物の断面図を見てもらうとわかるように、表玄関から一段下がって本館、本館からまた一段下がって新館、新館の庭でもう一度下がっている。

「現在見られる建物は、大正時代から増改築を重ねたものですが、江戸時代からの流れと、それぞれが建てられた時代を反映した様式が入り混じり、独特の雰囲気を醸し出しています。新館が建てられた時期には景気が良かったのでしょう、床や長押、建具などぜいたくな部材の使い方がされています」

足助のまち並みは、古くは三河・尾張と信州を結ぶ街道の中継地として栄えた。昭和20~30年代の材木景気では、山から切り出した木を市場で売った山主たちが遊んで帰る場所として相当なにぎわいを見せていたのだという。

「寿ゞ家」もその一角で高級料亭として客人をもてなしていたのだろう。部屋数は20、30畳の大広間や屋上庭園、池をしつらえた庭園、茶室も作られていた。

しかし、時代の流れとともに昭和58(1983)年に料亭は廃業。広すぎる建物は管理が行き届かず、ついには空き家に。20年にわたり放置された結果、雨漏りやゆがみも生じ、庭も荒れ果て、室内に野良猫が住みつくなど、華やかだった当時からは想像もできないような廃墟と化していったという。

華やかだったころの「寿ゞ家」(写真上)。芸者も出入りし足助一の名料亭としてにぎわっていたという<br>写真下は「寿ゞ家」の断面図。山から川に降りていく斜面に造られているうえに、増築を重ねた結果、複雑な造りになっているのがわかる(写真提供:天野さん)
華やかだったころの「寿ゞ家」(写真上)。芸者も出入りし足助一の名料亭としてにぎわっていたという
写真下は「寿ゞ家」の断面図。山から川に降りていく斜面に造られているうえに、増築を重ねた結果、複雑な造りになっているのがわかる(写真提供:天野さん)

まち並みを資産として生かす。重伝建地区の選定に向けた提案を一個人として始めた

足助の夏の風物詩「たんころりん」。「歴史を積み重ねてきた土台があるからこそさまざまな行事が映える」(天野さん)。地元の人が手作りした竹灯篭に照らされたまち並みは情緒にあふれている(写真提供:足助観光協会)足助の夏の風物詩「たんころりん」。「歴史を積み重ねてきた土台があるからこそさまざまな行事が映える」(天野さん)。地元の人が手作りした竹灯篭に照らされたまち並みは情緒にあふれている(写真提供:足助観光協会)

豊田市と旧東加茂郡足助町の合併が2005年。天野さんは当時、豊田市の文化財課に所属し、近代化遺産や史跡整備等を担当していたという。

「合併を機に、足助のまち並み整備は都市整備的な手法で行われる予定でした。まち並み保存に対して私が所属する文化財課ではまったく動きがありませんでした。たまたま個人的にまち並み整備の住民説明会に顔を出したとき、水路に水を流して鯉を泳がせるとか、橋をレンガのような橋脚にするといった、とってつけたような提案がされるなど、本来のまちの成り立ちとは違う文脈で整備が進められようとしていることに危機感を覚えました。
新しいものを取り入れるのはいいけれど、元々あったものや積み重ねてきた歴史や文化を考慮せずに捨ててしまっていいものだろうか、と。下水道や景観整備によって、価値ある建物が取り壊される可能性もあります」。

「たんころりん」や足助伝統の「中馬のおひなさん」が成り立つのも古いまち並みという土台があってのもの。この土地ならではの魅力をそのままに、まち並みを資産として生かすひとつの手段として天野さんが提案したのが、重伝建制度の利用だったという。市の決裁を待たず、天野さんは一個人として住民たちに説明して回った。

“まちの縁側”として再生した「寿ゞ家」

天野さんの提案をきっかけとした住民たちの活動により、2011年「足助の町並み」は愛知県初の重伝建地区に選定されることとなった。
しかし、「重伝建地区に選定されたからといってそれは目的ではありません。その先の活用、このまちでの暮らしづくりが大事」だと天野さん。
選定に至る経緯のなかでも老朽化した家を壊したいと思う家主も多く、すでに取り壊しが決まっている家もあったという。まだ重伝建地区の選定に進む前で何の保障もないままだったが、天野さんはそうした家主と交渉し、建物を残してくれるよう説得していった。

「歴史を重ねた建物がいったんなくなってしまうと、そこにあった物語も一緒に消えてしまいます。モノがないと物語を語れません。まちの成り立ちや歴史を語る上で、個々の建物は次の世代に引き継ぐべきで、それだけの価値があると、お願いして回りました。そうした中で『お前にだったら騙されてやるわ。』と協力してくれる方もでてきました。ただ、保存の先の活用とはいっても具体的な例が他にありません。地域の人にそれを思い描いてもらうためには、言葉よりも実例を見せることが一番と考えて動き出したのが『寿ゞ家』再生プロジェクトなんです」。

2013年から始まったプロジェクトにより、「人が入れないようなジャングル状態」から、樹木の伐採、埃まみれの室内の片付け、歪みの修正や構造の補強が重ねられた。
同時に、月見会や花火鑑賞会、アートイベント「足助ゴエンナーレ」の実施、地域の伝統芸能「足助をどり」の練習会場などに使われるように。地域内外の人が立ち寄って交流する“まちの縁側”として徐々に機能しはじめた。

右上から時計回りに①屋上庭園からうっそうと樹木が伸びている外観。②新館南庭。ここも樹木が生い茂り、もともとあった池は厚く土で埋められていたという。今は整備され茶室の躙り口へ向かう庭園として手入れが行き届いている<br>③今後、水回りの整備とともに、脆弱な構造になった部分を撤去し、木造部分の構造補強工事を進める予定だ<br>④中学生や大学生など、行事で「寿ゞ家」に訪れた人たちも作業に参加した
<br>足助最後の芸者さんを先生とした踊りや三味線の練習会(⑤)や、講演会、足助祭りの花火鑑賞会(⑥)など、様々な催事を実施。年間60日程度内部を開放し、これまでに1万人ほどの来訪者を迎えてきたという(①~⑥写真提供:天野さん)右上から時計回りに①屋上庭園からうっそうと樹木が伸びている外観。②新館南庭。ここも樹木が生い茂り、もともとあった池は厚く土で埋められていたという。今は整備され茶室の躙り口へ向かう庭園として手入れが行き届いている
③今後、水回りの整備とともに、脆弱な構造になった部分を撤去し、木造部分の構造補強工事を進める予定だ
④中学生や大学生など、行事で「寿ゞ家」に訪れた人たちも作業に参加した
足助最後の芸者さんを先生とした踊りや三味線の練習会(⑤)や、講演会、足助祭りの花火鑑賞会(⑥)など、様々な催事を実施。年間60日程度内部を開放し、これまでに1万人ほどの来訪者を迎えてきたという(①~⑥写真提供:天野さん)

次の5年は"交歓の場"を目指す

廃墟状態から地域内外の人たちが訪れる“まちの縁側”としての再生は、近隣の住民や地域で活動する人たちにも大きなインパクトとなったようだ。

「再生を手掛けてから5年で”まちの縁側”として機能できるようになりました。古い建物を保存し活用する一例が示せたと思っています。地元の方々も面白がってくれています。次の5年で”交歓の場”をテーマにより深い活用を進めていきたい」と天野さん。

天野さんの構想はこうだ。

本館の地下、かつて厨房と配膳室があった場所にはカフェを兼ねたバーを造る。昼間は近所の人が日替わりオーナー制でランチを提供するカフェとして、夜は異空間を味わえる大人のバーとして営業。2階の大広間では宴会を行えるようにし、地下からケータリングができる仕組みにしたいと話す。
まさに、これは現代版・料亭「寿ゞ家」。

また、新館の座敷などはコワーキングやコラーニングの場所として、茶室や庭園は催事等に貸し出す予定だという。
ただ、問題はトイレと水道がない、ということ。料亭時代は汲み取り式のトイレだったため、現在は撤去されており下水も通ってはいない。

「イベントで使うにしても今は2時間が限度。近くの公民館のトイレを借りている状態です。次のステップへ進むためには上下水道の整備が不可欠。ゆったりしてもらう場所にして、利用料や飲食代といった稼ぎを得て経済を回していくことが必要になってきます」。

これまで、研究所の会費や収入のほか、豊田市の補助金などを利用し再生費用に充ててきたが、足りない分は自分の持ち出しで年に数十万程度補ってきたという。しかし、次のステップに進むための上下水道の整備や建物の本格的な修理には莫大な費用が掛かるため、クラウドファンディングによる資金調達も図っている。(2018年10月現在)

そうまでして、といってはなんだが、足助出身でもない天野さんがどうしてここまで情熱を注げるのか、そのモチベーションについて聞いてみた。

「それ、よく聞かれるんですけど自分でもわからないんですよ。底抜けのバカっていうことですかねぇ(笑)。実際バカじゃないとできないと思います。お金も時間もかかるし、冷静に考えられる人ならきっと着手しないでしょ」。

使命感とか?

「足助の人たちに対する義理と人情はありますが、そういう悲壮な感じは全然ないです。いってみれば”居合わせたから”というのが正しいでしょうかね。例えば、道を歩いていて人が倒れていたら助けるでしょ?その感覚と同じ。あ!と思って体が動きますよね。やらずにいられない、そういうタチなんでしょうね」

天野さんの情熱は周囲の人を巻き込んでいく。「一緒になって楽しんでくれる人や協力してくれる地元の人が増えたのは嬉しいこと」だと話す。

今後は、電気自動車等のシェアライドによる観光や、「寿ゞ家」周辺の空き家をゲストハウスにして「足助の町並み」全体で新たな動きができるような仕組みづくりを視野に入れているという。「まずは『寿ゞ家』再生の次の段階を形にして、新たな展開を図りたい」と語っていた。



■「寿ゞ家」再生プロジェクト(地域人文化学研究所HP)
https://www.catalyst-r.com/

■クラウドファンディング「足助の町並み・大正の料亭が新たな暮らしづくりの場として蘇る」
http://readyfor.jp/projects/asuke-suzuya/

生まれ変わった「寿ゞ家」
<br>左上から時計回りに①新館南庭。元々あった岩などを生かしながら、茶室へ続く庭として天野さんが設計施工した
<br>②は茶室の内部。船底天井に網代天井、侘び錆びというよりあれもこれもといった感じではあるが、当時の何でも取り入れてしまえという豪快さを感じる
<br>③凛とした鶴の襖絵が迎えてくれる新館「鶴の間」。④本館玄関の上り口。松の絵が目を引く
<br>⓹「寿ゞ家」の横を通る地蔵小路に造られた無料休憩所「小路苑」。以前は古びた小屋が建っていたが、観光客の休憩所として、茶室と新館庭のみを使う場合の導線として新たに整備された
<br>⑥本館1階の座敷。天井には幅の広い網代天井となっており、格の高い部屋だったことをうかがわせる<br>(②③⑥写真提供:天野さん)
<br>5年でここまで生まれ変わった。今後の5年に期待が寄せられる生まれ変わった「寿ゞ家」
左上から時計回りに①新館南庭。元々あった岩などを生かしながら、茶室へ続く庭として天野さんが設計施工した
②は茶室の内部。船底天井に網代天井、侘び錆びというよりあれもこれもといった感じではあるが、当時の何でも取り入れてしまえという豪快さを感じる
③凛とした鶴の襖絵が迎えてくれる新館「鶴の間」。④本館玄関の上り口。松の絵が目を引く
⓹「寿ゞ家」の横を通る地蔵小路に造られた無料休憩所「小路苑」。以前は古びた小屋が建っていたが、観光客の休憩所として、茶室と新館庭のみを使う場合の導線として新たに整備された
⑥本館1階の座敷。天井には幅の広い網代天井となっており、格の高い部屋だったことをうかがわせる
(②③⑥写真提供:天野さん)
5年でここまで生まれ変わった。今後の5年に期待が寄せられる

2018年 10月19日 11時05分